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PART13 その仮面、暗がりと焦燥の中で

 ロイとの密会を終えて。

 一人校舎を歩きながら、マリアンヌは考える。

 特級選抜試合の内容は心配していない。仮にユートが禁呪を行使したなら話は別だが、流石に両国の王の御前でそれはないだろう。相手の騎士という不安材料もあったが、コメント欄から察するにジークフリート以下の強さらしい。


「問題はどちらにロイを、どちらにユイさんをあてがうのかといったところですが……」


 すっかりシミュレーションゲーム気分で、マリアンヌは試合の戦術を構築していた。

 だが。


「……あら」

「よう」


 人気の無い校舎廊下で、窓枠にもたれかかっている男。

 ざんばら髪の学ラン男、ユートだった。


「婚約の話、少し期限が変わってな」

「ふうん?」


 瞬時に周囲へ視線を巡らせる。生徒はいない。おかしい。いなさすぎる。

 マリアンヌは踵で床を叩いた。魔力を伝導させ、張り巡らされた人払いの結界を可視化させる。


「器用なモンだな」

「こちらの台詞ですわ。炎系統の魔法に精通しているだけでなく、補助系統の魔法も一級品とは」


 無論、驚愕はない。その人格からして、得意分野以外も手広く修めているだろうとは予想できていた。

 声色が白々しくならないよう気をつけつつ、マリアンヌはぱちぱちと拍手する。


「それで?」

「ああ……今度の特級選抜試合。あの日に返事をもらいたい」

「また急な話ですわね」

「本国からのお達しさ」

「それで、わたくしにどんなメリットが?」


 ユートはつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「選抜試合で俺たちの国が勝つ。王国の弱体化を明瞭に暴き、国そのものを突き崩すそうだ。関係は悪化する。ハインツァラトス王国は一気にこの国へ圧力をかけるだろう。機械化兵団を国境に配置する話もある。そうなってからじゃ遅い……泥船から逃げ出すことが、お前にとってのメリットだ」


 言ってることが滅茶苦茶だ、とマリアンヌは嘆息した。

 話にならない。何もかもが、自分たちにとって都合の良い前提と結果で構成されている。その絵を描いた人間は大馬鹿だとマリアンヌは呆れかえった。


(……ですが)


 そこで一秒、彼女は思考を研ぎ澄ます。


 本当に?

 本当に心の底から、そうなると思っているのか?

 いいや、向こうの国王や政権の最終決定がこれを目指しているのは、まあいい。身の回りにいて欲しくはないが、そうやって自分のものさしでしか物事を考えられない人間はいるものだ。

 だが問題はそこじゃない。



 この流れを考え出した人間は、本当にこれが現実的だと考えたのか?



(…………現段階で考えられることではありませんわね)


 頭を振って、マリアンヌは疑念を頭の片隅に追いやる。

 決して忘れてはならないという直感に従った。


「……たかが学生同士の決闘で、そこまで判断できると?」

「王様が黒って言えばそれは黒だろう?」


 皮肉げに笑みを浮かべて、ユートはマリアンヌに歩み寄る。

 その美しい黒髪を一房手に取った後。

 とんと肩を押し、彼女の華奢な身体を壁に押しつけた。


「……ッ」

「マリアンヌ。俺たちは所詮、駒の一つだ。王子だろうと令嬢だろうと、絶対的なプレイヤーがいることに変わりない。なら、自分が盤上から落ちないよう、有利な盤面を構築してもらうことに賭けるしかない」


 顔を近づける。

 鼻と鼻がこすれ合うような距離。


「さっき言ったのが世迷い言だなんて分かりきってる。だが、それを実現するために俺は派遣されている。もうロイとユイの手札も読み切って本国に報告した。俺も十全に対策を組んでいるし、もう一人の選抜メンバーである騎士はとびきりの一流だ。お前たちの騎士団で言う、中隊長クラスに比肩するレベルの達人を、学生だと偽って投入するつもりらしい。お前たちに勝ち目はない。間違いなく俺たちが勝つぞ」

「……あら、そうですか」

「動揺しないな。隠しているのか? 俺がスパイだと予測できていても、直接言われて動揺しないはずがない」

「動揺している暇がありません。別のことに驚いています」

「別のこと?」


 マリアンヌは決然とした眼差しで、深紅眼の中に彼の貌を映し込んだ。


「壁ドンしてる側がそんな情けない顔をしてどうしますの」

「……え」


 ユートは思わず自分の頬を触り、ぎくりとした。

 自信ありげな、不敵な笑みを浮かべているつもりだった。だが実態として、頬は引きつり、目はしゅんと垂れている。


「顔に書いてありますわよ。こんなことしたくない。面倒事に巻き込まれるのは沢山だ。もう逃げたいと」

「そんな、ことは」

「普段の言動も痛々しくて見てられませんわね。陽キャの才能が無いのに陽キャの振りするって完全に苦行じゃないですの」


 普段の言動。自信のなさの裏返しだった。

 大切な友達になれば傷つけてこない。ユートはそう思っている。

 臆病なくせに誰よりも大胆に踏み込む。その歪な有り様は、攻撃的な防御と言っていい。

 それが、マリアンヌは気に入らない。


「ほら、こうして心の隙が身体の隙に直結する」


 一瞬だった。

 壁についていた腕を掴まれ、そのまま勢いよく反転、重心をずらすことで最小の腕力のみで、マリアンヌがユートを壁に押しつけ返していた。


「な……ッ!?」

「可愛い反応ですわね」


 彼の頬に手を添えて、令嬢は艶美に微笑む。


「絶対に自分を傷つけない存在だけで、周りを固めたいのでしょう? いつか無償で自分を愛してくれる存在に巡り会えることを願っているのでしょう? でしたらわたくしが愛して差し上げましょうか?」

「それ、は……!」


 目を泳がせるユートに対して。

 マリアンヌはパッと手を離すと、踵を返した。


「つまらない男ですわね」


 振り向くことなく、一顧だにすることもなく、彼女は悠々と歩み去って行く。


「どれほど堅牢な鎧を着込もうとも、心の弱さは守れませんわ」

「……ッ!」


 追いすがろうとして、身体が動かなかった。

 言い当てられていた。心の奥底を覗き込まれたように、ユートは身震いした。


「……ああそれと。一応言い返しておきます」


 マリアンヌは人払いの結界をするりと切り裂きながら。

 顔だけ見返り、ユートを見据えた。深紅眼の残光が空中に線を残した。


「特級選抜試合、必ずわたくしたちが勝ちますわ」


 揺るぎない断言だった。

 あらゆる材料を精査し、あらゆる可能性を突き詰めた者しか持ち得ない、自分の発言に絶対の自信を持つ声色だった。


「ユイさんはやや不安ですが、ロイに関してはまったく心配しておりません」

「何……? 馬鹿な。調べた限りでは、こと決闘においてはロイ・ミリオンアークよりタガハラ・ユイの方が……!」

「アナタ、彼のことを何も知らないのですね」


 嘲笑うように唇をつり上げて、彼女は喉を震わせた。


「あれは御伽話から飛び出したような、最強にして最高の貴公子。残念ですが、勝負にもならないでしょう」








 マリアンヌ・ピースラウンドは知っている。

 異世界にて、ひたすら自分にできることを知り、できないことを知り、挫折と失敗と無力感に苛まれながらも必死にもがいていた日々。

 それを変えた、たった一人の少年。


『はじめまして!』


 にこりと優しく微笑む彼。

 怪しまれないよう魔法学術書に童話のカバーをかけて、それを読みふけってばかりいる少女に、そっと手を差し伸べた幼き貴公子。


『……はじめまして』


 それが彼が覚える、彼女との出会い。

 そして、彼女にとっての、人生の転換点だったことを。

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