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閑話 その仮面、誰がために

 同時刻。

 男子寮個室にて。

 ユートミラ・レヴ・ハインツァラトスは、物憂げな表情で外を眺めていた。


『では、後日また改めて交渉すると。不必要に怪しまれてはいませんね? 結果次第では……』

「……ああ。分かってるさ。下手を打ったつもりはねえ。成果は出す」


 耳元に装着しているのは、魔力を溜めることで動作する、いわば外部取り付け型の端末装置。

 通信機器としてここまで小型化しているのは、ひとえにハインツァラトス王国の技術力の高さの証明だった。

 マシンランナーという特大の隠れ蓑もあった。誰にも気づかれることなく、ひっそりと、ユートは母国とリアルタイムに通信できる装置を持ち込むことに成功していた。

 とはいえいまだ試作型。長時間の動作は不可能。そもそも遠距離の通信ならば、魔法使いなら普通に可能だ。


 ハインツァラトス王国がこれを造り上げた理由はただ一つ。

 外部端末(デバイス)を用いることで、庶民を魔法戦士へ仕立て上げるためだ。


『マリアンヌ・ピースラウンドを引き込むことにどれほど価値があるかは分かりませんが、よろしくお願いします』

「フッ……巫女が名指しした理由、少しだけ分かった気がするよ」


 ユートは誇り高き、そして自分の隣を走り抜いてみせた令嬢の顔を浮かべた。


『……極力、『灼焔(イグニス)』の使用は控えてください。王国の何処に禁呪保有者がいるか分かりません、手札をこちらから晒すことだけは控えたい』

「逆にこっちが禁呪保有者を見つけたら、見敵必殺(ブッコロス)ってワケだろ?」

『理解してくださっているのなら何よりです』


 それきり、通信が切れる。

 ユートはデバイスを耳元から外すと、フンと鼻を鳴らした。


「第三王子より、禁呪保有者の方が価値があるってワケだ」


 その双眸には業火が宿っていた。怒りだった。ユートの中にはいつも、途方もない怒りしかなかった。

 思い出す。王宮の日々。優秀な第一王子と第二王子。

 必死に得意系統の、炎属性魔法を訓練した。だが敵わなかった。武道も、学問も、何一つとして勝るものはなかった。

 圧倒的格上が一人だけなら、まだ耐えられたかもしれない。

 だが二人いた。

 兄たちは互いを認め合い、切磋琢磨した──その下にいる弟なんて、存在しないかのように、踏みつけながら。


「……クソが」


 ダン、と壁に拳を叩きつける。

 屈辱の日々。存在を忘れ去られ、透明になってしまった自分。


 そうしてある日、降って湧いた、圧倒的な力。適性があったと言うだけで反転した世界。


 ユートミラ・レヴ・ハインツァラトスは知っている。

 この世界に本物なんて何一つない。

 本物のフリをして、それらしい仮面を被った偽物だけが、この世界を構成している。

 まがい物、贋作、欺瞞。唾棄すべきものばかりが視界を占めている。

 全部ぶち壊してやりたいと思った。嫌いだった。何もかも嫌いだった。


 だけど、それよりも。


 ユートは、反転した世界の中で、かつてのようには戻りたくないと怯えている自分が、一番嫌いだった。


「…………クソっ!」


 ベッドに背中から飛び込む。見上げた天井にはシミ一つない。

 学校生活を心の底から楽しんでいる自分がいることに、もう気づいていた。

 ここには立場こそあれど、恐れや、侮りはない。


 そして、何よりも。


 己の隣を走り抜けてみせた、あの令嬢。

 妃として来い、と切り出したとき。

 マリアンヌは数瞬、戸惑っていた──恐らく向こうも、バックにいる存在に報告しているだろう。

 だがユートの目はごまかせない。二人きりで見せた、あの一秒にも満たない生の反応。


(実は、あの女、かなり『良い人』だ。俺なんぞを見過ごせねえんだからな、そりゃ善人だろ)


 あんな振る舞いをしておきながら、人間の善性はきちんと残している。

 尊い輝きだと思った。

 自分なんかでは、触ることすら躊躇われる。

 だが国からの命令は絶対だ。やらなければ、明日の保証もない。


 どうしようもない歯がゆさと、あの輝きを自分が汚すのだという罪悪感に身を焦がされ。

 ユートは腕で目を覆った。


 彼の中には、やはり、怒りしかなかった。




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