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PART2 王子はイケメン(前編)

「────その程度ですか」


 崩れ落ちる間際。

 こちらを見下ろす、彼女の両眼を見た。

 真紅だった。茜空をすくい上げたような、透き通った朱色だった。


「こんなものですか」


 倒れ伏す己を足蹴にして、彼女は周囲を見渡した。

 無駄な行為だ。もう戦える者は自分しかいない。いなかった。そして最後の自分すら、こうして無様を晒している。


「これで終わり、ですか」


 失望を隠そうともしない声色。

 ああそうだ、と認めてしまう弱い自分がいた。

 まだだ、まだやれると叫ぶ自分もいた。


「……貴女は?」

「ッ!」


 自分以外にもまだ、立っている人間がいたのか。

 視線だけで背後を確認すれば、確かにそこには、黒髪の少女がいた。


「いえ。目を見れば分かります。戦える人間ではないのでしょう」

「…………どうして、こんなことを……?」

「決まっています。わたくしが最強であることを証明するために」

「最強って、それは────」


 言葉に詰まる少女を相手に。

 絶対の勝利者である彼女は、地面に届くほど長い黒髪をばさりとなびかせて告げる。


「正義なき力が暴力であると同様。力なき正義など、子供の戯言以下ですわ」

「────!」

「覚えておきなさい。わたくしの名はマリアンヌ・ピースラウンド。貴女がもし、自分の意志を貫こうとした時。或いは天命を理解し立ち上がった時──貴女の障害となる女ですわ」


 続いた言葉を聞き。

 最後に倒れ伏した男子生徒は、砕けるほど、奥歯をかみしめた。


(彼女の眼中に、俺はいない)


 瓦礫と同化してしまったのではないか、と錯覚するほどに、もう舞台上に自分の存在感はなかった。

 嫌にうるさい心臓の鼓動だけが、自分はここにいると叫んでいる。

 それはかつてない、己の無力さに対する苛立ちだった。


(彼女は……俺を見てなんか、いない)


 彼の名は、ロイ・ミリオンアーク。

 王国政府中枢にすら影響力を持つミリオンアーク家の嫡男。

 そして彼女──マリアンヌ・ピースラウンドの婚約者でもあった。








 魔法学園の授業は多岐にわたる。

 単純な魔法の使い方だけでも、基本的な四元素属性それぞれが別講義で行われるし、実生活で用いられるマナ操作も初年度はそれなりのコマ数を割かれていた。

 箒による飛行、使い魔の使役、などなど。覚えてられっか。


「ピースラウンド様。本日も麗しゅうございますね」

「うん」

「ピースラウンド様……?」

「オーホッホッホ! 当然ですことよ! わたくしの美貌に全米が泣き、大地に花が溢れておりますわ!」


 あぶねえ。朝イチでボロを出していた。

 わたくしことマリアンヌ・ピースラウンドは大げさな笑みを浮かべつつ、教室のど真ん中を闊歩し、それから最後尾の机に優雅に腰かけた。

 世紀末悪役令嬢伝説を目指している身としては、ドッと腰かけて机にドカッと足を乗っけたいところだが……いかんせんスカートなので却下。実家直営の工場で試作中のジーパンが完成すれば最速で履くんだけどな。


「ああ、今日も自信に満ちていらっしゃるわ……!」

「わたくしもピースラウンド様に焼き尽くされたい……!」

「ピースラウンド様の流星(メテオ)で押し潰されたい……!」


 マジでこいつら使えねえ。唾を吐き捨てそうになるのを必死にこらえる。

 わたくしを追放しろつってんの。マジ今ここでビンタしてやろうか。

 してみるか。

 わたくしは席を立つと、少し離れた席に座る女子の元へ歩み寄った。


「ちょっと失礼しますわ」

「へ? ひでぶ!」


 パァン! と風船が破裂したような音が響いた。

 腰の捻りを乗せ、手首のスナップを利かせて、その女子を思いっきりビンタしてみたのだ。


「失礼。虫がいたもので」


 どう考えても虫相手に放つ威力ではなかった。

 さあこれでどうだ、とビンタした相手の女子生徒を注視する。

 叩かれた頬を押さえ、数秒呆然としてから……だんだん目がトロンとし始め、叩かれてないほうの頬も紅潮し始めた。


「ぴ、ピースラウンドさまぁ……」

「オーッホッホ!」


 高笑いをあげながらわたくしは自分の席へと飛ぶようにして帰る。

 クソが! 入学試験でマゾだけ受からせたのか?


「今日も刺激的……」

「ええホント……朝からビンタされるなんて、羨ましさの極み……」


 俺はビキバキに引きつった笑顔を貼り付けながら、周囲の会話を聞かなかったことにする。

 追放されるならこいつらの性的嗜好が一番の難関かもわからんね。

 その時だった。


「ハァ……」


 タガハラさんが、わたくしの隣に座りながら『こいつらマージなんにも分かってねえな』みたいな態度をしていた。


「ちょっ……あの庶民態度悪くない?」

「いちゃもんとかじゃなくて普通に態度悪くない?」

「ていうかナチュラルに隣に座ったわよ」

「庶民の癖になんて図々しい」


 庶民とか関係なしに図々しいなとはちょっと思った。


「まったく、ピースラウンドさんも大変ですね」

「え、えぇ……」


 なんだこいつ? お前庶民ですわよね? なんで苦労は分かるってばよみたいな顔してんの?

 結局そのままタガハラさんはわたくしの隣で授業を受け、ことあるごとに手紙を渡そうとして来たりしてクッソうざかったですわ。







 ユイ・タガハラは男子寮の屋外庭園にいた。

 白い椅子に腰かけ、落ち着かない様子で周囲をきょろきょろと見ている。


「突然の誘いで申し訳ありません、ミス・タガハラ」

「あっ! い、いえお構いなく!」


 対面に座るのは、『王子』という言葉を聞き万人が思い浮かべた好青年──それをまるっと合成して、純度を落とさなかったような、そんな男だった。


(……で、誰なんだろう?)


 彼女がここにいるのには2つの原因があった。

 1つは、ユイが生来の好奇心から、マリアンヌが職員室に行っている間に校内を探険し、そうして男子寮にたどり着いたという経緯。

 もう1つは、本来ならば女子生徒の立ち入りは禁じられている寮から、『敷地内ではあれど、寮とは異なる施設である』という言い分で屋外庭園に彼女を助け出した男子がいたという理由。


「自己紹介が遅れましたね。お初にお目にかかります、ユイ・タガハラさん。私はロイ・ミリオンアークと申します……やや形式ばったあいさつになってしまったけど、僕も君もお互い、肩の力は抜いて話そうか」

「あ、はい。初めまして……」


 会釈しながらも、ユイは言いようのない既視感を抱いていた。


(……ミリオンアーク? 私その名前、聞いたことがあるような……)


 輝く金髪と甘いマスク。生徒たちからどよめきともつかぬ歓声が上がっていた。

 そうだ。彼は、ユイもいた入学式会場で、壇上に上がっていたではないか。


(ああ、そうだ。ピースラウンドさんが暴れる前に、壇上に立っていた。新入生代表の……!)


 入試首席。

 並みいる貴族たちを歯牙にもかけない超のつく名家。

 王族とのつながりも強く、もはや政権中枢に食い込むほどの権力を持つミリオンアーク家。


 その嫡男であり、文武両道にして質実剛健。

 御前試合においてはたった一人の相手を除き無敗。

 希少な雷撃魔法適合者であり、稲妻の如き速度と威力を誇ることから『強襲の貴公子』の異名を取る麒麟児。


 彼──ロイ・ミリオンアークは雲の上の人間だった。


 ちょうどそのタイミングで、寮に勤める使用人が二人分のティーカップを運んできた。


「親族が茶葉を送ってくださってね。良ければどうかな」

「い、いいんですか」

「勿論。東の方……極東ほどはいかないけれど、異国の商品だからね。飲みなれない味や香りがするかもしれないけど……一級品なのに間違いはないよ」


 告げて、涼しい顔でロイは紅茶を一口飲み干した。

 追随するようにしてユイも口に含めば、微かな酸味と、複数の苦みがまじりあって舌を刺激した。

 我慢して飲み込むと、胸のあたりが熱くなる。薬効でもあるのだろう。


(うっ……ヘンな味)

「どうだろう。マリアンヌと仲良くしてくれているみたいだけど、最近の彼女は機嫌がよいのかな」

「え、ええと……ピースラウンドさんは、なんていうか、特にお変わりありません。私なんかに付き合ってくださるのは驚きですけど」


 喋っているうちに、不快感は消えていった。

 むしろユイは全身が少し汗ばむのを感じた。


「彼女は意外と、人見知りなところがあるからね……君がどうやって仲良くなったのかは、少し気になってるんだ」

「そんなに特別なことが、あったわけじゃないです。私、何度か話しかけて……そうしたら、少しずつ会話には応じてくれるように……」

「驚きだ。たかが数回話しかけただけで、雑談ができるようなレベルになるなんてね。最初から君に興味があった、と言われても信じられるよ」


 ロイは穏やかな笑みを浮かべて、それからもマリアンヌとユイについていくばくかの質問をした。

 世間話の延長なのだろう。しかし。


「あの、どうしてピースラウンドさんのことを?」

「ああ、僕はマリアンヌ・ピースラウンドの婚約者だからね」


 ピシリ、と何かにひびの入る音がした。

 それが自分自身の胸の中から聞こえた音だと、ユイは知らず知らずのうちにちゃんと分かっていた。

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