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PART19 聖女は嘲笑う

 騎士の意識が飛んでいたのはコンマ数秒。

 ジークフリートは、空中で体勢を立て直し着地した。抜剣し構えようとして、大剣が手の中から滑り落ちた。がくんと片膝が抜けた。身体内部に衝撃が通っている。血を吐いた。

 違う方向に吹き飛ばされたマリアンヌは、コロシアムのフェンスに激突し、砂煙の中に消えていった。安否はまるで分からない。


「ほう、死んでいないとはな」


 聖女リインは右手の指を鳴らしながら言った。

 騒然とする会場。聖女の突然の凶行に、誰もの思考が止まっていた。

 だがジークフリートは、まるで別人のように切り替わった雰囲気を見て、適切な質問を導き出せる。


「貴様……何者だ」


 騎士の問いに、リインはばきりとロザリオをへし折って、唇をつり上げた。


「そっちの、黒髪の女は気づいてたぞ? 神の啓示と悪魔の囁きを聞き違えた女──馬鹿な女だ。こうして身体すら明け渡した」

「悪魔、だと」


 思わず目を見開く。

 悪魔──死後の世界に住む神や天使とは異なり、『世界の裏側』と呼ばれる異界、地獄に住む悪しき存在である。めったなことではこちらの世界に現れないはず。

 先ほどマリアンヌが言っていたのはそういうことだったのか。


「馬鹿な、いつから──!」


 立ち上がった第二王子の声に、聖女リインが唇を歪める。


「いつから? さあな……身体を得て好き勝手出来ると思ったはいいが、すぐに事務仕事なんぞを割り振られ始めて大変だったわ」

「……ッ! 聖女が教会で台頭し始めたのは、悪魔が憑いたからだったのか……!」


 聖女の言葉を聞いて、ジークフリートは即座に理解した。

 なるほど教会が勢力を増していたのは、単なる時勢などではなかった。明確に人類以外の存在から介入を受けての結果だったのだ。


「皮肉なものだろう? 初代勇者が完成させた加護システムは、少しの応用で再現できた。いや、根っこはどうにも真反対のようだが……しかしだ。ありがたがっていた代物が、教会とは相反する悪魔によって再現されていたとは最高ではないか! しょせん人類の知恵など、そのレベルという証拠だ!」


 世界そのものをひっくるめて相手取り、聖女に憑いた悪魔は嘲笑う。

 お前たちは矮小な存在なのだと。所詮はか弱き命なのだと。

 全人類を否定するように、哄笑を上げる。


「クハ。クハハハハハハ! ハーッッハッハッハッハ!! だが手土産はできた! いつか来たる終末の日に向けて、あの方も俺を重用してくださるだろう!」

「何を……!?」


 聖女は騎士の問いには耳を貸すこともなく、一方的に言い切って、満足げに息を吐いた。


「だから、ここで終わっておけ」


 そう告げて。

 聖女リインの身体を借りた悪魔は、左手をのろのろと持ち上げる。



 ────星の瞬き(stars rise)天は花開き(sky glory)地は砕(ground)ける(lost)



 国王が真っ先に反応した。

 それは計十三節から成る、おぞましい戦略級禁呪。



 ────怯えろ(frightened)震えろ(trembled)祈れ(prayed)歓喜せよ(delighted)



 人類が編み出した禁忌の結晶に、悪魔は手を伸ばした。

 聖女の立場を手に入れ、教皇をだまくらかせば簡単だった。これは便利だ、人間もなかなかいいものを発明した、とほくそ笑んだ。



 ────不可視(invisible)右手(right)銀貨(coin)(compen)(sation)



 故に悪魔の行動目的は変わった。

 聖女として適当に権力と地位を手に入れて暇つぶしの遊びをしようと思っていたが。

 この禁呪を地獄へ持ち帰ること。地獄の門が開く日まで、禁呪の知識を保持しながら生き残ること。



 ────罪業は(sin)ヴェール(hide)に包まれ(out)私は悪魔の(nightmare)目を欺こう(get out)



 だからこの場で、国王ごと皆殺しにすることを、悪魔はあっさりと決めた。

 立場は捨てよう。命あってこそ、禁呪を持ち帰れるというものだ。あらゆる勢力が喉から手が出るほど欲しがるに違いない。これほどの高威力魔法は地獄でもお目にかかったことがない。


 聖女として随分遊べた。それだけでも価値はあった。

 もういい。自分が一番大事だから。


 ロイが避難を叫んだ。リンディはマリアンヌの名前を呼んだ。国王の前に王子たちが飛び出した。貴賓席から逃げ出す人が数名居た。ジークフリートは落とした剣を拾おうとした。






こっちを(・・・・)見なさい(・・・・)






 聖女リインが動きを止めた。

 それから恐る恐る、錆びたブリキみたいな動きで、目を向ける。


「どこを、見ているのですか。これは……これは、わたくしとアナタの勝負でしょうに」


 彼女は、砂煙の中でゆっくりと立ち上がった。

 頭部からの出血が黒髪から滴っている。

 右目の上から血がにじみ出て、顔の4分の1近くを赤く染めていた。


「まさか勝ったつもりですか? 不遜、不愉快極まりない……ッ! これから負けるというのにどこを見ているのですッ!」


 だが、その深紅眼に翳りはない。

 鋭い眼光がリインを捉えた。それは紛れもなく、死神の鎌に近しい寒気だった。




「だから、わたくしを見なさいッ!! 聖女リイン────ッッ!!」




 真の聖女が、今決定する。








 いやマジで流星(メテオ)がなければ即死だった……

 ジークフリートさんに挨拶しながら三節詠唱二発分『流星(メテオ)』の詠唱を済ませてたからギリ防御間に合った……マジで死ぬかと思った。

 へへ……にしても。聖女ってすげえんだな。こんなにバイオレンスな仕事なんだ。わたくしちょっと甘く見てた。聖女のこと舐めてたんだ。

 だが今は違う。もう油断しねえぞ、暴力ババア。

 聖女には向いてないと思っていたが、仕事に暴力が含まれるのなら話は変わってくる。


 テメェをぶちのめして、本当の暴力(せいじょ)ってやつを教えてやるぜ──!

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