PART13 願いは気高く
ぱちりと目を開けた。視界は真っ白だった。
意識が吹っ飛んでいた。ジークフリートは恐る恐る、自分の名前を頭の中で確認し、並行して二十本の指が欠けてないことを確認した。
確か自分は、非番の日で。
邪龍を共に討伐した少女と再会し。
そしてなんか決闘することになり、思いっきりぶん殴られて────
「あら、目覚めましたか?」
視界にマリアンヌの顔が入ってきた。
気づけば、後頭部に柔らかい感触がする。
最初に見えたのは白いブラウスであり、マリアンヌの胸を真下から見上げていたのだと気づいた。
「……あと数分はこの体勢をお願いしたい」
「却下です」
両足をつかんで、ロイがずるずるとジークフリートの身体を引きずってマリアンヌから剥がす。
怒り心頭だった。膝枕なんて自分もされたことがない。完全にブチギレていた。ミリオンアーク家のあらゆる権力を使ってジークフリートを潰してやろうと決意していた。
「オレの負けか」
立ち上がり、感覚が元通りになっているのを確認しながら、ジークフリートは嘆息する。
既に日が沈みかけていた。茜色に染まった空を見上げる。
最後の一撃。予想さえできれば対応できるとは思った。だが──騎士に、敗北は許されない。
「情けない話だ。まさか本当にやられるとは」
「次はないでしょう。不意打ちが成立しただけですわ」
「逆だ。あらゆる戦いに次はない。オレたち騎士は、全ての手札が割れた状態で戦い、必ず勝利しなければならない。騎士に対するメタ戦術や不意打ちなどへの対応は義務だ」
声色は固いものだった。かつてのジークフリートに近い。
その反応に、マリアンヌはつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「……そういうことを伝えたかったわけではありませんわ」
「では、何を?」
「もっとアナタらしくあればいいのに、と思っただけですわ」
自分らしく。
ひどく曖昧な言葉だとジークフリートはいぶかしんだ。
「証明したいんでしょう? 最強であることを」
「……それは」
「ならば話は単純でしょう。アナタが騎士の頂点に上り詰める。その時にはわたくしも魔法使いの頂点に君臨していましょう。その上で雌雄を決すれば、白黒つきますわね」
「────!」
思わず彼女の真紅の瞳をまじまじと見つめた。
焔を煮詰めて純化させたような、ワインレッドの両眼。
「アナタには、そしてわたくしにも、それができます。できると信じています。そうでなくては意味がない」
「……意味が、ない」
「勝手ながら、同類だと思っていますわ」
マリアンヌは静かに天を指さす。
ジークフリートとロイは、指し示された先へ視線を上げた。果てなく広がる大空が、天空が、そこにはあった。
夕日に照らされ、彼女は今、きっと世界中の誰よりも美しい。
「わたくしこそが世界で最も強い!」
宣誓は何よりも真っすぐで、揺るぎないものだった。
「わたくしこそが最も選ばれし者!」
自分の進む道を微塵も疑わない、だからこそ誰よりも輝く少女の声だった。
「邪魔は一切を排除します! 対立者は悉く粉砕します! あらゆる艱難辛苦を乗り越えて────その最果てにこそ、わたくしの存在証明は成りますわ!!」
ビリビリと、空間そのものを鳴動させるような迫力の宣言。
さすがのロイも面食らっていた。だが。
「……く、はは」
ジークフリートは、自分が笑っているということに、笑い始めてから気づいた。
「はははは、ははははははははははっ!!」
「む。何がおかしいんですの?」
「いや。ふむ、なるほど分かったよ────君は馬鹿なんだな」
「はあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
現状のマリアンヌは世界で最も沸点の低い女だった。
キレた彼女が詠唱をはじめ、ロイがそれを羽交い絞めにして止めるのを見ながら。
(……オレの存在証明、か)
最強であることを。
誰よりも自分こそが強いのだと、ああして雄々しく宣言するために。
ジークフリートの瞳には迷いない光が宿っていた。
やっと、自分のなすべきことが分かったのだから。
それから半月ほどが経った。
王立騎士団行きつけの酒場は大盛り上がりだった。年に一度の昇格降格が告げられる重大な日。
新たなる中隊長に選ばれた男を、同僚が囲んで笑っている。
「おめでとさん、ジークフリート! これから忙しいぞ!」
「ああ。力を借りることになるだろうな。まずは……この、教会から差し入れられた酒を片付けるところからだ」
温和な笑みを浮かべるジークフリート。
彼の身に纏う空気が変わったことに、誰もが気づいていた。
「なんだ、随分と垢ぬけやがって」
「ありゃ何かあったぜ」
「決まってる。女だ女!」
からかい半分、やっかみ半分のヤジが飛んでくる。
だがもう、驚くほどに悪意のない声だった。
下らない問いに取り合う男でないのは、誰もが知っていた。
「ああ。今まで生きてきた中で、最も眩しく、最も美しい女性に出会った」
だからその即答に、一同は数秒ガハハと笑い、それから順番に静かになった。
「オレは、オレ自身のためにも、一層強くならなくてはならない。そう……彼女の隣に立つに、相応しくなるためにな」
禁呪保有者と渡り合えるようになりたいだけである。
だが数秒後には、酒場が爆発した。それほどの声量が響き渡った。
結局ジークフリートは、酒場が閉まる時間まで延々と相手について問い詰められたが、最後までこうとしか言わなかった。
────合縁奇縁、というやつだ。
暗がりの中。
今にも消えそうなろうそくだけが灯る密室。
何かを読み上げるように、女の声が奏でられていた。
「さてさて、世界の仕組みにやっと触れ始めた、マリアンヌ・ピースラウンド」
「神様によって死んでしまった彼女は、役割を割り当てられ、異世界に転生しました」
「動き出した運命は彼女を逃しません。切り替わった歯車は、元には戻りません」
「残酷な世界を見て、宿命を知り、日常を過ごし」
「────彼女は何を思い、何を為すのでしょうか」