PART17 湯煙旅情ゲットアンダースタンド(前編)
一方その頃。
ロイとユートは地面に膝をつき、肩で息をしていた。
息一つ乱さず、ユイは腕をだらんと下げた自然体で二人を見下している。
「これ、が、無刀流……ッ!」
「ぜぇっ、くそっ、ここまで一方的にやられるとはな……!」
戦闘としてギリギリ成立するかしないかのレベルだった。それほどに次期聖女は圧倒的だった。
動体視力を魔法で強化し見守っていたリンディは、その結果を見届け嘆息する。
(当然といえば当然ね。ミリオンアークとユートの得意属性は、それぞれ雷撃と火……ここじゃ満足に使えない)
チラとリンディは視線を後ろにやった。
確かに露天風呂を囲む竹の壁は高いが、月夜の中で雷撃魔法や火属性魔法など発動したら即座にバレるだろう。
(一方のユイにとって、夜闇の中での近接戦闘なんてまさしく彼女の領域だわ)
リンディが見ている間、ユイの戦闘は圧巻だった。
バトルロワイヤル形式を完全に支配し、自分に飛んでくる攻撃を最小限に留めつつ、隙を見せた相手に有効打を打ち込み続ける。
基本に忠実なヒットアンドアウェイは、ノーダメージでの完封という結果をもたらした。
(そして相性差だけじゃない。見てきたから分かる……ユイのやつ、抜群に上手くなってるわ)
例えばそれは、相手の呼吸を盗み見る技巧。
例えばそれは、相手に有利な位置取りを譲らない身体捌き。
格闘術に関して素人のリンディですら、モノが違うと分かった。
──カチカチと脳裏で音がする。歯車の回る音がする。
目が肥えてきているのだろうとリンディは自覚した。
動体視力を強化すれば三人の高速戦闘を見て取ることができた。自分がいかにハイレベルな戦士に囲まれているのかも自覚し、思わずため息をつきそうになる。
──カチカチと脳裏で音がする。歯車の回る音がする。
リンディ・ハートセチュアは気づかない。
たかが数ヶ月を共にしただけで、これほどまでに戦闘の趨勢を見て取れるようになることが異常なことだなどとは気づかない。
彼女の視点では、彼女以上の天才に囲まれているから。
比べて自分のなんと非才なことかと、諦め半分に呆れているのだから。
──カチカチと。
──歯車が、噛み合う時を待っている。
「じゃあリンディさん、覗きましょう」
「覗かないわよ!? 普通に戻ってお風呂入るわよ、もう!」
「えっ、ちょっと、私勝ったんですよ!? 勝者の特権は!?」
「あんたやることなすこと本当にあいつに影響受けまくってるわね! 覗かなくても一緒にお風呂入ればいいでしょうが!」
「それじゃあスリルが……生き死にをかけた興奮が……ッ!」
「うっさい! 時間なくなってきてんのよ! ほら歩いた歩いた!」
烈火の如く怒鳴って、リンディが無理矢理ユイを引きずっていく。
残された男二人は、膝をついていた姿勢から、ゆっくりと立ち上がった。
「おいおい……マジでいなくなったけど、どうするよ」
「僕らは敗者だ……大人しく帰るさ」
「だな」
ここでしめしめと覗きに走るのは負け犬以下の行いだ。
覗き魔の時点で負け犬以下ではあるのだが、中途半端に美意識は持っているらしい。
二人は肩を落としてとぼとぼと来た道を引き返す。
「……なあ、ロイ」
「ん?」
「お前雷撃魔法、撃たなかったんじゃなくて撃てなかっただろ」
「……ッ」
「ま、詳しくは聞かねーけど……いざって時にも撃てねえんなら、首は突っ込むなよ」
「………………」
月だけが二人の背中を見ていた。
ユートの隣で、瞳に言い知れぬ色を宿したロイの様子に、月光以外に気づく者はいなかった。
ちょっと時間が経てば、まあそこそこに緊張はほぐれた。
直視するのは流石に憚られるが、カサンドラさんと二人並び夜空を見上げて談笑する。
気安く話せる、と言うには大切な時間。
前から知っていたような、と言うには新たな発見に満ちた時間。
「でしたらゼールの競技会では負けなしと! 腕が鳴りますわね!」
「ふふっ、ノータイムで参戦を宣言したわね。国籍違うと出られないわよ……?」
「ご安心を。わたくし、国王アーサーにツテがありますので」
「一般的には安心から最もかけ離れた発言ね」
他愛ない会話の隙間で、ちらと彼女の横顔を見る。
やはり歴戦。やはり傑物。
会話の節々で感じてはいたが、ゼール皇国はどうにも閉じた国のようだった。彼女の名は聞かなかったし、わたくしについても本当に風の噂で知ったのだという。
まだまだ研鑽が足りないな。大陸の端から端まで、わたくしの名を轟かせなければ。
「参戦はともかくとしても、交流試合すらありませんものね。お互いいい刺激になると思いますのに」
「同意見だけれど……無理でしょうね。ウチの国は、そういうことはしないと思うわ」
「なるほど。ですがまあ、いつかはお伺いしたいですわね。見知らぬ土地、見知らぬ戦士。わたくしの力を試す絶好の場ではありませんか」
肩をグルグル回しながら言うと、カサンドラさんは微笑を浮かべる。
「その真っ直ぐさ、
「え?」
「そしてそれ以上にシンパシーを感じてもいるわ。強くなるためには、努力を惜しまないというストイックさ。こちらの国ではみんな真剣に強くなろうとしているものね」
……こちらの国では、か。
ゼールだと違うんだろうか。間違いなく、何者かの手によって、ゼール皇国は原作とは異なる強化をされている。
ならその強さの根幹には、何があるのか。
「
「まあ、そうですわね……わたくしも頑張ってはいますが、カサンドラさんもまだ、強くなりたいと?」
こないだの喫茶店の一件からして、そして国内無敗というのが本当なら、相当の実力者だろう。
流石に禁呪使うとお話にならないかもしれないが、それを抜きにすればわたくしに匹敵しうると見ている。
「ええ。たくさん犠牲にしてきたもの」
「はい?」
だからその言葉に、数秒反応できなかった。
「強くなる上で、犠牲はつきものでしょう?」
「…………」
積み上げるべきものを、積み上げる。
同じ言葉だと思っていたのに──違う。露天風呂に浸かっているというのに、背筋が寒くなる。
努力じゃない。
彼女は犠牲と言った。
「カサンドラさんは……積み上げた犠牲の分だけ、強くなれるとお思いで?」
「絶対とは言わないわ。だけど、不要なものを切り捨てなければならない場面は、必ずある」
慎重に意見を探る。
思ってたより複雑な家庭だったりするのかな。わたくしが言うのもアレだが、その思考回路は結構危ないぞ。
ここは友人として、一肌脱がなければ。
「理解は、できますわ。わたくしのお父様がそうでした」
「……貴女の、お父上」
「ええ。有名人ですが……マクラーレン・ピースラウンド。王国建国以来の秀才。我が国の魔法体系は、現在のものに限ればお父様が九割をまとめたと言っていいでしょう」
「凄いお人ね」
「親としては失格ですわよ」
ここは普通に、恨み辛みを抜きにしてそう思う。親らしいことなんてされた覚えがない。
家とは、研究の場だ。お父様もお母様も自室にこもって研究を進めていた。顔を合わせることもない。研究室には基本的に入らないからいるかどうかも分からない。気づけば家に立ち寄った痕跡があって、ああ生きているのだと分かった。それだけだった。
だからこそ、保護者参観に来たのはぶったまげた。食事を共にしたのなんていつぶりだろうか。
これは客観的な評価だ。あの人たちは、親としての役割なんて何一つとして果たしていない。もし前世の記憶がなかったら相当グレてたかも分からん。
けれど。
「けれど……犠牲にしたくして、犠牲にしたものなんて、きっとお父様にもありませんわ」
「……ええ。それはもちろんそうよ。
カサンドラさんは、ちゃぷと湯を手にすくい上げた。
両手の中の水面には月が映り込んでいた。
揺らめくそれは、しょせん虚像に過ぎない。
彼女の手から水が零れていくと共に、形が歪み、拉ぎ、最後にはかき消えてしまう。
それを眺めるカサンドラさんは、いやに儚く見えた。
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