PART9 邪龍はかませ(中編)
邪龍を一撃で吹き飛ばした少女は、不敵な笑みを浮かべて天を指さした。
「悪しき龍ありと聞きつけ訪れましたが、口ほどにもありませんわね。存在の格が違うのです。真なる選ばれし者とはただ一人! このわたくしですわ!」
思い上がり甚だしく、全能感も痛々しく、驕り昂ぶり全開のセリフだった。
彼女は突風に突き上げられたスカートをそっと手で押さえ、ちょっと頬を赤らめてから、ジークフリートの元にツカツカと歩み寄ってきた。
「見ましたか?」
「え……何、がだ?」
あまりに衝撃的な光景を見させられて、ジークフリートはちょっと思考停止していた。
「いえ、見てないのなら結構です。乙女の秘密ですわ」
「は、はあ」
「見て減るものではないと言いますし、実際減るものではないですけれど、見えないからこそ価値があるものですわ。露店に並んだ春画よりものれんのかかった成人向けコーナーの方が商品価値が生じる気がするのと同じ原理ですわね」
「考え方が男性的過ぎる……」
突然とんでもない核心を突かれ、マリアンヌはさっと顔をそむけた。
「それで、その。君は一体? このあたりに住んでいる、という風体でもないが」
「わたくしですか? わたくしは通りすがりの仮面ライダーですわ」
「言葉の意味はよく分からないんだが、嘘だということだけは分かるぞ」
「……冗談ですわ。わたくしの名前はマリアンヌ。ドラゴンをまたいで通るマリアンヌ、ドラまたマリアとお呼びくださいな」
「は、はぁ……」
とんでもねえアダ名だとジークフリートは思った。
常識に疎い面はあるが、どう考えても異常なのは分かった。というかドラゴンをまたいで通るって、サイズ感がおかしくないだろうか。
「それにしても驚きましたわ。騎士団が撤退しているとは予想外でした……わたくし、騎士の皆様の奮戦を見守りながらランチにしようと思っていましたのに」
「そのバケットは昼食か。残念ながら騎士団は敗北した。生き残りは撤退している。オレが殿だ」
「捨てがまりですわね。尊い自己犠牲精神をお持ちで」
「……皮肉、か?」
「ランチのおかずにもなりませんわ」
「本気でオレたちの戦いをランチのおかずにしようとしていたのか……!?」
会話しながらも、どうやら正体を明かすつもりはないらしいと察した。
曖昧にはぐらかされている、とすら言えない。適当にあしらわれているのだ。
邪龍討伐に伴い一帯の避難は完了している。さらに物見遊山目的であるような口ぶりからして、遠方からやって来ているのかもしれないと思った。
「なんにせよ危険に変わりはない。早く立ち去ってくれ」
「はい? 見てませんでしたの? あんなワイバーンもどき、わたくしの
その時だった。
真横から極光が吹き荒れた。狙いの逸れたブレスがマリアンヌの後ろ手に提げていたバスケットをジュッと蒸発させた。
「…………」
「…………」
顔を見合わせたまま数秒黙りこくる。
それから恐る恐る、横を見た。
金色の瞳を血走らせ、口元からブレスの残滓をこぼしながら、どう考えてもブチギレている様子で邪龍がこちらを見ていた。
「
「いいから逃げるぞ! こっちだ!」
生まれて初めて、ジークフリートは異性の手を引いて全力疾走することになった。
切り立った崖の横合いにぽっかりと空いた洞窟。
そこに身を隠し、二人は地面をはいずる邪龍の音に耳を澄ませていた。
「……強力な魔法だったが、どうやら怒らせてしまったようだな」
数瞬ではあったが、ジークフリートは邪龍の胴体が抉れているのを目視した。
一切の攻撃が通用しなかった邪龍相手に、馬鹿げた威力だと嘆息する。魔法攻撃である以上、祝福を授かっている騎士ならある程度軽減できるだろう。しかし真っ向から直撃した際に無事で済む自信はなかった。
「むぅ……」
一撃で殺害できず、マリアンヌは頬を膨らませてむくれていた。
「想定よりも硬かったな。君の魔法が一級品なのは保証しよう。だがあれでは、連発している最中にブレスでこちらが消し飛ぶ」
「同意見ですわね」
逃げてくる最中にも何度かブレスが飛んできたが、二人はおとなしく回避を選択していた。
真っ向から受け止めきれる保証はない。博打に打って出ようにも、チップが自分たちの命である以上迂闊な真似はできない。
「手立てはないのか?」
「ある分にはありますわ。ですが……」
「いや、実のところ、ある程度の推測はできている」
ジークフリートの言葉に、マリアンヌは三角座りの姿勢で首を傾げた。
「と、いいますと?」
「さっき打ち込んだ
む、とマリアンヌの表情が変わった。
先ほどまでの雑なあしらい方ではない。ジークフリートの両眼を覗き込んでいる。自分の底まで見透かされるような悪寒がした。
「騎士は魔法についての知識も深いのですか?」
「魔法使いということは、君は貴族なんだろう。知る機会がないのは当然だが……オレたち騎士は、魔法使い、或いは魔法生物との戦闘を主目的とする。敵を知るのは基本だ」
「えっわたくし敵と思われてるのですか?」
「違う違う、この状況で仲間割れはあり得ないだろう。ただ、一般的には、魔法使いと騎士は相いれないということだ」
魔法使いと騎士の断絶は根深い。
それぞれが背後に貴族と教会を持ち、両勢力の当てこすりとして現場で争うのが、その二つのジョブだった。
「はえ~そうなんですわね。すみません、わたくし、そういうのに疎いので」
「本気か? それほどの腕前なら……いや。まだ学生だったな。これから嫌でも知ることになる」
真紅の髪をかき上げ、ジークフリートは大剣の刀身を指で叩いた。
外では邪龍の這いずる音が響いている。自分たちを探しているのだ。腕を組んで、赤髪の騎士は嘆息した。
「それで、本題なんだが」
「はい」
「本来は、何節なんだ」
「……完全版の詠唱をするならば、その、えーと……」
組んでいた腕をほどき、ジークフリートは頭をかく。
「言いよどむ内容とは思えないな。禁呪指定の十三節詠唱とでもいうなら分かるが、まさか十三節詠唱をたった二節に省略できるはずもない」
「おファファファファッ!? お、お、オホホホ! そんなまさかまさか~! 十三節詠唱なワケありませんわ~!! オホホホホホ!」
「…………マジか……」
完全に彼女の反応は『図星です』と告げていて、ジークフリートは流石に絶句した。
学生、それも魔法学園に入学する齢より少し幼いぐらいの少女が、禁呪を習得しているとは。
「いやその違くてですわね。さすがにこの段階でもう裁判にかけられるのはマジでやべーんですわよなんだけど、えっとお」
「よせ。オレは君に助けられた立場だ、糾弾するつもりはない」
手をかざしたジークフリートのセリフに、マリアンヌは数秒硬直した。
「聞きたいのは、本来の禁呪なら仕留められるかどうか。そして発動にどれぐらい時間を稼げばいいのかだ」
「……15秒あれば照準を絞って構築できます。詠唱短縮は手習い程度なのが悔やまれますが」
「十分だ。……いや本当に十分すぎるな。え、マジか? 禁呪を15秒で完全詠唱? やっぱり裁判にかけてもいいか?」
「ちょっとそれだけは本当にタンマですわ!! …………ん? あれ? これもしかして追放チャンス? すみませんやっぱ裁判かけてもらってもいいでしょうか?」
「急に自殺志願者にジョブチェンジするな、びっくりするだろう。だから俺は君を糾弾するつもりなんてない、安心してくれ」
不器用ながらも、ジークフリートは彼女を安心させるべく優しい笑みを浮かべた。
場所が場所なら黄色い歓声が上がったであろうその笑顔を見て。
マリアンヌは唇を噛み、本当に深刻に渋面を作った。
「オレも騎士の端くれだ。君の信頼に、必ず応えてみせる」
「いい顔ですわね。真っすぐで眩しい顔。いかにもな騎士サマですわ」
「……それは皮肉だな?」
ご名答ですわ、とマリアンヌは肩をすくめて悲し気に脱力した。