91 救いの手
「弾け飛べ!」
──バン!
鋭い声とともに炸裂音が響き、目の前のクマもどきが盛大に吹っ飛んだ。
さらに、
「風刃!」
「炎刃」
風の刃と火の刃が合わさり、巨大な炎の剣と化して私たちを追って来ていた魔物を焼き尽くす。
「ええ…?」
あまりにも圧倒的な光景に、私は思わず間の抜けた呻き声を上げた。
何だこの一方的なの。一瞬前に死を覚悟した私が馬鹿みたいじゃん…。
とはいえ、それには理由があるもので。
「──ユウさん!」
駆け寄って来た人影を、私は信じられない思いで見詰める。
「シャノン…」
修行のためにロセフラーヴァの街に行ったはずのシャノンが、何故か金属製の杖を携えて目の前に居る。
ギルド長はロセフラーヴァの支部に緊急支援要請を出すと言ってたけど、知らせが向こうに届くのに最短で半日、招集を掛けるのに半日、あっちからこっちまで来るのに半日。少なくとも明日か明後日にならなければ増援は見込めなかったはずだ。
緊急事態が判明してから半日経っていないのに、どうしてシャノンがここに居るのか。
私が呆然としていると、シャノンは厳しい表情で私の顔──正確には右目のあたりを検分し始めた。
「…目が傷付いてるわけじゃないみたいですね。こめかみと右足首、すぐ治します!」
わあ、バレてた。
スライム避けようとして足首捻ったとか格好悪すぎるから隠しときたかったのに、何でバレたんだ。
「間に合ったようで何よりです、ユウ」
「マグダレナ様」
シャノンが目を閉じて集中し始めると、横から声が掛かった。
こんな状況でも、マグダレナは落ち着き払っている。その背後でベテランぽい冒険者が3人ほど、燃え残った魔物を倒して回っているところを見ると、本当に準備万端の状態で来たらしい。どうなってるんだろう…?
疑問が顔に出ていたらしい。マグダレナが目を細めて微笑んだ。
「昨日、この土地の魔素の流れが変わったのを感知したので、もしかしたらと思って国境付近で待機していたのですよ。それに、そちらのルーンが『緊急支援要請を出す』と魔法でアルに知らせてくれましたから」
書類はこの国に入ってから受け取りました、と涼しい顔で言う。思わずルーンを見下ろしたら、へへ、とルーンは小さく笑った。まさか水面下でそんな情報をやり取りしていたとは。
それで来るのが早かったのか。それにしても早すぎる気はするけど…。まあそれは置いといて、
「…魔素の流れを感じ取れるんですか?」
「ええ。アルが、ですけどね」
マグダレナがちらりと横を見る。マグダレナの肩の上に白いケットシーが顔を出し、得意気に胸を張った。
《ふふん、感謝しろよ、弟》
《げっ、来てたのか…》
私に抱かれたまま、ルーンがげっそりした顔をする。その後すぐにジト目になり、
《はいはい、感謝してるよ弟。兄貴を心配して来てくれたんだろ?》
しっかり『弟』を強調して言い返す。途端、アルの瞳孔がぐわっと開いた。
《相っ変わらず可愛くないヤツだな! いい加減認めろよ、お前が弟だって!》
《それはこっちの台詞だ! 毎回毎回要らない兄貴風吹かせやがって!》
「アル、ルーン、喧嘩しないで! 集中できない!」
《《スミマセン!》》
シャノンの苦言が飛んだ途端、兄弟は一斉に大人しくなった。鶴の一声とはこのことか。
マグダレナがくすくすと笑う。
「先程まで『ルーンが何度魔法で呼び掛けても応答しない』と真っ青になっていたのに、現金なものですね」
《んにゃっ!? ち、違う! 返事がなくてイラついてただけだ!》
どうやらアルの偉そうな態度は、安堵の裏返しだったらしい。途端に慌てだすアルに、ルーンが生暖かい視線を送る。
《なんだよ、心配だったんなら素直にそう言えば良いのに》
「ルーンもね」
私はにやりと指摘する。
「アルの姿を見た途端、思いっ切り力抜けてたよ。自覚はないかもしれないけど」
《うえっ!?》
この兄弟、ツンデレ度合いはどっちもどっちのようだ。ごちそうさまです。
「…ふう」
程なく、シャノンが掲げていた杖を下ろした。
「これで大体治ったと思います。違和感があったらすぐに言ってください」
「ありがとう、シャノン」
ルーンを地面に降ろし、軽く身体を動かしてみる。触った感じ、こめかみの傷は綺麗になくなっているし、足首の痛みもない。すごいな、回復魔法って。
「うん、大丈夫そう」
「良かった」
《じゃああとはその見た目だな。シャノン、ユウを洗うからちょっと離れてろよ》
「うん」
ざばんと水に包まれて、温風を浴びたらあっという間に丸洗い完了だ。その光景を、シャノンがどこか楽しそうに見詰めている。
「何だか『帰って来たな』って感じがします」
丸洗いが故郷の象徴というのもどうなのか。
…まあたびたびルーンに洗われてるのは認めるけど。
釈然としないが、深くは突っ込まないでおく。
「マグダレナ様、粗方討伐できました!」
冒険者3人が集まって来た。見ればあの黒いもやは全て消えて、周囲には魔物の死骸が大量に転がっている。
改めて周囲を見渡したシャノンがちょっと青くなった。あらゆる種類、とんでもない数の死骸だ。しかも焼け焦げてたり切り裂かれてたり潰されてたりと、倒され方も多種多様。正直半年前の私だったら吐いてると思う。
…今は吐いてる暇なんかないけどね。
「よっ、久しぶりだなユウ」
ベテランのうちの一人は知った顔だった。
「ジャスパーも来てくれたんだ」
「うちの支部の中じゃ、俺とキャロルが一番こっちのことを知ってるからな」
ちなみにキャロルは別の冒険者たちと一緒に、南の方、デールとサイラスの助っ人に行っているらしい。
ロセフラーヴァ支部からの応援は、総勢10名。シャノンとマグダレナ以外は全員が上級冒険者で、マグダレナお墨付きのメンバーだそうだ。『下手な人員を選んだら死にますからね』と涼しい顔で言うあたり、マグダレナもなかなかだと思う。
なおシャノンに関しては、小王国支部からの遠征扱いであることを鑑みて、修行の一環として連れて来たそうだ。貴重な回復要員、大変ありがたい。
「それにしても、躓いて魔物の攻撃を許すなんてお前にしてはお粗末だったな」
「げっ、見てたの?」
ジャスパーに指摘されて、私は思わず顔を顰める。ばっちり見てたぞ、とにやにや笑うその顔がちょっとムカつく。
「仕方ないでしょ、足元に灰色のスライムが居たのに気付かなかったんだから。踏まないように避けるだけで精一杯だったんだよ」
「…灰色のスライム?」
ジャスパーがきょとんと首を傾げた。あんなに分裂して増えてたのに、ジャスパーは気付かなかったんだろうか。それとも、あの風と炎の魔法の合わせ技で全部黒焦げになってた?
「…踏まなくて正解ですね」
私の話を聞いたマグダレナが、深刻な顔で呟いた。
「それは普通のスライムではありません。特異種の『アビススライム』でしょう」
「特異種?」
基本種とか上位種とかはよく聞くけど、『特異種』は初めて聞いた。シャノンは勿論、ジャスパーも首を傾げているところを見ると、あまり一般的な言葉ではないようだ。
マグダレナ曰く、特異種は特定の条件下で猛威を振るう、あるいは特定の方法でしか倒せない魔物。
アビススライムの場合は炎に弱く、初級の火魔法や、何だったら燃えてる枯草なんかを投げ付けても倒せるが、物理攻撃が一切効かない。
「え、そんなことあるんですか? 実体があるのに」
ゴーストとかならともかく、あのスライムには実体があった。何となく触りたくない気配がしたけど。
私が言うと、マグダレナはゆるりと首を横に振る。
「物理攻撃が効かないと言うか、『物理的に接触したらこちらが死ぬ』というのが正確な表現ですね」
『え』
マグダレナは視線を巡らし、ああ、と一つ頷いた。
「丁度あそこに1匹、生き残りがいますね。ジャスパー、適当な肉片を投げてあのアビススライムにぶつけてください。出来るだけ遠くからお願いします」
「わ、分かりました」
視線の先、かなり遠くに、どす黒く変色した地面に落ちている灰色のゼリーっぽい物体。言われるがまま、ジャスパーがクマもどきの腕っぽいパーツを投げ付けると──
──ゾンッ!
『!?』
ぶつかった瞬間、背中が薄ら寒くなる音と共にクマもどきの腕が灰色に染まった。──いや、一瞬でパーツに沿うように広がったアビススライムが、クマもどきの腕を呑み込んだ。
そして1秒も経たないうちに、アビススライムは元の形に戻る。クマもどきの腕は跡形もない。
『………え?』
「あのように、アビススライムは体の上面に触れた物体を手当たり次第に包み込んで消化・分解します。どんなものでも例外ではありません。ミスリル銀は勿論、極めて安定で魔法防御力も高いオリハルコンですら取り込みます」
『どんなものでも底なしに食べるスライム』だから『奈落スライム』。不幸中の幸いと言うか、本体の移動速度はそれほど速くなく、火さえあれば倒すのはそれほど難しくない。
が、物理攻撃特化の冒険者にとっては極めて相性が悪い。
「……下手に攻撃してたら、今頃私も溶けてなくなってたってことですね…」
「ええ。手を出さなくて正解でしたよ、ユウ」
マグダレナが微笑んで、小指の先ほどの火の玉の魔法をアビススライムに放り投げた。
ジュ、と小さな音がしてアビススライムの表層が弾け飛び、体液がどす黒く変色しながら地面に染み込んで消えて行く。
なるほど、確かに火には弱いらしい。
あの灰色の物体に嫌な気配を感じてたのは、私の本能が危険を察知してたからなのかもね…。