90 湧いて出る魔物
村人たちの歩みは、思いのほか速かった。
考えてみたら、常日頃から田畑で作業して足腰が鍛えられているのだ。子どもやご老人も居るのに、文句も言わずにどんどん歩いて行く。
先頭を歩いているのは村長で、その後ろに女性陣と子どもたち、子牛と、ヒヨコの入った籠を抱えた若い男性、みんなの荷物が入った圧縮バッグを背負った壮年の男性。他の男性陣は周囲をぐるりと取り囲み、その後ろはご老人たち。殿を務めるのは私とルーン。
1時間前、出発の時に村長の号令でこの並びになってから、休憩なしで歩き続けているのに一度もこの順番を崩していない。
「すごいね」
《みんなちゃんと危機感があるみたいだな》
ルーンとこそこそ話していると、不意に背中がひやりとした。
(!)
《──来る!》
振り返ると、黒いもやのようなものが地面から滲み出している。ルーンがぶわっと尻尾の毛を逆立てた。
「あ、あれは…!」
異変に気付いたのは私たちだけではなかった。村人たちも足を止め、黒いもやを見て動揺している。でもそれは一番の悪手だ。
「ルーン、街までのルートに異常は?」
《まだ大丈夫だと思うぜ!》
ここから街まで、まだ歩いて30分ほどの距離がある。異常があるのは後方のみ。なら──
「村長、みんなを連れて先に行ってください! 慌てないで、でも立ち止まらないで!」
「え…!?」
「──うむ、承知した!」
私が声を上げると村人たちに動揺が広がり、それを抑えるように村長の声が響く。
「みな、行くぞ! ここはユウとルーンに任せるんじゃ!」
黒いもやはどんどん濃くなり、空中にいくつかの塊を作っていく。何か蚊柱みたいだなと場違いな感想を抱きながら、私は背中のウォーハンマーを外した。
村人たちが歩みを再開し、十分に離れた頃、黒い塊の中からぬっと尖った鼻面が突き出す。
《ウルフ系統だ》
ルーンが私の肩から飛び降り、厳しいトーンで呟く。
《魔素の乱れが強い。気を付けろよユウ。どんどん出て来るぞ!》
「分かった。片っ端からブッ潰す!」
魔物が出現する瞬間を目の当たりにするのは初めてだ。ルーンの口振りからするに、あの黒い塊は1つで1匹の魔物になるのではなく、あれを基点に次々魔物が生まれて来るらしい。
その基点が、今目に入るだけでも5か所以上、ある。
「──っ!」
一番近い基点から飛び掛かって来たウルフっぽい魔物をウォーハンマーで殴り飛ばし、その勢いのまま黒い塊にも横殴りの一撃を放ってみるが、魔物と違って全く手応えがなかった。本当に霧みたいだ。
《出現ポイントそのものに物理攻撃は効かないぞ!》
一歩引いたところから別のウルフ目掛けて火魔法を放ち、ルーンが叫ぶ。
《魔物を吐き出せるだけ吐き出させて、自然消滅を待つしかないんだ!》
「なんつー面倒な…! 魔法でも無理!?」
《魔法をぶち込むと魔素濃度が上がってむしろ魔物がわらわら出て来るようになる!》
「もっとダメじゃん!」
何、その理不尽なシステム。
言ってる間にも、魔物はどんどん湧き出して来る。ルーン曰くの『出現ポイント』も、さらに2ヶ所増えた。
ウルフ、ゴブリン、灰色っぽいスライムみたいな何か、デフォルメされた小型ゴーレムみたいなもの、馬鹿でかい昆虫──魔物の種類にも節操がない。
《どっかで切り上げないと、俺らも逃げられなくなるぞ!》
「分かってる! けど──」
飛行できそうな魔物まで居る。ここで潰しておかないと危険だ。村の人たちが狙われたら逃げようがない。
「──せめて出現ポイントが半分以下になるまでは粘る!」
《…ああもう! そういうの嫌いじゃないけどさあ!》
頭を振ったルーンが、盛大に水の魔法を放った。足を取られて動きの鈍った魔物を私が片っ端から弾き飛ばし、叩き潰し、粉砕していく。
が。
(ホントにきりがない…!!)
20分もしないうちに、私はそれを痛感した。
冗談抜きで、魔物の数が減らない。2匹倒す間に3匹増える。しかもそれは、出現ポイントから出て来るだけではなく──
「…また…!」
視界の端で、灰色のスライムっぽい物体が分裂した。昆虫型の魔物は私に攻撃されないと見るや少し遠くで卵を産み始めるし、その卵の中にすぐ幼虫っぽいものが蠢き始めるし、カオスにも程がある。
何よりあの灰色のスライムっぽい物体、何だか他の魔物と雰囲気が違う。触れた地面が下草諸共、一瞬でどす黒く変色するのだ。他の魔物も不自然なくらい灰色スライムとは距離を取っている。
積極的にこちらに攻撃して来たりはしないし、ウォーハンマーで叩き潰すのも何となくダメな気がするので敢えて放置しているが、分裂はするのでこのままだと辺り一帯が灰色スライムに埋め尽くされる。
「ルーン、大丈夫!?」
《…あと初級魔法2、3発で打ち止めだ!》
身を低くしたルーンが答えるまでに、少し間があった。多分、体力ももう限界に近い。ケットシーはそんなに持久力がないのだ。
「…っおりゃあ!!」
隙が大きくなるのを覚悟で、私はウォーハンマーを横殴りに振り回した。何匹かをまとめて殴り飛ばし、周囲の魔物と距離を開ける。
「掴まってて!」
左手でルーンを抱え上げ、私は駆け出した。
もうかなり時間は稼げたはずだ。後は、私たちが逃げ切れれば──
《ユウ!》
「…!」
右側からウルフが飛び出して来た。ウォーハンマーを振るのでは間に合わない──一瞬で判断して、
「──オラァ!」
頭突きで迎え撃つ。
──ギャン!
激しい激突音にウルフの悲鳴が混ざった。鼻っ柱を砕かれてのたうち回るウルフを横目に、さらに駆ける。
視界がサッと赤く染まった。右のこめかみから右目に掛けて、ぬるりとした感触。頭突きの瞬間、ウルフの牙でも当たって切れたんだろう。
(ああもう…!)
痛みは感じないが、見えにくい。煩わしさに気を取られた一瞬、
「!」
足元を這う灰色のスライムに気付くのが遅れた。ギリギリ着地点をずらして避けたが、足首があらぬ方向に曲がる。
──触れた地面が草諸共どす黒く変色するどう考えてもヤバそうなスライムを踏み抜くのと、どっちがマシだったか。
3歩で体勢を立て直して顔を上げたら、目の前に大口を開けたクマのような魔物が迫っていた。
(あ)
──死んだ。
妙に冷静に、私はそう認識した。
一瞬の油断が命取りになるという言葉を思い出し、油断したつもりはなかったんだけどな、と内心呟きながら。