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89 農村の避難誘導

 ギルド長の指示のもと、私たちは各村に散って住民への説明と避難誘導を行うことになった。


 最も人口の多い南の村にはデールとサイラス、三毛のケットシーのハル。南東の村にはグレナと、茶のケットシーのアカネ。東の村には私とルーン。北の村には、城への警告やロセフラーヴァ支部への支援要請を済ませてからギルド長と茶白のケットシーのスズシロが出向く。


 北の村の避難が間に合わなくなるのではないかと思ったが、ギルド長曰く『北の村が一番近いし、いざという時には騎士団から馬でも奪って移動する』そうだ。ギルド長、馬乗れたんだな。



 ──そんなわけで、私はルーンと共に湿地帯を駆け抜け、東の村にやって来た。途中で勇者()御一行が遠目に見えた気がしたが、とりあえず無視した。ホントは石でも投げてやりたい気分だけど、あんなのに構っている暇はない。


「…避難…か」


 東の村の村長は、突然やって来た私の言葉を思いのほか真剣に聞いてくれた。冗談だろうと笑い飛ばされるのも覚悟していたのだが、村長はすぐに頷く。


「──うむ、分かった。今すぐにかの?」

「はい。…その…信じていただけるんですか?」


 思わず訊いたら、村長は不思議そうな顔をする。


「冒険者ギルドの皆が、そういう嘘をつくような者ではないことは知っておる。いつも親身になってくれるからの。ならば今回も、冗談などではないのじゃろう」

「村長…」


 老齢の村長はにっこりと笑みを浮かべて頷いた後、表情を引き締めて周囲に声を掛けた。


「──皆、聞いておったな。今すぐ、街に避難する。最低限の荷物を持って集合じゃ。外に出ておる者たちにも声を掛けて来なさい」

「はい!」

「分かりました!」


 周囲の村人たちが一斉に散って行く。鮮やかな動きに、私は思わず目をしばたいた。


《良かったな、ユウ》

「…うん」


 普段から築いてきた信頼関係のお陰だ。ギルド長たちが真面目に討伐依頼をこなして来たからだろう。

 流石に『魔物の発生装置を勇者が一番ダメな状態にしました』とは言えなかったので、『これから魔物がいつも以上に大量発生する予兆があるから避難して欲しい』とだけ伝えたのだが、それでも動いてくれる。


「村長!」


 壮年の男性がこちらに駆け寄って来た。確か、この村で水牛の世話をしている人だ。


「どうした?」

「その…水牛たちや鶏たちはどうしましょう…?」

「む…」

「あっ…」


 村の住民と言えば人だけではない。水牛は田起こしの貴重な戦力だし、鶏も生活には欠かせない。すっかり忘れていた。


 村長が困った顔でこちらを見た時、ブモー!と水牛の声が聞こえた。ルーンが私の肩の上で耳をピンと立てる。


《なあ、ちょっと水牛のところに行ってみようぜ》

「え?」

《何か、言いたいことがあるんだってよ》

「ルーン、水牛の言葉が分かるの?」

《…いや、俺も今初めて聞いた》

「え」


 ルーンの目にも困惑が浮かんでいる。

 とりあえずその場の全員で連れ立って行ってみると、水牛は黒目がちの目でじっとこちらを見て、前脚で地面をかいていた。


 ──ブモー!


 鼻息が荒い。


《ええと…『状況は理解している。私たちは街へは行かない。自分たちで安全な所を探して逃げるから、縄を解いて欲しい』、だってさ》

『え!?』


 ブモー!


 村長たちの声を遮るように、水牛が鳴く。その目が真剣そのものに見えた。


《あと、『鶏は私たちが連れて行く。その代わり』──え?》

「ルーン、どうしたの?」


《…『その代わり、私の子どもと、鶏のヒナは連れて行って欲しい。幼い者たちは私たちの移動について来られない』…って…》


 ルーンがそう呟いた直後、水牛の横からひょいと子牛が顔を出した。この水牛の子どもだろう。親と違って縄で繋がれていない。

 水牛が低く鳴くと、子牛はひくひくと鼻を小さく鳴らした後、大人しくこちらに歩み寄って来た。


「…お前…」


 子牛の首筋を撫で、壮年の村人が呆然と水牛を見詰める。水牛は打って変わって静かになっていた。これ以上語ることはないってことか。


「──分かった」


 やがて村人は静かに頷き、水牛に歩み寄って縄を外した。さらに、首輪についていた大きなベルも外す。


「魔物から逃げるなら、音がしない方が良いよな」


 …ブモ。


 村人の言葉を理解しているように──と言うかこれは確実に理解しているんだろう──水牛は短く鳴いた。村人は水牛の首をギュッと抱き締め、すぐに身を離す。


「他のやつらもすぐ縄を解く。…みんなのこと、頼むぞ」


 モー。


 水牛が鼻息荒く頷いた。


 その後他の水牛たちも縄を解かれ、ベルを外されると、何の合図も無しに集まって来る。こうして見ると私たちに話し掛けて来た最初の1頭だけ、頭一つ分大きい。『彼女』が短く鳴くと、足元に鶏たちも集まって来た。その周辺をうろちょろしていたヒヨコたちは、村長の方へ寄って行く。


「すごい…」

《マジか…》


 村長がツタで編まれた籠を差し出すと、ヒヨコたちは次々その中に飛び込んだ。躾けられているわけでもないのに、恐ろしく統制が取れている。


「…こっちの世界の水牛とか鶏って、これが普通なの…?」

《んなわけないって。ここの家畜がおかしいんだよ………多分》


 こっそりルーンに訊いてみたら、ものすごく自信がなさそうな答えが返って来た。


 水牛がまた短く鳴くと、水牛と鶏の混成部隊は一斉に村の外へと歩き始める。畑から急いで帰って来たらしい若い村人がすれ違い、目を見開いてそれを見送った。


「そ、村長、今のは…?」

「…緊急事態じゃからの。水牛たちには鶏を連れて避難してもらうことにした」

「そうですか…」


 まさか水牛が自分から提案したとは言えないだろう。村長はさらりと自分の決定のように言い放ち、若者もすぐに納得する。良いのか、それで。


(…深く考えない方が良いな…)


 私は深く息を吸って思考を切り替える。


 水牛や鶏たちの問題は解決した。後は、子牛とヒヨコたちと村人全員を避難させるだけだ。


「村長、この圧縮バッグをお貸しするので、みなさんの荷物はこれに入れてください。生き物は入れられませんけど、衣類とか雑貨、食料品なんかは入れられます。それで、誰か体力のある人に背負ってもらいたいんですが…」

「おお、これは有難い」


 バックパック型の圧縮バッグを村長に渡す。これはギルドの備品で、かなりの高容量のものだ。村人たちを避難させるにあたって、それぞれの村に対して1つずつ持って行くようにとギルド長から渡された。

 人数が人数なので、荷物はどうしても多くなる。荷車を引いて移動するのでは時間が掛かり過ぎるので、身軽に徒歩で移動できるようにという配慮である。


 圧縮バッグを持った村長と共に村の広場に向かうと、既にいくつかの家族は荷物をまとめて集まっていた。


「おお、早いの」

「急ぎだと聞いたので」


 早速圧縮バッグの口を広げ、村長主導で荷物を入れて行く。大荷物が吸い込まれるように収納されて行くのを、村人たちは驚きの顔で見詰めていた。

 初めて見ると驚くよね。分かる。


 そうこうしているうちに、どんどん村人が集まって来る。とにかく早い。


「全員居るか?」

「…あれ? あいつどこ行った?」

「トイレだってよ! ──あ、帰って来た!」

「よしよし、こっちは全員集合したな! そっちはどうだ?」

「こっちも大丈夫だ!」


 2時間ほどで、村人たちは避難の支度を整え、広場に全員集合した。畑仕事に出ていた人も居ることを考えると、驚異的な早さだ。


「ユウ」


 村長が私を振り返り、深く頷く。


「わしらはいつでも行けるぞい」

「──分かりました。みなさん、素早く行動してくださってありがとうございます。出発しましょう!」


 私は気合いを入れ直して声を上げる。


 村の人々は不安と緊張がない交ぜになった目をしていたが、しっかりと頷いてくれた。






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