88 小王国支部、起動。
「ギルド長ー!!」
バーンと小王国支部の扉を開くと、全速力で駆けこんで来た私たちを見てエレノアが目を丸くした。
「み、みなさんお帰りなさい。どうしたんですか?」
「ヤバい! ギルド長は居るか!?」
「あとグレナ様も!」
デールと私が叫んだら、エレノアが戸惑いの表情を浮かべる。その背後からすぐにギルド長とグレナが出て来た。不幸中の幸いだ。出掛けてはいなかったらしい。
「お前ら、どうした?」
「帰って来るなり騒がしいね」
「お小言は後にしてください!」
「…?」
私は大きく頭を横に振ってグレナの苦言を遮る。グレナの表情が厳しいものに変わった。
「何があったんだい」
「…2人とも、今日、『勇者』の姿を見ましたか?」
商店街の前で『勇者』の姿を確認した後、私たちは全速力で群衆をかき分け、裏通りを駆け抜けてここまで戻って来た。街の入口に近いここには連中はまだ来ていないだろう。
「…いや、見てないね」
「まさかまた『見回り』か?」
「そんな生易しい状況じゃないです」
サイラスが苦々しい顔で言う。外からわあっと歓声が聞こえ、私たちは顔を見合わせて頷き合った。ギルド長はともかく、グレナには見てもらった方が早い。
「グレナ様、ギルド長、もうすぐ『勇者』がここの前を通ります。2階から見てください」
「…? 分かった」
私たちに急かされて2人が2階に上がり、資料室から大通りを見下ろす。エレノアも不思議そうな顔でついて来た。
勇者御一行はもうすぐ近くまで来ていた。いつも通り騎士団に囲まれ、意気揚々と精霊馬に乗る阿呆。人が多い場所に差し掛かると、阿呆は誇らしげに金色の物体を右手で掲げた。
グレナがぽかんと口を開ける。
「………あ?」
「何だあの剣…?」
ギルド長にはあれが何なのか分からないらしい。事情を知らないのだから仕方ないが、反応の鈍さにちょっとイラつく。
グレナがバタンと窓を閉めた。
「──全員、ここに集合だ。エレノア、イーノックを呼んで来な」
「は、はいっ!」
底冷えのするグレナの声に、エレノアが弾かれたように駆け出した。イーノックはキッチンで昼食の準備をしているはずだから、集まるのにそれほど時間は掛からない。
ただならぬ雰囲気に、ギルド長が訳が分からないながらも強張った表情になった。
私とデールとサイラスは互いに頷き合い、資料室のテーブルを中央に寄せ、窓の鎧戸も閉めて行く。外に会話が漏れたら、多分ヤバい。
資料室が密談に最適な会議室に早変わりすると、イーノックとエレノアがやって来た。2人は入口で足を止め、すっかり雰囲気の変わった室内を不安そうに見回す。
その足元をすり抜けるように、ルーンも入室する。
《よう、ヤバいことになってるな》
軽薄な言葉遣いだが、念話の響きは深刻そのものだ。ルーンも既に事態を把握しているらしい。
「──まずいことになったね」
全員が席に着くと、グレナはテーブルに肘をつき、眉間に深いしわを寄せて呻いた。
「まさか、あれを引っこ抜く馬鹿が居るとは…」
「姐さんの懸念、大当たりだったんですかね?」
「あれ、冗談のつもりだったんだけど…」
デールが引き攣った顔で軽口を叩くので、私も乾いた笑いを浮かべる。
禁足地の魔素消費装置と制御装置を見た時、確かに私は『これを馬鹿が見たら『鍵』を『伝説の剣』とかと間違えて引っこ抜きそう』と口にした。
フラグか。フラグだったのかあれは。いや、私があんなこと言わなくてもあの馬鹿はやらかしたんだろうけど。
「…どういうことだ?」
事情を知らないギルド長とエレノアとイーノックは戸惑いの表情を浮かべている。
グレナは手短に事情を説明した。
この国の地下には超高密度の魔素の流れがあって、本来なら人が住めるような土地ではないこと。
人が住めるように、初代王の仲間たちが余剰魔素を消費して魔物を発生させる装置を設置し、周辺の森を禁足地に指定したこと。
魔物を無作為かつ無限に発生させるその装置に『建築の勇者トラジ』が追加の装置を繋げて、ユライトウルフ、ユライトゴブリン、ユライトゴーレムだけが適度に発生するようにしたこと。
──その『追加の装置』を稼働させる『鍵』が、『勇者』の持っていたあの『剣のような物体』であること。
「…え? それじゃあ、今…」
一通り説明を聞いたエレノアが、青い顔で呟く。
「その装置は…動いてない、ってことですか?」
「…動いてないだけならまだ良かったかも」
私は緩く首を横に振った。
「多分だけど、あの鍵を引っこ抜いても『魔物を発生させる装置』そのものは動く。動作が止まるのは、『魔物の種類と発生場所を決める』部分だけ。だから──」
「──余剰魔素の量に応じて、あらゆる種類の魔物があらゆる場所に無限に発生する状態になった、ってことさ」
『………』
グレナが私の言葉を引き継ぎ、ギルド長とエレノアとイーノックの顔から、一斉に血の気が引いた。
数秒後、ギルド長が愕然とした顔で呟く。
「つまり…建国初期の混乱期の再来か…?」
「そうなるね。ただ、建国当時より人が多い分、下手を打ったら被害もより大きくなる。──私らが焦ってた理由が分かったかい?」
「…ああ…」
ギルド長が頭を抱えた。
「お前たちは、どうしてこの事を知って──いや、今はそれどころじゃないな」
首を大きく横に振り、表情を切り替える。
「魔物が無作為に大量発生するなら、まず住民の安全確保が最優先だ。あの馬鹿勇者は今日も見回りに行ったし、明日以降…下手したら見回り終了直後から危険度が跳ね上がる可能性があるな」
「そのセオリーも、どこまで通用するか…。村の人たちにすぐ避難してもらった方が良いのは間違いないけどさ…どこに避難すれば良いの?」
私が首を傾げると、デールとサイラスが表情を強張らせる。彼らは南の村の出身だ。本当なら、今すぐにでも飛んで行きたいだろう。
グレナが腕組みして応じた。
「この街に来てもらうしかないだろうね。──この街の白い石材は特別製でね、魔素を通しにくいのさ。魔物は魔素濃度が高い場所に出現しやすいから、地下から上がって来る魔素を遮断出来る街の中の方が多少なりともリスクは低いだろうよ」
「け、けど、全部の村の住民って言ったら数百人は居ますよ? 街の中って言っても、どこに…」
「俺の屋敷を開放する」
デールの問いにはギルド長が応えた。…ん? 屋敷?
「…ギルド長って、借家住まいじゃなかったっけ」
「借家は借家だ。俺の持ち物じゃなくて、実家の持ち物だからな」
いや『借家』=『お屋敷』ってなんだよ。そんなん有りか。…今は突っ込んでる場合じゃないか。
「俺の屋敷と、カーマインの実家、あとはカーマインの取引先にも力を借りる。国にも警告するが、国に村の住民の避難指示を出させるのには時間が足りない。避難誘導は俺たちでやる」
ギルド長が覚悟を決めた表情で立ち上がった。
「──それから、ロセフラーヴァ支部のマグダレナ様にも緊急支援要請を出す。こちらから連絡が行って、冒険者に招集を掛けて増援が到着するまで、恐らく最短で2日。それまでは俺たちだけで踏ん張るしかない」
《ケットシーを忘れてくれるなよな》
ルーンがテーブルの上に飛び乗り、ひらりと尾を振った。
《街のケットシーも力を貸すぜ。こういう時のための協力体制だろ?》
「…助かる!」
「お礼はササミと鶏ハムで良い?」
《大盤振る舞いしてくれよな!》
にやりと笑うルーンの頭を撫で、私はイーノックに向き直る。
「イーノック、キッチンを任せて良いかな?」
「えっ…」
自分も前線に出るつもりだったのだろう。イーノックが戸惑いの表情を浮かべる。
でも、ここは是非とも彼に料理を任せたい。
「私たちの食事と、これから避難してくる村の人たちのご飯、あと、協力してくれるケットシーたちへのお礼。全部欠かせないから、任せたいんだ。お願い!」
「俺らのメシはカレーが良い!」
「ポークカツレツをつけてくれるとなお良し!」
《ケットシー向けにはキャットニップ入りの鶏ハムな!》
デールとサイラスとルーンが立て続けにイーノックの得意料理をリクエストすると、イーノックは目を見開き、数秒後、表情を引き締めて頷いた。
「…分かりました、任せてください!」
料理は士気に直結するのだ。イーノックなら安心して任せられる。
──こうして、人為的に発生した前代未聞の事態を前に、私たちは一斉に動き出した。
…とりあえず、一つ言いたい。
クソ勇者()、一発全力で殴らせろ。