87 仮説:バカは余計なことしかしない
ノエルとシャノンがロセフラーヴァへ行ってから、3ヶ月が経った。
私がこの世界に来てからもう半年。色々と濃い日々だったからか、月日が経つのがとても早い。
もっとも、ここ最近の生活はわりと安定している。
なぜって、とうとう『自分の家』を手に入れたのだ。賃貸だけど。アパートじゃなくて、ちゃんとした一軒家。
最初はお値段の安いアパートの方が良いかなと思ってたんだけど、下見に行ったら上階とか隣の部屋とかの生活音がバッチリ聞こえてね…。建物自体が基本あの白い石材だから物音が結構響くし、防音って概念が日本ほどしっかりしてないみたいで。悩んだ末に、騒音トラブルに巻き込まれにくそうな一軒家の賃貸物件を選んだ。
ちなみに、妥協したのは近隣の治安。つまり家はグレナの住まいのご近所だ。泥棒とか多いって聞いてたけど、今のところ物騒な目には遭っていない。隣の家の人に『グレナ様と貴女のおかげで、最近は夜も安心して眠れるわ』って言われたけど、それは流石に買いかぶり過ぎだと思う。
『勇者()』──最近知ったけど、あいつ本名の『空人』じゃなくて『スカイ』って名乗ってるらしい──は相変わらず気紛れに精霊馬に乗って見回りに出て魔物ラッシュを引き起こしているし、『せいじょ』の『マリン』、本名『美海』はたまにそれに同行して無駄に笑顔を振り撒いている。ものすごく迷惑な話だ。
(見るたびに肥えてるのが笑えるけどね…)
こっちに来た当初と比べると、奴らは体型も顔の輪郭もはっきり変化が分かるくらいボリュームアップしている。しかも現在進行形だ。
最近では人間ではなく肥育中の豚を見ている気分になる。どこまで肥えるつもりだろうか。
なお巷では、『勇者と聖女の体重は?』という賭けが流行っているらしい。多分その答えが開示される日は来ないんだろうけど、娯楽の一環でネタにされるあたり、みんな『太ったな』って思ってるんだろうな。
「姐さん、米買って来ました!」
通りの向こうから、大袋を抱えたサイラスが戻って来た。
今日は珍しく魔物討伐の依頼が無かったので、サイラスとデールも一緒に買い出しだ。野菜と肉と米、手分けして買い回っていた。
「ありがとサイラス。お金足りた?」
「大丈夫でした。これ、お釣りです」
小さな革袋を受け取って中身を確認する。…うん、大体予想通りの値段で買えたみたいだ。
「デールの奴はまだ帰って来てないんですか?」
「野菜頼んだからね。どれ買うか迷ってるのかも」
デールもサイラスもかなり慣れたが、野菜の目利きはまだまだ難しい。まあよっぽど変なの買わない限り、すぐ食べちゃうから問題ないんだけどね。
「ちょっと様子見に行こうか」
「はい」
サイラスから米袋を受け取り、ウエストポーチ型の圧縮バッグに収納してから歩き出す。
この圧縮バッグは中古品で、シャノンたちがロセフラーヴァに発つ少し前にベイジルが持って来てくれたものだ。とてもシンプルな見た目で、機能は新品同様、むしろ下手な新品より高性能らしいのだが、収納口が1つしかなくて使い勝手が悪いという理由で前の持ち主が売り払ったのだという。私としては有り難い限りだ。
ちなみにその時、同じデザインの色違いも一緒に買ってシャノンにプレゼントしてある。15歳の誕生日祝い兼冒険者登録祝い兼マグダレナへの弟子入りのお祝いだ。
なかなかイイお値段だったが、シャノンへのプレゼントに関しては小王国支部の仲間たちもお金を出してくれたので個人の負担金額はそれほどでもなかった。数は偉大。
なお、デールとサイラスは悩みに悩んだ末、個人持ちの圧縮バッグの購入は見送っていた。ギルド長が小王国支部名義で圧縮バッグをいくつか購入したので、必要な時にそれをレンタルしている。
ウルフの毛皮の売り上げがあるので買えないほどの経済状況ではないはずだが、お金はなるべく貯めておきたいんだそうだ。堅実だな。
「何だか人が多いね…?」
デールの行った店の方へ向かうと、どんどん人が増えてきた。みんな私たちと同じ方向に歩いて行くので進むには苦労しないが、ちょっと油断するとはぐれそうだ。
「もしかして、また『勇者』殿の見回りですかね…?」
サイラスが若干うんざりした顔で言った。
この先は大通りだ。あの阿呆は、見回りに出る時必ず、精霊馬に乗って大通りを練り歩く。
なお未だに馬には自力で乗れないらしく、毎回騎士団長が傍について精霊馬を引いて歩いている。こっちに来て半年経つんだから、肥える以外の成長も見せて欲しいものだが。
「──あ、居ましたよ!」
サイラスがデールを見付ける頃には、周囲は人だかりになっていた。皆一様に大通りの方を見詰めている。『勇者』の見物にしても、今回は妙に人数が多いし何だかみんな興奮気味だ。
「デール!」
「ああ、姐さん、サイラス!」
デールは野菜を売る店の前で途方に暮れていた。多分、野菜が大荷物すぎて人混みをかき分けて逆走するのを諦めていたのだろう。こちらの姿を認めると、ホッとしたように表情を緩める。
「デール、この人だかり、一体どうしたの?」
訊いてみると、デールは首を傾げた。
「また例によって『勇者』の見回りらしいんですが、何でも今日は、特別なものが見られるとかいう噂が流れてるみたいで」
「ああ…それ見たさにみんな集まってるのか」
『勇者』の見回りはもはや恒例行事なのだが、毎回わざわざ見送りに来る人は一定数居る。今回はそれに加えて、噂の真偽を確かめたい野次馬たちも集合しているようだ。迷惑な話である。
既に周囲は人でぎゅうぎゅう。満員電車ほどではないが、全員が大通りに注目しているので、その中を通り抜けると余計な恨みを買いそうだ。私はともかく、デールとサイラスはかなりデカいので邪魔になる。
「…しょうがない。通り過ぎるまで待ってようか」
デールが買った野菜を私の圧縮バッグに納め、見物客たちと同じように大通りの方を眺める。と言っても、私は背が低いので前の見物客の背中しか見えない。まああの2人見ても面白くともなんともないから良いか…と遠い目になっていると、周囲からワッと歓声が上がった。
「来た来た!」
「勇者様ー!」
「…あれが『勇者の剣』か!?」
「すげえ!」
「格好良い!」
(…剣?)
今まで武器らしい武器を持っているところを見たことがなかったが、どうやら奴は、とうとうそれっぽい剣を手に入れたらしい。見物人が『勇者の剣』とか言ってるから、そういう触れ込みで噂を流したんだろう。ご苦労なことだ。
見物客の興奮は最高潮。丁度今、目の前をヤツが通っているらしい。早く通り過ぎてくれないかなと思いつつ周囲を見渡したら、デールとサイラスの表情が変わっていた。
「…あれ…」
「……うそだろ…」
「…?」
2人とも呆然と目を見開いて、顔から血の気が引いている。私が首を傾げると、サイラスが焦燥を帯びた表情でこちらを見た。
「姐さん、あれ…!」
「あれって…?」
私の身長じゃ、デールとサイラスが見ているものが見えない。デールがサッと私の後ろに回った。
「姐さん、ちょいと失礼…!」
「わっ!?」
ウエスト辺りを掴まれ、ぐいっと持ち上げられる。子どもの『高い高い』と同じ格好に、気恥ずかしさを覚えたのは一瞬だった。
「──……え──」
群衆から頭一つ分飛び出て拓けた視界の先。
偉そうな顔で精霊馬の背に乗る小太りの『勇者』が、左手で精霊馬のたてがみをしっかりと掴み、右手で黄金色の剣──らしき何かを掲げている。
金色の本体に細かな紋様、要所に嵌め込まれた宝石の数々。こうして見ると、なるほど特別な剣のようにも見える。
ただ──私とデールとサイラスには、その『剣』に見覚えがあった。
それは、剣ではない。
──禁足地の最奥、白い石材で作られた緻密な装置の中枢部分。
出現する魔物の種類と出現地点を限定する『制御装置』の鍵。
白い石材に突き刺さっていたはずのそれを、何故今ここで、奴が得意気に掲げているのか。
…考えるまでもない。
「あの馬鹿──や り や が っ た … !!」