86.5 閑話 勇者の剣
勇者()視点のお話です。
城での生活は大変快適だ。
毎日仕立ての良い服に袖を通し、美味しいものを好きなだけ食べ、剣の鍛錬をし、この国のことを学ぶ。この国の文字も読めるようになってきたので、最近は書庫から簡単な物語の本を借りて読むこともある。
──とはいえ、退屈と言えば退屈だ。
精霊馬に乗っての村の巡回はなかなか楽しい仕事だったが、功績らしい功績は上げられていない。何せオレに恐れをなして魔物が出て来ないのだ。
この国にはゴブリンなどが出ると聞いているが、全く見掛けたことがない。騎士団長も遠目にしか見たことがないという。…魔物の被害に遭うという話自体、作物の不作を自分たちのせいにしたくない村人連中の与太話なんじゃないか?
問題はまだある。未だに『勇者の剣』に相応しい武器が見付からないのだ。
この国に武具工房はあの失礼極まりない男の工房しかないようだし、城の御用商人が持ち込む輸入ものの剣もいまいちパッとしない。そもそも売り物の中から探そうというのが間違いか。
──そんなわけで、オレは今日、街の北側に位置する森に来ている。
「ゆ、勇者様。ここより先は禁足地ですよ?」
城の北側、だだっ広い騎士たちの鍛練場と城壁とを抜けた先にあるのが禁足地だ。城壁には小さな扉が設けられていて、本来は鍵が掛かっているようだが、その鍵が錆び付いて壊れていたので通るのは容易かった。
城壁を抜けて少し歩けば、そこは広大な森。道らしい道は無く、鬱蒼とした灌木が茂っている。うむ、いかにも何かありそうだ。
その光景を前に、護衛の騎士は明らかに尻込みしていた。今日はここ行くと予め告げていたのに、今更二の足を踏むとは情けない奴め。
「知っている。──心配するな。オレは勇者だ」
この森は、建国当時に重要な役割を果たした、言わば聖地だという。つまり初代勇者に縁のある場所。ならば当代の勇者であるオレは入れて当然、むしろ積極的に行くべきだろう。
…そういう場所には、初代勇者の遺物──お宝が眠っているのがお約束だからな。もしかしたらここにこそ、オレに相応しい『勇者の剣』があるかもしれん。
期待を胸に一歩踏み出してすぐ、茂みをかき分けながら進むことになると気付き、オレは護衛を振り返った。
「お前が先に行け」
「えっ!?」
「オレが進む道を作らせてやろう。光栄に思え」
「…は、はっ!」
道を作るのは斥候の役目だ。勇者であるオレがやることではない。
オレが命じると、騎士は前に立ち、剣で茂みを斬り払いながら進み始めた。その反応の遅さに少々苛つくが、それを赦す度量を持ち合わせるのが勇者というものだ。多少の鈍さは許容してやろう。
…それにしても、あの騎士の剣も大したことはないようだ。少し太い枝はまともに斬れずに折れ千切れているではないか。やはり、相応しい武器は大事だ。
──そうして進むこと、一時間ほど。
汗だくの騎士が大きく剣を振った後、勢いよくこちらを振り返った。
「勇者様、広場に出ました!」
「そうか!」
オレは騎士の横をすり抜けて先に出る。
言葉通り、そこは広場だった。広場を構成する白い石材が、薄暗い森を進んで来た目に眩しい。
オレの視線は、その中央に吸い寄せられた。
「おお…」
円形に並べられた石畳の中央、二段ほど高くなっている場所に、黄金色の剣が突き刺さっていた。木漏れ日を浴びて燦然と輝くさまは、相応しい使い手に抜かれるのを待っているように見える。
「あれは…」
騎士が呆然と呟いた。
見ているだけで血が沸き立つ。あれこそ、オレが探し求めていた『勇者の剣』に違いない。何せここは、建国の勇者に縁のある聖地なのだ。
オレは台座によじ登り、両手で剣の柄を持つ。力一杯引っ張るが、剣はびくともしない。…良いぞ、それでこそ勇者の剣だ。この試練を乗り越えてこそ勇者だ。
「ゆ、勇者様、何を!?」
「これは勇者が持つべき剣だ! そこで黙って見ていろ!」
騎士が何やら狼狽えている。騎士だというのに、勇者のセオリーを知らないらしい。
柄を握るのではどうにも力が入りにくい。剣をまじまじと見たオレは、柄ではなく鍔を持つことにした。この剣の鍔は横長で、両側から逆手で握るのに丁度良い形をしている。
「ふんっ…!」
しゃがんで鍔を逆手に握り、身体全体で剣を持ち上げようとする。だが──抜けない。まるで鍵でも掛かっているようだ。
ゼイゼイと息を荒げ、オレは一旦手を離した。剣のくせに、何故抜けないのだ。使われてこその武器だろう。
「この…!」
苛立ち任せに鍔を殴り付けたら、カシャン、と音を立てて剣がわずかに回転した。
「…は?」
まさか──。
恐る恐る柄を握り、ぐっと反時計回りに力を込めると──まるで鍵を開けた時のような音と共に剣が半回転し、ぐらりと傾いだ。
そのまま引っ張ると、嘘のように剣が台座から抜ける。…まさか力比べではなく、知恵比べだったとは。
「け、剣が……!」
騎士の畏怖の声を聞きながら、台座の上で剣を掲げる。黄金色の刀身が、太陽の光を受けて一際美しく輝く。柄や鍔に嵌め込まれた宝石も、意志を持っているようにきらきらと明滅した。
どう見ても特別な武器だ。全体に細かな彫刻が施され、刀身の一部が幾何学的な形をしてる。
模造剣よりずっと重いが、予想していたよりも軽かった。きっと、オレを使い手として認めたからだろう。
「は、はははは…!」
つい笑みが溢れる。とうとう手に入れた……これが、オレの武器だ!
「よし、城へ帰るぞ!」
台座から飛び降り、オレは意気揚々と宣言した。はっ、と敬礼した騎士は、周囲を警戒するように視線を巡らせ──
「…あれは…?」
奥の方へ視線を投げた。
釣られて見遣ると、ここと同じような白い石畳が向こうにも広がっている。茂みに隠れてよく見えないが、何か石碑のようなものも複数、建っているようだ。
「…石碑、でしょうか…。何か書いてあるようです」
騎士が興味深そうに呟く。オレはそれを遮った。
「今日はもう帰るぞ! ここにあると分かっているのだから、今すぐ確認せずともまた来れば良いだろう!」
「で、ですがここは禁足地で、そうやすやすと入れる場所では」
「何も危険は無かっただろう! 一度入ってしまえば2度も3度も同じだ!」
「し、しかし」
「いいから帰るぞ! オレは疲れているんだ!」
これから石碑を読むなんて冗談じゃない。この国の文字はややこしいし、ああいう石碑に書かれている文章は堅苦しくて退屈だと相場が決まっている。
もう午後のお茶の時間も過ぎた。散々歩いて剣も抜いたのだから、今日の勇者の活躍はもう十分だ。
「さあ、早く先導しろ!」
「は、はっ!」
騎士が敬礼して、来た道を戻り始める。
剣を入れる鞘が無いので、オレは仕方なく剣を両手で抱えた。帰ったら御用商人を呼んで、この剣に相応しい鞘を注文しよう。宝石がふんだんに使われた黄金色の剣だから、普通の革の鞘ではダメだ。もっと特別な素材で、美しく手の込んだものを作らせなければ。考えるだけでワクワクする。
明日からの剣の鍛錬はこれを使おう。今までは素振り20回だったが、30回くらいに増やしても良いだろう。模造剣より重いが、勇者ならこれくらいの試練には打ち勝って当然だ。
今後に思いを馳せながら騎士の後について茂みに入ると、一瞬ぞわっと背中が冷えた。
(…?)
振り返っても、そこには美しい白い石柱が立ち並ぶばかりで何か変わった様子は無い。気のせいか──いや、疲れたからか。ここまで来るのにかなり歩いたし、剣を抜くのに全力を出してしまったからな。
夕食前にケーキでも食べるか。
心に決めて、オレは輝かしい未来に向けて足を踏み出した。