82 ユライトウルフ
青み掛かった銀色の毛皮で、魔力を帯びているように見えたので『動物』ではなく『魔物』由来。大きさはウサギよりは大きく、成体の羊よりは小さい。
その条件に当て嵌まるのは、ウルフ系の魔物。
そこまで予測を立てたところに、『小王国の魔物は全て固有種だった』という情報が入った。
「小王国にはウルフが出るってのは知ってたからな。もしかして、そのウルフの毛皮なんじゃないかと思ったわけだ」
一目見ただけで毛皮から魔物の系統まで推定するとか、すごい洞察力だな。
私が感嘆していると、で、とベイジルがこちらを見た。
「実際問題どうなんだ? あの銀色の毛皮は小王国のウルフの毛皮、で合ってるか?」
「うーん…」
私は視線を彷徨わせる。
青み掛かった銀色の毛皮。そんな色の毛皮は他に無いとカーマインも言っていたから、ベイジルが見たのは十中八九ユライトウルフの毛皮だろう。ただ…その情報を、お世話になっているとはいえ他国の商人に漏らして良いのか…。
シャノンも微妙な空気を察したのか、黙ったままだ。私は眉を寄せて答えた。
「…私がその毛皮の実物を見たわけじゃないから、正直何とも言えませんね。何か特別な処理をして染めた毛皮かも知れないし…」
「…ま、そうなるよな」
ベイジルは怒るでもなく、あっさりと肩を竦める。
「あれ、突っ込まないんですか?」
「問い詰めても答えるタイプじゃないだろ、お前さんは」
よく分かっていらっしゃる。
「まあ小王国支部とはこれから色々取引がありそうだからな。まずはカルヴィン殿と仲良くなって、情報を集めるさ」
(…ギルド長、ものすごく簡単に情報漏らしそう…)
うちのギルド長は良くも悪くも人が良いので、ベイジルの交渉術にあっさり陥落しそうだ。…まあ、ユライトウルフの毛皮はそれなりに納品しているし、そのうち小王国の特産品として他国に売り出される日も来るだろう。その取引の先駆けがベイジルになっても問題はあるまい。
…しかし、小王国支部との取引か。
「そしたらベイジルさん、一つ頼まれてくれませんか?」
「何だ?」
「小王国支部に、圧縮バッグを売って欲しくて。多分予算がないから、出来ればそれなりの性能の中古品を…」
「圧縮バッグ?」
ベイジルが不思議そうに首を傾げた。
「冒険者ギルドの場合、毎年本部から格安で購入出来るだろう?」
「………え?」
今度は私が首を傾げる番だった。
…本部から格安で購入出来る? でも…
「…小王国支部、古い圧縮バッグが一つしかないんですけど…」
『……は?』
お金がないから買えないのか、それとも購入のお知らせ自体が届いていないのか、今までは不要だと判断されていたのか。…何だか不穏な空気を感じるなあ…。
微妙な顔で視線を交わしていると、ゴホン、とベイジルが咳払いした。
「あー、まあ事情は分かった。圧縮バッグな。中古品ならそれなりに在庫があったはずだから、次回持って行こう。他に何か欲しい物はあるか?」
「あとはギルド長たちに聞いてみます。小王国に着いたら、すぐには帰らないですよね?」
「ああ、5日程度滞在する予定だ。宿を教えておくから、追加注文があったら知らせてくれ」
そうして教えられた宿泊場所は、私が召喚されて最初に泊まった高級宿だった。うわあ。
「何だ? 変な顔して」
「えっと…そこって高級な宿ですか?」
「ああ、まあそうだな。お貴族様との取引があるから、貴族の居住区に近い方が便利なんだよ。心配しなくても、冒険者然とした格好で入っても追い出されることはないぞ」
うん、知ってる。元の世界の服で泊まっても、翌日髪と目の色が変わってても、何も言われなかったもん…。
「…分かりました。知ってる宿なんで、追加の注文があったら私がお知らせしますね」
──ちなみに、後の調査で判明したのだが。
ここ5年ほどで整備された『本部からの圧縮バッグ購入制度』を、小王国支部は把握していなかった。厳密には、その制度のお知らせが、意図的に止められていた。
ギルドには連絡網的な仕組みがあり、通常、本部からの知らせはロセフラーヴァ支部を経由して小王国支部へ届くようになっている。エイブラムにとって、小王国支部への情報の流れを意図的に止めることなど造作もなかったらしい。
本部から購入する圧縮バッグには支部ごとに個数制限があるのだが、エイブラムは、小王国支部の購入枠も使って圧縮バッグを大量確保していた。表向き、小王国支部が購入したように見せかけて、だ。
小王国支部が購入したことになっているので、費用は当然小王国支部の予算から引き落とされる。本部に常駐する予算管理官まで巻き込んだ大規模な汚職だったそうだ。
…後にマグダレナが、『本部の膿も絞れるだけ搾り取りました』と妙に爽やかな顔で言っていた。
南無。
そんなこんなで、順調に旅程は続いた。
馬車丸ごとの国境越えは思ったより簡単で、関所の中に馬車ごと入り、ベイジルが手続きをしている間に私たちも個別に越境手続きを行った。ベイジルは小王国と取引のある大商人なので、荷物検査も形式的。ジャスパーとキャロルに至ってはほぼ顔パスだった。…上級冒険者って良いな…。
で。
「…あ」
無事に小王国に入り、南の村の近くに差し掛かった頃、窓の外を眺めていた私は視界の端に複数の影を捉えた。
「ありゃー…」
なだらかな丘の向こうにちらちら見える、見覚えのあるシルエット。こちらからはそれなりに距離はあるが──
「何だ、どうした?」
「…ええとね、噂のウルフのお出まし…かな」
「えっ?」
ジャスパーとキャロルが目を見開き、私が見ていた方向の窓に張り付く。ベイジルが険しい表情で御者に合図すると、静かに馬車が停まった。
「…危険か?」
「距離があるので大丈夫だとは思いますけど、落ち着くまでは停まって静かにしておいた方が良いかも知れません」
私は背中のホルダーからウォーハンマーを外した。
「丁度今、小王国支部の仲間が戦闘中っぽいので。私はちょっと、加勢してきます」
四つ足の影の他に、3つの人影も見える。動きからして、只今絶賛戦闘中だろう。シャノンが身を硬くした。
「シャノンとジャスパーとキャロルは、引き続き馬車の護衛をよろしく」
「おいちょっと待て。あのウルフ、速さがおかしいだろ!?」
「小王国ではあれが普通。見物しても良いけど、今日は近付かないで、馬車から見るだけにしといてね。危ないから」
一応釘を刺してから馬車を降りる。ジャスパーはついて来ようとしたが、シャノンに止められていた。流石はうちの期待の新人、分かっていらっしゃる。
ウルフが馬車に気付くと面倒なことになるので、大きく迂回しながら丘に近付く。ウルフの群れは、15匹──いや、今14匹になった。
(相変わらずすごい連携…)
サイラスが突っ込み、デールがその隙を埋め、ギルド長が魔法で妨害したりトドメを刺したりする。一歩引いたところで観察すると、攻撃の噛み合いっぷりがすごい。
とはいえ、既に全身血まみれ泥だらけで、疲労の色が濃いので。
「──うおりゃあ!」
横手から間合いを詰めて端に居たウルフをウォーハンマーで殴り飛ばすと、ウルフの群れ全体が動揺した。
「ユウ!? 帰って来たのか!」
「加勢するよ!」
「おお…!」
「承知!」
3人の顔がぱあっと明るくなった。それだけで、ガラにもなく心が浮き立つ。
──ああ、帰って来たなあ。
「さっさと毛皮になれ!」
私はウォーハンマーを握り直し、ウルフに向かって吼えた。