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80 シャノンの迷い

 若干乾いた笑いを浮かべる私の隣で、シャノンがくすりと笑った。


「…誘ってくださってありがとうございます、マグダレナ様」


 きちんと背筋を伸ばし、真っ直ぐにマグダレナを見詰める。


「少し、考えさせてください。…お待たせしてすみません…」

「良いのですよ。生活が大きく変化するのですから、悩んで当然です。じっくり考えてください。答えが出たら、口頭でも手紙でも良いので私に伝えてくださいね」


 マグダレナは鷹揚に笑う。生きて来た時間が違う分、待つのも苦じゃないのかな。


 しかし、以前自分で冒険者になると宣言したシャノンがここで即答しないのはちょっと意外だった。…まあ親元を離れることになるし、国も出ることになるし、次元が違うか。



 ──と、思っていたのだが。



 その後ギルドの受付ホールで新人研修仲間たちと挨拶を交わし、宿に戻って改めて話を聞いてみたら、シャノンが悩んでいたのはそこじゃなかった。


「ユウさん、イーノックさんに料理人になって欲しいんですよね? そうすると、私が抜けたら街の中の依頼をこなせる人が居なくなっちゃうなって…」


「…oh…」


 自分のことじゃなくてギルドの仕事の割り振りのことを心配するとか…何という視野の広さと責任感。『見習い』ってレベルじゃねぇ。


 …いや、驚いてる場合じゃない。私はシャノンに笑顔を向けた。


「大丈夫だよシャノン。まあ正直、多少大変にはなると思うけど…街の中の依頼なら私も対応出来るし、デールもサイラスも冒険者歴長いんだから」

「で、でも、ユウさんは報酬の良い討伐依頼を受けたいんですよね?」


 ヴッ。よく覚えてるな。


 私が言葉に詰まると、シャノンは眉尻を下げて視線を落とした。


「私、みなさんの役に立ちたいんです。迷惑を掛けたくないんです。だから…」

「シャノン、それは違うよ」


 私は出来るだけ柔らかい声で遮った。


 シャノンは多分、今までずっとそうやって『今自分に出来ること』『今求められていること』を考え、探し、動いてきたのだろう。冒険者見習いになったのだって、母であるノエルを助けるためだった。

 他人のために動けるのはすごく良いことだけど、今はそれが足枷になっている。


「役に立ちたいって思ってくれてるなら、マグダレナ様に弟子入りするのはむしろ『有り』だと思うよ」

「え…」

「シャノンはさ、攻撃魔法と回復魔法、両方の才能があるでしょ? どっちも使えるようになったらきっとギルドでもすごく活躍できる。そのためには、やっぱり両方使える師匠のもとでちゃんと勉強した方が良いと思う。…魔法は、制御を誤るとすごく危険だって言うし」

「あ…」

「迷惑だなんて思わなくて良いよ。これは負担じゃなくて、()()()()ってやつだから」

「先行投資…?」


 私はにやりと笑った。


「将来の小王国支部の主戦力育成のための先行投資。──あとね、私たちの事情はそこら辺に放り投げといて良いから、まずシャノンがどうしたいかを考えてみて。今のまま、グレナ様に攻撃魔法を教わりながら、チャーリーに教わった回復魔法の基礎を独学で発展させるのももちろん有りだよ。…個人的な見解を言うなら、世界最高峰の魔法使いが回復魔法も攻撃魔法もタダで教えてくれるなんて、こんなチャンス滅多にないと思うけど」


 このタイミングでマグダレナと出会ったこと、マグダレナがシャノンの才能を認めて勧誘してくれたこと…どちらもとんでもない幸運だろう。シャノンは真剣に考える表情になった。


「…私が、どうしたいか…」


 しばらく沈黙した後、シャノンはおずおずと顔を上げた。


「…私、回復魔法も攻撃魔法も、マグダレナ様のもとで学びたいです。両方ちゃんと使えるようになりたい。…でも…」

「でも?」

「…お母さんが、許してくれるかなって…」


 シャノンはノエルの一人娘。ノエルがDV野郎(キース)と離婚してからは、2人で寄り添って生活している。今度はシャノンが親元を離れるとなったら、ノエルはどう思うか。


(…心配するよね、確実に…)


 その上で、シャノンの背中を押してくれるか否か。そればっかりは話してみないと分からない。


 ただ、シャノンが冒険者見習いになる時も、今回の新人研修に参加するとなった時も、ノエルは最終的にシャノンの決意を優先してくれた。話を聞かずに却下するような親ではない。


「きっと大丈夫だよ。シャノンの気持ちが伝わるように、ちゃんと説明しよう。私も後押しするからさ」


 私だけでなく、グレナもマグダレナのことをよく知っているはずだ。他のみんなも反対はしないだろう。みんなの前で話をすれば説得に力を貸してもらえる気がする。


(ちょっと卑怯かもしれないけど…)


 私の言葉に、シャノンはようやく笑顔を浮かべた。


「…はい! 頑張ります」


 そう決意を新たにしたところで──ぐう、と私のお腹が鳴る。


「…あっ」

「…もうお夕飯の時間ですね」


 午前中はフェルマー商会で買い物をし、昼食後に少し街をぶらついてからマグダレナと面会していたから、既に夕方だ。


 今日はロセフラーヴァの街に滞在する最後の夜なので、外食をしようと決めている。私はシャノンと顔を見合わせ、頷き合って立ち上がった。


「よし、ご飯食べに行こう!」

「はいっ」




 宿の受付に外出を伝え、鍵を預けて街へ繰り出す。


 ギルドから帰って来た時より人通りが多い。外から帰還した冒険者に、閉門時間ギリギリに街へ入って来た荷馬車や旅人、家路を急ぐ住民など、服装も表情も様々な人たちが行き交っている。


「フェイたちが教えてくれた店、確かこっちだよね?」

「はい。広場を抜けた先だって言ってましたね」


 人混みを縫うようにして街の中心部へ向かい、広場に出る。

 昼間は串焼きやクレープなどの軽食の屋台が立ち並んでいたが、今の時間帯、魔法道具の街灯に照らされた広場には酒やつまみを提供する出店が並んでいた。出店の周りにはテーブルと椅子がいくつか並べられ、既にジョッキを片手に出来上がっている客も居る。


 広場に漂う様々な食べ物の匂いに釣られそうになるのをグッと我慢して、私たちは少し細い通りに入った。

 喧騒が少しだけ遠ざかり、夕暮れの薄闇の中、魔法道具のランプに照らされた看板がいくつも並んでいる。裏路地の飲み屋街みたいな雰囲気だ。

 その中に、昨日のカレーパーティーの時にフェイたちが教えてくれたお店があった。店名に間違いのないことを確認して扉を開けると、いらっしゃい、と声を掛けられる。


「2人かい? 空いてる席に座っとくれ!」

「はい」


 カウンターの中を忙しく動き回る壮年の女性が、明るい声で言った。店内には結構お客さんが入っている。窓際のテーブル席に座ると、女性がすぐにメニューを持って来てくれた。


「今日のおすすめはユライト湖の魚のトマト煮込みだよ」


 私とシャノンは思わず顔を見合わせる。

 フェイたち曰く、ここでダントツに美味しいのは魚か鶏のトマト煮込み。日替わりのおすすめでたまに出て来るというレアメニューに出会えるとは運が良い。


「じゃあ私はそれで。あと、ミントティーをお願いします」

「私もトマト煮込みと、紅茶をお願いします」

「はいよ!」


 即座に決めたら、女性は笑顔で頷いた。その顔が、何だか回復術師見習いの新人、イアンに似ている。


(…あ、髪質と髪色がイアンと同じなのか)


 あと、笑った時に片頬だけえくぼが出来るのも同じだ。血縁者なのかも知れない。




 ──後日判明したのだが、店主の女性は血縁者も血縁者、イアンの母親だった。


 イアンの実家が食堂を営んでいると聞いて物珍しさから食堂に突撃した新人仲間たちは、料理の安さと美味しさに見事胃袋を掴まれ、以降常連になっていたのだという。


 淡水魚のトマト煮込みは、それも納得の美味しさだった。




「…小王国で食べた淡水魚は滅茶苦茶泥臭かったのに、何でこんなに美味しいんだろう…」


「…本当ですね…」





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