77 フェルマー商会
色々あった新人研修がようやく終わった翌日、私とシャノンはフェルマー商会を訪れていた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
いかにも重厚そうな扉を開くと、女性店員が丁寧に一礼して出迎えてくれる。声を聞きつけたのか、すぐに奥から壮年の男性が出て来た。
「おお、ユウさんにシャノンさん。いらっしゃいませ」
「こ、こんにちは」
「お邪魔してます」
行きの乗合馬車で隣の席になった時とは違う、上品できちんとした格好のベイジルは、いかにもこの店の責任者といった風体だ。あちらは親しげに笑い掛けてくれているが、シャノンが雰囲気に圧倒されている。
アレだ。ドレスコードのある高級な飲食店に、うっかり短パンビーチサンダルで入っちゃった…みたいな。この店にはドレスコードなんてないはずだし、ベイジルはこっちの服装で態度を変える人じゃなさそうだけど。内装が裕福層とか業者向けっぽいし、そもそも店頭に商品が並んでない時点で敷居が高いよね。
「今日は何か探しているのかい?」
シャノンの緊張に気付いたのか、ベイジルが砕けた口調になった。上着を脱いでハンガーに掛け、丁寧に結ばれていた胸元のスカーフを外す。態度だけでなく見た目も崩してくれる人は珍しい。
「明日小王国に帰るから、お土産を見繕いたくて」
うちのギルド長は、通常の研修期間より1日長く宿を取ってくれていた。『研修が延長になっても良いように。予定通り終わったら、折角だからロセフラーヴァの街を見物して来い』だそうだ。
こういうところは気遣いが出来るんだよね、片付けられない男だけど。
そんなわけで、今日は街を見物がてら、小王国支部のみんなにお土産を買おうという話になったのだが…いざ買おうとすると、何が良いのか分からない。こういうことを相談出来そうなジャスパーは講師の仕事があるし、この街出身の新人冒険者たちも補足講義を受けている。『時間があったら寄ってくれ』と言っていたベイジルに相談を持ち掛けるのは必然だ。多分。
「そうか。そういうことなら任せてくれ」
ベイジルは嬉しそうに頷いて、すぐに奥の部屋に通してくれた。
「わあ…!」
通された部屋には、様々な品物が並んでいた。工芸品に日持ちしそうなお菓子、珍しい調味料やお酒、高級そうな織物にお洒落な服。棚からハンガーラックまできっちり整理された様は、小さな百貨店のようだ。
「すごい…」
私たちが入口で感嘆の溜息をついていると、部屋の中央付近でこちらを振り返ったベイジルが苦笑した。
「ここにあるのはこの街に集まる異国のちょっと珍しい品や、この街の特産品だ。土産物にはどれもおすすめだぞ。是非、手に取ってみてくれ」
「…じゃあ、遠慮なく」
「し、失礼します」
思わず手が汚れていないか確認してから、恐る恐る入室する。
ちょっと珍しいとか言ってたけど、これ多分、裕福層とか外国の商人向けの商品見本じゃないかな…。乾燥ハーブが入ったビンとか無駄に装飾が凝ってるし、服はもう見ただけで良い布使ってるって分かる。
何より、値札が無い。どれくらいのお値段になるのか、全く想像がつかないんだけど…。
「ゆ、ユウさん、どうしましょう…」
品物を見る振りをしながら、シャノンがちょっと泣きそうな顔をこちらに向けた。
「買えない気がします…」
「大丈夫、いざとなったら後でギルド長に経費として請求するから」
ボソボソと答えつつ、私の背中にも冷や汗が伝う。一応私も結構な額、ポケットマネーを持って来たけど…賄えるかな…。
…いやでも、シャノンも私も外国に来たのは初めてだし、出し惜しみはしたくない。何事も思い切りが大事だ。きっと。
自分に言い聞かせつつ、つい安そうな品物の方へ足が向く。食品、それも乾燥ハーブとかなら荷物にならないし、最悪小分けをお願いすることも出来るだろう。中身だけならそれほどお高くもない…はずだ。
その昔、ヨーロッパではコショウが金と同じ単価で取り引きされていたという逸話からは目を逸らしておく。
「おっ」
視線を彷徨わせていると、予想外のものが目に入った。
高級そうな物が並ぶ中で異彩を放つ、素朴な茶色の皮袋。袋の口を縛る紐にタグがついていて、『小麦粉』と飾り気のない文字が書いてある。
「小麦粉かあ…。そっか、ユライト王国は小麦の産地だっけ」
湿地帯ばかりの小王国では小麦が育たないので、小王国で流通する小麦粉はほぼ全て輸入品で高級品。店頭でお目に掛かる機会も少ない。この世界でこんな大袋に入った小麦粉を見るのは初めてだ。
「小麦粉、ですか? これが?」
シャノンも初めて見るのだろう。目を瞬かせた。すかさず、ベイジルがやって来る。
「これはこの国特産の小麦粉だ。こっちはパン向き、そっちはケーキなんかに使われる粉だな」
ちゃんと強力粉と薄力粉の区別もあるらしい。これは…良いかも知れない。
「これって、1袋でいくらくらいですか?」
「そうだな──」
示された値段は、量が量だけに結構お高い。でも、払えないほどではない。
何より、小王国で買う時の値段と比べたら圧倒的に安い。半値以下だ。…関税と輸送費でどれだけ持ってかれてるんだろう…。
ともあれこれがあれば、料理の幅がぐんと広がる。ドライイーストが無いからパンは難しいにしても、強力粉でパスタやうどんは作れるし、薄力粉があればお好み焼きもどきやクレープ、シフォンケーキなんかも楽しめそうだ。
「これ良いなぁ…」
「ユウさん、ひょっとして小麦粉でも料理が作れるんですか?」
「作れるよ。美味しいんだよね小麦粉料理。…でも大きすぎて乗合馬車に載せられないか」
我に返って肩を落とす。
30キロの米袋並みのサイズだ、流石に乗車拒否されるだろう。徒歩で移動するにも持つのが厳しいサイズだし、持って帰る手段が無いのではどうにもならない。小分けにしてもらえば良いんだろうけど、それじゃあすぐになくなっちゃうしなあ…。
ふむ、とベイジルが顎髭を撫でた。
「手がないことはないぞ」
「え?」
にやりと笑い、
「丁度明日、うちの商会から小王国への定期便が出発する予定でな。それに護衛として同乗するのはどうだ? 報酬はこの小麦粉2袋とその輸送費。ギルド経由じゃなく個人的な依頼だから、冒険者としての実績にはならないが」
それは大変ありがたい申し出だが、
「商会って、そういうの専門で請け負う相手が居るんじゃないんですか? 私たちをあえて雇わなくても…」
冒険者ギルドと優先契約を結ぶケースも多いらしいし、商会自体が私兵を雇っていることもあると聞く。普通、実力の分からない若い冒険者が出る幕はない。
ベイジルはにやりと笑った。
「まあ、理由がないわけじゃない。…個人的なお詫びと礼、あとは商会としての打算だな」
「お詫びと礼と打算?」
心当たりがない。私とシャノンが首を傾げると、ベイジルの笑顔が苦笑に変わった。
「今そっちの冒険者ギルドで世話になってるイーノックは、うちの次男坊でな」
「えっ」
思わずまじまじとベイジルの顔を見る。言われてみれば、目の色が同じだ。
「あいつが更生する機会をくれてありがとよ。散々奴らに利用されてたんたが、ようやく目が覚めたらしい」
聞けばイーノックは、早く独り立ちしようと両親の反対を押し切って冒険者になったそうだ。その関係上、おかしなパーティメンバーにいいように使われてもパーティを抜けられず、荷物持ち兼雑用係のような役割を押し付けられていたらしい。
初めて会った時は普通の──実力的にはちょっとアレだというのは置いといて──パーティだと思ってたけど、実態はそんな感じだったとは。
「親の立場としては、冒険者を辞めて家に戻って料理人にでもなって欲しかったんだが…カルヴィン殿に頭を下げられてな。本人たっての希望もあって、そっちの支部に世話になることになったんだ」
ギルド長、こっちに来たついでに色々やってたらしい。見習いならともかく、普通の冒険者の所属支部の変更には親の了承は必要ないはずだけど…まあ別の国に引っ越しになるんだし、親に話を通しておいた方が安心なのは確かか。
しかし今、すごく気になること言わなかった?
「料理人って…イーノック、料理得意なんですか?」
「ああ。子どもの頃から色々試してたぞ。冒険者になる前は天然酵母のパンを作ったりとかしてたんだが…本人は商売に向いてない性格だから料理人にはなれないと言っててなあ…」
なんですと。
才能があるのに勿体無い、と呟くベイジルに、内心思い切り同意する。
天然酵母のパンなんて、多分果物とかから酵母取り出して生種作るところからでしょ? ちゃんと知識があって観察力があって根気強くないと作れないぞ。途中で挫折したことがあるからよく分かる。
え、むしろイーノック、冒険者よりパン屋の方が…いや、それだけじゃ勿体無いか。やっぱり料理人とか、自分で店を持たなくても自由に好きな料理を作れる環境があれば…そんな都合の良い職場、無いか…
(…いや、無ければ作れば良いのか)
とても良いことを思い付いた気がする。帰ったらギルド長とイーノックに相談してみよう。
そうと決まれば、小麦粉以外にもエサ──もとい、交渉材料として色々買って行った方が良さそうだ。例えばこっちの支部でも好評だったカレー用のスパイスとか。
「なるほど…良いこと聞いた。…ところで、乾燥ハーブでクミンとかコリアンダーとかターメリックとかチリパウダーとかってあります?」
「あるぞ。…お前さん、何か企んでるだろ」
「いやあ企んでるだなんてそんな。…ちょっとうちの支部に料理人欲しいな、とか…ねえ?」
「ほう…」
ベイジルが顎に手を当ててニヤリと笑った。私に負けず劣らず悪い顔になってるよ、おやっさん。
「そいつは良い思い付きだ。専属の料理人を雇ったら、うちから優先的に食材を卸してやっても良いぞ?」
「それは有難い。…当然、身内価格ですよね?」
「まあ良い取引になるなら割引は当然あるなあ」
「ですよね。…参考までにお宅の次男坊の好きな料理って何ですか?」
「食べるなら鶏肉のロースト、作るならバターケーキ」
「わお贅沢。それが職場で食べられたら士気も上がるなあ。ウチの支部、オーブン無いけど」
「ウチは調理器具も取り扱ってるぞ。値段的に新品が難しけりゃ、中古を探してやっても良い」
「あらやだ、かゆいところに手が届く」
「それがウチの売りだからな」
ニヤニヤ笑いながら含みのある会話を繰り広げる私とベイジルを見て、シャノンがそっと引いていた。
「……イーノックさん、大変なことになりそう……」