75 突発的料理教室
カレーの作り方を見せくれと言った料理人のアンディ氏は、ギルド併設の食堂の責任者だった。
「最近、メニューが一辺倒で飽きるとかほざく冒険者が多くてな。困ってんだ」
厨房から持ち出してくれた鍋を冒険者用キッチンの調理台に置き、アンディはそんなことを言って肩を竦める。
「こっちだって、限られた予算でバランスの良い食事を用意してやろうと思って毎日努力してるってのに、贅沢言うなって。なあ?」
「ホントだね。文句言うなら自分で作れって話じゃない?」
「それな!」
お互い敬語はなしにしようぜ、と言ってくれたアンディは、厳つい見た目とは裏腹に気さくな性格だった。かなり年上なのに、話し方が軽妙で楽しい。
私とアンディが意気投合する後ろで、ジャスパーとキャロルが気まずそうに目を逸らす。何か思い当たる節があるらしい。
アンディが調理台の上とシンクの中を見渡し、若干呆れた顔になった。
「──それにしても、これを全部使うのか? それなりに人数が居るって言っても、余るだろ」
「どうだろうねぇ。カレーは飲み物、なんて格言もあるくらいだから」
「…煮込み料理だよな?」
「うん」
とても疑わしい顔で訊かれるが、私も『カレーは飲み物』を支持する派だ。カレーが出たらおかわりは当たり前。あの馬鹿も最低3杯は食べてたなぁ…片付けはしなかったけど…。
(…いかん、思考があっちに行ってしまう)
今はもう他人。別世界の人間。
…よし。
「じゃあまずは、野菜を洗って切って行こうか。大きさは一口大…ええと、3センチ角くらいかな」
「結構大雑把で良いんだな」
「煮込むからね。出来れば、玉ねぎだけは薄切りにしたいけど…」
最初に薄切り玉ねぎを油で炒めて焦がすのだと説明したら、ジャスパーたちは首を傾げたが、アンディは合点がいった顔で頷いた。
「ああ、飴色玉ねぎを作るのか。オニオンスープを作る時と一緒だな」
「あ、そっか」
オニオンスープも最初に玉ねぎを飴色になるまで炒めるんだった。元の世界じゃオニオンスープなんてインスタントの粉末タイプかファミレスとかで出て来るやつしか飲んでなかったから、作り方なんて忘れてたよ…。
じゃあ、とアンディが腕まくりした。
「玉ねぎは俺が切ろう」
「良いの? 手伝ってもらっちゃって」
「一応教わる身だからな。…あと、見てるだけだと絶対に我慢できないからな」
ああ、そういう性格か。まあ料理のプロだもんね。初心者が包丁握ってるところを見守るだけじゃ落ち着かないよね…。
「じゃあ玉ねぎの処理はお願い。…あ、2玉分くらいはちょっと厚め…2ミリ厚くらいで切って、別のボウルに取り分けておいて欲しいんだけど、頼める?」
「ああ、別メニューを作るんだな。任せとけ」
料理人、話が早い。
「ありがと。──で、みんなは他の野菜を処理しようか。まずは洗うところから」
シンクには泥付きの野菜が大量に入っている。3ヶ所あるのでそれぞれ違う野菜を洗ってもらうことにした。根菜類、葉物野菜と実もの野菜、そしてトマト。
「…なんでトマトだけ別枠?」
「トマトだけは鍋に入れるタイミングが他の野菜と違うから、別扱いの方が楽なんだよ」
手分けして洗ってもらい──なお一番苦戦したのは当然ながら根菜類だった──調理台に移動して、全員並んで包丁を握る。
「ここはこう持って、左手はこう…」
「す、滑る…!」
「ユウさん、トマトが切れません!」
「あ、それ力込め過ぎると切れないんだよ。表面に包丁の刃を当てて、そのまま軽ーく前後に動かしてみて」
「…切れた…」
「な、何か目が痛い…!?」
「ああスマン、それ玉ねぎの匂いのせいだな。換気扇つけたらマシになるからちょっと待て」
ここでも冒険者たちに大ダメージを与えたのは玉ねぎだった。他に無い感じの刺激なんだよね。デールとサイラスとうちのギルド長もすっごい苦戦してたのを思い出すわー…。
「ユウ、ニンジンとジャガイモは皮剥かなくて良いのか?」
あっ、プロの料理人にバレた。
実は、ニンジンとジャガイモの皮むきは黙って省略させてもらっていた。見た感じ、ジャガイモも緑色になってないし、ニンジンなんて煮込めば皮とか全然分からなくなるし。あとここ、ピーラー無いからね。初心者に包丁で皮剥きしろとは言えない。
「食べられないわけじゃないから、良いかなって。皮付きの方が美味しいでしょ?」
「まあなあ。…食感が苦手だって言う奴は居るが」
うん、それあの阿呆と一緒だ。そういう奴に限って皮付きのポテトフライは大好きだったりするんだよね。大いなる矛盾ってやつだね。
「そういうこと言う奴は食べなきゃ良いんだよ」
私が笑顔で言い切ったら、アンディが破顔した。
「だよな! ──ところで、玉ねぎ切れたぞ。次はどうする?」
「じゃあ、薄ーく切った方を鍋に入れて油で炒めてもらって良い? オニオンスープ用の飴色玉ねぎみたいに色を均質にしなくても良いから」
「おう、任せとけ!」
そんなこんなで、作業は進み──
「次はハーブ──スパイスを入れるよー」
「え、こんなにたくさん入れるんですか!?」
「そう」
「粉だらけになっちゃいますよ!?」
「これくらい入れないとカレーにならないからね」
「おい待て、分量は?」
「目分量」
「コラ!」
「え、料理人もやるでしょ? 目分量」
「…やるけどな!」
『ええ…』
スパイスが玉ねぎに馴染んだらトマトを加えて少し水分を飛ばし、そこにみじん切りにしたニンニクとショウガと、一口大に切った大量の野菜を加える。具材を追加するたび、鍋はジュワッと大きな音を立てた。
…うーん、しかしたまらん匂い…こっちの世界で初めて嗅いだよ、カレー臭。──あ、みんなの顔がえらいことになってる。
「…何か…」
「良い匂い…」
「お腹空いてきた…」
この香りが食欲をそそるのはこっちでも同じだったらしい。焦げないように木べらでかき混ぜているフェイは真剣な顔で集中しているが、他の面々が異様に目を光らせてじりじりと鍋に近寄っている。
並行して用意していたお米はもう炊き上がって蒸らしているところだし、アンディが取り分けてくれていた玉ねぎの仕込みも済んだ。後はこのカレーを仕上げて、ハムとウインナーを焼き上げたら完成だ。
「それじゃあそろそろ、ハムとウインナーを焼こうか。ジャスパー、お願いできる?」
「おう」
「アンディ、鍋かき混ぜるのフェイと代わって欲しいんだけど…」
「良いぞ。もう少し水分が飛んだら完成か?」
「うん。どろっとしてきたら完成」
煮詰め具合は料理人の好みによる。そこは歴戦のプロであるアンディに任せてしまおう。カレーは作ったことないらしいけど、何とかなるでしょ。
そうして新人全員とジャスパーは一旦ギルドの裏庭に出て、ジャスパーの指導のもと、石組みをして火を起こした。火起こしには冒険者御用達の専用道具を使う。火打石とか摩擦熱で火起こしするやつとかじゃなくて、火の魔石を使った魔法道具だ。スイッチを押したら先端に火が出て来るからすごく便利だけど、あのライターの親戚の、柄の長いやつに似てる…。
(…これ、小王国の勇者が開発したとか言わないよね)
見た目がまんまアレなので、ちょっと疑わしい。歴代勇者の中には魔法道具の開発に力を入れた人も居たらしいし。──閑話休題。
さて、肝心の焼き物だが。串に刺して焼くのかと思ったら、ジャスパーは自前の鉄板を出して来た。パーティを組んでいる場合、鉄板や焼き網を持ち歩いている冒険者も多いんだそうだ。串焼きは『食材を刺す』って準備が必要だから、量を焼こうと思ったら、鉄板とか焼き網にいきなり食材並べた方が楽だもんね。
そして──
「──はい、完成!」
皿にご飯を盛り、カレーをかけ、焼いたハムとウインナーを添えて調理台の上に置くと、みんなから歓声が上がった。