73 仕事しろ、講師
スパッと言い切ったマグダレナはくるりとこちらに振り返り、ちょっとだけ困った表情で新人一同を見渡した。
「…新人研修の最終日にこのようなことに巻き込んでしまい、申し訳ありません」
少年たちの目には、驚きと畏怖が見える。マグダレナは柔らかに微笑んで告げた。
「これにて新人研修で予定されていた日程は全て終了となります。皆さんきちんと受講されましたから、必須の補足講義はありません。ただ、もう少し勉強したいことがあったら、遠慮なく申し出てください。座学でも実地でも構いません」
その言葉に少年たちは顔を見合わせ──フェイがおずおずと手を挙げた。
「…あ、あの、実地研修をやり直させてください」
今日の失敗を取り戻したいのだろう。そう思ったのだが──違った。
「みんながやったって言うスライムの討伐、俺たち、やってないんです」
『……は?』
ジャスパーとキャロルとバリーが一斉にガルシアを見た。ガルシアは思い切り狼狽えた後、眉を吊り上げてフェイを睨み付ける。
「手前ェ、勝手なこと抜かしてんじゃねえ!」
「だって…! 言われた通りに黙ってたって、俺たちがやったことないのは変わらないし…!」
「俺の命令が聞けねぇってのか!?」
怒鳴るガルシアだが──
「──さて」
するり、涼し気な声が耳に滑り込んで来た途端、ビシッと音を立てて固まった。…状況の判断が甘すぎるよ。
「貴方の処遇も、少々考えなければならないと思っているのですよ」
「あ…」
マグダレナはあくまで笑顔だった。ただし、底の見えない凪いだ瞳は、ちょっと目を逸らしたくなるような気配を漂わせている。
蛇に睨まれた蛙、という言葉が頭をよぎった。こっちの世界だったら、ドラゴンに睨まれたゴブリン、とかだろうか。ドラゴンはまだ見たことないし、マグダレナだったらドラゴンも余裕で薙ぎ払いそうな気がするけど。
…しかしガルシア、スライムの討伐方法すら教えてなかったのか…。道理で昨日、私たちがスライム回収してギルドに戻って来た時に、パーティメンバーと一緒に居たわけだ。
多分講師なのにフェイたち新人そっちのけで、自分がパーティメンバーとやりたい事を優先してたんだろ。仕事しろよ。
「講師としての役割放棄に新人に対する危険行為の教唆、恐喝に窃盗、それから暴行。色々ありますね……ああ、逃げようとしても無駄ですよ? 既に証拠は揃っていますし、大人しく罰を受けることをお勧めします。──実力行使で強行突破しようと言うなら、それはそれで手っ取り早くて助かりますが」
シャラン、携えた錫杖が澄んだ音を立てる。多分実力行使しようとしたら、その瞬間にマグダレナの魔法が火を吹くんだろう。文字通り。
それにここにはジャスパーとキャロルとバリーも居る。いくら上級冒険者でも、同格の人間3人相手じゃ分が悪い。
…私? いやほら、私は新人だから……暴れてくれたら一発殴れるのになーなんて思ってませんよ。ホント。
「…」
私の期待──ゴホン、予想を裏切り、ガルシアは魂が抜けたような顔で大人しくなった。残念。
マグダレナは小さく溜息をつく。
「それにしても、盗っ人も多いようですし…一掃するのは時間が掛かりそうですね…」
ぼそり、呟きが重い。
マグダレナは小さく頭を振ってフェイに向き直った。
「スライム討伐の実地研修ですね。勿論構いません。講師は…そうですね。ジャスパー、明日にでもお願いできますか?」
「はいっ!」
ジャスパーがビシッと直立不動になって即答した。まあそういう反応になるよね。
ガルシアが担当していたフェイ以外の2人も実地研修を希望したので、3人まとめてジャスパーが面倒を見ることになった。その他、魔物に関する座学を希望したのが2人、魔法に関する補足講義を希望したのが2人。私とシャノンと『ユリシーズ』以外全員が、追加の研修を希望した。
私は素直に感心する。
(みんな勉強熱心だなあ…)
──ちなみに、後に聞いた話だが。
私たちのソルジャーアント殲滅戦を目撃した結果、新人少年たちは『最低限あれくらい出来ないといけない』と思い込んだらしく──熱心に追加の研修を希望したのはそのためだったそうだ。
ジャスパーから『うちの支部の新人たちの基準がおかしくなった』と苦情があった。そんなこと言われても。
その後、私たち新人は講義室から出された。ここから先はギルド職員の『オハナシアイ』になるとのことなので、冒険者であるジャスパーとキャロルも一緒だ。
…ガルシア? 何かゾンビみたいな動きで先に出て行ったよ。あれじゃ逃亡とか出来ないだろうね。逃げたらマグダレナが嬉々として追撃掛けそうだしね。
「はー……」
廊下に出て扉を閉めた途端、ジャスパーが疲労だか安堵だか分からない溜息をつく。
「…まさかギルドの生ける伝説が新人研修を受けてたとは…」
「生ける伝説?」
気になる単語だ。
私たち新人が首を傾げると、キャロルとジャスパーは顔を見合わせ、少し離れたところにある部屋に全員を誘導した。
どうやら資料室らしい。小王国支部の資料室と雰囲気が似ているが、床面積は圧倒的に広いし蔵書の量も段違いに多い。
壁に沿ってずらりと並ぶ本棚の中から、ジャスパーは分厚い本と薄い冊子を引っ張り出した。
「冒険者ギルドができた経緯は座学で習っただろ?」
部屋の中央にある大きなテーブルの上で薄い冊子を開き、ジャスパーが切り出す。小さく首を傾げながら、フェイが答えた。
「えっと…最初は数人の冒険者が色んな国を旅しながら探索とか魔物の討伐とかをしていたんですよね?」
治安維持や土地の探索・管理は、本来国の仕事だ。しかし実際には、国の治安維持組織だけでは魔物の被害は抑え切れず、魔物が蔓延る中では未開の土地の探索も思うように進まない。
その数人の冒険者たちは国の手の届かないところを補うように活躍し、次第に名が知られて依頼人が増えてくると、窓口となる『冒険者ギルド』を設立した。徐々に仲間も増えて規模が大きくなり、やがて現在のような国をまたぐ一大組織になったのだという。
それに伴い請け負う仕事の幅も広がり、今ではゴミ捨て掃除買い物から護衛、討伐、探索に観光案内まで、何でもありの便利屋のようになっている。
薄い冊子にはその辺りのことが詳しく書かれていた。ジャスパーは頷き、冊子を閉じる。
「そうだ。で、こっからが本題な。──その、最初の冒険者数人の中に、『マグダレナ』って名前の魔法使いが居るんだよ」
『………へ?』
新人のうち半分はぽかんと口を開け、半分がハッと表情を変えた。
「えっ…じゃあ…」
「ああ。俺も会うのは初めてだが、サブマスターだって言うなら間違いない」
ジャスパーは分厚い方の本を開いた。
始めの方、『冒険者ギルドの創設者』のページにずらりと並ぶ姿絵。その中に『マグダレナ』と名前が書かれた絵があった。絵の美少女は髪を後ろで結い上げているせいかこちらを睨み付けるような鋭い表情をしているせいか、実物と印象はかなり違うが、顔は確かにあのマグダレナだ。
「冒険者ギルド創始者の一人、『銀の秘蹟』マグダレナ。魔法を極めて不老に至った、世界最高峰の魔法使いだ」