7 仕事先候補
その後適当な服屋に入って替えの下着と靴下を買い、古着屋に入って街を歩いても問題なさそうな服を見繕う。
流石に下着は中古を着たくはないけど、普通の服は古着で十分だ。所持金も心許ないし。
…最初に入った服屋で値段にびびって手が出なかったっていうのも大いにある。
アレだ。日本でファストファッション系ばっかり着てたから。とてもじゃないけど1着で高級宿1泊分のお値段を超える服は買えない…。
ちなみに付き合ってくれたルーン曰く、最初に入ったのはわりと庶民向けの服を置いてあるお店だったらしい。それであの値段かよ、ケッ。
なお古着屋に入ったら、私が着ている服を店主が熱心に眺めていた。『それを売ってくれたら割り引いてやっても良い』と言われたけど、売らずにとっておくことにした。
…いつか本当に困ったら、もっと良いお値段で買い取ってくれそうな店に売っ払うんだ…。
で。
古着屋で買った服に着替え、ルーンの案内で辿り着いたのは、街の入り口近く、何だか薄汚れたレンガ造りの建物だった。
「…ここ?」
《ここ》
え、マジで?
傾いた看板には、『冒険者ギルド小王国支部』とでかでかと書かれている。
…そういえば、こっちの字は日本語じゃないのに、普通に読めるし普通に書けるんだよね。召喚特典的なやつだろうか。
しかし、冒険者ギルドかー。ありがちなやつだけど、何でこんな見るからに寂れてるんだろうな。
《さっ、早く入ろうぜ! さあさあ!》
だらんと肩に乗ったまま、ルーンが前脚でぱふぽふと私を叩く。コッペパンチいただきました。
ドアを開けると、ギイイイイイ、とすごい音がした。ワオ、呼び鈴要らず。
しかし肝心の応対する人間が居ないようだ。突き当たりのカウンターは書類やらコップやら何かよく分からない石のようなものやらが雑然と積まれているのに、人の姿が見えない。
室内は全体的にそんな感じだ。
テーブルの上には誰かの食べ掛けみたいなものが放置されているし、椅子は倒れているし、辛うじて見える床には黒っぽいシミみたいなものが見えるし、端の方に積まれた何かには埃が積もっている。
何より、クサイ。蒸れた汗とオッサンの加齢臭と食べ物の腐臭をたっぷり混ぜたようなヤバい臭いがする。もはや息が詰まるレベルだ。
紛うことなき、汚部屋。辛うじて床が見えるだけマシか?
《おーい! 登録希望者連れて来たぞー!》
その惨状に絶句している私をよそに、ルーンは当たり前の顔で奥に向かって声を掛ける。
予想はしてたけどこれが通常状態らしい。なんてこった。
「…と、登録希望者っ!?」
ガタガタガターン!とカウンターの向こうですごい音がして、栗色の髪の女性が顔を出した。人が居なかったわけではなく、向こう側で座っていて見えなかっただけらしい。
…ドアが開いた音、あれだけ大きかったのに気付かなかったのか…?
あと、
「ルーン、私は話を聞くだけって言ったはずだけど」
《まあまあまあまあ、細かいこと気にするなって》
いや細かくはないと思う。
とりあえず、ルーンに促されるまま、臭いを根性で我慢してカウンターに近付く。
栗色の髪の女性は大慌てでカウンターの上の物を端に寄せていた。そのせいで最初から端に置いてあった物が雪崩て床に──床にあるよく分からないものの山の上に、さらに積み上がって行く。
なるほど、カウンター周囲のゴミの山はこうして錬成されて行くわけか。
「あっ…」
私が妙に感心していると、視線に気付いた女性が泣きそうな顔で固まった。
一応、対外的にヤバい自覚はあるらしい。
何となく柴犬を連想するのは、栗色の頭の左右にふわふわの毛に包まれた三角形の耳がついているからだろう。先程までピンと立っていたはずなのに、今はぺたんと伏せられている。叱られることを悟ったわんこのようだ。
《エレノア、こいつはユウ。ちょっと訳アリなんで出身地とかは秘密なんだが、構わないよな?》
空いたスペースにルーンが飛び乗り、女性を見上げる。
女性はすぐに我に返った。
「は、はい! 勿論です!」
勿論なのか。良いのか、それで。
女性は周囲をがさごそ漁って紙とペンを取り出し、こちらに向き直った。
「──ようこそ、冒険者ギルド小王国支部へ! 私は受付を担当しております、エレノアと申します。改めて、お名前を伺ってもよろしいですか?」
ペンをしっかり構えている。メモを取る気満々のようだが──その紙、『登録申請書』って書いてない? いきなり申し込みさせる気か?
私はエレノアからペンを取り上げてから名乗った。
「私はユウといいます。で、まずは冒険者っていうのがどういう仕事なのか教えてください。登録するかどうかはそれから決めます」
チッ。
ルーンが舌打ちするのが聞こえた。オイコラ確信犯。
エレノアはきょとんとした後、あっと声を上げて頭を下げた。
「す、すみません! そうですよね…」
そうしてエレノアから受けた説明は、概ね予想通りの内容だった。
『冒険者ギルド』は、魔物退治や未開の地の探索、貴重な素材の採取などで生計を立てる『冒険者』のバックアップ及び統括を行う、世界でも随一の規模を持つ組織。
所属すると、提携する宿や武器屋、食堂などを割引価格で利用することが出来る。
犯罪行為をするとその国の法律による罰則以外にギルド独自の処分があるなど、厳しい一面もあるが、基本、冒険者の権利を守り、仕事のサポートをしてくれるそうだ。
私的に魅力だったのは、多国間の行き来に関する決まり。
一定以上の実力が認められた冒険者は越境審査で優遇措置が受けられて、手数料も割安になる。場合によっては顔パスくらいの勢いになる事もあるそうだ。
国外逃亡を狙うなら、冒険者になるのも十分有り。
有り、なんだけど…
「登録料は金貨2枚、分割での後払いにも対応していますのでお気軽にご相談ください」
どこぞのテレビショッピングのような台詞で、エレノアの説明が終わった。
何かご質問はございますか?と訊かれたので、遠慮なく突っ込んでみる。
「ここ、何でこんなに汚いんですか?」
「えっ!?」
目を見開いて固まるエレノアの横で、ルーンが小首を傾げる。
《あー、それ訊いちゃうか》
「そりゃ訊くよ。話を聞く限り、ここって依頼する人も来るよね? なのにこんなゴミ溜めみたいな環境じゃあ…それが嫌で依頼に来れない人も居るんじゃないの?」
「あう…」
エレノアの目が泳いだ。
これ多分、下手人の一人はエレノアだな…。
「そ、そのー、依頼人については問題ありませんよ? 大体外でお会いするので…」
ごにょごにょと言い訳している。
外で会うって、それはそれでよろしくないんじゃなかろうか。内容によっては他人に聞かれたくない依頼もあると思うのだが。
私がジト目で眺めていると、耳をぺたんと伏せたエレノアが上目遣いでこちらを見た。
「あ、あのー…」
「何ですか?」
「えっと…ですね。……ここって、やっぱりそんなに汚い…んでしょうか?」
「…………ハイ?」
ちょっと信じられないことを訊かれたんだが。
え? まさか、あれだけ狼狽えてスペース作っておいて、『汚い』という自覚が無い…だと?
思わずルーンを見遣ると、フッと遠い目をされた。オイ関係者。
「あ、あのですね? ちょっとキレイではないかもしれないなーという思いはあるんですよ? でも、ちゃんと歩くところもあるし、カウンターも使えるし…」
いや、物を寄せないとスペースが作れない時点でカウンターが『使える』とは言わない。
あと、『歩くところもある』って何だ。床がちょっとでも見えればOKとか、そういう基準か。
私はにっこりと笑みを浮かべた。
「はっきり言ってクソ汚いです。お客さんが来るはずの、いわば公共の場でコレは有り得ない。すぐ外の大通りの方がキレイじゃないですか」
自宅を汚部屋にするのは…まあ周囲に迷惑が掛からない限りは別に構わないと思う。
私もアパートの自室、そんなに綺麗に片付けてなかったし。
だが仕事場は話が別だ。
職員しか入れないスペースならまだしも、誰もが入れるエリアがコレでは…そのうち誰も依頼しに来なくなるんじゃないだろうか。
私が指摘したら、エレノアはあからさまにショックを受けた顔をした。
「ええっ!? で、でも、この国のギルドの支部はここにしかありませんし、外に出ればみなさん声を掛けてくれますし」
「他に選択肢が無いってだけでしょう。外に出た時しか声が掛からないってことは、少なくともこの中には入りたくないって思われてるってことじゃないですか?」
「はうっ!?」
反応が小動物的で可愛いが、可愛いだけでは事態は解決しない。
どうしたものかと周囲を見渡していると、
「帰ったぞー!」
ギイイイイイ!と盛大に錆び付いた音を響かせながらドアが開き、大柄な人影が複数入って来た。
むわっと獣のような臭いと、鉄錆のような──いや、血の臭いが広がる。
ただでさえ悪臭に満ちた空間が、さらにカオスなことになった。
「聞いてくれ! 今日はゴブリン討伐のついでに、活きの良いシンリンイノシシが手に入った! 何とオスだ!」
ああ、だから血の臭いがするのか。
入って来た男3人、全員血みどろだし、先頭の男が担いでいる茶色と黒と赤の入り混じったでっかい物体から血が滴ってどんどん床とゴミの山に血だまりを作ってるし、何かもう──ヤベぇ。
「あっ、ギルド長! おかえりなさい!」
混沌とした光景の中、エレノアがぱあっと顔を輝かせる。
どうやら先頭の男がここの長らしい。
「…お? 客か?」
推定ギルド長がこちらを見た。
ざんばら髪に伸ばしっ放しっぽいヒゲ、山賊の方がマシかも知れない汚れに汚れた格好。
私は確信を込めて叫んだ。
「手前ェが諸悪の根源か──!!」