前へ次へ
68/199

62 食べて良いと誰が言った。

 そして、新人研修2日目。


 午前の基本講義がもうすぐ終わるという時間に──



「……!?」

「…だ…!」

「──何……!」



 階下がにわかに騒がしくなり、新人冒険者たちは講義そっちのけで顔を見合わせた。


「何だ…?」

「下で何か騒いでるな」

「あなたたち、講義中ですよ」


 今日の講師は例の女性職員だ。まあ講義自体は、私とシャノンにとっては聞き流しても構わないくらいの内容だけど。


 女性職員が渋面を作っていると、バタンと慌ただしく扉が開いた。焦燥感に溢れた表情の若い男性職員が顔をのぞかせる。


「メラニアさん!」

「何事ですか」

「そ、それが…」


 ドスドスと荒々しい足音が近付いて来る。


 言い淀む男性職員を押し退けて入口から部屋を覗き込んだのは、良く言えばベテラン、悪く言えば粗暴な雰囲気の冒険者だった。デカい。体重ベースで私の倍くらいは余裕でありそうだ。



「──ユウって奴は居るか!」


(おや)


「ちょっと、講義中よ!」

「うるせぇ! 緊急事態なんだよ!」


 女性職員の抗議の声を一蹴し、冒険者は室内を睥睨する。経験の浅い少年たちやシャノンが顔を強張らせた。魔物と戦うことを前提に冒険者になったのだとしても、こうして真っ向からベテラン冒険者の殺気を浴びるのは勝手が違うだろう。


「ユウって奴はどいつだ!」

「私だけど」


 私が立ち上がると、その場の全員の視線が集中した。大男が真っ直ぐにこちらに近付いて来る。


「──手前ェ、うちの仲間に何しやがった」

「そちらさんとは何も接点はないはずだけど?」


 降り注ぐ殺気混じりの視線に、小首を傾げて応じる。


 事実、私は目の前の大男の名前も知らない。何となく顔には見覚えがあるけど──確か、初日に食堂で呑んだくれてた冒険者の一人だよね。あと、昨日もジャスパーと話してた時に食堂からじろじろこっち見てた気がする。いつ仕事してんだろうなこいつ。

 …などと思っていたら、いきなり胸倉を掴まれた。



「とぼけんな。保冷庫の中に毒を置いてやがったな!?」


『!?』



 女性職員と少年たちが愕然と目を見開いた。私は眉を寄せて応じる。


「は? 確かに()()()()()()()は置いてたけど、ちゃんと『食べるな危険 ユウ』って書いてあったでしょ? まさかそれを無視して食べたの!?」


 そらっとぼけて驚いてみる。大男の手に力が籠った。


「ネズミ用だと!? そんなモン何であんな場所に置いてんだよ! 他の奴が食べるとは思わなかったのか!?」

「他人が食べるなんて思うわけないでしょ!? なに、この支部の冒険者は盗っ人だらけだとでも言うわけ?」

「それがこの支部の伝統なんだよ!」

「はあ!? それ『伝統』じゃなくてただの『悪しき慣習』だっての! 大体、『食べるな危険』って書いてある物を食べた時点で自業自得でしょ!」


「手前ェ…! 覚悟は出来てんだろうな!?」


 男の怒鳴り声に負けじと声を張り上げて(まく)し立てると、ぐっと身体が持ち上がった。胸倉を掴み上げられたまま、爪先が浮く。ぐえ。


「ユウさん!」

「…!」


 シャノンとユリシーズが顔色を変えて立ち上がった。大丈夫大丈夫。やられたフリをしてるだけ。──どっちが先に手を出したか、目撃者にちゃんと見ててもらわないといけないからね。


(さて)


 こちらの胸倉を掴み上げる男の右手を、がしっと両手で掴む。そのまま思い切り力を入れると、


「…!?」


 大男が目を見開いた。数秒も経たずに骨が軋む音が聞こえ、男の右手が不自然な形で開く。


「…っぐ、あああああ!?」


 トン、と足が床につく。が、腕を掴んだ両手は放さない。骨が折れるかどうかのギリギリの線を保ちつつ──私、器用になったなあ…。



「仕掛けて来たのはそっちだからね? ()()()()()()()()()()()?」



 ドスの利いた笑顔で告げると、大男は青ざめて必死で腕を引く。私がパッと手を離すと、勢いのまま後ろに転がった。やだカッコ悪い。


「──で、覚悟が何だって?」

「!」


 一歩踏み出したら、大男は尻餅をついたまま顔を引きつらせて後退った。まさか新人の、それも女が骨を砕きかねない握力の持ち主だとは思ってなかったんだろう。


 …冒険者登録したばかりだからって、戦いの素人とか弱い人間ばかりじゃないと思うんだけどね。それこそ、元騎士とか武道家とか居てもおかしくないんだけど。

 『冒険者』って完全に実力主義の業界なのに、何で新人を格下扱いするかな。


「ちょ、ちょっと! 今は講義中です!」


 女性職員が慌てた様子で割って入って来た。大男を背後に庇い、()()()()()言い放つ。


「席に着きなさい! 受講態度次第では補講を追加しますよ!」


 普通、新人研修で新人がベテランに絡まれたらベテランの方を追い出すとか止めるとかしない?

 最初に申し訳程度に文句言ったっきり黙ってたくせに、何で今、()()()()()()()()()()みたいな顔してお説教してんの?


(…いや、落ち着け私)


 思うところは色々あるが、とりあえず大人しく席に座る。ついでに、大男に告げた。


「私に絡んでる暇があったら、お仲間に回復術師の手配でもした方が良いんじゃない? あと、もしお仲間の手とかに水泡が出来てたらそのへん触らないように気を付けてね。あれ、『ヒイロコガシ』って虫の毒だから。触れただけでかぶれるし自然分解もされないから、お仲間がネズミの毒餌に触れた後の手で触った場所全部、毒の罠になってると思うよ」

「な…!?」


 包みの一番外側の防水袋を上手く使って、手に直接触れないようにして食べたなら話は別だが、多分素手で持って食べただろう。その場合、手が汚染源になって触れた場所全部が汚染される。本人はともかく、無関係の周囲の人間に飛び火するのはちょっと可哀想だ。…まあ盗み食いを黙認する連中だから、多少痛い目見ても良いかも知れないけど。


「あと、あの毒餌食べちゃった人の唾とか吐いた物も当然毒だから。かかってないと良いね?」

「…!」


 大男がハッと顔色を変えて自分の頬に触れた。多分、のたうち回る仲間の唾でもかかったんだろう。水泡は時間差で出て来るみたいだから、症状が出るとしたらこれからかな。


 全速力で部屋を飛び出して行く背中を、ちょっとスッキリした気分で見送る。程無く、階下で何事か叫ぶ声がした。この騒ぎは暫く続きそうだ。


「──じゃ、センセイ、続きをどうぞ?」

「…え、ええ」


 私が笑顔で促すと、女性職員はハッと我に返った。渡された資料の内容を確認していくだけの退屈な講義だが、あと1割ほど、ちゃんと付き合おうじゃないか。



 ──そうして、おおよそ10分遅れで午前の講義が終わり、昼休憩と言われて1階に降りると──



「…わあ……」


 受付ホールには5人の冒険者が転がっていた。


 言わずもがな、例の毒入りおにぎりを食べた連中だろう。全員口から泡を吹き、手や頬や唇に気持ち悪いレベルで水泡が出来ている。…なるほど、ヒイロコガシが忌み嫌われるわけだ。


 その横に立っているのは、白いローブ姿の回復術師。到着したばかりらしく、先程私に突撃して来た大男が必死に何やら訴えている。


「──だから、『ヒイロコガシ』って虫の毒が入ったメシを食べたんだよ! 新人が保冷庫に入れてやがったんだ!」

「それは毒物混入事件では? きちんと衛兵に通報した方が…」

「いいからさっさと治療してくれ! 痛いし痒いし我慢出来ねぇんだよ!」


 大男の頬にもぽつんと水泡が出来ている。その1つで限界か。堪え性がないな。


「よっ、お前ら」


 遠巻きに様子を見守る冒険者たちの中から、ジャスパーがひょいと顔をのぞかせた。


「昼休憩か? ここは取り込み中だから、新人は外で食べて来た方が良いぜ。午後も講義があるんだろ?」

「は、はい!」


 呆然と受付ホールを見渡していた少年たちが、慌てた様子でギルドを出て行く。ジャスパーはその場に残った私とシャノンとユリシーズにも、ほれ、と出て行くよう促した。


「俺たちも行こうぜ。…どうせ後でうだうだ言われるだろうしな」

「了解」


 ぼそり、後半の呟きに納得して、私たちはギルドの外に出た。







前へ次へ目次