61 ネズミ退治の下準備
昼食は仕方なく広場の屋台で簡単に済ませ、午後の座学を受講する。
それが終わると、ジャスパーに頼んで商店街に案内してもらい、いくつかの物を買い込み、宿で準備を済ませて一旦街の外に出た。
「…あれは一体、何に使うんだ?」
「それは明日のお楽しみ」
何だかんだ買い出しに付き合ってくれたジャスパーは、街の外にもついて来た。護衛と言うよりは、私がやろうとしていることに興味があるのだろう。シャノンとユリシーズも一緒だ。
私が持っている物を見て、ユリシーズが首を傾げた。
「…それ、お米…ご飯ですよね?」
「そうそう。この国じゃあんまり食べないんだっけ」
「小麦粉の方が流通量が多いですから」
ユライト湖の南岸は湿地帯が少なく、畑作や畜産に適した土地が多い。ロセフラーヴァには周辺地域で生産された農産物や穀物、畜産物が集まるので、食べる物も豊富だ。その分、お米はそれほどメジャーではない。…保冷庫に入れてたら盗まれたけど。
ちなみに私たちのお弁当は、例の女性職員が『研修室では飲食禁止なので、お弁当を持って来た人は利用料を払ってキッチンの保冷庫に入れるように』とわざわざ言って来たので保冷庫に入れていた。防虫用の葉は防腐効果もあるので、本来なら保冷庫に入れる必要はなかったのだが。
で──結果がこのザマだ。盗みを働く連中に食わせるためにそう言ったんじゃないかと勘繰ってしまう。っていうか多分そうなんだろうな。新人への洗礼的な。馬鹿馬鹿しくて笑える。
「ユウさん、こんなところにお米を出したら…」
シャノンが不安そうに周囲を見渡す。
ここは街の外、門のすぐ近くにある茂みの陰だ。門の警備をしている街の兵士からは死角になっている。つまり、思い切り屋外。私は今、そこに急遽用意した炊きたてのご飯を置こうとしている。
「うん。それが狙い」
「え、ヒイロコガシがですか?」
「そう」
にやり、悪い笑みを浮かべる。
ヒイロコガシ──米につくこの世界の害虫だ。
私はまだ遭遇したことがないが、関節から常に毒を含んだ体液を分泌している大変厄介な虫らしい。その毒に人間が触れれば盛大にかぶれ、誤って飲み込んだら消化器官が爛れて大変なことになる。
ただし、死ぬほどではない。そこがポイントだ。
「…お前、まさか…」
私の説明を聞いたジャスパーが顔を引きつらせた。
「それを、盗っ人に食わせる気か?」
「ヤダなあ、別に人間に無理矢理食わせようってわけじゃないよ? どうもあの支部は保冷庫を開けて勝手に中身を食べる賢くてでっかいネズミが居るみたいだから、ちゃんと退治しないといけないなと思ってるだけ」
ここにヒイロコガシをおびき寄せ、体液だけを回収してご飯に混ぜ込んで『毒おにぎり』を作る。それを今日のようにお弁当に仕立てて保冷庫に入れておけば準備は完了だ。後は保冷庫の中身を狙う不届き者が勝手に引っ掛かってくれるだろう。
「いや、でもそれはマズくないか? 食べ物に毒を仕込むってことだろ?」
「ネズミ用の毒餌だもん、ちゃんと『食べるな危険』って書いとくよ。もしそれで誰かが食べたとしても自業自得だよね」
「そりゃあ…そうだが…」
盗み食いが常習化してるなら、『食べるな危険』と書いてあったところで虚仮威しと判断して食べるだろう。そして、この街の人間は米に馴染みがない。多分、米につく害虫の毒なんて知らないはずだ。精々のたうち回るといいさ。
…おっと、今用意してるのはネズミ用、ネズミ用。
私は米をそこら辺の適当な葉の上に乗せて地面に置く。これで、明日の朝にはヒイロコガシがみっしりと集まるはずだ。
「…これで良し」
満足して立ち上がると、くいくいとユリシーズが私の上着の袖を引いた。
「…ユウさん、これ、お米にかけておくと良いかもしれません」
「落ち葉?」
「ヒイロコガシは湿気があった方が集まりやすいと聞いたことがあります」
「あ、なるほど」
ユリシーズの助言に従い、周辺の落ち葉を軽く被せておく。それにしても博識だな。そしてやる気だ。ユリシーズもお弁当食べられたもんね…。
「でもユウさん、ヒイロコガシの毒は触れただけでも危険ですよね? どうやっておにぎりに混ぜ込むんですか?」
「そこはそれ、主婦の知恵の出番ってやつだね」
「?」
「ま、明日のお楽しみ」
私はパチリと片目を瞑った。
翌朝早く、ご飯を仕掛けた場所を確認すると、
「げっ…」
「……うわあ…」
「…想像以上ですね…」
一緒に来たジャスパーとユリシーズがドン引きし、シャノンがちょっと青くなる。
お団子状に小さく丸めた白いご飯にみっしりと、紅色の虫が群がっていた。体長2センチから3センチほどの細身の甲虫。艶光る紅色の胴体と黒い脚、関節部分は黄色という配色がいかにも毒虫っぽい。
(図鑑では見たけど…これは結構インパクトあるなあ…)
集団でうぞうぞ動いているせいで、気持ち悪さが半端じゃない。これが米袋の中で湧いてたら絶対悲鳴上げるわ。実際毒持ちだから物理的に危険でもあるし。
「…ゆ、ユウさん、これどうするんですか?」
シャノンが微妙に視線を逸らしながら訊いて来る。直視できないよね、こんなん。
「直接触ったら危ないですよ…?」
「うん。これの出番だね」
私はバッグから細長い2本の枝を取り出した。昨日のうちに拾って加工しておいた、ただの真っ直ぐな枝だ。
それを右手で箸のように持ち、左手で錬金術師謹製の防水袋を構える。
「これをこうして…」
箸でヒイロコガシを1匹つまむ。つままれた奴は必死に脚をばたつかせているが、逃げ出せるほどのパワーはないようだ。多分毒があるからそれほど身体能力は発達していないんだろう。…箸から伝わる振動が若干気持ち悪いけど…。
それを堪えて、防水袋にヒイロコガシを放り込む。内側はつるりとしているので、袋に入れられた虫は登って来れない。さらに4匹、追加で放り込んで──
「…で、こう」
袋の口をねじって閉じ、思い切り振る。途端、ヒイロコガシの体液が飛び散り、内側が白っぽく濁った。
(…そういや、材質的にヒイロコガシの毒に耐えられるのかな、これ…)
そこまで検証する時間はなかった。まあ元々使い捨て前提だから良いか。
内側に体液が十分行き渡ったところで袋の口を開け、ヒイロコガシを外に出す。さらに別の防水袋にも同じ処理を繰り返して、合計5つ、毒袋を作った。
「──これで準備完了」
「…マジか…」
ジャスパーが完全に引いているけど仕方ない。
ヒイロコガシ団子と化しているご飯は誰かが踏んだら大変なので、そのまま土を被せて埋めておく。集まったところゴメンよヒイロコガシ。成仏してくれ。
そのまま街に入って宿の客室に戻り、簡易キッチンで炊いておいたご飯を適当な量、毒袋に入れて軽く振って成形する。ジャスパーとユリシーズもついて来たので、1袋ずつやってもらった。万が一素手で毒成分に触れたら一大事なので、全員、防水袋と同じ材質の手袋をしての作業だ。
素手で作業しなくても成形できる。主婦の知恵である。
「…昨日買い込んでたのはこのためか…」
「まあね」
防水袋も手袋も、昨日買い揃えたもの。流石は商業都市、ニッチな物体も余裕で店頭に置いてあった。本来は繰り返し使うものだから結構値が張ったけど…ネズミ退治のためなら多少の出費は致し方あるまい。
「ユウさん、形はいつもの三角形ですか?」
「うん。昨日と同じ形にしよう」
「分かりました」
シャノンが手際良くおにぎりを成形していく。よくノエルを手伝っているので、手袋と袋越しでも慣れたものだ。ジャスパーとユリシーズも見様見真似で成形しようとしているが、見事に丸くなっている。
「…どうやったら三角形になるんだ…?」
「難しいです…」
「ええとね、手の形がポイントで──」
2人にコツを教えながら、私もおにぎりを2つ作る。
…初めてのおにぎり作りが毒入りって、ちょっとどうかと思うけど…何だか2人とも楽しそうなので良しとしよう。
そうして出来上がったおにぎりを防虫葉で包み、さらにその上から新しい防水袋で包んで、『食べるな危険 ユウ』と書いたタグを付ければ準備完了だ。
「──良し、完成!」
やり切った笑顔で宣言すると、シャノンとジャスパーとユリシーズも釣られたのか、悪い笑みを浮かべた。
「引っ掛かりますかね?」
「まあ…これが保冷庫にあったら食べるだろうな。昨日食べた連中は」
「絶対やると思います…」
「こらこら。これはネズミ用。ネズミ用だからね?」
大事なことなので言っておくよ。
これは人間用じゃなくて、ネズミ用。…本当だよ?