60 ロセフラーヴァ支部の洗礼
不毛な話を終えて1階に降りると、シャノンが待っていてくれた。
その横には、ちょっと予想外の人物が立っている。ジャスパーだ。
さらにジャスパーの隣には、焦げ茶色の髪の少女も。一緒に新人研修を受けているユリシーズだ。テストの後の休憩時間、みんなで自己紹介し合ったので名前は知っている。整った顔立ちのとても美しい少女だが、何となくこちらが背筋を伸ばしたくなるような雰囲気がある。
(空気感がグレナ様に似てるんだよね…)
あと、ユリシーズって名前がね。確かギリシア神話に出て来る『オデュッセウス』の別名じゃなかったっけ。偶然かもしれないけど。
「よっ、話は終わったか?」
ジャスパーはさり気なく、シャノンとユリシーズに注がれるガラの悪そうな連中の視線を遮っている。もしかしなくても、2人を守ってくれていたのだろう。
「お待たせ、シャノン、ユリシーズ。あとありがと、ジャスパー」
「なに、もののついでだ」
律儀な冒険者だ。いや、律儀だからこその上級冒険者か。
「ギルド長に呼び出されたんだって?」
ジャスパーに話を振られたので、一つ頷く。
「テストの問題が私だけ違った件でね。謝罪もそこそこに職員として勧誘された」
「…は? 違う問題渡されたのって連中の嫌がらせだったんだろう? 何でそうなるんだ」
シャノンに事情を聞いたのか。
「予想より良い点数だったらしいよ。嫌がらせしてきた時点で心証最悪なのに、よくやるよね」
「…断ったんですか?」
「当然。職員になるためにここに来たわけじゃないもん」
ユリシーズがちょっと驚いた顔をする。聞けば、ギルド職員はそれなりに給料も良く、冒険者が活躍する街では花形の職業なのだという。
「引退されるベテランの冒険者の方ならともかく、新人の方がスカウトされるのは異例ですよ。すごいことだと思います」
「あー…でも私、少なくともこの支部の職員に興味は無いからなあ…」
小王国支部でなら、職員として働いても良いとは思う。ただし、冒険者の手が足りていればの話だ。
…当初は『国外に逃げるのに都合が良いから』って理由で冒険者登録したんだけど、何かもうあそこが『ホーム』って感じになっちゃってるんだよね、最近…。
私の答えに、ジャスパーが何故か深刻な顔で頷いた。
「俺も正直、ここの職員はオススメ出来ないな」
「そうなの?」
「ああ。…ここだけの話だが…」
声をひそめて続ける。
「…ここの職員、やたら入れ替わりが激しいんだよ。ずっと居るのはギルド長の秘書みたいになってるあのオバ…ンンッ、妙齢の女性職員とか、役職持ちの連中くらいだな。受付やってるようなヒラの職員は持って5年、短いやつは1ヶ月そこそこで辞めてくんだ」
「それでよく仕事が回るね」
「辞めてく分、入って来る人間も多いからな。給料だけは良いから、募集を掛ければいくらでも希望者は居るらしい」
だったらそれこそ私に声を掛ける必要は無いと思うのだが。連中の思考はよく分からない。いや、分かったら分かったで嫌だけど。
それにしても、典型的なブラック企業みたいな支部だ。所属する冒険者の中にデュークとかエドガーみたいな寄生型クソ野郎が居るのも頷ける。ジャスパーは滅茶苦茶希少な常識人なんじゃなかろうか。
「…まあ、断ったんなら大丈夫だとは思うが…気を付けろよ、研修を妨害される恐れもある」
「ああそれギルド長本人にも匂わされた。『やれるもんならやってみろ』って返しておいたけど」
「はあ!?」
ジャスパーが目を剥いた。シャノンとユリシーズも目を見開いているので、かいつまんでギルド長とのやり取りを説明する。
「──…って感じだったから、これ以上座学での妨害は無いんじゃないかな。証拠も集めやすいし、本部に訴えられたら一発アウトだって向こうも分かってると思うし。だから多分、何かあるとしたら実技の時間。リスクを払ってまで手を出して来る阿呆が居ればの話だけど」
「…いやお前、全力で喧嘩売ってどうすんだよ…」
「…無謀だと思います…」
呆然と呻くジャスパーとユリシーズの横で、シャノンが苦笑する。
「まあユウさんなので…」
その一言で片付けるあたり、シャノンも私のことをよく分かってると思う。
私は胸を張った。
「一応、小王国支部で魔物討伐にも出てるし、そこら辺のゴロツキには負けない自信はあるよ」
「その妙な自信は何…──ああいや、待て」
ジャスパーがふと表情を変える。
「…小王国支部周辺の魔物は、軒並み上位種以上の強さだって話だよな…?」
「あ、チャーリーから聞いた? そうだよ」
チャーリーは私たちより一足早くこちらに戻って来て、既に小王国支部周辺の魔物の新種登録手続きを終えたらしい。こちらの支部で情報が知れ渡っていてもおかしくない。
…それにしては、上位種目当ての冒険者とか全然小王国に来てくれてないけどね。こっちの支部が囲い込んでるんだろうな。
「で、お前はもう既に魔物の討伐依頼をこなしてる?」
「あっちのギルド長とか先輩冒険者と一緒にだけどね」
「…見学だけ、とかじゃないよな?」
「がっつり参戦してる。ゴーレム──ユライトゴーレム戦なんかはほぼ私が主戦力」
と、背負ったウォーハンマーを外して見せる。ひょいと差し出したらジャスパーが素直に受け取ったので、そのまま手を離してみた。
「…うおっ!?」
ズシンと音を立てそうな勢いでジャスパーが一瞬沈んだ。膝を曲げた状態からすぐに復帰し、両手で持ったウォーハンマーを信じられない物を見る目で見下ろす。
「……その体格で持てる武器じゃないだろ…」
「残念ながら持てるんだなあ」
ウォーハンマーを片手で受け取り、元のようにホルダーに装着する。一連の流れを見守るジャスパーの表情が変わっていた。もはや初心者を見守る上級冒険者の顔ではない。
「…それ、何キロあるんだ?」
「大体30キロくらい」
「えっ」
ユリシーズが声を上げた。
「…本当ですか?」
「ホントホント」
「確かにそれくらいはあった。…つーか何で持てるんだよ。俺より体格の良い重戦士向きの武器だぞ、それ」
「持てるモンは持てるんだよ。あと、これくらい重くないとあっちのゴーレム砕けないから」
バレバレだとは思うけど、一応、スキル『剛力』持ちだというのは伏せておく。ジャスパーが呆れ混じりの表情になった。
「小王国の新人は規格外だな…」
…何でユリシーズまで頷いてるんだろう。
「褒め言葉と受け取っておくよ」
私は涼しい顔で流しておいた。
その後、お弁当を食べようと支部のキッチンの保冷庫を開けて──私たちはぴしりと固まった。
「……無い……?」
泊まったのは簡易キッチン付きの宿だったので、今朝、小王国から持ち込んだ米と肉みそを使っておにぎりを作り、防虫用の葉で包んでこの支部のキッチンの保冷庫に置いておいた。当然、キッチンの使用料は払った上で、だ。
それなのに今、保冷庫の中には私たちが入れたはずの包みが無い。一応私やシャノンの名前を書いたタグを付けていたから、誰かが間違えて取る可能性は低いはずなのだが──
「私のおにぎりも…」
「…私のお弁当も無いです…」
「えっ!?」
シャノンだけでなくユリシーズまで泣きそうな声で呟くと、ジャスパーが深く溜息をついた。
「…ああ、やられたか…」
「やられたって…」
「このギルドには、妙な不文律があってだな」
私とシャノンが見上げると、ジャスパーは視線を逸らして呟く。
「…新人が保冷庫に入れた食べ物は、先輩冒険者が勝手に食べても構わない、っつーな…」
「えっ…」
「……ほーう…?」
なるほど、そういう文化があるろくでもない場所で育ったから、デュークとエドガーはああいうクソ野郎になったのか。
「ゆ、ユウさん、顔が怖いです。落ち着いてください」
「大丈夫。この上なく落ち着いてる」
シャノンにゆっくり頷きながら、私はぐっと拳を握った。
「──弁当泥棒、許すまじ…!」