58 新人研修
翌日、新人研修の初日は座学だった。
ロセフラーヴァ支部の3階、まるで学校の教室のような部屋に集まった新人は、私とシャノンを含めて10人。
研修自体は基本、20日に1度行われるそうだ。その頻度でこの人数ってことは、この街で冒険者登録する人はかなり多いんだろうな。私が来るまで数年間、冒険者登録の実績がなかった小王国支部とは大違いだよ…。
「それではまず、みなさんの知識を把握するための筆記試験を行います」
最初に、受付担当でもあった女性職員から紙が配られる。問題文が書いてある紙が数枚と、回答を記入する紙が1枚。思ったより本格的だ。
(…あれ?)
ちらりと隣の机に置かれた問題文が視界に入り、内心で首を傾げる。私の机の上に置かれたのと、文字のレイアウトが大分違うような…?
「では、始めてください」
ちゃんと確認する前に指示が飛び、私は仕方なく問題文に視線を落とし──その場でピシリと固まった。
──『下記の物品を表の通りの個数購入した場合の購入総額を答えよ。なお、販売価格は以下の通りとする──』
(…どう考えても『冒険者』に対する試験問題じゃない…)
多分、配布する試験問題を間違っている。そう思って視線を上げたら、女性職員とバッチリ目が合った。途端、ニヤリと女性の口の端が吊り上がる。…ほーう?
瞬時に理解した。
これは恐らく配布ミスではなく、意図的な嫌がらせだ。確か新人研修は最初のテストの結果に応じて受講必須の項目が決まるから、このテストの点数が悪ければ悪いほど受講しなければならない講義が増え、研修中の拘束時間が長くなる。昨日の意趣返しだろうか。
──そういうことをするなら、こちらにも考えがある。
(主婦なめんな)
この世界、平民の識字率は比較的高いが、計算などには疎い者が多い。多分普通だったら女性職員に抗議しても一蹴され、散々なテストの結果に泣くことになるのだろう。
しかしこっちは異世界由来の主婦である。何をどれだけ買ったらいくらになりますか、程度の問題は朝飯前だ。なんだったら買い物しながら概算出来る。
(…あ、こっそり『まとめ買いの場合の価格』とか書いてある)
スーパーでたまにあるよね。『冷凍食品3個で○○円!』とか。あれ、いかに得するかを優先して考えて結果あんまり食べない物買っちゃったりするよね。家に帰ってから我に返って後悔するパターン。
…まあ今回は、真面目に問題解いて喧嘩売って来た連中を後悔させてやるとしますか。
そのままペンを手に取ったら、『えっ』という女性職員の声が聞こえた。抗議も泣きつきもしませんよ。こういう手合いは正面からぶつかっても面倒なだけでこっちに利益は無いからな。
(購入、売却、…登録料の計算…納税額の算出…?)
順を追うごとに段々問題が複雑になって行く。いやまあ別に、問題文の中に税率とか書いてあるから計算は出来るけども。これユライト王国の税率なんだろうか。一律で利益の3割持って行かれるって…結構だな…。
こんな問題嫌がらせのためにわざわざ用意したのか、ご苦労だな…と思っていたら、途中から内容の風向きが変わった。計算問題が終わったら自由記述式の文章問題になったんだけど、その問題文に『志望動機を述べよ』とか書いてある。
(もしかしてこれ、ギルド職員の一般公募用の試験問題?)
先に残りの問題文を確認したら、ギルドへの志望動機、過去に頑張ったことまたは実際にあげた功績、自己アピール、さらにギルドの規約や法律に関する問題と、明らかにそっち系の設問ばかり。いや私は職員になるつもりは欠片も無いんだけど。
(ここは正直に書くか…)
志望動機の欄は、『志望動機もなにも、冒険者の新人研修を受講したらこの問題文を渡された。私はギルド職員になるつもりはない。こんな阿呆な嫌がらせが頻発するなら冒険者の質が下がるのも当然。冒険者に新人研修を強制するなら、先に職員への教育を見直せ』とか書いてみる。
他の設問も似たような感じで、思うところを自由に書く。
自由記述式の問題だ、一応設問はあるが、書く文章に縛りは無い。自己アピールに関しては『ただの主婦』の一言で済ましておく。
ギルドの規約と法律の問題に関しては普通に回答した。ギルドの規約は一通り把握しているし、一応小王国の法律も基本的なところは押さえてあるので『※小王国の法律に準拠した場合』と注釈を入れて回答してしまえば余裕だ。
採点者がユライト王国の法律に準拠して採点するか、わざわざ小王国の法律を調べて採点するか、見ものだな。
…何で規約とか法律とか把握してるんだ、って?
前に働いてた職場で受けた『固定残業代40時間分』のショックで把握してない規約の恐ろしさは身に染みたし、グレナ女史に『隣国ギルドのギルド長はヤバい奴』って聞いてたからね。こっちに来る前にシャノンと一緒に勉強したんだよ。足をすくわれないように。
自己防衛、大事。
──そうして一通り回答し終えて顔を上げると、唖然とした顔の女性職員と目が合った。まさかずっと見てたんだろうか。あらヤダ恥ずかしい。恥ずかしいついでに、ニヤ…と嫌味満載の笑みを送ってみる。
「…!」
職員は顔を引きつらせて目を逸らした。
その後数分で、テストの時間が終わった。解答用紙が回収されて休憩が告げられ、女性職員が出て行くと、全員が一斉に安堵の溜息を漏らす。
「…疲れた…」
「いきなりテストとか…」
「なあ、解けた?」
「最後の計算問題がちょっと…」
机に突っ伏す者、知り合いと話し始める者、様子は様々だが全員若い。シャノンと同じくらいか、少し年上だろうか。今回、冒険者見習いはシャノン一人だけという話だから、彼らは全員見習いではなく普通の冒険者だ。やはり15歳になってすぐに冒険者登録する者が多いらしい。
「シャノン、お疲れさま。どうだった?」
後ろの席に居たシャノンに声を掛けると、シャノンは疲れたような、だが達成感のある笑みを浮かべた。
「ユウさんと事前に勉強したおかげで、全部書けました」
『えっ!?』
周囲が一斉にシャノンを見た。
「嘘だろ全部解けたのか!?」
「え? ええと、合ってるかどうかは分からないけど…」
「俺なんて時間足りなかったのに!」
「だよなあ! 問題読むだけですっげぇ時間取られたぜ!?」
シャノンの他にもう1人女の子は居るが、周囲に居るのは全員男子だ。すごい勢いで話し掛けられ、シャノンは困り果てた顔でこちらを見た。
「あ、あの、ユウさんはどうでしたか?」
「ああ、全部解いたよ」
当り前の顔で頷いたら、少年たちが目を剥く。シャノンはホッとした表情で問題用紙を見せて来た。
「あの、最後の問題がちょっと自信なくて…」
「ちょっと見せて」
私の最後の問題は『納税を怠った場合の罰則は?』だったが、いくら何でもシャノンの問題用紙は内容が違うだろう。見せてもらうと、ちょっと頑張れば足し算引き算で答えが出る計算問題だった。どうやらシャノンには普通の問題が配られたらしい。良かった。
「私はこう解いたんですけど…」
計算過程が問題用紙の空白に書かれている。説明を一通り聞いて私は頷いた。基本に忠実、かつ正確。シャノンの性格がよく出ている。
「うん、合ってると思うよ、大丈夫」
「良かった…」
「…マジかよ…」
少年たちは呆然とこちらを見ている。聞いてみると、一応予習はして来たものの、思ったより問題文が長くて読み解くのに苦労したという意見が大多数だった。
「あー…。大人が作る文章だからね。まどろっこしい表現が多いかも」
「ですよね!」
青い髪の少年が大きく頷き、ところで…と問題文を差し出して来る。
「お姉さん的に一番難しかったのってどの問題ですか? やっぱ最後の問題?」
「志望動機書くやつかなあ」
『え?』
わざわざ言う必要もないかと思ったが、訊かれたので正直に答えてみる。
「私に配られたの、多分みんなと全然違う問題だったんだよね。ホラ」
「……え、何だこれ…」
「購入ソウガク…」
「ゼイリツ……え……?」
複数枚の問題用紙を回し読みしてもらったら、少年たちの顔が次々固まって行った。いつの間にか私たち以外の紅一点、焦げ茶色の髪の女の子も輪に加わっている。とても綺麗な顔立ちだが、不審そうに眉を顰めている様子はどこか老成した雰囲気だ。
「…これ、ギルド職員の嫌がらせじゃないですか?」
『!』
鈴が鳴るような綺麗な声が、不穏なことを口走った。私は肩を竦める。
「昨日ちょっとあの職員と揉めたから、多分ね。でもこの問題が解けてれば、文句は言えないでしょ」
「……すげぇ…」
少年たちの憧憬の眼差しがちょっと眩しい。
…こんな大人になっちゃダメだぞー。