56 隣国商業都市のギルド支部
早朝に小王国の首都アルバトリアを出発し、隣国の商業都市に着いたのは日が沈む頃だった。
隣国──ユライト王国の東端に位置する商業都市、ロセフラーヴァ。
ユライト王国はユライト湖周辺地域の大部分を占める大国で、小王国と比べて長い歴史を持つ。と言うか、ユライト王国が無価値と断じて放置していた北部の湿地帯に立国したのが小王国だ。お互いに独立国という体裁を保ってはいるが、事実上、小王国はユライト王国の属国に近い立ち位置らしい。
例えば、小王国の現王妃はユライト王国の元第3王女だし、小王国に流通する小麦はほぼ全てユライト王国で生産されたものだ。小王国の輸出入の取引相手は、基本的にユライト王国──と言うか、この商業都市ロセフラーヴァだという。
「大きいですね…!」
乗合馬車の停車場を出て、シャノンが感嘆の溜息をつく。
「この街に住んでる人だけで、小王国の全住民より多いらしいからね」
「そんなにですか!?」
「そう。そんなに」
商業都市を名乗るだけあって、この街はとにかく規模が大きい。東の公国とは街道で繋がり、南の港湾都市とはユライト湖から流れ出る川を拡張して作った運河で繋がる。西はユライト王国の首都まできちんと整備された街道が敷かれているらしい。
昔は東の公国とユライト王国の首都との『経由地』という扱いだったが、十数年前に運河で港湾都市と繋がったことで様相が変わった。この街にあらゆる品物が集まり、ここを起点に流通する。文字通りの『流通拠点』として一気に発展したのが、このロセフラーヴァだ。
なお北の小王国との交易はほとんど『おまけ』くらいの扱いらしい。
…しかしこの街、いや都市、本当に大きい。小王国から冒険者が大量流出するのも仕方ないと思えてしまう。
「お前さん、初めて来たにしては詳しいなあ」
私がシャノンに解説している横で、乗合馬車でクッションを提供してくれた初老の男性──ベイジルが感心した顔で言う。きちんと整えられた髭を撫でる仕草がとても様になっている彼は、小王国とも取引を行う商人だという。
「ちょっと事前に調べたんですよ。折角行くんだしと思って」
「なるほど、良い心掛けだ」
ベイジルがニヤリと笑う。
「良い心掛けついでに教えておこう。この街は小王国に比べて発展してるが、その分スリや強盗も多い。街の中で呆けたり、下手な裏路地に入らないように気を付けた方が良い。あと、財布は肌身離さず持っておくこと。肩掛け鞄は斜め掛け必須だ」
「は、はい!」
シャノンが慌ててバッグの紐を斜め掛けにする。こういう忠告をくれる人はとてもありがたい。
「ご忠告ありがとうございます。ついでに、冒険者ギルドの場所って知りません?」
「ちゃっかりしてるな」
ベイジルは苦笑して、俺の店に行く途中にあるからついて来ると良い、と言ってくれた。
停車場から歩き出すと、シャノンは目を輝かせて周囲を見渡し始めた。私も注意散漫にならないよう気を付けながら、街の様子を観察する。
古い建物は白い石材で統一され『白亜の街』と称される小王国の首都アルバトリアと違って、この街の建物はレンガだったり石材だったり、造りも色も様々だ。多分、建物の持ち主がそれぞれのセンスで建てたからだろう。
アルバトリアのような統一感はないが、色とりどりで活気のある雰囲気がいかにも商業都市という感じだ。3階建てや4階建ての建物も多く、少し空が遠く感じる。
「ほら、着いたぞ」
数分もしないうちに、ベイジルが足を止めた。
大通りに面する赤褐色のレンガ造りの建物。両開きの大きな扉の上に、『冒険者ギルド ロセフラーヴァ支部』と大書きされた看板が掲げられている。周囲の建物より一回り以上大きな4階建て。すごい重圧だ。
「扉から入って真っ直ぐ突き当たりが受付カウンターだ。横の食堂に入ると柄の悪い連中に絡まれるかも知れないから、気を付けてな」
「分かりました。色々ありがとうございます、ベイジルさん」
「ありがとうございます!」
「なんの。もし暇があったら、俺の店にも顔を出してくれな。珍しい食品からお土産物まで揃っているから。この3軒隣の、『フェルマー商会』っていう店だ」
…え、商会?
こちらが何か言う前に、ベイジルはひらりと手を振って去って行った。
…商会って、相当大きいって言うか…確かこっちの世界じゃ、最低でも5店舗以上の支店を持ってないと名乗れない名前だよね…?
(…深く考えるのはよそう)
クッションを売ってくれたナイスミドルは、思ったより大物だったのかも知れない。
気を取り直して、冒険者ギルドへ向き直る。
当然だが、看板も扉も綺麗に整えられていて、薄汚れても傾いてもいない。小王国支部が例外中の例外だというのがよく分かる。
「じゃ、行こうかシャノン」
「は、はい」
シャノンを促したら、いささか緊張気味の頷きが返って来た。…私も緊張してないわけじゃないけど、ここは年上として醜態をさらすわけにはいかないでしょ。
扉を開けると、外観相応に中も広かった。正面に受付カウンター、左手に色々な紙が貼られた掲示板らしきもの、右手にテーブルや椅子──そっちがベイジルが言っていた食堂だろう。夕方という時間帯だからか、既にジョッキ片手に赤ら顔になっている者が何人か見える。全員、いかにも歴戦の冒険者です、みたいな武器や防具を身に着けた屈強そうな男たちだ。
…でも何でだろう、今『大体見掛け倒しだな』って思っちゃったよ…。
「すみません」
食堂側をなるべく視界に入れないようにして、カウンターで職員に声を掛ける。対応してくれたのは若い男性職員だった。
「はい」
「小王国支部より参りました、冒険者のユウと冒険者見習いのシャノンです。新人研修をこちらの支部にて受講するよう、小王国支部のギルド長より指示されました」
「…承知しました。お調べしますので、少々お待ちください」
「はい」
頷きながら、内心で首を傾げる。私たちが今日こちらに来ることはうちのギルド長が事前に連絡していたし、了承の返事も貰っている。それなのに、受付職員は知らないんだろうか。若い女性2人連れで違う支部から新人研修受けに来るって、なかなか無いと思うんだけど…。
「──お待たせしました」
程なくやって来たのは、先程の職員ではなく、年嵩の女性職員だった。
「新人冒険者のユウさんと、冒険者見習いのシャノンさんですね。連絡は承っております。まずはこちらの申込用紙に記入をお願いいたします」
「分かりました」
どうやら担当者が違ったらしい。慣れた手つきで渡された紙に視線を落とし、私は思わず眉根を寄せた。シャノンも困惑の表情で固まっている。
「…すみません、冒険者登録は済んでいるので、登録用紙には記入出来ないのですが」
渡されたのは、『冒険者登録申請書』。通常、既に冒険者になっている者に渡す紙ではない。私が指摘すると、ああ、と女性は朗らかに笑った。
「大丈夫ですよ。ここで新人研修を受ける方は全員、この書類を書いていただくことになっているんです。さ、記入を」
「出来ません」
促す言葉を、私は笑顔でぶった切った。女性職員がぴしりと固まる。
「…な、なぜ、ですか?」
そんな分かり切ったことを何故訊くのか。
「私たちは小王国支部の冒険者です。ロセフラーヴァ支部の冒険者になるつもりはありません。移籍するつもりもありません」
ちらりとシャノンを見遣ると、シャノンも小さく頷いた。
ここへは新人研修を受けに来ただけだ。確か登録用紙にもう一度記入するのは、活動拠点にする支部を変える時だけ。これは冒険者の知らないうちに移籍させる、詐欺の手口に他ならない。
…『隣国の支部のギルド長は油断ならない相手だ』って聞いてたし、こっちに来るって決まった時点で冒険者ギルドの規約を読み直しておいた甲斐があったよ。
「確か新人研修だけ受ける場合は、『新人研修受講申込書』っていう別の様式がありますよね? あまり使わないものでしょうし、間違えて登録用紙を持って来るのも仕方ないとは思いますが…『新人研修受講申込書』をお願いします」
じゃないと今すぐ『この支部は冒険者を強制的に移籍させる詐欺集団だ』って触れ回りますよ?
身を乗り出してそっと囁いたら、女性職員はざっと青ざめた。色々自覚はあったらしい。
「も、申し訳ありません! すぐ用意します!」
女性が身を翻し、他の職員が目を見開いて見守る中、どこからか口笛の音がした。