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6 怪しいお誘い

 微妙に納得のいかない気分のこちらを気にせず、ルーンは再びこちらを見上げる。


《で、あんたの名前は?》

「…えっと…」


 いきなり名前を訊かれて、少々困った。


 だって今朝、名前も変えてやろうかと考えて──まだ何も候補を挙げてない。

 そしてそういう単純だけど重要な事項を咄嗟に思い付けるほど、私の頭は柔軟じゃない。


 結果。



「…灘木(なだぎ)、優」



 ものすごく嫌そうに本名を口にするという、珍妙な光景が出来上がった。


 なお『灘木』はあの阿呆の姓である。言ってから、旧姓を名乗れば良かったと激しく後悔した。


 …仕方ないじゃないか。結婚してから丸2年、ずっとその名前で通して来たんだから。


《ナダギユウ…呼びにくいな》


 そんな私の内心を知ってか知らずか、ルーンは容赦なく言う。


《ま、こっちの世界じゃ平民は苗字が無いのが普通だからな。ユウで通せば良いんじゃないか?》

「それで良いの?」

《嘘は言ってないだろ?》


 ぱちり、意味深なウインク。

 やばい、惚れそう。


「…そういえば、さっきから『日本人』とか普通に言ってるけど、他の人も『異世界がある』とか知ってたりするの?」


 周囲に人影が無いのを改めて確認し、ルーンの前にしゃがんで訊いてみる。

 近くで見ると本当にもっふもふだ。しかも艶々してる。可愛い。


《あっちの世界から召喚されて来たり、落っこちて来たりする奴はそれなりに居るからな。一応、表向きは極秘扱いだが…まあ公然の秘密ってやつだ》


 ルーンはヒゲをピンと立てて答えた。


《ああでも、『自分は異世界から召喚されて来ました』とか迂闊に言わない方が良いぞ。珍獣扱いされるのは間違い無いし、下手したらあの城に連れ戻されるからな》

「分かった」


 尻尾の動きを全力で目で追いながら、私は真顔で頷いた。





《で、ユウはどうして城を出たんだ?》


 歩き出す私の肩の上に乗ったルーンが、興味深そうに訊いて来る。

 キラキラ輝く金色の目が眩しい。くそう、ケットシー可愛いな。


 ちなみに前から見ると前脚をちょこんと揃えて肩に乗っている図だが、後ろから見るとルーンの下半身は完全に脱力しているはずだ。歩くたびに何かぶらぶらしてる感触があるし。肩の上にルーンの柔らかいお腹が密着してるし。


《ユウ?》


 ケットシーの毛の柔らかさと温かさに全力で意識を集中していたら、そのケットシーにじろりと睨まれてしまった。いかんいかん。


「ごめん。ええとね、実は──」


 ルーンの言葉は『念話』と言って、伝える相手を任意に決められるとても便利な意思伝達方法なのだそうだ。人間には使えないので、私は声量を絞るしかない。残念。


 ともあれ、浮気現場に踏み込んだらまとめて召喚されたこと、旦那が『勇者()』、浮気相手が『せいじょ』、私が『主婦』と判定されたこと──掻い摘んで説明すると、ルーンの目に呆れが浮かんだ。


《その鑑定魔法、絶対間違ってるだろ。何だ『せいじょ』って》

「いやー、間違ってはいないと思うよ。浮気現場であれだけ居直れるのはある意味『勇者』だし、『魔性の女』を略して『せいじょ』だったら確かにその通りだし」

《『主婦』は?》

「既婚女性って大体『主婦』呼ばわりされるよね?」

《ええ…? …いやまあ、そうかもしれんけど………》


 納得いかないらしい。


 私としては、そういう判定だったからこそ怪しさ大爆発のあの連中から離れられたので、今となってはむしろ感謝しているくらいだ。


《ポジティブすぎる》

「あのナチュラルブラック企業から逃れられてあの阿呆どもからも解放されて、これからは自分のためだけに生きられるんだと思ったらもう…ねえ?」


 今までがアレ過ぎたのだ。

 これからは良い事があるって信じてる。


「なお今は出来るだけ働かずに楽して生きる方法を模索中」

《欲望に忠実だな…。そんなに働きたくなきゃ、アレクシスに保護してもらえば良かったのに》


 実はそれ、昨日アレクシスと別れた後にちょっと考えた。


 が、


「あの人城勤めだからダメ。『騎士団長』が『勇者』と関わらないはずがないし、あの人のところに居たら後々絶対面倒なことになる」

《あーうん、そういうところは知恵が回るんだな…》


 何だかルーンに呆れられている気がする。


 私の中の最優先事項は、自分の生活。何より、あの阿呆2人と関わらないこと。

 その時点で、城の関係者に頼るという選択肢は消える。


 いっそこの国からも離れられれば良いのだが…それはもっとちゃんと準備をしてからの方が良いだろう。主に資金面で。


 そんなことをブツブツ呟いていたら、ルーンがニヤリと笑った。


《そんな働きたくないユウに朗報だ。何と今ならぴったりの仕事がある》

「えっ」


《仕事内容の選択は自由、掃除におつかい、話し相手から、魔物の討伐、素材の採取、未開の地の探索まで! やった分だけお金になるし、働きたくない日は働かなくて良し!》


 何そのブラックバイトみたいな怪しい宣伝文句。


《今なら何と俺の腹がモフり放題! 住居の斡旋と身分証明書付き!》

「うぐっ」


 グラっと心が揺れる。主に『モフり放題』のくだりで。


《な? 良いだろ? 今働き手を絶賛募集中なんだよ》


 ストーカーではなく、カモを狙う客引き的な奴だったらしい。

 くそう、卑怯だな。ケットシーの可愛さで引き寄せて温かくてふかふかの腹で逃げられなくするやつだこれ。


 肩から背中に掛けてべったりとくっついて、ルーンがそれはそれは熱心に私を口説く。


《別に危ないことしなくて良いっつーか、むしろ街の中のちょっとした困りごとを処理してくれる人材が欲しいんだよー。だから腕っ節とかは必要なくてだな。清潔感と安心感がある見た目だとなお良し!ってやつでな。その点、ユウは適任なんだ。な? 頼むって》


 すりすりと、頬に顔を擦り付けて来る。ついでに耳元でゴロゴロ言ってる。

 これは危険だ。

 話を聞いてる時点で色々おかしい。


 腕っ節は必要ないって、本来は腕っ節──武力が必要な職種なんじゃないだろうか。しかも仕事内容を宣伝するわりに、具体的にどこのどういう職種を募集してるのかって全然口にしないし。


 え、何このケットシー、詐欺グループの営業部長か何か?


 ひしひしと、厄介事に巻き込まれそうな予感がする。

 何と言うか本能的な部分が、『逃げろ』と言っている気がする。


 …………んだけども。



「………話聞くだけで良いなら」



 ルーンが前脚で肩をモミモミしている。


 ──あざと可愛いケットシーのアピールを前に、ネコ好きはあまりにも無力なのであった。


 ぐふっ。




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