46 ゴブリンの魔法
結局、チャーリーはデュークたちへの護衛依頼を取り下げることはなかった。
隣国の支部に戻ったらイーノックが正式にパーティから抜けるそうで、その直前に依頼破棄の汚点がつくのは困るだろうと配慮した結果だそうだ。
甘い判断だが、デュークとエドガーが私やイーノックに対して私怨に走るのを防止するためでもあるらしい。依頼が続いている限り行動を共にする、つまり監視が出来るし、依頼者であるチャーリーがデュークとエドガーの行動を制限できるからだ。
まあつまり…あの2人全く反省してないってことデスネ。
(予想はしてたけども)
いつものようにウォーハンマーでゴブリンを薙ぎ払いつつ、内心で呟く。
デュークとエドガーの敵意満載の視線を背中に浴びているので、正直とても居心地が悪い。まあ彼らの近く、チャーリーを挟んで反対側に所在なさげに立っているイーノックほどじゃないだろうけど。
…どこの国でもどんな組織でも、『辞める』って宣言してからその地位に居続けるのはすっごく落ち着かないよね。学生時代に私がバイト辞める時も、退職日までの2週間が地獄だったもん。あれホント何とかなんないのかな。…なんないか。
──ともあれ、実力不足だと分かり切っているので、デュークたちが戦闘に参加することはない。いざとなったら肉の盾にするとか何とかチャーリーは豪語してたけど、デュークとエドガーはやたら逃げ足速かったから逆にチャーリーが見捨てられて囮にされるんじゃないかな。そうならないことを祈っとこう。
さて──改めて、本日の目的だが。
「来るぞ!」
ギルド長の警告が飛び、私たちは一斉にゴブリンから距離を取った。
倒さずに残しておいた3匹のうち1匹が鋭い声を上げ、上空に巨大な水球が出現する。
「あれは──」
──ギィッ!
2度目の声と同時、その水球がバツンと弾け飛ぶ。一瞬にして、辺り一帯が大雨になった。
「驟雨招来か!」
魔法の範囲外からチャーリーが叫ぶ。大雨は数秒でおさまったが、戦っている私たちは全身ずぶ濡れ、地面は全面ぬかるみ。状況が一気に悪化した。
「素晴らしい! まさかゴブリンがこんな魔法を使えるとは!」
テンション爆上がりのところ悪いが、さっさと倒したい。この雨、滅茶苦茶冷たかった。風邪ひくぞ。
「おいチャーリー、まだ必要か!?」
「あと1、2種類は見せて欲しいところだな。ただ雨を降らせるだけでは芸がない。きっと追撃用の別の魔法が──おおっ!?」
そんなものを期待しないで欲しいところだが、今日はゴブリンの魔法の種類を確かめるのが目的だ。
雨を降らせたのとは別の個体が叫ぶと、バチィ!と青白い雷光が空中を走った。…これまずくないか?
「…っ!!」
ギルド長が顔色を変え、一瞬で魔法を紡ぐ。
「氷槍!」
氷の槍がゴブリンの肩を貫き、雷撃は発動し切る前に虚空に消えた。
「もういい! やれ!」
『承知!』
ギルド長の号令で、デールとサイラスと私が一斉に走り出す。ああっ!とチャーリーの非難めいた声が上がるが、これ以上は危険だ。だって最後の1匹、まだ魔法を使ってなかった奴が何かヤバい気配を漂わせてる。
──ギギッ!
私たちの武器がゴブリンに届く前に、その1匹を中心にぶわっと冷気が広がった。ぬかるんだ地面が一瞬で凍り付き、私たちの身体の表面にもものすごい勢いで霜が広がって行く。
「──んのっ、野郎!」
サイラスが勢いに任せて無理矢理大剣を振り抜き、ゴブリンの首を刎ね飛ばす。冷気の侵食は収まったが、凍った部分はそのままだ。これはヤバい。
デールと私もそれぞれ1匹ずつ倒し、ようやく息をついたは良いが──
「やべえ、剣が手に貼り付いた!」
「馬鹿、無理矢理剥がそうとするな! 皮が剥ける!」
サイラスとデールが騒ぎ出した。私の両手もウォーハンマーにがっちり貼り付いている。滅茶苦茶冷たい。そもそも全身霜だらけなんだけどどうしたら良い?
「お前ら、大丈夫か!?」
「ギルド長、火魔法とかお湯魔法とか使えませんか!?」
「オレは氷魔法しか使えん。あとお湯魔法って何だお湯魔法って」
「とりあえず火ぃ起こしてください! 手が武器にくっ付いちまったし、寒くて死にそうです!」
「同じく!」
「同感!」
「お、おうスマン!」
間抜けなやり取りをしていると、イーノックが駆け寄って来た。
「あ、あの、僕が火魔法で武器を温めます! そしたら手を離せますよね!?」
「助かる! オレは薪を集めて来る!」
ギルド長もびしょ濡れなのに、すぐさま走り出した。行く手には興奮気味のチャーリーが居る。
「本当に素晴らしい! 最後のは『凍れる吐息』だな! ゴブリン風情があんな魔法をッギャア冷たあ!?」
「お前も薪集め手伝え!」
「いきなり背中に冷え切った手を突っ込むやつがあるかね!?」
「うるせェオレたちはお前の注文に付き合ってこうなったんだよ!」
ぎゃあぎゃあ言い合いながら、ギルド長とチャーリーが散開する。ものすごく嫌そうな顔で突っ立っていたデュークとエドガーも、チャーリーに呼ばれてついて行った。
「…と、取れた…!」
「すまん助かった!」
その短い間に、サイラスとデールは武器から解放されていた。イーノックの火魔法は威力こそ低いが、調整が上手いらしい。武器を良い具合に温めてくれたようだ。
「ユウさん、もしかしてユウさんも手が武器に貼り付いて…?」
「あ、うん」
イーノックに訊かれたので頷いたら、サイラスとデールが目を剥いた。
「姐さん、何で黙ってたんですか! そういうのは先に言ってください!」
「だってサイラスの方が大変そうだったし。ほら、変な角度で両手が貼り付いてるのはきついでしょ?」
「姐さんだって両手でしょうが!」
「何で時々びっくりするほど自分の扱いが雑になるんですか!?」
それは主婦の習性──なんて言ったらもっと怒られるのは分かり切っているので黙っておく。
イーノックの魔法でウォーハンマーの柄が温められ、程無く手が剥がれた。皮膚が持って行かれなかったことにホッとする。
…子どもの頃、ステンレス容器で作ったデカい氷の表面を舐めたら舌が貼り付いて、無理矢理剥がして舌先から盛大に出血したことあったんだよね…幼児の行動力って怖い…。
それにしても、冗談抜きで寒い。
まさかゴブリンの魔法の検証で全身ずぶ濡れの霜まみれになるとは思わなかった。あれ、絶対狙ってやってたよね…濡らした後で雷撃に凍結。本当に知恵が回るみたいだ。
「あ、姐さん、顔が真っ青ですよ!?」
「うん寒いから。出来るだけ考えないようにしてる」
「考えないようにしても事実は変わりませんって!」
霜は融け始めてるけど、今度は水になってそれはそれで体温を奪って行く。確か水って蒸発する時に周囲の熱を奪うんだよね。だから真夏の打ち水もある程度までの暑さなら結構効果が高いんだっけ。ああああ寒い。
「お前らこっち来い! 焚き火するぞ!」
少し離れた乾いた地面に枯れ枝を集め、ギルド長が呼ぶ。
イーノックが走り、その枯れ枝に即座に火を点けた。火魔法万歳。
走ると余計に冷えるので、私はゆっくり移動する。焚き火の前に到着する頃には、火はしっかり燃え上がっていた。
「あ゛ー……」
至近距離まで近付いて、身体を温める。思わず変な声が出た。ある程度温まったら今度は背中を焚き火に向けて、全身満遍なく温めながら乾かして行く。
「お前ら大丈夫か…?」
「…火のありがたみを実感してます…」
「ギルド長こそ、大丈夫ですか?」
「オレはただ濡れただけだからまだマシだ…」
言いつつ、ギルド長も焚き火にあたっている。デュークとエドガーが冷ややかな表情をしているが、今はそれほど気にならない。というか、今はそれどころではない。
「チャーリー、検証方法はもう少し考えてくれ」
「む、むう…だがやはり魔法は実際使わせないと分からないだろう? 冒険者は丈夫なのだから良いではないか」
「限度があるわ!!」
ギルド長が力一杯突っ込んだ。