45.5 閑話 城での日々
一方その頃お城では、というお話です。
前半は勇者()視点、後半はメイド視点になります。
「スカイ様、お茶の用意が出来ました」
メイドに声を掛けられ、オレは模造剣を振るう手を止めた。
城の中庭。限られた者しか入れない区画にあるこの場所は、美しく隅々まで手入れされている。そこで剣を振るうのは、勇者であるオレの特権だ。
「分かった、すぐに行く」
模造剣を無造作に放り投げると、カランカラン、と軽い音が響いた。その音に少し前の記憶が刺激され、思わず顔を顰める。
──武器を買おうとわざわざ出向いた、城下町唯一の武具工房。痩せぎすの工房主はオレを一目見るなり、『短剣か、精々細剣にするべきだ』と言い放った。
オレは勇者なのだから、そんなちゃちな武器に用はない。だが要求して出て来た大剣は、持ち上げることは出来たものの振ることは出来なかった。
恐らくあれは実用品ではなく、嫌がらせのためにわざと重い素材を使って作ったものだろう。でなければオレに持てないはずがない。
そんなものを掴ませる武具工房に用はないと、オレは『ここにオレに相応しい武器は無い』と言い捨てて工房を出た。
一緒に行った美海──聖女マリンも、気に入る武器は無かったそうだ。『もっと可愛いのが良い』と言って後日宝飾品の職人を城に呼び付けていたから、そのうち素晴らしい杖が出来上がって来るだろう。
問題はオレだ。考えてみたら、勇者の剣がそこらの武器屋に置いてあるわけがない。折角勇者として空人ではなく『スカイ』と名乗っているのだから、例えば風魔法を使えるような、特別な武器を持つべきだ。
──そんな風にこだわっていた結果、パレードにはそれぞれの武器は間に合わなかったが、代わりに『幻獣の毛皮』という非常に希少な毛皮を使ったマントを着ることが出来た。
遥か昔にわずかしか流通していなかった幻の毛皮が、つい最近、極秘ルートで手に入ったそうだ。王族御用達の服飾店が持ち込んだそれを、オレもマリンも一目で気に入った。総毛皮のマントは暑いと思いきや、決して一定以上の温度にはならず、極めて快適だった。
…農村で村人に顔見せするのに外に出たら、泥がついてあっという間にダメになってしまったが。
服飾店の店主には洗えば綺麗になると言われたが、一度汚れがついたものをわざわざ使い続ける趣味はない。丈の長さを調整し損ねた服飾店のミスなので、店に引き取らせた。
──まあとにかく、まだ見ぬオレ専用の武器を手にした時にすぐに使えなくては話にならないので、オレは毎朝稽古を行っている。軽い模造剣──木刀ではあるが、5分も振り続けていれば息も上がる。
…うむ、今日もいい汗をかいた。
メイドに汗を拭かせてから案内に従って中庭を横切り、反対側に着く。
庭に出されたテーブルに、ティーセットが美しく配置されていた。傍らのワゴンには何種類かのケーキが並んでいる。ここから好きに選んで食べる形だ。今日は少しだけ長く鍛錬した気がするから、一つ多く食べるか。
「鍛錬おつかれさま、ダーリン」
優美な曲線を描く椅子に、華やかなドレスを纏ったマリンが座っている。一歩間違えれば下品になりかねない派手さだが、そこはマイハニー、今日も美しい仕上がりだ。
…これがどこぞの『主婦』だったら、似合わないどころか、ドレスが泣きそうだな…。
学生時代は若さもあって、優の化粧っ気のなさもそれほど気にならなかった。むしろこちらが肩ひじを張らなくて良いラフな格好の優に安らぎすら感じていた。
だが、社会人になって結婚後にふと周囲を見渡すと、女性らしい華やかさと美しさを兼ね備え、慎ましく優しい女ばかり。スカートすら滅多に履かない優に物足りなさを感じるのは当然と言える。
その点、美海──マリンはとても魅力的だった。可愛らしい見た目にメリハリのある身体つき、常に身だしなみに気を遣い、男を立て、こちらの話すことに目を輝かせて頷いてくれる。女とはかくあるべし、と絵に描いたような理想の女性だ。
「ダーリン、どうしたの?」
マリンが首を傾げるのが可愛らしく、オレは思わず相好を崩した。
「いやなに、マイハニーは今日も最高に可愛らしいと思ってな」
「やだもう、照れる〜」
ポンとこちらの腕を叩く、その仕草もとても可愛い。オレのパートナーは最高だ。
席につくと、すぐにメイドがティーカップを置き、紅茶を注ぐ。以前は茶葉の種類やら砂糖の有無やらを一々聞かれていたが、最近では黙っていても出て来るようになった。オレの好みをようやく把握したらしい。
紅茶を一口飲むと、すぐにワゴンが横についた。フルーツのタルトにショートケーキ、クリームたっぷりのシュークリームと、バターの香りが漂うクッキー。どれも美味そうだ。
「全部一つずつ載せろ」
「…かしこまりました」
オレの指示に従い、メイドが上品な手つきで白い皿にスイーツを並べて行く。大きめの皿にケーキやクッキーが並ぶさまは壮観の一言だ。これが毎日食べられるのだから、勇者は最高だな。
「私は、タルトとショートケーキね。あ、フルーツが多めのやつにして」
「かしこまりました」
マリンも笑顔で指定する。いつもならもう1つくらい選ぶのだが、調子でも悪いのだろうか。
「マリン、今日は食欲がないのか?」
「ううん、そういうわけじゃないの。最近、ちょっとおなかにお肉がついてきちゃって…」
どうやら体型を気にしているらしい。しかしマリンの魅力は、多少体型が変化したところで変わらない。むしろ最近適度に脂肪がついて、抱き心地が良くなっているように思う。
「オレにとってはどんなマリンも最高だぞ。何より、食べている時の君の表情がたまらなく好きだ」
オレが言うと、マリンは嬉しそうに顔を輝かせた。
「ホント? 嬉しい! …じゃあやっぱり、全部いただこうかしら」
「ああ、それが良い」
笑顔のマリンに、オレは鷹揚に頷いた。
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…何してるのかしらねこの方々は。
皿にみっしりと並べられたケーキを片っ端から頬張る『勇者』と『聖女』に、私はこっそり遠い目をした。
勇者と聖女付きのメイドは、この城の使用人の中でも一、二を争う高給取りだ。当初は大変な人気で、私は熾烈な争いを制してこの地位を勝ち取った。
でも今は正直、立候補したことをかなり後悔している。一ヶ月前と少し前の自分に言いたい。もう少し考えてから行動しろと。
(…我儘放題の食べ放題、そのくせ大した功績も無いから尊敬することも出来ない…)
この一ヶ月で目の前の『あるじ』たちがしたことと言えば、ひたすら食べて、寝て、城の中をうろついて、贅を尽くした服や宝飾品を注文し、申し訳程度にこの国の文字や常識を学び──飽きたら教師を下がらせるので、1日に1時間もやっていないが──気が向いた時に剣や魔法の訓練をするだけ。
『勇者』様の剣の訓練なんて、一番軽い模造剣を我流で5分ほど振り回すだけだ。私は戦いの素人だけど、それで強くなれるわけがないってことは分かる。
以前は騎士が教えていたが、すぐに『お前の剣術はオレには合わない』と言って辞めさせてしまった。多分、事あるごとにアドバイスややんわりとした叱責が入るのが気に入らなかったのだろう。
メイドや使用人にしても、苦言を呈しようものならその日のうちにクビにしていた。そんな様子を見ていたから、私は細心の注意を払って仕事をしている。
例えば紅茶は、本来なら毎回茶葉の種類とミルクと砂糖の有無を確認するのがマナーだが、私の一存で全て用意し、彼らが席についてすぐ飲めるようにする。ケーキや料理の好みを把握し、それとなく厨房に伝える。
健康やバランスは二の次だ。それを気にしていたら彼らの機嫌が悪くなるから。
幸い2人とも紅茶の茶葉の違いは分からないようだし、毎回ミルクも砂糖も多めにしておけば間違いなかった。ケーキはクリームやバターなどの乳製品たっぷりのもの、料理は魚より肉、野菜は少なめ、味付けは濃い目。それさえ押さえておけば間違いない。
「うむ、今日も美味いな」
一通りケーキとクッキーを堪能し、『勇者』様が満足そうに頷いた。機嫌が良さそうだ。
私はこっそり胸を撫で下ろす。ちょっとしたことで機嫌が悪くなるから油断ならない。この職はもはや給料の高さだけが魅力なのだ。出来るだけ長く、当たり障りなく仕事をしたい。
…やりがいってだけなら、前の担当だった客室掃除の方がよほど張り合いがあった。綺麗になるのが目に見えて分かるし、時々お客様から直接お褒めの言葉もいただけたから。
でも今は、仕える主たちからお礼を言われることも、褒められることもない。逆に、注意されることもない。不興を買ったら解雇されるだけ。この2人にはそれだけの権力があるのだ。
(…せめてもう少し、この国のために知識を提供するとか、この国のことを真面目に学ぶとか、そういう姿勢があれば尊敬できるのに…)
曲がりなりにも『勇者』と『聖女』。この国で敬われるべき相手なのは間違いない。なのに本人たちの言動を目の当たりにすると、その常識すら疑いたくなってしまう。
もっと言えばこの2人、初めて会った時と比べて体格が変わっている。たった2ヶ月足らずで、明らかにふくよかになっているのだ。高級品である小麦粉や乳製品をふんだんに使ったものばかり食べていてろくに運動もしていないから当たり前だが、所謂『成金太り』──裕福層独特の、貴族の間では後ろ指さされて陰口叩かれる系統の太り方をしている。
実際既に一部の貴族の間で、それを嘲笑うような噂も流れているようだ。今回は人間ではなく豚を召喚したらしい、召喚は失敗だ、と。
…正直今の王家の立場なんて知ったことではないけれど、お給金の良いこの雇用環境が揺らぐのはいただけない。この2人にどうやってこの国に貢献してもらえば良いのか…
(……一介のメイドが悩む問題かしらね? これ……)
私はこっそりと溜息をついた。
勇者()の思考が大分アレ。
あと、勇者()本人は自分が太ってきていることに気付いていません。なんてこった。