35 料理修行
『勇者』と『聖女』の登場に浮足立つ街を横目にギルドに戻って来ると、エレノアが困った顔で出迎えてくれた。
「みなさん、おかえりなさい」
「ただいま。…あれ、ギルド長は?」
「ええと、執務室に居るはずなんですが…」
ちらり、奥を見遣る。その態度でピンと来た。…逃げたな。
しかし、その事態は予測済みだ。
「ルーン、居るー?」
2階へ向かって声を掛けると、すぐに軽快な足音と共にルーンが降りて来た。目が楽しそうに輝いている。
《準備出来てるぜ。やるか?》
「うい。ギルド長捕獲作戦開始」
《任せとけ!》
開けっ放しだった扉からルーンが外へ飛び出し、ポーンと魔力の光を打ち上げる。
途端、周囲の屋根の上に集まっていたケットシーが一斉に四方へ散って行った。ここからは見えないが、他の場所でもケットシーたちが行動を開始したはずだ。
「ぎ、ギルド長捕獲作戦?」
「絶対逃げるだろうなと思って、ケットシーのみんなに頼んどいた」
私の返答にデールが震え上がる。…一歩間違えたら自分も捕獲対象になってたって、気付いたな。
食材を保冷庫や食品庫に仕舞っていると、思ったより早くルーンが戻って来た。
《見付かったってよ》
「早かったね」
《何か、橋の下に張り付いてたらしい》
どうやらギルド長は魔法を駆使して変な場所に入り込んだようだ。しかし隠れるのに橋の下って…ゴキブリかネズミか何かかな。
《今、ハルとアカネが縛り上げて連行中だぜ。もうすぐ着くんじゃないか?》
「分かった、ありがとう。…参加してくれたケットシーたちにはジャーキーを振る舞うとして…ハルとアカネは鶏ハムの方が好きだったよね?」
《よく覚えてるな…》
ケットシーたちの好みを把握するのは仕事に協力してもらっている身としては当然だ。
ノエルがすぐにジャーキーと鶏ハムを用意してくれる。
「デール、サイラス、食品庫への収納が終わったらケットシーたちからギルド長受け取って来て」
「わ、分かりました」
2人がぎくしゃくと動き出す。
程無く、受付ホールが騒がしくなった。
「放せー! オレは自由になるんだー!」
「ギルド長、往生際が悪いですよ!」
「俺らもやるんだから諦めてください!」
脱獄して捕まったみたいなやり取りに、ノエルが首を傾げる。
「…そんなに料理するの嫌なのかしら…?」
「本気で料理は女がするもんだって思ってたんだろうね」
料理はしない、部屋は散らかす、仕事は真面目にやるフリして肝心なところが抜けてる。ホントに良いのは顔だけだなギルド長。
ちょっと様子見て来るね、と受付ホールに出たら、ギルド長がデールとサイラスに両脇を固められてじたばたと暴れていた。
「…げっ、ユウ!」
私の顔を見てビタッと動きを止める。私は敢えて笑顔を浮かべて口を開いた。
「書類仕事は片付いたの? まさか料理したくない一心で仕事放棄して逃げ出したわけじゃないよね?」
「うぐっ」
執務室に未処理の書類が残っているのは確認済みだ。ギルド長はあからさまに目を逸らした。
「──まあ書類仕事は私には関係ないし、いつどんな風に処理しようが知ったこっちゃないけど。残業頑張ってね」
「え、いや、オレは今から書類の処理を」
途中で放り出して逃げた奴が何を言う。
「さあ料理始めるよー。デール、サイラス、連行!」
『承知!』
2人がギルド長を引きずってキッチンへと向かう。ギルド長が何かわめいてるけど無視。
キッチンでは、ノエルが苦笑しながら待っていた。
「おつかれさま、ユウさん、デールさん、サイラスさん」
『おつかれさま』の対象にギルド長を入れないあたり、ノエルも分かってる。
「私は先にケットシーのみんなにお礼を渡して来るね」
「分かったわ。じゃあ準備を進めておくわね」
分担が出来るって素晴らしい。
ジャーキーと鶏ハムを持ってギルドの外に出ると、ギルド長捕獲作戦に参加してくれたケットシーたちが既に集まっていた。
「みんな来てる?」
《おう! 丁度全員集まったところだ》
総勢12匹。こんな馬鹿げたことに協力してくれるケットシーたちには感謝しかない。
「みんなありがとね。これ、報酬のジャーキー。ギルド長を連行してくれたハルとアカネには鶏ハムもあるから、持って行って」
《やった!》
《ありがとうございます》
《ジャーキー!》
《わーい!》
明るい念話を響かせて、ケットシーたちがジャーキーに殺到する。一切れずつというルールを守ってくれるのがいじらしい。あと、ついでにこっちの腕とか足とかに身体を擦り付けてくれるのがたまらん。ユライトウルフの毛皮も良い手触りだったけど、やっぱり生身のケットシーが一番素敵だし可愛いし最強だわー。
ひとしきりモフ毛を堪能した後、解散するケットシーたちを見送ってからキッチンに戻る。
丁度手洗いを済ませた男性陣が、タオルで手を拭きながらノエルの説明を受けているところだった。
「今日はお米を炊いて、玉ねぎたっぷりの豚丼と、野菜スープを作ります。あと…あ、ユウ、鶏皮は加工する?」
「うん、今日のうちにやっちゃうつもり」
「鶏油よね?」
「そうそう」
よく分かっていらっしゃる。
私がニヤリと笑うと、ノエルも思わせぶりな笑みを浮かべた。
「分かったわ。じゃあ一番奥のコンロを使って」
「了解」
「じゃあまず、みんなで野菜を切って行きましょう」
このキッチン、仮眠室の利用者などが共同利用する前提なので、調理スペースが結構広い。コンロも合計で5つある。
作業台に包丁とまな板と鍋とボウル、それに野菜類を並べ、私たちは作業を始めた。
「ニンジンとじゃがいもは洗って泥汚れを落として、玉ねぎは皮を剥いて──」
「うわ、滑る!」
「落としても洗えば大丈夫。玉ねぎは茶色い部分だけ剥いておいてね。白いところは食べられるから」
「根っこのところが取れないんですけど…」
「ああ、そこは後で包丁で切り落とすよ。えっと…これくらいまで剥けば大丈夫」
「なるほど」
最初は戸惑っていた男性陣だが、いざ作業を始めるとおっかなびっくりながらも調理を進めて行く。
全員剣を振るっているから、包丁を持つのにも躊躇しない。切り方は…要修行か。
「…一定の厚さに切れない…」
「慣れないうちは、切る前に包丁を置く位置を確認しましょう。野菜を押さえる左手を切らないように注意してくださいね」
「た、玉ねぎきっつー…!」
「今日のはまだマシな方だよ、包丁きちんと研いであるから」
「マジかよ!?」
そんなこんなで、作業は続く。
私は男性陣の様子を見ながら鶏皮の山を一口大に切り、大きなフライパンに入れてゆっくり焼いて行く。
程無く皮に薄ら焼き色がつき、脂がしみ出して来た。鶏皮を焦がさないように注意しながらなおもゆっくり炒めて行くと、さらに脂が増え、皮は縮んでカリカリになる。
「──よし!」
カリカリになった鶏皮を脂を切りながら皿に上げ、火を止めれば完成だ。
『鶏油』──ラーメンの仕上げのトッピングとかチャーハンの香り付けに使われる、香ばしい鶏の脂。本来は炒めている時に長ネギの青い部分も加えてネギの香りを移すのだが、季節柄手に入らなかったので省略してある。ネギを使わなければケットシーも安心して食べられるしね。
そしてこれ、実は脂を出し切った皮がとても美味しい。パラパラッと塩を振って、私は作業中の面々に声を掛けた。
「鶏皮味見したい人ー」
『はい!』
男性陣が一斉にこちらを見た。炒めている間中たまらん匂いがしていたし、そうなるのも分かる。
「野菜は──切り終わったね。じゃあ1人1切れどうぞ」
フォークで刺すと、サクッと良い音がする。鶏皮を口に入れた男性陣の表情が一斉に崩れた。
「…何だこれ…美味い…」
「ヤバい…これだけでご飯3杯は行ける…」
「も、もっと食べても」
「ダメ。これは昼食のおかずだから、さっさと残りの品も作ろうねー」
私が宣言した途端、男性陣の目の色が変わった。
…やる気が出たようで何よりだよ。