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29 そこら辺のウルフの毛皮

 毛皮の売り先としてギルド長が推薦したのは、首都アルバトリアの丘の中腹、商店街の奥まったところにある小さな店だった。


 なんでも、ギルド長の知り合いが営む店らしい。『店主は偏屈だが悪い奴じゃない。偏屈だが』というギルド長のコメントが気になるところだが。


「いらっしゃい」


 扉を開けると、カウンターの奥からすぐに声が掛かった。


 薄暗いのは毛皮や布の退色を防ぐためだろう。私の肩くらいまでの高さの棚がずらりと並び、中にぎっしりと布や毛皮、革などが詰まっている。

 壁には頭付きの全身毛皮──マフィアのボスの部屋に敷かれていそうなやつも掛けられていた。何の気なしに値札を見て、『0』の数を数えるのを途中で諦める。ヤバい値段だってことは分かった。


 今日は買い物をしに来たわけではないのだ。カウンターに近付くと、本を読んでいた女性が顔を上げた。


 赤みの強い紫色の瞳に、鮮やかな紅色の髪。色は違うが、艶々でサラサラのストレートの髪質がギルド長に似ている。くそう羨ましいな。


「すみません、冒険者ギルド小王国支部のギルド長──ええと、カルヴィンの紹介で、毛皮の買い取りをお願いしに来ました」


 ギルド長の名前何だっけ、と途中で詰まってしまった。いつも『ギルド長』って呼んでるから…。


 女性は一瞬眉を顰めたが、ああ、と立ち上がる。


「買い取りね。なら、こっちに来て」

「はい」


 奥へと通されながら、ギルド長が『お前一人で行け』と指定した理由を理解する。


 店内も通路も、滅茶苦茶狭いのだ。私はまだ余裕があるけど、サイラスだったら通れないだろう。建物そのものの造りの問題ではなく、左右の棚に在庫品らしい布とか革とか毛皮とかが山と積まれているせいだ。ヒト一人、ギリギリ通れるくらいの隙間しかない。


 通路にまで棚を置くのはやめた方が良いと思うよ。何かあった時に避難出来なくなるかもしれないから…。


「入って」


 案内された部屋は、通路とは真逆ですっきりと片付いていた。壁際の棚に布などがみっちり詰まっているのは一緒だけど、中央の大きなテーブルには何も置かれておらず、天板はピカピカに磨かれている。

 わー、顔が映った。


「──改めて、『カーマインの素材屋』へようこそ。私が店主のカーマインよ。よろしく」

「初めまして、冒険者のユウです。よろしくお願いします」


 握手をしつつ、首を傾げる。


「…()()()()()、ではないんですね」

「……あ゛?」


 言った瞬間、女性の顔が凍った。


 あ、これヤバいやつだ。


「誰、その名前教えたの」

「ギルド長です」


 ドスの利いた声に、私は即座にギルド長を売る。だって本当のことだし…。


「そう分かった後でシメるわ。私のことは『カーマイン』って呼んで頂戴。敬称はつけなくて良いし敬語も要らないわ。よろしい?」

「分かった」


 会ったばかりなので呼び方を脳内補正するのはそれほど難しくない。この人は『マリア』ではなく『カーマイン』。よし。


「それで、買い取り希望の品は?」

「これなんだけど…」


 私はテーブルの上にユライトウルフの毛皮を1匹分取り出す。…うん、便利だな圧縮バッグ。


「………え、何コレ…」


 テーブルの上に並んだ胴体部分と尻尾部分の毛皮を見て、カーマインが固まった。


 ここに来る前、ギルドで昔の書類を漁ってみたが、過去数十年間、この地域の『ウルフ』の毛皮がギルドで売却された記録は無かった。生きた状態だとかなり被毛が汚くて土色かくすんだ灰色にしか見えないし、何より『ウルフ』としか認識されていなかったから、わざわざ毛皮を売ろうと考える人も居なかったんだろう。


 グレナ曰く、『手加減なんて出来ないからマトモに毛皮が残ってることの方が少なかった』という事情もあるらしい。なるほど、『焦熱の魔女』じゃそうなるわな。


「ウルフの毛皮だよ」


 私が真顔で言ったら、カーマインはくわっと目を見開いた。


「なに寝言抜かしてんの!? そんなわけ──……いやサイズはウルフだけど!」


 情緒不安定だな。


 カーマインは恐る恐るといった様子で胴体部分の毛皮に触れ──その手が埋まるにつれ、どんどんヤバい顔になっていった。


「…はあああああ…」


 …うん、デールとサイラス連れて来なくて正解かも…。この長身美女、目がイッてる。


「なにこの感触…こんなのはじめてぇぇ……」

「カーマイン、よだれ」

「………ハッ!?」


 ぼそりと突っ込んだら、ようやくカーマインが我に返った。ばっと毛皮から手を離し、口元をハンカチで拭って、今度は尻尾の毛皮に手を伸ばす。


「……のおおおおおお……!」

「…」


 …彼女が現実に戻って来るのには、もうしばらく時間が掛かりそうだ。





 たっぷり30分ほど毛皮の感触を堪能した後、ようやくカーマインは椅子に座り直した。


「…ごめん、取り乱したわ」


 言いつつも未練がましくちらちらと毛皮を見ている。ホントに好きだな。


「──で、これは何の毛皮なの?」

「だから、ウルフ」

「…いや、それはないでしょ」

「正確には、この国で『ウルフ』って呼ばれてる魔物の毛皮」


 私が言い直したら、カーマインの表情が変わった。


「…まさか、別種…新種ってこと?」

「まだ確定じゃないけどね」


 本来ウルフは魔法を使えないのに、この国の『ウルフ』は魔法を使えること、ギルド長の鑑定魔法で『固有種』と出たこと、種の判定のため専門家を呼ぶ予定があること──ざっと事情を説明すると、はー、とカーマインが呻いた。


「私も遠目で見たことがあるけど、別種とは思わなかったわ。見た目ほぼ一緒じゃないの」

「カーマインは、普通のウルフも見たことあるの?」

「生きてるやつは、隣国に買い付けに行く途中で一度だけ。死んでるやつと毛皮になってるやつはもう見慣れたものね。ウルフは毛皮素材としては一般的だから」


 そりゃそうか。


「でもこの国のウルフって、こんな色じゃなかったわよ? 何か薄汚れた、土みたいな色だったと思うんだけど」

「私たちが倒したやつもそうだったよ。洗ったらこの色になった感じで」

「洗ったら…」


 つまりそれだけ汚れていたということだが。


 盲点だったわ、と呟いたカーマインは、改めて毛皮を見遣る。


「──で、この毛皮の買い取り…だったわよね。見た感じ未処理だけど、洗っただけ?」

「丸洗いして乾かしただけ」

「…それでこの質感…」


 手を伸ばし掛けて、慌てて引っ込める。何か毛皮が危険物扱いされてない? 気のせい?


「…多分なんだけど」


 カーマインがぼそりと呟いた。


「これ、かなり昔に『幻獣の毛皮』として流通してたやつじゃないかしら」

「幻獣の毛皮…また大袈裟な」

「大袈裟じゃないわよ。この色艶でこの手触りは他に無いわ。私も実物を触ったことはないから、確かなことは言えないけど…」


 などと言いつつ、目がギラついている。たとえ違っても『幻獣の毛皮』で押し通しそうだ。…まあ高く買い取ってくれるなら何でも良いか。


「ちなみにこれと同じものがあと16匹分あるんだけど」

「待って、理解が追い付かない」

「だって『ウルフ』だし」

「…ああそう…群れで行動するものね……」


 カーマインが頭を抱えてしまった。


 待つこと暫し。


「……買いたいけど、ものすごく買い取りたいけど、今、手持ちが無いの」

「待って今いくらで買おうとしてる?」


 今、空中に『20×17』って書かなかった? え? 1匹につき銀貨20枚? まさか金貨20枚じゃないよね?


 私の問いには答えず、カーマインはブツブツと呟く。


「皮の加工もあるし、服屋がどれくらいの値段で買ってくれるか見当がつかないし…──ユウ!」

「へっ!?」


 がばっと身を乗り出したカーマインは、血走った目でこちらを見た。


「この毛皮1匹分、貸してくれない!? 5日──ううん、3日で査定して値段決めてお金も用意するから! ちなみに残りの16匹分ってこれと同じくらいの品質よね!?」

「ええと…見てみる?」

「是非!!」


 数秒後、カーマインはユライトウルフの毛皮に溺れ──復旧するのに小一時間ほど掛かった。



 3日後に正式取引すると約束し、カーマインの手元に1匹分の毛皮だけ残して、私は店を後にした。





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