22 目には目を、歯には歯を、DVにはDVを
流血注意。
アレクシスと遭遇した帰り道、私はグレナとルーンと共にノエルの家へ向かう。
「ノエルさんが、あんずシロップをくれるって言ってて」
「ああ、良いね。酒に混ぜたら美味そうだ」
グレナはそこそこ酒を飲む。飲んでも全く顔色が変わらないので、滅茶苦茶酒に強いんだと思う。
…私? 飲めなくはないけど、アルコールよりジュースの方が好きかな。平和で。
職場に酒乱が居たからね…何か、あんまり酒に楽しい思い出が無い…。
「お酒に混ぜるのも良いですけど、ゼリーとかにしても良いかなって」
《ゼリー!》
何故かルーンが反応した。…あんずってケットシーも食べられるんだっけ?
《味見役は任せてくれ!》
「はいはい」
力強く主張するので、笑って頷いておく。
裏通りへの角を曲がったところで──ふと異変に気付いた。
「…?」
奥の方から、何かが割れる音がしたような──いや、また聞こえた。
ルーンがぴくぴくとヒゲを動かし、耳を正面に向けている。グレナの目に鋭い光。
《──こっちだ!》
3回目の破壊音に、ルーンが駆け出した。私とグレナもそれに続く。
…って、グレナさん足速いな!?
置いて行かれないように気合いを入れて走る。すれ違う人は皆、眉を顰めつつも驚くこともなく向こうを眺めていた。もしかして、この辺りではこんな音が日常茶飯事なのだろうか。
割れたガラスとノエルの苦笑が脳裏をよぎる。
《あれだ!》
ルーンが叫ぶのと、ノエルの家の窓が割れて通りに破片が飛び散るのはほぼ同時だった。
「…!」
割れた窓越しに、うずくまる空色の髪が見える。ゾッとして、私は入口に走った。
「ノエルさん!」
幸い、鍵は掛かっていなかった。開け放ったドアの向こう、キッチンの奥に、頬を赤く腫らしたノエルが立ち尽くしている。
──じゃあ、窓のそばでうずくまっていたのは?
足元をルーンがすり抜け、リビングに向かって叫ぶ。
《退け!》
ボンッ!と爆発のような音がして、大柄な人影が吹っ飛んだ。その手に握られていた酒ビンも吹っ飛び、派手な音を立てて割れる。
「あ…」
窓際に座り込んでいたのは、ノエルによく似た少女だった。
今、この子は酒ビンで殴られそうになっていた──駆け寄りながら、背中を冷たいものが滑り落ちる。
「大丈夫?」
問い掛けつつ、ドクンと心臓が強く脈打った。
多分後頭部から窓に突っ込んだんだろう。空色の髪の間から、鮮血が滴り落ちていた。隣にしゃがんだグレナが、すぐにハンカチで傷口を押さえる。
「ユウ、あの男を何とかしな」
「はい」
グレナの鋭い視線の先、ゆらりと男が立ち上がった。鼻をつく酒の臭いに赤ら顔。ぐるりとこちらを見る目は、赤く充血している。
「…あんだあ? 手前ェら。ここはオレの家だぞ…?」
呂律が回っていない。男の後ろで、ノエルが顔色を変えた。
「あなた、落ち着いて」
「うるせえ!」
振り下ろした拳がテーブルを叩き、大きな音を立てた。ノエルが青い顔で身を竦める。
なるほど、これが酒乱と評判のノエルの旦那か。聞きしに勝る粗暴振りだな。
日本でこんなのに出くわしたら即座に逃げて警察に通報するところだけど…ここには警察なんて居ない。グレナが『何とかしろ』って言ってるってことは、騎士団もアテにならないんだろう。私が何とかするしかない。
荒事は初めてなのに、何故か内心は平静だった。このくらい大したことはないと思ってしまう。
というか、それ以前に──
(奥さんと娘に手ェ上げるたぁいい度胸だ、クソ野郎)
はっきり言おう。私は今、多分人生で初めて本気でブチ切れている。
阿呆2人の時は怒りより疲労感が先に立ったが──キレるとむしろ力が湧いてくるんだなあ。初めて知ったよ。何か1周回って思考回路もスッキリしてるし。
…相手は酔っ払い? 関係ないね。むしろ何で午前中から飲んでんだこのダメ男。
私が一歩踏み出すと、ルーンが隣に並んだ。手伝ってくれるらしい。
《本気でやると内臓破裂じゃ済まないから加減してな、ユウ》
そっちの心配かい。
「出来るだけ気を付けるつもりではいる」
《…あーうん。まあ生きてれば良いか…》
我ながらドスのきいた声が出た。ルーンがそっと目を逸らす。
「あんだあ…?」
酔っ払いがこちらを睨み付けながら、酒ビンを手に取った。グイッと中身を呷り、零れるのも構わずフラフラとこちらに踏み出す。
「ここはなあ、俺の金で買った、俺の家なんだよ!」
だから何だ。
「その中のモンをどうしようが、俺の自由だろ! なあ!?」
話が通じるとは思わないが、とりあえず。
「奥さんと娘に手ェ上げた時点で処刑確定だド阿呆」
この世界にも器物損壊とか暴行の罪くらいあるだろう。家の敷地内だからって、何をしても許されるなんて道理は無い。
まして今、こいつはノエルと娘を目線で示して『その中のモン』と言った。万死に値する。
私が口答えしたのが気に入らなかったらしい。酔っ払いは顔を歪めてビンを振り上げ、こちらに突進して来た。
「ふざけんなよチビ!」
私は軽く上体を落として踏み込む。
「ふざけんなよは──」
数歩手前でサッと左に逸れざま、右腕を斜めに振り上げた。
「こっちの台詞だDV野郎!」
──バン!
「ぶっ!?」
酔っ払いの胸から顔面に掛けて、私の右腕がクリーンヒットする。変則的なラリアットみたいな感じだ。身長が足りないせいで首には決まらなかったけど。
自分の突進の勢いと私の腕力が乗った一撃で、男が大きく吹っ飛んだ。
「うっぐ…あああああ!」
仰向けに転がった酔っ払いは、鼻を押さえてのたうち回る。ものすごい勢いで鼻血が噴き出している。
さっき打撃音に紛れて枯れ枝が折れるような音が複数聞こえた気がするし、奴に激突した腕に何か硬いものが割れたような感触があったし…少なくとも鼻の骨は折れてるかなこれ。
…一応さっきルーンに言われたから加減はしたけど、全力で行ったら肋骨も頭蓋骨も粉砕してたかも…。ちょっと冷静になってヒヤリとする。
ま、まあとにかく、脅威度は下がった。良し。
「ルーン、酔い醒ましの魔法ってある?」
《あるぞ。ちょっと待て》
数秒後、酔っ払いに赤い光が降り注ぎ、大人しく──ならなかった。
「痛い痛い! 痛いです! 何をするんですか…!」
くぐもった声だけど、何か声のトーン変わってるし口調も違うし、体格も一回りくらい小さくなった気がする。何だコレ。
ドン引きする私の横を通り過ぎ、ノエルが旦那に駆け寄った。
「あなた、大丈夫?」
「いたいいたいいたい……何があったんだ…?」
完全に被害者ヅラして周囲を見渡しているが──この男、覚えてないふりしてるだけだな。さり気なくノエルと娘さんの方を見ないようにしている。
…ノエルさん、こいつ心配するだけ無駄だと思うぞ。
と。
「──全員そこを動くな! 王立騎士団だ!」
完全武装の兵士たちが5人、ようやくドアから駆け込んで来た。
娘さんを介抱していたグレナが、くわっと目を見開いて立ち上がる。
「遅いわ、このド阿呆ども!」
『!?』
兵士たちがびくっとなって硬直した。