20.5 閑話 騎士団長は気付かない
主人公召喚直後と現在、騎士団長のアレクシス視点のお話です。
ちょっと長め。
異世界から勇者、聖女と共に召喚された『主婦』の少女を城下に送り出し、私は地下の聖域に戻って来た。
既に宰相を始めとするお歴々は居なくなっている。勇者殿、聖女殿、それに陛下もだ。
残っているのは部屋を片付けている文官たちだけ。それももう終わりらしく、大きな巻紙を抱えた若い文官が、こちらに一礼して部屋を出て行った。
「アレクシス、お疲れさまです」
残った一人、壮年の文官がこちらに声を掛けて来る。
ケネス・コルボーン。少し年の離れた私の従兄弟は、46歳という若さで文官長を務めている。
分厚い『ニホンゴ』の辞書は文官長の証だ。文字が根本的に違うせいで翻訳にはかなり苦労すると聞くが、今回彼はその大役を見事果たし切った。
珍しく晴れやかな笑顔を浮かべているのは、その達成感によるものだろう。
「で、『主婦』殿はちゃんと保護しましたか?」
「…? いや、城下に送り届けて来たが」
言った瞬間、ケネスの顔から表情が抜け落ちた。
…私はまた何かやったらしい。
私は昔から『気が利かない』と言われることが多い。しかし、他人の考えていることを理解し先回りして対応するのが当たり前だと言われても、正直ピンと来ない。
何をして欲しいのか、言ってくれれば分かるのだが…。
「…失望しましたよ、アレクシス」
ケネスが地を這うような声で言う。
もう何度も言われている台詞だが、今回は妙に真に迫っている気がする。
「未成年のお嬢さんですよ? いくら本人の希望だからと言っても、着の身着のまま、所持金もゼロで放逐するなど有り得ないでしょう。私はてっきり、貴方の屋敷で保護するものだとばかり…」
「金は渡したし、信頼できる宿も紹介した。私の名前も教えてあるから、いざという時はそれを盾に使うだろう」
それに…と、城の中を歩いている時の彼女の態度を思い返す。
見た目はどう見ても年若いお嬢さんだったが、妙に落ち着いていたし肝も据わっていた。年齢を訊いたらはぐらかされたし、もしかしたら私が思っているより上の年齢──成人しているのかも知れない。
何せ鑑定魔法の結果が『主婦』なのだ。主婦というのは、平民の既婚女性に対する呼び名だろう。
「分かっていませんね」
ケネスは首を横に振った。
「あの年齢であの交渉力。何より、陛下に対して怯まないあの胆力。保護して育てれば優秀な文官になるでしょう。それを貴方は…」
また恨みがましい目でこちらを見る。
しかし、それは逆恨みもいいところではないだろうか。
「そんなに欲しかったなら、自分で保護すれば良かったのでは?」
「それが出来るならとっくにやっています。私は忙しいのですよ」
ならば、こちらに文句を言うのもやめて欲しい。
私が半眼になると、ケネスは溜息をついて肩を竦めた。
「…仕方ありませんね。後々、時間ができたら探すとしましょう。で、彼女の名前は?」
「知らん」
「………はあ!?」
「市井に紛れて生きるなら我々が名前を知らない方が良いかと思い、聞かなかった」
言った途端、またケネスが死んだ魚のような目になった。
「…貴方には失望しましたよ、アレクシス」
そう言われても今更だ。
私はいつものように聞き流した。
数日後、私は奇妙な報告を受けた。
不燃ゴミの廃棄場で、平民の女が暴れている。それも、1日に何度も。
「…お前たちは止めなかったのか?」
必死に訴える部下に訊くと、部下はうぐっと呻いて目を逸らした。
代わりに、もう一人が口を開く。
「暴れていると言っても、柵の外です。我々には手が出せません」
兵士の所管は柵の内側──廃棄場の穴の警備だ。中に入って来たら捕らえることは出来るが、外側に居る限り、手は出せない。
…ならば、何が問題なんだ?
「放っておいて良いのではないか?」
兵士に怪我は無いし、物的な被害も出ていないようだ。具体的に何故、どんな風に女が暴れているのか分からないが、実害が無いのなら放置で良いだろう。
そう思ったのだが、それでは納得出来ないらしい。
意味ありげに視線を交わし、肘でお互いを突き合っている。
そもそも、廃棄場の警備を行っているのは平民出身者の多い第4部隊だ。一応、私の指揮下ではあるが、いつもは部隊長が仕切ってくれるのでこうして直接一般兵と話す機会はあまり無い。そのせいで余計に話し辛いのだろう。
ならば、私から歩み寄るべきか。
「何か問題があるなら言ってくれ。現場の状況は、現場の人間にしか分からないからな」
私が促すと、若い方の兵士が口を開いた。
「……その女のせいで、収入が減っているんです」
「収入?」
兵士の給与は、配属場所に関わらず一定額は保証されているはずだが。
わけが分からなくて首を傾げると、兵士は勢い込んで話し始めた。
何でも、廃棄場では柵の外のゴミを受け取り穴に放り込むのに、住民から多少の金銭を受け取っているらしい。平民出身者の基本給はそれほど高くないから、それが貴重な収入源になっていたそうだ。
ところが女が暴れるようになったことで、他の平民たちは廃棄場にゴミを持ち込まなくなった。結果、収入は減り、業務にも支障が出ている──そういうことらしい。
「…なるほど」
実害が無いなら放っておくところだが、業務に差し障りがあるなら話は別だ。
「女は今日も来ているのか?」
「は、はい。ですので、捕縛の許可をいただけたらと…」
「…いや、私が出向こう」
「はっ?」
兵士たちが狼狽えた。いや、騎士団長のお手を煩わせるわけには…などと呟いている。
「柵の向こう側ではお前たちには手が出せないだろう。私ならばその場で捕縛出来る」
兵士たちには所管場所以外での捕縛の権限は無いが、騎士団長である私には肩書自体に捕縛権限が付随している。今日は会議の予定も無いし、面倒な書類を書いて行政府の許可を待つより私が行った方が早い。
兵士2人を従えて不燃ゴミの廃棄場に向かうと、詰め所に居た兵士たちが目を見開いて立ち上がった。
「き、騎士団長!?」
そんなに驚くことだろうか──内心首を傾げ、自分がここに来るのは久しぶりだと思い至る。
確か前回は…就任直後の見回りだったか。あの時は1日でこの街にある全ての詰め所を見回らなければならなかったから、兵士たちと話す時間もなかったが。
『お疲れさまです!』
敬礼に軽く返礼し、すぐに本題に入る。
「そう畏まらなくて良い。──報告にあった『柵の向こう側で暴れている女』は、今来ているか?」
問い掛けると、兵士たちは何とも言えない表情で視線を交わす。無言で意見交換できる程度には練度が高いらしい。良いことだ。
数秒もしないうちに、一番近くに居た兵士が敬礼とともに答えた。
「はっ。恐らく、もうそろそろ来る頃かと…」
「…?」
予想できるということは、ある程度行動が決まっているのだろうか。
「こちらです、どうぞ」
詰め所を出て、柵の方へと歩いて行く。最後には巨大な穴。そこから噴き出す魔素の気配に背中がざわつく。
「…あ、もう来てる!」
兵士の一人が苛立たしげに呟いた。
視線の先には、恐らく小柄な人影。『恐らく』と注釈が付くのは…かなり大きなゴミの塊を抱えているからで。
次の瞬間、そのゴミの塊が軽々と宙を舞った。
「………は?」
思わず素の声が漏れる。
上半身が見えないくらい大きかったはずのゴミが、冗談のように鮮やかな弧を描いて飛び──大穴に吸い込まれるように落ちて行く。
わあっと歓声が上がった。よく見れば、ゴミを投げた人影の向こうに何人もの老若男女が集っている。
「すげえ、本当に届いた!」
「やるなあ!」
とても楽しそうだが…彼らはまさか、見物に来ているのか?
呆然としている間にも、小柄な人影は次々ゴミを投擲して行く。毎回ゴミの大きさは違うのに、まるで投石機のような正確さだ。
「…?」
近付いて行くうち、私はふと気付く。その人影に既視感があった。
あれは『主婦』殿──いや、髪と目の色が違う。だが、背格好が似ている。
表情は生き生きとしていて、あの感情に乏しい顔とは似ても似つかないが。
「──よっと!」
軽い掛け声とは裏腹に、風切り音を立ててゴミが飛んで行く。まさかとは思ったが、本当にただ両手で投げているだけだ。身体強化魔法か?
最後の一つを投げたところで、彼女はこちらに振り向いた。
彼女──そう、彼女だ。この距離からゴミを大穴に投げ入れていたのは、紺色の髪の年若い女性だった。
「何か御用ですか?」
きょとんと首を傾げる仕草からは、悪意も害意も感じられない。私は困惑して、案内役の兵士に視線を投げた。
「…報告にあったのは、この女性か?」
「は、はっ! その通りです!」
私は『女が暴れている』と聞いたのだが…彼女は柵の向こうからゴミを投げていただけだ。一体どうなっている?
後ろの方で、私に訴えに来た兵士2人が顔を見合わせている。それがどうも、『しまった』と言っているように見えた。
しかし、それ以降誰も何も言わない。仕方なく、私はその女性に声を掛けた。
「私は騎士団長のアレクシスだ。ここで暴れている人物が居ると報告を受けて来たのだが──」
「…暴れている…?」
案の定、女性は首を傾げている。正直私も首を傾げたい。兵士たちがこの女性のことを言っているのは間違いないが、どう見ても『暴れている』ようには見えないのだ。
「暴れた覚えはないんですけど…」
「…だろう、な…」
間の抜けた沈黙が落ちる。
「…き、騎士団長!」
兵士の一人が声を上げた。
「こいつが来たせいで、俺たちの仕事に支障が出てるんです!」
…どこがだ?
私にはさっぱり分からなかったが、女性には理解出来たらしい。はーん、と訳知り顔で笑みを浮かべる。
「なるほど、私がここからゴミを投げたら自分たちが賄賂を受け取れなくて小遣い稼ぎが出来ないから、上司にお出まし願ったと」
『…!』
兵士たちがビクッと肩を動かした。
「…賄賂?」
多少の金銭を受け取っている、とは聞いた。大穴にゴミを運ばなければならない以上、それが悪いことだとは思わないが…賄賂とは何とも響きが悪い。
私が眉を寄せると、賄賂は賄賂ですよ、と女性が肩を竦めた。
「別に金を取るなとは言いませんけどね。ゴミ出しに来た人が自主的に払うならともかく、受け取る側が相手を選んで値段を吊り上げて『こんな額じゃゴミは受け取れない』って強請るとか、迷惑にも程があります。だから私が『ゴミ捨てに行ってくれ』なんて依頼されるんじゃないですか」
女性がじろりと睨み付けると、兵士たちがあからさまに狼狽えた。
聞けば彼女は冒険者で、腕力には自信があるのだという。確かに先程のゴミの投擲は見事だった。
…見事という域を超えていたような気もするが、今は脇に置いておく。問題はそこではないのだ。
…相手を選んで値段を吊り上げる? もっと払えと強請るだと?
…賄賂どころの話ではない。職務上の権限を明らかに超えているではないか。
「…どういうことか、説明してもらおうか」
兵士たちを睥睨するも、彼らは私と目を合わせようとしない。私の胸中に苛立ちが生まれた。表情に出ないからと言って、感情の波がないわけではないのだ。
──しゃがれた声が聞こえたのは、その時だった。
「なら、私が説明しようじゃないか」
振り向いて、私は目を見開いた。
──総白髪の老婆。紺色の髪の女性と同じくらい小柄なその御仁の朱色の瞳には、煌々とした光が見える。
ぞわ、と全身に鳥肌が立つ。
彼女は──
「…『焦熱の魔女』…!」
畏怖を込めた呟きに、老婆──冒険者ギルド小王国支部前支部長、『焦熱の魔女』グレナ女史は、口の端を吊り上げて笑った。
ええ…お察しの方も多いかと思いますが…
騎士団長殿は常識人のフリしたちょっとアレなお方…です…。