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20 職場に泊まるのはブラックですか?

 夕食はイノシシ出汁の炊き込みご飯に、豚汁──違う、イノシシ汁になった。


 …味噌をね、買ってしまっていたので。東方由来の調味料を置いた店なんて寄るもんじゃないわ…金貨が飛ぶ…ギルドのお金だけど。


(必要経費、必要経費…)


 流石に鰹節とか干した昆布とかまではお値段的に用意出来なかったから、出汁は炊き込みご飯に使った余りを流用した。結果、何か豚汁と言うより麺無しの豚骨味噌ラーメンみたいな味になった。それはそれで美味しい。

 今日はみんな頑張ったのだ。これくらいのご褒美は良いだろう。


 なお炊き込みご飯もイノシシ汁も大変好評で、デールとサイラスとギルド長はものすごい勢いでおかわりしていた。何度もお礼を言われたのが少々こそばゆい。『奴』は美味しいとか作ってくれてありがとうとか、欠片も言わなかったもんな。


 …いやホント、何で私、あんなのと結婚してたんだろう…。


 洗い物をしながら考える。が、思い悩んだところで答えは出ないし、出たところでろくでもない結論に達しそうな予感がするので、これ以上はやめよう。


 キッチンが綺麗になったのを確認して、魔石ランプを消す。受付の方に出ると、書類整理をしていたエレノアがぱっと顔を上げた。


「あ、ユウさん。お片付けは終わりですか?」

「うん。待っててくれてありがとう、エレノア」

「いえいえ、私も仕事が残ってましたから」


 言いつつすぐに書類を片付けるあたり、多分今日やらなくてもいいやつだったんだろう。

 とても良い子だが、これから毎日こんな風に残業させるのは心苦しい。どうせ毎日夕飯作ってくれって依頼が来るだろうし。


「良ければ、明日からは私が戸締りとかするよ。エレノアだって早く帰りたいでしょ?」

「大丈夫ですよ」


 提案したら、エレノアは悪戯っぽく笑った。


「実はですね、私、ここの隣に住んでるんです」

「……へ?」

「ギルドが隣…というか、裏手にアパートを所有してまして。私はそこの2階の部屋を借りてるんですよ」


 まさかの社員寮。異世界にもあるのか。


 ちなみにギルドは、基本的に24時間ずーっと開いているものらしい。休みの日というのも無し。ギルド職員は夜勤有りの交代勤務なんだそうだ。…()()()


 何で注釈が付くのかって、ここの支部は職員がギルド長とエレノアだけ、登録している冒険者がデールとサイラスと私だけだからだ。

 私はぺーぺーの新人でまだ街の外にも出ていないし、デールとサイラスも基本、日帰りの討伐依頼などしか請け負わないから、デールとサイラスが帰還していれば、夜間は開けていなくて良いという判断らしい。


 そもそも開けようとしても、ギルド長が冒険者と一緒に外に出てしまうし、エレノアだけじゃ無理だ。24時間ぶっ続けの勤務になってしまう。

 …人手不足のフランチャイズのコンビニみたいだな。アルバイトが確保できなくて夜勤はオーナーがやるっていう…まあこっちの支部は容赦無く夜間閉店してるけど。正しい判断だ。


 ちなみにこの支部に関しては『休日』という概念も一応ある。

 年末最終日と年始の初日はどこの店もお休みなので、ギルドも合わせて休みを取るんだそうだ。…逆に言うと、それ以外の日は勤務日ということで。


(…私、ここの職員は無理だな…)


 年間休日2日とか、労基署が飛んで来るどころの話じゃないブラック企業じゃんか。


 不幸中の幸いというか依頼もそんなに多くないから、何とか回せているらしいけど…私がルーンに誘われたのだって、『街の中の依頼をこなしてくれる人材が欲しいから』だったもんな。建物も綺麗になっちゃったし、不燃ゴミのゴミ出し代行の情報が出回っちゃってるし、これからバンバン依頼が入るんじゃないか?


 …あれ、これって私も忙しくなるフラグ?

 出来るだけ働かないでお金を稼ぐって目標、どこ行った?


「ユウさんの美味しいご飯もいただきましたし、後はお風呂に入って寝るだけです。だから残業も苦にならなんですよ」


 エレノアがとてもイイ笑顔で、取りようによってはちょっとアレな発言をする。


 …そ、そっかー。力になれたなら何よりだよ…。




 一緒に戸締りを確認し、重要書類は片付けの最中に掘り出した金庫に仕舞って、エレノアは笑顔でギルドを出て行った。

 それを確認して教えられた通りにドアを施錠し、私は2階へ上がる。


 時刻は午後8時を回ったところ。何と、まだ午後8時。わお。

 滅茶苦茶濃い1日だったのに、日本での帰宅時間よりよっぽど早いよ。


(あの頃だったら、早くて午後10時過ぎに帰宅して夕飯作って食べて片付けてその他の家事して…だったもんな…)


 何だか鼻の奥がツンとして、頭を振ってその感覚を振り払う。


 …朝食の準備は自分の分だけで良いから、明日の起床はゆっくり目で良いだろう。


 ちなみにギルドの仮眠室に泊まる場合、利用料は1泊で銀貨2枚。シャワーは水と火の魔石1個分までは使い放題、食材を自分で用意すればキッチンも使い放題なので、とんでもなく安い。

 多分これ、他の支部だったら駆け出し冒険者の間で争奪戦になるんじゃないだろうか。


(…あ、でも他の支部は24時間稼働してるから、1階が静かになることはないのか…)


 仮眠室は仮眠室なので、扉も薄くて鍵もついていない。身の安全と静かさを取るかコストを取るか、難しいところだ。…この支部、冒険者少なくて良かった。


 そんな仮眠室のベッドには、中古ではあるが綺麗な寝具がセットされている。

 元々ここにあった寝具は見事に湿気とカビとちょっと口にしたくない害虫の温床になっていたので、デールに焼却処分してもらった。今ある寝具は、グレナがご近所さんと交渉して手に入れたものだ。


 グレナより少し若いくらいの上品な奥様が『捨てようと思っていた物だけれど、運ぶのも大変だし、持って行ってくださるなら差し上げるわ』と言ってくださったので、午後に有り難くお屋敷から運び出した。ついでに不燃ゴミも回収させてもらった。

 全部まとめて持ち上げたら前が見えなくなって、ちょっと大変だったけど。


 重さには耐えられても、身長伸びるわけじゃないもんな…。


 ちなみに貰った寝具は捨てようと思っていたと言うわりに綺麗で、中綿もみっちみちに詰まっていて、お日様の匂いがする。手入れは欠かしていなかったらしい。どこぞの片付けられない男に見習って欲しい。


 いそいそと着替えを準備し、シャワー室へ入る。

 脱衣場の壁にある小さなボックスが、シャワーにお湯を供給するための魔石を入れる電池ボックスみたいなやつだ。右側に火の魔石、左側に水の魔石を入れて、蓋を閉める。

 タオルは布団と同じくご近所さんが『余ってるやつだけど、もし良かったら』とくれたものだ。あの大掃除が滅茶苦茶目立っていたからだろう、そういう人が結構居た。

 不燃ゴミのゴミ出し依頼のついでに『要らないけどまだ使えそうなもの』を持ち込むので、最終的にはギルドと地域住民を巻き込んだ物々交換が大量発生していた。


 シャワーの使い勝手は高級宿とあまり変わらない。無駄な装飾が無い分、こっちの方が分かりやすいくらいだ。

 強いて問題点を挙げれば、最初に出てくるお湯の温度がかなり高くて火傷しそうになったくらいか。こっちは冒険者向けだから、多分すぐに温かいお湯を浴びたい人が多いんだと思う。


 貰い物の石鹸で身体と髪を洗い、少し熱めのお湯を浴びて身体を温める。

 浴槽が無いのは残念だが、仮眠用の設備しか無いのにこれ以上を求めるのは贅沢というものだ。

 ちなみにドライヤーは無かった。髪、短めになってて良かったな。


「…はあああー…至福…」


 シャワーを浴びた後は仮眠室に戻り、お日様の匂いがする上掛けに顔面からダイブして、思い切り息を吸い込む。

 深呼吸してもむせないって良いな。視界の端にゴミが映らないって素敵だ。この状態を是非とも維持して欲しい。そのためなら協力もやぶさかではない。


 …さて。


 整理するほどもない荷物を一応整理して、私はふと我に返る。



(……やることが、無い…?)



 夕飯は食べたし片付けも終わった。シャワーも浴びた。後は寝るだけなんだけど…まだ早くないか?


 ここにはスマホもパソコンもタブレットも無い。ファンタジー小説も無い。文明の利器に頼り切っていたのを今更自覚する。


「…どうしようか…」


 思わず独り言を呟いて落ち着きなく立ち上がり、私は仮眠室の隣、資料室を覗いた。


 ここは冒険者なら誰でも閲覧自由な本や近隣の地図なんかが置かれているそうだ。今までは当然ゴミや古すぎる資料に埋もれていたが、明日からようやっと日の目を見ることになるだろう。


 なおルーンは『利用者が居れば、の話だけどな』と苦笑いしていた。


(なら、私がその利用者第1号になれば良いんじゃ…)


 私は新人冒険者だし、地元出身だというデールやサイラスと違ってこの辺の地理には明るくない。もっと言えば、この国の常識にも疎い。この資料室はとても頼りになるんじゃないだろうか。

 我ながらとても良い思い付きだ。


 内心でニヤニヤしながら、私は早速目についた本を手に取った。




 ──これって仕事場に泊まって仕事に関する資料漁ってるっていうトンデモブラックなシチュエーションなんじゃ…と気付いたのは、日付が変わってからだった。




※ユウさんはナチュラルブラックな職場で訓練されたため、時々無意識に行動がブラック化します。

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