19 大掃除完了。
結局、イノシシ肉の甘辛煮は煮汁ごと全て完食された。
あれだけ大量に炊いたご飯もだ。最初はご飯だけ残ってたんだけど、何か男性陣が食べ足りない顔してたからちょっとだけ醤油混ぜて焼きおにぎりにして出したら一瞬だった。
うちの実家でもよくあった。夕食後にご飯の残りを混ぜご飯にしておにぎりに加工してテーブルの上に出しておくといつの間にか消えてるっていう。まあ作ってたのは主に母で、食べてたのは私と妹と父ですけども。
ケットシー用の肉の方の煮汁は流石に残った。飲みたいコールが起こったけど、これ多少なりとも塩が入ってるからね。人間も塩分摂取は十分だろうし、ケットシーに全部飲ませるのも危険だから、鍋のまま回収して保冷庫に突っ込んだ。
夕飯はこれを使って炊き込みご飯を作ろう。絶対美味い。
で。
昼食の片付けを終え、細々したものをキレイにし終えたら、窓とドアを全部閉めて一旦全員外に出る。
どうしても濡れたら困る書類などは一応外に運び出した。
何故なら、
《よーっし、仕上げ行くぞー!》
《おう!!》
大通り、ギルドの正面に立ったルーンが声を上げると、ケットシーたちの良い返事が返って来る。
ルーンのように大通りに陣取ったり、隣家の屋根の上に立ったり、裏路地に入ったり──毛色も見た目も様々なケットシーたちが思い思いの場所に展開し、ギルドを取り囲んでいる。それだけでも壮観だ。
次の瞬間、
《せぇのっ!!》
《《洗浄!!》》
ルーンの合図でケットシーたちが同時に魔法を放ち、虚空から大量の水が降って来た。
──ばっしゃん!!
ギルドの土台から壁、屋根に至るまで、建物全体が水球に包まれる。複雑な水流が発生しているらしく、傾いた看板が水球の中でガタガタと激しく揺れた。
それでも、内側を洗っていた時のように中が見えなくなるほど水が汚れることはない。
土埃を洗って薄ら茶色く濁った水が消え、温風が吹くと、ギルドの外観はすっかり綺麗になっていた。
「うおおお…」
ギルド長が圧倒されて呻いている。
私は入口に駆け寄り、傾いている看板に手を伸ばして──
「…デール、サイラス、看板の位置直して」
『はいっ!』
私じゃつま先立ちしても指先すら届かなかった。デスヨネ。
デールとサイラスがすぐに看板を持ち、あーでもないこーでもないと言いながら傾きを修正し始める。見物しているケットシーたちがそれを見て、良いぞそこだー、とか、もっと高い位置につけろーとか、囃し立てている。楽しそうだな。
それにしても、外側まで綺麗にしてくれるとは思わなかった。見物しているご近所さんも目を見張っている。
何でも、『美味しいイノシシ肉を振る舞ってくれたお礼』だそうだ。建物の中の洗浄の報酬として用意したのに、追加の仕事までこなしてくれるなんて…ケットシーって義理堅いというか、勤勉なんだな…。
「じゃあ私はゴミ捨て行って来る。ギルド長たちは書類とか小物類とか収納しといてね」
不燃ゴミは結構な量集まっている。今日中に全ては難しくても、出来るだけ量を減らしておいた方が良いだろう。
私がすちゃっと手を挙げると、ギルド長が狼狽えた。
「え、ちょっと待て。収納って…どこに何を入れれば良いんだ?」
あん?
私が目を眇めるのと、ルーンが呆れて溜息をつくのは同時だった。
《ちょっとは自分で考えろよ。仕事関係の書類は書庫があったろ? そこに作成年月日順で入れるとか、書類の種類ごとに分けるとか、色々手はあるよな?》
「えっ」
…何も考えていなかったらしい。なるほど、道理で汚部屋で平然と仕事が出来るわけだ。
「ルーン、ゴミは圧縮しておいてくれれば私が勝手に捨てに行くから、この片付けられない男に指導お願い」
「片付けられない男って何だよ!?」
《分かった》
「流すな!」
何だよも何も、言葉通りの意味だが。
看板の位置を決めて釘で打ち付けたデールとサイラスが、慌てた様子でこちらを向いた。
「姐さん、俺らも行きます!」
「手伝わせてください!」
「ギルド内の片付け優先」
『うぐっ』
…こいつらも片付ける方法が分からないから逃げようとしてたな。
私はにっこりと笑みを浮かべる。
「今日中に片付けが終わらなかったら、私夕飯作らないから」
つい先程今日の夕飯の依頼が発行されて、私が請け負っている。だがしかし、『誰の分を作るのか』は指定されていないので、私が決められるのだ。我ながら書類の不備を突いた良い脅しだと思う。
デールとサイラスは青くなって、ギルド内に駆け込んで行った。
その後不燃ゴミを出すのに廃棄場まで何度か往復しているうちに、夕方になった。
ギルドの前に積まれていたゴミはキレイさっぱりなくなっている。ケットシーたちが面白がって運搬を手伝ってくれたお陰だ。私一人だったらこの半分も終わらなかっただろう。
…ちなみにケットシーたちには、私が不燃ゴミを大穴に投擲する様子が大変好評だった。そんなに楽しいかな…?
今後も運搬の手伝いなんかをしてくれたら料理を振る舞うと約束したら、街のケットシーたちは上機嫌で解散して行った。
そして。
『…終わったー!!』
すっかり綺麗になったギルド受付前で、ギルド長たちが諸手を挙げた。満面の笑みだが、涙目になっているのは気のせいだろうか。
ゴミだらけかつまだら模様だった床は白色の石畳となり、木目が綺麗な腰壁と鮮やかなコントラストを見せている。屋内の床が大通りに使うような石畳って珍しい気がするんだが、冒険者の靴はごつい鉄板で補強されていることも多いから、耐久性の関係で木の床には出来ないんだそうだ。
カウンターは木製で、天板は変形しにくい樫の木の組板。これがまた木目が絶妙で美しい。
上に載せているのはペン立てとペン、書類の虚偽を見抜く魔法道具だけ。各種書類の様式は、受付側の天板のすぐ下に用意された収納部分にすっきりと収まっている。
ホールに置いてあるテーブルと椅子は、全体にやすりを掛けて洗浄魔法では落ち切らなかった傷や汚れを削り取った。椅子は特定の脚だけ削れて少々ガタついていたので、長い脚を削って高さを合わせてある。
結果、ヤバい臭いがしていたホールには、削りたての木の香りが漂っている。
受付カウンター奥の職員の控え室も、共用のキッチンも洗面所もシャワー室も、2階の仮眠室や書庫も、不用品を処分して丸洗いされ、臭いも殆ど消えた。
何という劇的なビフォー・アフター。大部分はケットシーたちのお陰だ。
…ちなみに可燃物の焼却はデールの仕事だったけど、灰を埋める場所に困るくらい大量焼却したそうだ。ついでに裏庭の雑草も焼き払ったそうで、そちらもすっきり片付いた。
「やりましたね…!」
「ああ、よく頑張ったよ」
エレノアとグレナも達成感に満ちた顔で笑みを浮かべている。
何だかんだ、グレナも最後まで付き合ってくれた。書類の分類や保管方法は最終的にグレナが指導してくれたそうだ。流石は前ギルド長。
なお報酬は『手作りの夕飯で良い』とのこと。ハイ了解です。
「じゃあ私は夕飯の準備に掛かるので」
私が手を挙げると、男性陣がギョッとした顔でこちらを見た。え、何。
「…お前、あれだけ働いておいてまだ動くのか…!?」
「え、当たり前でしょ? 『夕食作り』の依頼、請け負ってるし」
ちなみに不燃ゴミを出した帰りに食材も買い込んで来た。ギルドの金で。
よって、今日の夕飯は好きに作れる。ケットシー用のイノシシ肉を煮た汁で炊き込みご飯を作るから、お供は具沢山のスープとかかな…迷うな。
…日本に居た頃は、一々『今日の夕飯何が良い?』って『奴』に訊いてたけどね。『何でも良い』とか言うわりに作った料理に文句つけることが多かったよね、あの我儘野郎。
食べるの拒否されるよかマシだけど、食べてる間中文句言うその神経が理解不能。
私、今後ああいう対応されたらご飯作るの断固拒否するって決めてるんだ…。
そんな決意を知ってか知らずか、男性陣は信じられないという顔をしている。
「その…別に良いんだぞ? 無理しなくても…」
「別に無理じゃないよ。これくらい、大抵の主婦なら当たり前にやってると思うけど」
『え゛』
今日私がやったことと言えば、ゴミ捨て、掃除、昼食準備、食器洗い、物品整理、ゴミ捨て、ついでに食材の買い出し…そんな感じだ。何だかんだ適宜休憩は取ってたし、みんながやってるのを手伝ってる感覚だったし、実際ゴミ捨てと掃除と食事の準備くらいしかやってない。
世の主婦──厳密には『主夫』も居るけど今は敢えて『主婦』と一括りにさせていただこう──は、それ以外にも自分の仕事があって、子どものお世話とかもして、配偶者に気を遣いつつ家事もするとか、そういう高難易度ミッションを毎日こなしてるんだぞ。しかも無料で。
今日の私の『夕飯作り』なんて、報酬が出るんだからむしろ小躍りしてやるわ。
そう言ったら、男性陣は青くなった。
「嘘だろ…これ以上…タダ働きで…?」
「…俺には無理だ…」
「…何で出来るんだよ…」
まあ実際は『汚部屋の大掃除』なんてそうそうあるもんじゃないし、それだけでも大仕事だけど、その事実は心の片隅に追いやっておく。
…世の家事をしない連中は、『主婦』のタスクの多さにビビり散らすがいいよ。
ついでに家事をやれ。片付けろ。『言われなかったらやらなくて良い』なんて考えは今すぐゴミ箱に捨ててこい。
3/25追記:500pt 突破、ありがとうございます! 励みになります…!