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16 昼食準備

 硬いスポンジでガシガシ擦ると、こびりついていたサビはあっという間にキレイになった。


 …ちょっと『奴』の顔をこのスポンジで研磨する想像しちゃって、うっかり削り過ぎるところだったけど…セーフセーフ。


 どうもスキル『剛力』というのは、常時発動型ではあるが、私の中でスイッチが入ると特に強く作用するらしい。で、そのスイッチが入る条件が『あの阿呆どもを想像すること』になってるみたいなんだよね、現状。

 素の状態でも普通の人より力持ちなのに、スイッチ入ると冗談抜きで怪力魔人に変貌する。

 便利だけど、これ本人たち前にしたらどうなるんだろう。やってみたいような、みたくないような。


(会わないに越したことはないけど。もう想像するだけでストレス溜まるし)


 『たまる』のはお金だけで良いんだよ。


 約束の時間になったらしく、2階からばっしゃんと水音がしている。こちらもそろそろ料理を始めよう。

 片付けている時に見付けた調味料は、塩、砂糖、そして醤油。


 …そう。醤油がある。見た目完全に中世ヨーロッパな街なのに。

 見付けた時は本当に驚いた。こっちの言葉で『しょうゆ』って書いてある木札が掛かってて。

 同じ名前の全く別の何かかと思ったら、ちゃんと麹と大豆と塩などで作る『醤油』だった。

 ルーンによると、この世界で『東方』と呼ばれる地方は江戸時代の日本みたいな文化があって、味噌とか醤油とか清酒とかがあるらしい。で、交易もわりと盛んだから、この国でも東方由来の調味料が手に入るそうだ。高級品だけど。


 ここにある醤油は、冒険者が依頼人から報酬として貰って持て余したものではないか、という話だった。


 ならば遠慮なく使わせてもらおう。一体いつから置いてあるのか不明だが…ビンだし未開封っぽいし大丈夫だろ。


 保冷庫から出して来たイノシシ肉を鍋に入るサイズに切り分け、全体にフォークで穴を開ける。

 ちなみにデカい鍋2つと包丁とまな板とフォークは、先行してルーンに洗ってもらった。調理に使うと言ったら滅茶苦茶綺麗になった。最後のサビ落としは私だけど。


 人間用の肉には塩と砂糖を擦り込み、砂糖と醤油を入れた鍋に放り込む。ケットシー用の肉は少しの塩と砂糖と水を入れた別の鍋にイン。

 人間用、本当はネギとか生姜とかニンニクとかが欲しいところだけど、そんなものは当然ここには無い。買えば良いんだろうけど…街の外に生えてたりしないだろうか。…流石に無いか?


 食器やその他の調理器具を洗いながら、味が馴染むまで暫し待つ。

 食器類や小物類をキレイにしたり、書類を整理したりするのは人間の仕事として割り振ってある。壁とか床とか、面積の広い方をケットシーが担当してくれてるからね。少しは苦労しないと、散らかした連中、懲りないだろ。


《何で床下から書類が出て来るんだよ!?》

「いや、これはその…」


 2階からルーンとギルド長の声がする。どうやら埋蔵金を掘り当てたらしい。

 …本当に埋蔵金だったら嬉しいけど。内容からするに、どっちかって言うと()()()()よな。

 うへえ。


(時間掛かりそうだな…)


 最悪、今日も昨日までの宿に出戻りか。

 などと考えつつ、人間用の肉の鍋に水を足し、2つの大鍋をコンロにセット。

 ここで秘密兵器の登場である。


「じゃーん」


 などと言っても合いの手を入れてくれる人は居ないが、ビンを掲げてドヤってみる。


 入口付近を片付けていた時に見付けた褐色のビン。中には色の濃い液体が入っている。

 多分元々は赤ワインだったのだろうが…何をどう間違ったか、ワインビネガーかバルサミコ酢みたいな物体になっているのだ。


 え? 味見? したよ勿論。ギルド長が。原液で飲んで暫く悶絶してたけど、毒ではなかったっぽい。


 そんなわけで、安全確認済みのワインビネガー(仮)を人間用肉の鍋に豪快に注ぎ、コンロのスイッチをオンにする。

 このコンロも、当然ガスやIHではない。見た目は電熱線式っぽいが、針金みたいな熱源を加熱しているのは火の魔石だ。


 人間用の方は火力を強火に、ケットシー用の方は中火くらいにして一旦蓋をし、温めて行く。

 人間用の方はワインビネガーの酸味を飛ばすのも兼ねて容赦なく煮込むのだが、ケットシー用は温度がポイントだ。グラグラ煮て繊維をほぐしても良いけど、低温でゆっくり火を通すとしっとりと柔らかく仕上がる。


 …日本に居た頃は加熱調理OKのビニール袋に肉と調味料突っ込んで、熱湯入れた炊飯器に放り込んで保温数時間、とかでよく作ってたんだよね。鶏ハムとかチャーシューとか。

 鍋でやるとちょっと大変だが、出来ないことはない。


 ケットシー用の方は、ふつふつと泡が出て来たところで火力を弱める。人間用は中火に。後は鍋にお任せだ。


「ユウ、居るかい?」

「グレナ様。何かありましたか?」


 キッチンの入口からグレナが顔を出した。はて、彼女はご近所にゴミ捨て依頼のお誘いをして回っていたはずだが。


「何だか良い匂いがしてるじゃないか。肉かい?」

「肉です」

「なるほど。…ところでここに知り合いから貰った玉ねぎがあるんだが、要るかい?」

「ください」


 即答する。


 だって玉ねぎだ。イノシシ肉は豚肉に近いはずだから、薄切り肉と一緒に炒めて甘辛く味付けすれば豚丼に──


(…あ、米が無い)


 玉ねぎを受け取りながら、内心しょんぼりと肩を落とす。…くそう、1回想像したら食べたくなるじゃないか。


 2日間泊まっていた宿で出た主食は、パンとパスタだった。つまり小麦ばかり。何かパエリアみたいな米料理もあったけど、細長かったからあれは多分インディカ米。インディカ米も美味しいけど、豚丼には使えない。

 …ジャポニカ米が、うるち米が欲しい…。


「なにしょぼくれてんだい」


 顔に出ていたらしい。肩をバーンと叩かれて、玉ねぎを取り落としそうになる。

 ホントこの人力強いな。魔法使いじゃなくて狂戦士だったんじゃないの?


「今、失礼なことを考えてただろう」

「いえまさか。お米が手に入らないかなーと思ってただけです」


 嘘は言っていない。多分。


「お米?」

「はい」

「米ならそこら辺で売ってるじゃないか」

「ええと、細長いやつじゃなくてこう…もうちょっと丸いやつといいますか」


 身振りで説明すると、グレナは不思議そうに首を傾げる。


()()()()だろう? あるよ。平民の主食なんだから」

「なんですと」


 グレナが言うには、パンやパスタは上流階級の食べ物で、平民にとっては高級品らしい。


 この辺り、湖を水源とした稲作が盛んなんだそうだ。

 水はけが悪い土地が多いので、小麦は育ちにくい。で、湖から強風が吹くことが多いので、草丈が高くなるインディカ米より、うるち米の方が栽培に適している。

 よって平民の主食はうるち米。インディカ米はお祝い事で振る舞われることが多いそうだ。


 …なるほど。


 私が泊まっていた宿は本当に上流階級向けの高級宿だったのだろう。パンとパスタしか出て来なかった。だから主食が小麦系だと思い込んでいたのだ。

 うるち米があるなら、色々と出来ることがある。…じゅるり。


「うちの余りで良ければ持って行きな」

「えっ!?」


 女神の声が聴こえた。

 目を見開いて顔を上げると、グレナがそれはそれはイイ顔で笑っている。


「その代わり、私にも食わせな。あんたの作った料理」

「…そんなことで良いんですか?」

「そんなこと、じゃあないね」


 肩を竦め、


「あんたも『主婦』なら分かるだろう? 他人の作ってくれた料理ってのがどんなに有り難いものか。料理を仕事にしてる人間だって居るんだからね」


 グレナには、私が召喚された異世界人であること、『剛力』のスキル持ちであること、『主婦』と判定されたこと、全てギルド長が話していた。

 その時彼女は、『勇者と聖女と主婦、大いに結構じゃないか。主婦の何が悪いってんだい』と憤り、『え、でも、主婦ですよ?』と正直に呟いたギルド長を思い切りぶん殴っていた。


 多分ギルド関係者の中で、一番『主婦』の価値に理解があるのはこの人だ。


 私は笑って頷いた。


「分かりました。腕を振るいますよ」




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