11.5 閑話 パンチングマシーンの怪
一方その頃日本では、的なお話です。
「──じーちゃん!」
昼寝をしてたら、やかましい声がした。
さてじーちゃんとは誰のことだか。この辺、わしくらいのジジイはいくらでも居るからなあ。
そのまま目を瞑っていたら、今度は耳元で声がする。
「拓郎じーちゃん!」
「やかましい、聞こえとるわ」
名前を呼ばれちゃ誤魔化しようがない。渋々目を開くと、カウンターの向こうに居たのは案の定、孫の拓斗だった。
今年で高校2年だったか。身長はとっくの昔にわしを追い越したし、最近髪も染め始めた。順調にイマドキの若者を謳歌しているというのに、何故かこの孫はわしが経営しているこの寂れたゲームセンターに入り浸っている。
今は略して『ゲーセン』というのだったか。わしが若い頃に始めたこの店は、バブル期にはそれはそれは儲かった。
まあつまり、バブルが弾けると同時に稼ぎ時も終わったということだが。
その後も細々と経営し続けてはいるが、カネが無いので新しい筐体を入れることも出来ず、店の外見も中身も精々平成初期止まり。
たまに『昭和レトロなゲーセン』とか言って若い者がスマホ片手に訪れたりはする。昭和レトロではなく平成初期だと言っても最近の若い者には区別がつかんらしい。まあ、多少なりとも集客に役立ってくれるならどう呼ばれようと目を瞑ろう。
そんな時代に取り残されたゲーセンだが、今日は何人かの客が居た。どうやらまた孫が友人を連れて来たらしい。律儀なことだ。
「…で、何じゃ」
ようやく頭が回り始めた。
わしの寝起きが悪いことを知っているので、基本、拓斗はわしが昼寝をしていたら起こしたりしない。起こすのは、何か問題が発生した時だけだ。
確か前は、クレーンゲームの落とし口が開かないと騒いでいたのだったか…。
わしが椅子から立ち上がると、拓斗は少しだけホッとした顔になって、こっちこっち、と手招きした。
「このパンチングマシーンなんだけどさ、何か壊れてるみたいなんだよ」
「何?」
「てっちゃん…えっと、友だちの徹也が殴っても、全然記録が出なくてさ。他のゲーセンのだったら普通に150キロとか出るのに、これは50キロちょいしか出なくて」
「殴り方が悪いんじゃないか?」
この店では珍しく、このパンチングマシーンは平日はほぼ毎日使われている。夜遅く、会社帰りのOL──娘っ子が一発殴って行くのだ。
そのOLからは、壊れているなどという話は聞いていない。ランキングにも普通に120キロとか……まあ、普通の婦女子にしては高い数値が記録されているはずだ。
…そういえばここ数日、あの娘っ子来とらんのう。何かあったか…いや、飽きたか、忙しくなっただけかの。閉店間際の深夜に来とったところを見ると、残業ばかりの職場で働いとるみたいだしの。
パンチングマシーンの前では、ガタイの良い少年が仏頂面で待っていた。制服を着ているから高校生だと分かるが、プロボクサーのような体格だ。わしなど片手で一捻りされてしまいそうだな、くわばらくわばら。
筐体を管理用の鍵で稼働させ、もう一度殴ってみるようお願いする。見た目より素直な性質らしく、孫の友人はスッと身構え、見事な右ストレートを放った。
こりゃ素人ではないな。
スパァン!ととても良い音がする。が、画面に表示された結果は──52キロ。女子供でも出せる記録だ。
「…ううむ、確かにおかしいのう」
動きと音からするに、少なくとも100キロ以上の結果が出ていなければおかしい。
筐体を開けて、わしはあっと声を上げた。
「…忘れとったわい」
「えっ?」
「このマシーンはな、昔近所にあったボクシングジムに頼まれて魔改造しとったのよ」
「じいちゃん、『魔改造』なんて言葉よく知ってるね」
「まあの」
最近テレビで、おもちゃの歩く犬なんかを有名機械メーカーとか下町の工場とかの連中が寄って集って『魔改造』する番組をよく見とるんじゃ。
あれは面白いぞ。有名企業の連中でも失敗したり、とんでもねぇ発想で目的を達成しようとするからな。
…それはともかくじゃ。
「これは、本来の3分の1の数値が出るように、中の設定を変えておってな」
ボクシングジムの教え子が調子に乗っている時にこのマシーンを使わせて、期待したほどの結果が出ないという挫折を味合わせたいとか何とか言っとったが、要するにコーチ主導の嫌がらせじゃな。何とも性格の悪い。
それに乗ったわしもわしじゃが。若気の至りというやつじゃ。
ともかくこのパンチングマシーンは、的が倒れる速度を計測して、それをこの機器独自の係数で換算し、キログラム単位でそれっぽく表示するようになっている。
…一応言っておくが、他の、最新式のパンチングマシーンだって同じような仕組みじゃぞ?
わしはこの係数の部分をちょちょいといじって、表示する数値を調整していたわけじゃ。遥か過去の話ですっかり忘れとったが。
「え、じゃあさっきの52キロって」
「実際は156キロじゃな。良い記録だと思うぞ」
孫が友人と顔を見合わせる。
何じゃ、まだ納得がいかんのか。
「…でも、ランキングには120キロとか出てるよ?」
「む?」
…言われてみれば。
このマシーンのランキングは、現状、右手部門も左手部門もあのOLが独占しとったはずじゃ。
表示された後の数値の変更はできないはずだから、120キロと表示されているなら実際は360キロ………いやいやいや。
背中がヒヤッとして、思い切り頭を振る。
そんな化け物みたいなOLが居てたまるか。確かにわしが殴るコツを教えたり、こっそり高さ調整が出来る踏み台を近くに置いたりしとったが…。
…いや、これはきっと何かの間違い、そう、バグとかいうやつじゃ。
あのOLが使う時は、多分こう、女性向けモードになっとったとか、そういう感じじゃ。
…そんな機能は無いのは、わしが一番よく知っ──いやわしは何も知らん。何も。
「まあ何かの間違いじゃろ。これも年代物だからの」
表示値を修正しようにも、どこをどう操作したのかうろ覚えだ。
いい加減、わしもこの店もガタが来とる。ここらが引き時じゃろうか。
パンチングマシーンの筐体を撫でて溜息をつくわしに、何故か孫が友人と顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
「じいちゃん、これSNSにあげて良い?」
「何じゃ藪から棒に。…まあ、構わんが」
孫がインターネットに何を出したところで、大した影響は無いじゃろ。
そう思っていたら──
3日後、『どんなに頑張っても高得点が出ない昭和レトロのパンチングマシーンに挑む野良マッチョ』なる動画がネットニュースで取り上げられ、ご近所はおろか他県からも客が殺到する事態となり、わしは気絶しそうになった。
…バズる、というのは、すごいんじゃな……。
この話を書くためにパンチングマシーンの構造を調べたんですが、結果『パンチ力なるものを正確に測定する機器は存在しない』という話を見付けて地味に驚きました。
そりゃそうですよね、ぶつかった瞬間の衝撃の強さなんて測定しようとしたら手の方が壊れるし…。
何をどんな角度でどんな風に殴るかによっても、威力って変わるだろうし…。
意外と奥が深かったです。パンチングマシーン。
ちなみに、多分現実のマシーンじゃ、表示値の調整・変更は出来ないんじゃないかと思います。
そこはまあ、ファンタジーということで…。