20 ピンクの毛玉
あの後、無事にトワに会え(遅刻はしていたが、学校に来ていた)謝罪すると、予想通り「あれに関わってしまったのか···?」と苦笑いをされた。そう、ちょっとあれよね。
謝罪は受け入れてもらって、お茶会に行く許可も出た。私も差し入れをするお菓子を作ろうと、学校の図書室を覗きに行くことにした。
と、言うのも、午後はトワとコータに色々教えてもらうという予定が潰れてしまったのだ。
トワは寝るためにもう帰ると言い、コータもしばらくは屋上から出てこないらしい。それでいいのか学校は。
レイカもトワがうっかり車に引かれないように付き添いで帰るらしい。それでいいのかトワは。
という訳で、空いた時間でお菓子決めをしてしまうことにした。お菓子を作るのは好きだが、いつも決まったものになってしまう。バリエーションを増やしたい。
図書室は校舎の外れにあった。
あまり人の気配も感じないそこに、ひっそりとあるその扉に手をかけた。
自主練をしてるのだろう掛け声や人の声が、扉を閉めた途端に一斉に止んだ。
「静かね···」
見ると本棚には薄らと埃まで積もっていた。本当に普段は人の出入りがないのだろう。思わず口角が上がってしまった。
本の良い香りがする。空いた時間に通うのもいいかもしれない。もしかしたらお菓子だけじゃなく、薬学についての書籍も置いてあるかもしれない。
はやる気持ちを抑え、ぐるりと当たりを見渡す。
はぁ、一体どんな素敵な本が······。
「あら?」
ピンクの、毛玉がある。
視界の先でピンクの毛玉が小刻みに震えていた。
「ひっ!?」
「ぴ、ぴぇ!?!?」
なんだあれは
みたことない生物だ。しかも今、け、毛玉が喋ったような気がした。いや、あくまで気の所為なのだが。き、気の所為なのだが??
この場合どうしたらいいのだろう、生物だった場合を仮定して気さくな挨拶でもしてみたらいいのだろうか。
「ぴ、ぴぇぇえ···殺さないでぇ···」
「毛玉って命乞いするのね」
「ぴぃっ!?」
あ、よく見たら体の大半を本棚に隠しているだけで人間のようだ。顔も、長くふわふわとした髪でよく見えていないが、ほんの少し地肌が覗いている、
よかった、喋る毛玉じゃなくて。
しかし、毛玉は何かに怯えているようで、未だに小刻みに震えている。
突然の侵入者に驚いてしまったのだろうか。
「普通の子達がこの結界を無視して入れるわけがないの···つまり私は死ぬの···さよなら人生···」
「結界···?そんなの使える人いるのね···そうじゃなかった。私は別にあなたの命をとったりしないわよ」
彼女に向かって歩き出す。すると、彼女の小刻みだった震えはどんどん激しくなっていく。落ち着いて。
そんな彼女を横目に通り過ぎて、目当ての棚にたどり着いた。正直な話をしよう。
これ以上変な人と関わりたくない。
絶対このもふもふはやばい、何がやばいかは分からないがやばい。そう、なんというか。レイカと同じ匂いがする。つまり、世話を焼かずにはいられなくなるような···。
「こ、ころさないの···?ああ、わかった、今は見逃すけど模擬戦とかで当たったら集中狙いでボコボコにされちゃうんだ···私チームでいちばん弱いし、役立たずだし···」
「殺さないわよ、というか希少な魔法を使えるような人間が弱いわけないじゃない」
この世界では魔法は奇跡の類いだったはずだ。
使い手はとても少なく、希少価値が高い。その中で回復系は割とポピュラーなのに対して、彼女は「結界」と言っていた。そんなの物語の中でしか見たことがない。
「え、あ、あなた私のチームと模擬戦であたったことないの···あれ···?」
そこでやっと、彼女はもふもふの中から目を覗かせた。気が弱そうだが、綺麗な緑の瞳だった。
「あなた···初めてみるね···?」
「そうね、今日編入したの」
タルト菓子、いいかもしれない。
私の意識が彼女からレシピ本へと移る。
ずっしりとした重みのある本を手に取った。
「えっ、わ、私も一週間前に編入したの···編入ってことは、えっと、もしかして、い、異世界から来たの!?!?」
「そんな感じよ」
チョコレートタルト···エッグタルト···フルーツタルト···ヤヨイの可憐で華々しいイメージからフルーツタルトが似合う。それにしようかな。
「嬉しいー!!!!」
突然の大声に意識が強制的に彼女に引き戻される。
驚いて振り向くと彼女はキラキラとした瞳でこちらを見ていた。正面から見た彼女はとても端正な顔立ちをしていた。
「は、はじめまして、私サクラ!三番目の世界から来たの!」
その言葉に大きく目を見開いた。
突然自己紹介し出したことにもまぁ驚いたが、それは一旦置いておく。
三番目の世界。機械と魔法の三番目。
科学と魔法が共存し、発展した世界。この世界はあまりに有名だ。しかし、この世界から他の世界に行く人間は極わずかだ。それは一体何故か。
彼女の顔を見つめながら、思わず一歩二歩と後ずさった。
「三番目の世界って確か···」
「あれ、何か知っているの?」
「王族だけ異世界に行く権利を有しているのよね···?」
そう、三番目は何故か王族のみ異世界行ききし、決してその世界に留まることなく帰っていってしまう。
素晴らしく進んだ技術と知恵を置いていく代わりに、その世界特有の知識を根こそぎ持っていかれるのだ。
意を決して聞くと、彼女は気の弱そうな目を大きく見開いていた。
「え、そ、それ知ってるんだ···気にしないで接して···王族って言っても端くれの端くれの端くれで犬に食わせても気づかれないくらいの雑魚だから···ああ···生きててごめんなさい······」
「この世に存在するネガティブ達の頂点に君臨するような子ね」
トワとサクラと名乗る彼女を合わせたら、ちょうど良くなりそう。人間性が。
「あの、あなたは?」
恐る恐る、といった様子でサクラは尋ねてきた。
彼女と接していると、まるで自分が猛獣になったかのような気持ちになる。
怯えられないよう、少しだけ微笑む。
「私はアズサよ、七番目の世界からちょっと前に帰ってきたの」
「かえっ···て?」
「ああ、たしか少ないのよね帰ってくる人って、ちょっと事情があって」
ざっくりと答えてしまう。別に隠すようなことでもないが、わざわざ言う話でもない。
彼女は悪くないし、私が異質なのは理解をしているが、またこの話かぁなんてぼんやりと思った。
「辛かった···ね」
「え?」
唐突に落とされた言葉に、足元が不安定になるような、そんな、気分になる。
辛かった、そんな言葉は私に相応しくない。
「自分が、合う世界、望む世界にドアは落としてくれる。でも行きっぱなしで基本放置、その世界から再びドアが掬い上げる時なんて、よっぽど···心が壊れてしまいそうな時」
まぁこの世界からはよく人が帰っちゃうらしいけど、とサクラは笑った。
「よく、しっているわね」
「すっごく昔にドアが教えてくれたの」
やっぱりドアって話すのか?
「すごく寂しくて帰りたいなって思うけど、ドアが掬い上げてくれる気配がないから、きっと私なんてまだまだ」
「私は、異世界でも···帰ってきても面倒見てくれる人がいたのだけど、あなたにはちゃんといるの?」
寂しそうにどこか遠くを見るサクラ。
彼女の瞳の奥には、愛する世界が写っているのだろう。
私はいくら愛していても恋しがることは許されないのだろうけど、それでもふと、まぶたの裏に景色が蘇ることがある。
全然違うのに、なぜだか、親しみを覚えてしまう。
本を読むのをやめてしまった、彼女に興味が湧いてきてしまったから。
「うん、1ヶ月···しないくらいかな?それくらいにこの世界に来たんだけど、チームに貢献する代わりに大きい屋敷に住まわせてもらってるよ」
「それはよかったわ」
ほっ、と胸を撫で下ろす。
とりあえず衣食住は保証されていそうで安心する。
「そうね、私、10年ぶりに帰ってきてほとんどこの世界のことわからなくってまるで異世界みたいなの」
ぽつりと零した本音に、サクラが目を丸くする。
その後になんだか嬉しそうに笑った。
「え!?私と一緒だね」
「そうね···うん、その、だから···」
脳裏に険しい表情をしたトワの顔が浮かんだ。違う、違うわトワ、この女の子を信用してしまったわけじゃないの。本当よ。
「え?」
「愚痴···とかなら、聞いてあげなくもないわよ」
ああ、言ってしまった···!と、額に手を当てた。
ちらりと前を見ると、最初は惚けていたサクラの顔がどんどん輝いていく。眩しい。
「お、お友達!お友達だね!」
毛玉から完全に顔を出したサクラは私の周りをぐるぐると回り始めた。止めたい、止めたいが、言葉の衝撃に固まってしまった。
「お、お友達···」
久しぶりに聞く言葉に胸が高鳴った。
いいわよねこれくらい、と一人頷く。
脳内にいたトワがいつになったら学習するんだ···?と天を仰いでいた。さっきのヤヨイの件と言い軽率すぎだとは思う。しかし、友達という言葉にはどうにも抗えない引力がある。
仕方ないことなんだ。トワ。
「アズサ···私みたいなノミ以下の存在相手に、よければなんだけど、連絡先交換しない···?」
「いいわよ、この···スマホ···で···アプリ···?ってやつ叩いてやるのよね??叩くってグーでいいのかしら」
自分の拳を見つめていると、サクラがぼんやりとしていた。友達と喋っているのにぼんやりしいるだなんて、と頬を膨らませてみる。すると、サクラが喉の奥で笑ったような気がした。
「·············いいよ、私がやってあげる」
「ありがと···」
顔を見合わせて、お互い笑った。
帰ってきてはじめてのお友達だ。
トワ(脳内)その険しい顔、やめて。