19 追いかけっこの終わり
走る、走る、走る。
段々と上がっていく息に、開かない距離に、焦りだけが募っていく。
たいして暑くもないのに、汗が滴った。
「待ってくださ〜い!」
「待たないってば!!」
恐る恐る振り返ると、やはり斧をぶんぶん振り回しながらヤヨイが走っていた。やはり優雅で、息切れをしているそうな素振りは見受けられない。
このままではいずれ追いつかれるのは明白。その時にあの斧で頭からズブッと···。
気を抜くと吐きそうになるほど命懸けな状況なのに、思考がどこか生ぬるいのはきっと、ヤヨイの態度にもあるだろう。「次は当てる」彼女は確かにそう言った、それはつまり命を奪うという宣言なのにも関わらず、彼女はひたすらに楽しそうなのだ。そう、まるで友達と鬼ごっこをしている幼い子供のように。
狂ってる、と思った。
それが世界なのか人なのかはまだ分からないけれど。
走っていると突き当りに階段を見つけた。他に道はない。意を決して登り始める。
「あら、階段ですの?でもそれを登るのはちょっと骨が折れそうですわ···ねっ!!」
「ひっ!?」
風が舞ったと思うと、私の足の前の地面に斧が刺さっていた。うるさい心臓をなんとか宥めて、斧の越え、また走り出す。
階段の先になにがあるか。そんなことを考えている余裕はなかった。
「あら運がいいんですのねぇ!でも残念!」
やはり彼女に息切れをしている様子はなかった。
こっちは、酷使した肺が限界が近いことを告げているといのに。
「行き止まりですのよ!」
「えっ···」
階段の先には屋上に繋がる扉。そこにはダイヤルで空くタイプの鍵がついていた。
屋上に逃げたところで、結局は行き止まり。しかしそこに行って対策を練る前に、唐突に鬼ごっこが終わってしまう。
最悪だ。
やけでも起こしたように、鍵に飛びついた。開くわけが無い、しかしやらないわけにはいかない。
酸欠で頭も回らない中ガチャガチャとダイヤルを何度か動かす。
開いて、開いて、開いて!!
「無駄な抵抗をしないで、この勝負、私の勝ちですの」
開いて!!!
「うーん、ちょっと静かにさせちゃいましょうか」
ガチャリ。
え、と思った時には遅かった。
扉に体重を任せるように寄りかかっていた私の体はそのままゆっくりと倒れてゆく。
「へぶっ」
腕も上手く動かず、顔面から地面に衝突した。
ああ、もうお終いだ。神様願わくば、姉さんたちが幸せな人生を歩めますよう···
「誰だ···?」
聞いたことがある声だ、とぼんやりと思った。
状況も忘れ、ゆっくりと体を起こしてゆく。
「·········コータ?」
くせのある黒髪がさらさらと風に揺れていた。
真っ赤な瞳を信じられないものを見たとばかりに大きく見開くと、コータは掠れるような声で「アズサ」と私の名前を呼んだ。
なんで、こんな場所にコータが。その疑問はコータの方が大きいことを瞳が物語っていたが、正気に戻るのは私よりも早かった。
「っ···!危ねぇ!」
いつの間にかそばにいたコータに勢い良く腕を引かれる。ぐんっと激しく引かれ、少しだけ腕に痛みを感じた。
キラリと、何かが視界の端に光ったと思うと、それは勢いよく屋上から落下した。
痛みを恐怖が上回る。
あれは、いま、私のいた場所を通り過ぎていった。
「あら···外しちゃいましたのね」
なぜか楽しそうに微笑みながらヤヨイがやってきた。
次は何を、と思わず身構えたが、そんな私の横を通り過ぎて、彼女は屋上の端まで優雅に歩いていった。
「···なにしてんだお前」
ヤヨイは屋上の端の壁に寄りかかってこちらを向いた。
「なにって···」
口に手を当て、少し考えるような仕草を見せた後、ぽん!と手を叩いた。
「勧誘ですわね!」
「嘘おっしゃい!!!!」
「あら!いつだって私は本気ですのよ?」
そう言って首を竦めた後に、はぁ、とため息をついた。
「あーあ、残念ですけれど私の負けですわね、まさかコータが出てくるなんて、なんて、なんてつまらない」
少し考えるように俯いた後、彼女は上目遣いで
「また、勝負してもいいかしら?」
「駄目よ、私はCoffeeに所属するの」
なんて言うので、バッサリと切り捨てる。
上目遣いが愛らしいのなんてレイカだけだ。
彼女は私の反応が気に食わなかったのか、口をとんがらせて抗議の声を上げた。勘弁して欲しい、こんなこと一回経験すれば充分だ。
「仕方ないですわね!じゃあもう少し平和な方法で、今度は私とお茶するかどうかで勝負しましょ?」
は?
突然の言葉にわけがわからず、二度三度瞬きをした。
「何言っているの?お茶なら勝負なんてしなくてもするわよ」
あ、殺そうとしないならね、と付け足しておく。
人とお茶するのは好きだ。
それに彼女からは何故かあまり害意を感じない。自分を殺そうとしてきた相手に不思議だが、なんとなく、今言えばもうこんなことはしないだろうと感じた。
「あ、あら、まぁ、そう、あら、あなた言ってしまいましたのね」
「え?あなたのお茶会はやっぱり命の危険でも伴うの?」
「おほほほ!伴いませんわ!貴重なお休みを私とのお話で潰すだなんて可哀想な子!おほほ!ちょっと次のお茶会の茶菓子の予約でもしてきますわ!おほほ!」
突然おほほの大盤振る舞いをしだした。怖い。
「そ、そんな急に何……?」
「失礼しますわ!」
私の疑問に答えることなく、ヤヨイは屋上を走り抜け、激しい勢いで階段を降りていった。
ダダダダダとすごい音がする。一体お上品な佇まいはどこにいったんだ。
ぽかん、としている私の肩にそっと手が置かれた。
「あー、えっとな、他のチームの奴と会話したり個人的に会うことが裏切り行為とみなされることがあってだな?」
その言葉に驚いて振り向くと、コータが苦笑していた。
裏切り行為、サァッと自分の顔から血の気が引いていくようだった。
「やだごめんなさい知らなくて···ちょっとトワに謝ってくる」
「多分トワなら手ぇ叩いて笑うだけだと思うぜ」
「うーん···約束してしまったから彼女とお茶はするわ。けど、トワには沢山の恩があるし···マナー違反よね、やっぱりちゃんと話をしてくるわ」
「そっかそっか、じゃあ頑張ってこいよ」
トワの場合、手を叩いて笑うよりも、話を聞いて苦笑している姿が浮かぶ。トワと、コータは案外似ていないようで似ているから。
コータに背中を押してもらい、屋上から出ようとしたところで、ふと、あることが気になった。
「あ、ねぇコータ」
「ん?」
「なんで屋上の暗証番号知ってたの?」
「あー俺は口の緩いせんこうに教えて貰ってよ、アズサは?」
そう聞き返されて、思わず首を傾げた。
なんだったか。あの時はあまりにも必死で、最初の方はガチャガチャと当てずっぽうに回していたのだが、最後は···
「あ!」
そうだ、思い出した。
「偶然ね!暗証番号、私の誕生日だったわ」
なんだか嬉しい偶然だ、そのまま屋上をあとにした。
「ふぅん、私の誕生日、ね」
「······お茶菓子、どうしたんだよ」
足音無く、気がついたら横にいた。
消そうと思えばいくらでも気配なんて消してしまうこの女を、相変わらず恐ろしいと思った。
「別にいいじゃないですの、ま、酷い顔」
茶化すようにこいつは言っているが、目は笑っていなかった。
酷い顔、なんて自覚はないし、どんな顔かも想像すらしたくなかった。
オレが押し黙っているのにも構わず、彼女は言葉を続けた。
「ねぇ、コータ、あの子···どういうことですの?」
真っ直ぐ、ヤヨイはオレを見上げた。だが、それを見つめ返すことはしなかった。
「あなたの人生から、あの子は消えたんじゃ無かった?」
「ああ···そうだよ···そのはずだった」
「···」
神妙な顔で黙り込む共犯者。
そいつに見られるのも気にせず、オレは頭を抱えた。
なぁ、アズサ。
「なんで、帰ってきちまったんだよ···」
お久しぶりです。
時間が掛かるかもしれませんが、なんとか完結まで持っていきたいので、ここからは話のテンポをあげていこうと思います。
よろしくお願いします。