第四十三話:『異世界に飛ばされた勇者が魔素を調べるため使った初めての魔法』
「ゲホゲホ、季節の変わり目で温かくなったと思って、薄着で生活していたら風邪をひいてしまいました」
『この空間に季節はありません。薄着をすれば風邪を引くのは当然のことかと』
「女神様の介護とかはないのでしょうか」
『手っ取り早くリスポンさせてほしいのなら考えますが』
「その手がありましたね。とはいえ風邪の一つや二つ、自力で治さないと人間らしさが失われそうですからどうにか療養してからリスポンをお願いしようと思います」
『完治したらリスポンする意味はないのですがね。私としても病人に引導を渡すのは気が引けます』
「あ、紅鮭師匠からレンジで作れる紅鮭おかゆセットが届きましたね」
※そろそろ紅鮭師匠が出てくるくらいで※を使う必要はないのではないでしょうか。
『いつの間に連絡していたのですか。しかし美味しそうですね』
「数はあるので俺の分まで温めてもらえるのならばどうぞどうぞ」
『悪くない取引ですね』
「昔の女神様なら問答無用に奪いそうな気もしたのですが」
『私は女神であり蛮族ではありませんよ。人の物を奪うような器の小さな真似はしません』
「俺の分のおかずを毎回奪っているのは一体」
『あれは供物です。食事をする私の前に食材を置くのは供物を捧げる行為とみなされます』
「神様特有の傍若無人さだ。美味しそうに食べてくれるのだから構わないんですけどね」
『味が良ければ美味しそうに食べますとも。さておかゆが温まりましたね。まずは私から、紅鮭の塩味が良い感じに効いていますね』
「そこは病人からにして欲しかったなぁ」
『大丈夫です。貴方の分を温めた後に私のメイン分を温めますので』
「普段の女神様の食欲を考えるとおかゆは量が少なめですからね。ちなみにあーんとかは」
『仕方ありませんね、あーん』
「おかゆの容器を大きく振りかぶってあーんとか斬新過ぎる」
『精密なコントロールが苦手なので上手く口に当たるかはわかりませんが全力で投げさせてもらいます』
「それだとリスポンしちゃうので断念させていただきます」
『それが無難ですね。病人だからと調子に乗らないように。れんげくらいはつけましょう』
「もぐもぐ。へへ、紅鮭師匠の切り身の味に似ているぜ」
『微妙に知りたくなかった情報ですね。でも美味しいと言うことは当の本人も……』
「紅鮭師匠の体は健康体ですからね。ただカニバリズムに目覚める女神様は少し……でも女神様に食べられるというのは悪くないかも」
『ご安心を、よしんば貴方の体がA五の黒毛和牛並の霜降り肉だとしても炭にして捨て置きますので』
「でもそうだとしたら焼き殺した際に、意外と良い匂いがして食欲湧きそうですよね」
『可能性は否定しきれませんが、現段階ではその後焼肉セットを通販で仕入れると思います』
「お、田中さんからもお見舞いメールが届いている」
『紅鮭師匠といい風邪を引いたからと周囲に連絡していたのですか』
「いえ、紅鮭師匠にも田中さんにも伝えていませんよ」
『無駄にホラー要素が増えましたね。なるべく早めの原因解明をお願いします』
「昨日おろしたての薄着に着替えた時に写メを送っていたのでその辺から推測したのかな」
『他の二人も転生空間暮らしが長いので察していたのでしょうね』
「ふむふむ、田中さんの情報によるとミュルポッヘチョクチョンが各異世界で流行っているそうです」
※第十五話参照。独身勇者ジヨークの必殺技。
『あの魔王を倒した鉄板ジョークですか』
「どうも田中さんや紅鮭師匠に教えたらその後田中さんが各異世界で流行らせているそうで」
『時間軸すら安定しない異世界転生者が広めたら収拾のつかないことになりそうですね』
「異世界によっては宗教に派生しているようです」
『確かにあれはある意味哲学的でもあり生き方の方針とも捉えられますからね。シリアスな物語に出てこないことを祈りましょう』
※手遅れです。
「ジヨークもあの世で喜んでいるかな」
『案外通常転生を行っていて、再びコメディアンの道を進んでいるかもしれませんね』
「俺も早く風邪を治して転生先でミュルポッヘチョクチョンを広めなきゃ」
『それはどうかと思いますが。そして異世界転生のお時間です』
「風邪を引いているのですが」
『貴方の都合など知ったことではありません。どうしてもというのならリスポンさせますが』
「たまにはこういう異世界転生もありなのかなと諦めましょう。ガサゴホゴホ。みかんばこ いぬさんより、『異世界に飛ばされた勇者が魔素を調べるため使った初めての魔法』」
『概念系ですね』
「魔法に転生かぁ、バハムートのブレスを思い出しますね」
※第二十話参照。
『しかし異世界に飛ばされた勇者、異世界転移ものだとは思うのですがその段階から勇者ということでしょうか』
「だと思いますね。この場合ハイファンタジー世界からハイファンタジー世界といったところでしょうか」
『ハイファンタジー世界からの異世界なのでローファンタジー扱いにもできると思いますよ』
「なるほど。となるとこの辺の設定を検索すれば……お、いたいた。待ち時間もなさそうですね」
『何を企んでいるのかはわかりませんが用意周到に挑みそうですね』
「ええ、今日の俺は珍しく頭の回転が速いですよ」
『風邪を引いている方が高スペックというのはなかなかに問題だとは思いますが。人格も改善されるのならば言うことはないのですがね』
「女神様への思いは変わりませんとも」
『自重していただけないと風邪のウイルスが飛んでくるのですがね』
「女神様も風邪をひくんですか」
『神が患う病も存在しますからね。もっとも人間の持ち得るウイルス程度では不敬なだけで効果はありませんが』
◇
『げほげほ……まさか風邪をひくとは……』
「ただいま戻りましたーって女神様大丈夫ですか」
『少々無茶をしたせいで少しばかりですが風邪をひいたようです』
「薄着になったのであれば是非見たかった」
『貴方ではないのですから。気まぐれに細菌兵器を研究していたら神にも通じるウイルスを創り出してしまいまして』
「無茶の意味合いがちょっと違い過ぎる」
『感染力も強く半日もせずにあらゆる生物に感染します。人間程度ならばまず助からないでしょうね』
「おっと、このあとリスポン案件だな。ググゲグデレスタフは無事ですかね」
※女神空間で飼育中の世界樹に分類されるマンドラゴラ。
『植物には感染しないようですね。ハッシャリュクデヒトには感染していますが』
※女神空間で保管されている元魔物で元魔王で元マスコット。今はぬいぐるみ。
「ぬいぐるみに感染ってのは斬新ですね」
『色々あって付喪神になったようで、今はシャドーボクシングをしています』
「いよいよもって良く分からないウイルスですね。バハムートのぬいぐるみは無事なようですね」
『名前を付けてあるのが原因かと思われますね。とりあえず体調がよろしくないのでソファに横になりながら報告を聞くとしましょう』
「後からでも良いんですけどね」
『ついでにおかゆの用意をお願いします』
「そっちがメインですか。では寒くならないように毛布をどうぞ。料理をしながら報告するとしましょう」
『異世界に飛ばされた勇者が魔素を調べるため使った初めての魔法でしたか』
「はい。勇者リキョウという異世界トラベラーの魔法に転生してきました」
『異世界トラベラーですか。少しばかりレアケースですね』
「リキョウは元々異世界転生者だったのですが不老不死となってからは様々な異世界を転々として救いようのない世界を見つけては救う旅を続けていたようです」
『異世界転生者の末路に神に近くなる者もいますがその類といった感じでしょうか』
「大体そんな感じですね。強くて別ゲームを楽しむ系異世界転移者です」
『強くて別ゲームってただのチートでしかないのですがね』
「リキョウは新しく訪れた世界の仕組みを理解するために魔素を調べる魔法を使用します。本来はアナライズワールドという魔法だったのですが、その魔法を使用する瞬間に俺が概念体として割り込み魔法名から入れ替わってやりました」
『新世界に訪れたら所持していた魔法がバグって別物になっていたといった感じの展開ですね』
「魔法名はミュルポッヘチョクチョン」
『本当に広めに行きましたね』
「効果は何か凄いと実感できます」
『それは魔法なのでしょうか』
「ミュルポッヘチョクチョンと何度も唱えることでどんどん体の底から力が湧いてくるような気がしてくる魔法です」
『それはただのおまじないでは』
「なお最大MPの一割を消費します」
『魔法でしたか』
「さらに詠唱に失敗すると上下の歯が舌を襲うという呪いが降り注ぎます」
『舌を噛むだけですね。便利な解析魔法を失って謎のやる気魔法を得た異世界転移者の心情は複雑そうですね』
「ですが流石は歴戦の異世界転移者、リキョウは何らかの特殊な力が影響を及ぼし、こうなったのだなと直ぐに順応します」
『順応できる方もできる方ですね』
「ですが具体的な効果、仕組みが一切不明というミュルポッヘチョクチョンに不気味さを覚えたリキョウはその使用を自ら制限するようになります」
『妥当な判断ですね』
「一日三回以上は使わないと自らに厳しいルールを設けました」
『わりと厳しくない』
「ミュルポッヘチョクチョンの恐ろしさはつい口ずさむところにありますからね」
『確かに私もたまに言いますね』
「リキョウは先ずは世界の把握を行います。魔王は存在していましたがその世界本来の勇者は不幸にも事故死していたのです」
『創造主が勇者補正を付け忘れたのですね。神の集いで良く聞くうっかり失敗談のランキングトップ百に入ります』
「そのランキングちょっと興味ありますね。後で聞かせてください。リキョウは情勢の把握を済ませた後に新たな勇者の育成を始めます」
『おや、自らが勇者になろうとはしないのですか』
「数々の異世界転移を繰り返してきたリキョウが本気で戦えば魔王は容易く倒せるでしょう。ですがリキョウはこの世界に居続けることはできない。リキョウが去った後再び世界を襲う魔王が現れた際に、この世界が抵抗できるようにと予防策を巡らせたのです」
『思ったよりまともな思考のある異世界転移者なのですね』
「リキョウは比較的素質のある孤児と出会い、その育成を行います。名前はリキョウ二世」
『思ったよりまともな思考のない異世界転移者なのですね』
「リキョウ二世はリキョウの教育により順調に異世界の知識や技術を身につけその実力を高めていきます」
『貴方も異世界転生先でその世界の人々を育成していましたね。異世界転生者や転移者は育成好きな方が多いですよね』
「まあファンタジー世界に順応できる人は基本RPGが好きな人が多いですからね。キャラの育成は趣味になりやすいと思いますよ」
『ゲーム感覚で世界を救われても救われた方の内心は複雑でしょうに』
「損害がなければそれでも良いという世界も多いですけどね。それでリキョウ二世の話に戻りますが、すっかりと立派に育ち勇者と名乗るに相応しい者に成長しました」
『まあ順当な成長ですね』
「得意技はミュルポッヘチョクチョン」
『そうでもなかった。制限していた謎の魔法を教えるとは正気とは思えませんね』
「リキョウが一日五回も呟いていればいやでも身に付きますよ」
『ルールが緩和されてしまっている』
「リキョウも困りましたがリキョウ二世はミュルポッヘチョクチョンを大いに気に入り自らの戦闘スタイルの主軸にしたいとまで言い出しました」
『ミュルポッヘチョクチョンをどう主軸にするのやら』
「リキョウはそれもまた良しと認め、ただし一日十度使うことがないようにと念押しをします」
『最大MPの一割を使いますからね。一日で全快するにしてもミュルポッヘチョクチョンだけで魔力が枯渇する計算ですね』
「しかしミュルポッヘチョクチョンを主軸としたリキョウ二世の戦闘スタイルは非常に効果的であらゆる敵を容易く倒していきます」
『使用したら何か凄いと実感できる程度でどう効果的になったのやら』
「ミュルポッヘチョクチョンを使用するとリキョウ二世のやる気が増え、それに感化された敵がつい口ずさみ、慣れない呪文の名前により詠唱ミスを起こして舌を噛む。その隙を狙ってリキョウ二世の会心の一撃が放たれるといったスタイルです」
『絵面が地味』
「リキョウ二世のやる気の向上を見てしまえば相手はほぼ必ず『ミュルポッヘチョクチョン……一体何だというのだ』というセリフを言わずにはいられないのです。そして魔界という田舎に住む魔物達では長い単語は口にするのが難しい。田舎訛りでミュルポッヘチョクチョンを呟けば舌を噛むのは当然とも言えるでしょう」
『自信満々に言っていますが別に地方でも長い単語は存在しますからね』
「そしてリキョウ二世はついに魔王と対峙することになります」
『魔王と戦うまでミュルポッヘチョクチョン一本で辿り着きましたか』
「しかし流石は魔王、噛むことなく『ミュルポッヘチョクチョン……一体何だというのだ』と言い切ります」
『魔王であるから噛まずに言えたというわけではないでしょうに』
「でもこの世界の魔王が生み出した禁術ってどれも無駄に長いんですよ」
『ああ、ありますねそういうの』
「ミュルポッヘチョクチョンを主軸とした戦闘スタイルが通用しなくなり、リキョウ二世はピンチに追い込まれたと思いました」
『他に手段を持ち得なかったのですか。異世界転移者は何を教えていたのやら』
「リキョウはミュルポッヘチョクチョンの禁断症状で療養していましたからね」
『麻薬か何かですかね』
「ですがここで予想外のことが起こります。ミュルポッヘチョクチョンの名を唱えた魔王にミュルポッヘチョクチョンの効果が発動したのです」
『何か凄いと実感できたのですね』
「はい、それで魔王は勇者の力がミュルポッヘチョクチョンにあると理解しその力を利用しようと高速詠唱を使って多重発動を行ったのです」
『MPが尽きる展開が見えました』
「残念、舌を噛んでしまったのです」
『そういえば早口言葉にもなりそうですよね』
「ミュルポッヘチョクチョンとは丁寧に唱えなければならない魔法、それを見誤った魔王はリキョウ二世の攻撃によって敗れます」
『見誤ったのは効果がただ何か凄いと実感できる程度でしかないということだと思うのですが』
「こうして世界は平和になり、ミュルポッヘチョクチョンは世界を救った力として後世に語り継がれることとなったのです」
『まあ魔王も実際倒せたのだし今後新たな脅威が出てきてもなんとかなりそうな気がしないでもないですね』
「リキョウはこの結果に満足し、再び新たな世界に異世界転移することとなります。ですが俺はその世界での概念体、リキョウが移動した瞬間にリキョウの魔法リストから強制的に弾かれ消滅することとなりました」
『そもそも概念体なのだから消滅もなにもあったものではないと思うのですが』
「一応ミュルポッヘチョクチョンを唱えた夜にお告げを与える仕事もしていましたよ」
『お告げを与えておきながらミュルポッヘチョクチョン一本で戦う勇者を生み出したのですか』
「でもまあミュルポッヘチョクチョンを広める活動としては最高の結果を残せたと思いますよ」
『あらゆる世界を旅する異世界転移者にミュルポッヘチョクチョンという言葉を根付かせたわけですからね』
「ちなみにお土産はミュルポッヘチョクチョンを讃えて作られたミュルポッヘチョクチョン饅頭です」
『発想が田舎のお土産レベル。ですがおかゆの後にデザートとして食べる分には悪くなさそうですね』
◇
『ミュルポッヘチョクチョン饅頭を食べたら風邪が完治しました』
「一応食べると何か凄いと実感できて色々ステータスがプラシーボ効果で増加するらしいですよ」
『プラシーボ効果程度で神にも通じるウイルスを打ち破れるとは思わないのですが』