第七十一話
拍手に包まれて教会を出たわたしとユリウスは、大勢に取り囲まれて身動きがとれなくなっていた。
「ジネット、ほら、ブーケ!」
「こっち! こっちにお願いしますジネットさん!」
「あんた達、魔法は禁止だよ!」
花嫁が後ろを向いて投げたブーケを受け取った者が次に結婚できるという、女性限定の大事な『あれ』だ。
「ユリウス、少し下がってて」
「……うむ」
ユリウスに限らず、男性陣と既婚の女性達は、一歩下がって遠巻きに見るのがお仕事だ。
実は……実家にいた頃、わたしもジョルジェト姉さんやイヴェットの結婚式など、幾度か挑戦したものの、一度も受け取れずにいた。
そのわたしが投げる側っていうのは……なんだか、不思議だ。昔は受け取れなきゃ結婚出来ないって思いこんでたけれど、そういうものじゃないらしい。
「こら、そこ! 男が混じってんじゃないよ!」
「え、お菓子が貰えるんじゃないの!?」
「そりゃあ、別のお祝いだよ……」
一緒になって手を伸ばしていた孤児院のゼルマルが、『祝祭日の屋台』のカミラさんにつまみ出されていた。まあ、六歳なら分からなくても仕方ない。
「負けないからね、マリー!」
「イーダ、わたくしもこればかりは譲れません!」
この場は、祝福された戦場でもあった。適齢期か子供かは慮外、身分も出自も関係なく強い者が勝つという、神聖にして不可侵な、たった一つの約束事だけが守られるのだ。
……なあんてね。
一部女性陣の目が鋭すぎて、ちょっと恐かった。
ディートリンデさんとか、ゼールバッハ家のメイド長さんとか……。わたしもあんな目をしていたのかもしれないけれど、それはいい。
わたしはもう、ユリウスの奥さんだ。
「じゃあ、行きますね」
「はーい!」
彼女たちに背を向けると、一瞬、しんと静まり返った。
誰が受け取るのか、分からないけど……。
その誰かが、幸せになりますように。
「そーれっ!」
争奪戦の勝者は、アレットの肩に手を掛けて高く飛ぼうとしたディートリンデさんと、予め後ろに立ち助走をつけて飛び込んできたルーツィアさんの一騎打ち……ではねとばされたブーケが落ちた先にいた、ゲルトルーデだった。
「やった!」
「無欲の勝利、かあ」
「くっ……」
わたしは……自分のことを棚に上げ、世の中は良くできてるんだなあと、感慨深げに頷くに留めた。
式の後、わたしはもう一度アロイジウス家にお邪魔して、白い衣装を脱いだ。
もう少し着たままでいたい気もするけれど、みんなが頑張ってくれた特別な衣装だからこそ、婚礼のその一瞬以外は着るべきじゃなかった。
「おーいジネット、着替えたら台所に来てくれるか?」
「はい、アロイジウスさま!」
「あら、急がなきゃ。お客様かしら?」
「もう、すぐに……よいしょっと」
婚礼衣装の片づけはパウリーネさまが引き受けて下さったので、ぱたぱたと台所に駆けつける。
「おう、来たか」
「えっと……あ、神官様! 先ほどは、ありがとうございました!」
お客様は、先ほどお式を執り行って下さった神官様だった。
「いや、笑顔に満ちた、よい結婚式であった」
「ジネット、改めて紹介しておくが、こちらはフェーレンシルト男爵閣下だ。今朝のご到着で少々慌てたが、閣下は神官の位もお持ちでな、せっかくだからとお前達の式をお引き受けいただいた」
「重ね重ね、ありがとうございます」
フェーレンシルト男爵の名前は、辛うじて覚えていた。招待状を出したうちのお一方で、確か、リヒャルトの後ろ盾……。
ああ、うん。今更だけど、よく見なくても、分かった。
大変見目のいいお顔は、とてもリヒャルトに似ている。
でも、ここでそのまま跪いてはいけなかった。このアロイジウス家の台所にいる人は、あくまでもフェーレンシルト男爵でなくてはならない。……そのぐらいには、裏事情を察して動けるように鍛えられつつあるわたしだった。
わたしが気付いたことをご理解されたのか、フェーレンシルト男爵――ヴィルヘルム『白竜王』陛下は、相好を崩された。
「リヒャルトのこと、『いつも』世話を掛ける」
「いえ、『いつも』ありがとうございます」
フェーレンシルト男爵の『いつも』は、リヒャルトのことで。
わたしの『いつも』は、辺境も捨て置かず、きちんと国を治めてくださることへの『いつも』だ。
短い挨拶で伝わったのか、フェーレンシルト男爵はふっと笑顔を見せると、そのままお帰りになられた。
そのお姿が見えなくなると、アロイジウスさまはやれやれと腰を伸ばした。
「……呼んだら必ず来てくれるってわけじゃねえが、あれ以上偉くてありがてえ神官はヴィルトール中探しても絶対いねえ。なんと言ってもヴィルトール聖神教会の親玉、教王聖下だからな」
国王陛下が教会の教王聖下を兼ねてらっしゃるので、アロイジウスさまの仰ることも間違いじゃないんだけど、呼んじゃ駄目な人だろう、たぶん。
「まあ、王様って言ったって、他の誰かと何が変わるってわけじゃねえ。子供のことは心配するし、頭の上がらねえ相手から呼び出されりゃ、東方辺境の田舎にだってすっ飛んで来る……ってのは分かったか?」
「えーっと、たぶん……」
「ジネットもよ、あと五十年もすりゃあ、リヒャルトぐらいはいつでも呼び出せるようになってるさ」
「……へ?」
「引き替えにな、フランツから呼ばれりゃ、地の果てだって行かにゃあならなくなる。……人生ってのは、そういうもんだ」
アロイジウスさまは、はっはっはと笑いながらパウリーネさまを呼びに行かれた。
三人で連れ立って広場に行けば、そこはもう、どんちゃん騒ぎになっていた。
子供も大人も関係ない。王子様も平民も混じった、何でもありのお祭りだ。
蒸留酒の小樽を持ったフランツを従えてマリーがお酌してるのは『英雄の剣』のディモくんだし、コンラート様はユリアーネ様の応援を背に、やはりユーリエさんの声援受けたカールさんと賭け腕相撲をしていた。
「野郎共、花嫁様のお通りだ!」
「ほら、飲んでねえで道を空けやがれ!」
「ジネットお姉ちゃん、こっち!」
子供達に連れて行かれた先には、もちろんユリウスが待っていた。
「おまたせ」
「うむ」
ユリウスの腕に肩が触れ合うほど隣り合った位置に、わたしの椅子が用意されている。
「さあ、もう一丁、行くか!」
「ほれほれ、酒杯を満たせ!」
「さあさ、さあさあ、皆の衆!」
「酒はあるや? 肴はあるや?」
……まあ、うちの村ならこれが定番だよね。
「今日のこのめでたい日と!」
「領主様のご結婚と!」
「数多の嫁き遅れを退けブーケを勝ち取ったちっこいゲルトルーデと!」
「……そ、この、殴殺が確定した大馬鹿野郎と!!」
「やたらにうめえ香味酒と!」
「俺達のこれからと!」
「みんなまとめて!」
「乾杯だ!」
「乾杯!!」
今日ばかりは、わたしもエールのジョッキを高く掲げた。
あ、ルーツィアさんが切れてる。同じ『水鳥の尾羽根』のリーダー、アルベリヒさんがぶっ飛んでいった。……アルベリヒさんって、ルーツィアさんのことが好きなんだよね。ユーリエさんが言ってたから間違いない。
そんな様子を眺めていると、ユリウスがぽつりと口を開いた。
「ジネット」
「なあに?」
わたしは一昨年の秋に家を出て、この東方辺境にたどり着いて……。
「俺は、幸せ者だと思うのだが……時々、幸せすぎてどうしていいか分からなくなるのだ」
「……いいんじゃないの?」
ユリウスと一緒に、シャルパンティエに引っ越して……。
「だってさあ」
「うむ?」
村が賑やかになって、ユリウスを好きになって……。
「誰も困らないよ。もちろん、わたしも」
「……それもそうだな」
ユリウスの隣にいる幸せを、わたしも大事にしたいと思う。
もちろん、その日はお決まりの言祝ぎを延々と頂戴した後、夜が更けてもまだ続いた大宴会の最中に追い出され、新居となったうちのお店に押し込められたわたし達だった。
ユリウスが足を伸ばして寝られるほど大きな新しい特注のベッドまで昨日の内に運び込まれていたそうで、代わりにアレットはラルスホルト鍛冶工房二階の『新居』へとお引っ越ししている。
「……な、なんか緊張するね」
「そうか?」
頼もしい、というよりは鈍感なんじゃないかなと思いつつ、隣の大男を見上げる。
「わ!?」
右手一本で、軽々と抱き上げられた。
顔が、近い。
「ジネットがここにいるからな。俺は今、それ以外のことはどうでもよくなっているのだ」
……ほんと、どうしてくれようか。
酔ってるんだろうなあとは思うけど、同時に、真実そう思ってることもしっかりと感じ取れてしまった。
でも、ユリウスの言うことももっともだ。
「うん、そうだね」
わたしも……ユリウスの腕の中にいるってこと以外どうでもよくなってきたので、そのまま、ぎゅっと抱きついた。
翌日、レーヴェンガルト男爵領では新たなお触れが出され、毎年、神鳴りの月の三十日は初代領主夫妻が結婚したことを記念する『誓約の日』として、領地の祝祭日となった。
……でもわたしは、『狼の日』でも良かったんじゃないかなって、今も少しだけ、思っている。