3話 狼男 (1)
1
――頬に滴る水滴でブラントは目が覚めた。
それと同時に左腕から激痛が走り、一気に意識が覚醒するが、その激痛から声にならない悲鳴が上がる。
左腕には破壊された防具の破片が、それこそ無数に突き刺さっており、安易に引き抜けば血があふれ、そのまま息絶えるだろう。それ以外にも体の至る所から痛みを伴うが、それでも幸か不幸か五体満足どこも欠けていなかった。
歯を食いしばり叫びたい衝動を抑え、取り敢えず今の置かれている状況を確認する。
先ほどの戦闘で装備と防具は破壊され、今は防具の下に着ていたインナーシャツにズボンのみである。
外から薄っすらと光が入り、そのおかげで今は洞窟内にいる事が分かる。その光の明るさから正確な時刻は分からないが、それでも夕方までは時間があるだろう。
そんな洞窟内部、そこには無造作に置かれた武器や防具の数々、更には無数の人骨。ただ近くの武器や防具はほとんど錆びており、残念ながら使い物にはなりそうにない。
「んっ……」
そんな時だった。不意に右隣から聞きなれた声が聞こえ、ブラントは視線だけを向ける。
そこには猫のように丸まって倒れているアリアがいた。薄暗く詳しくは分からないが、それでも最初と同じ防具を装備しており、多少の擦り傷はあるにしてもブラントほどの重傷ではなかった。
その事にブラントはホッとし、「アリアさん。アリアさん」小声で何度も呼びかけ、それと一緒に体を揺する。
「……んっ、ん~」
少ししてアリアは徐々に意識が覚醒し始め、その瞳はボーっとしているが、ブラントを見つけた途端に「あっ!」と声を上げようとする。それをブラントは口元を押さえ、首を左右に振り言葉を抑える。
それでも頭の中が混乱しているのか、アリアは頻りに「ん~! ん~!」と騒ぎ立てようとし、その瞳は徐々に潤んでいく。
「静かに……して下さい」
と、ブラントが激痛を堪えやっとの思いで説明してようやく理解したのか、アリアは頷きそれ以上何も言わなくなった。それを確認しブラントもようやく口から手を退ける。
「ブラントさん!」
が、ブラントの説明も虚しく、アリアは大粒の涙を頬に流し、首元にギュッと抱きつく。
だが今のブラントは重傷である。抱きつかれたと同時にブラントは悲鳴を上げようとするが、それを寸前で歯を食いしばり耐える。それでも痛みが引く訳ではなく、額には大量の汗が浮かぶ。
「アリア……さん。……すいま……せん。……離れてくだ……さい」
「えっ?」
いつの間にか顔を涙でグチャグチャにし、アリアは言われた通りにブラントから離れる。それでもブラントの全身ボロボロの姿を見て、何かをしなければ、そう思ったアリアは咄嗟に傷口を触ろうとするが、それをブラントは寸前で食い止める。
「手当を……します。てつだっ……て」
「わ、分かりました。私は何をすればいいですか?」
そう言うアリアの声音はどこか落ち着いており、先ほどまでの取り乱しようが嘘のそうだった。その変化の速さにブラントは目を丸くする。
「服を……脱がせて」
「分かりました」
この場合は脱がすというより、切り裂く方が正解である。
ワーウルフとの戦闘で服だけが無傷な訳がなく、既に至る所は破れており、服としての機能はほとんどない。それを抜きにしても、服を切り裂くことによって必要最低限の動きで服を脱ぐことができる。重傷のブラントにとって、体を少しでも動かすことが苦痛なのだから。
ゆっくりと時間をかけてアリアは服を脱がせ、ブラントはマジックポーチからポーションを二つ取り出す。
幸運なことにマジックアイテムの鞄もまたボロボロだが、それでも中の魔法陣が消えていないのか無事に使える事ができて、ブラントは安堵を漏らす。
「私が……破片をとり、ます。おわっ、たら……一つだけ、腕に……。もう一つは……のま、せて」
アリアが頷いたのを確認し、ブラントは服の切れ端を円柱に丸め、それを噛みしめる。左腕に今も無数に突き刺さる防具の破片を取るためだ。
手順としては、まずは最も小さい破片から取り除き、最後に最も大きい破片を取っていく。だが小さい破片でも肉まで突き刺さっており、その一つを取るだけでもブラントの表情は苦痛に歪む。
大方の小さい破片を取り除くが、それでもまだまだ先は長い。
腕から血が流れすぎたのか、ブラントの意識は途切れ始める。このまま全ての破片を取り除く前に出血多量、もしくはショック死をするのでは、そうブラントは半ば諦め始める。
そんなブラントをアリアは何もできず、ただただポーションを握りしめブラントを見守るしかできず、アリアもまた歯がゆい思いをしていた。
それから十分ほどかけて全ての破片を取り除くことができ、すぐさまアリアは言われた通りに左腕にポーションをかける。
瞬時に左腕の怪我から煙が上がり、煙が消えた頃には傷が塞がる。それでも左腕の全てを癒すことはできず、最も大きい傷は半分ほどしか傷が塞がっていない。そのせいで傷口からは出血が止まらない。
「傷が塞がり――」
全てを言い終える前にアリアは口を閉ざした。
なぜならブラントは激痛と過度の出血により、気を失っているからだ。こうなったら仕方がないと、アリアは独断でもう一つのポーションを左腕に振りかける。その判断で左腕は完治し、出血も止まる。
「あっ、確か!」
父親がポーションを持たせてくれたのを思い出し、ブラントの腰にあるマジックポーチから自分のリュックを取り出す。
中身を全てばらまき、三つのポーションを見つけると、すぐさまブラントの口に流し込むが、気を失った人間が飲めるはずもない。
口から溢れたポーションが地面を濡らす。貴重なポーションを一つ無駄にし、浅はかな行動とアリアは自身を悔やむ。
仕方がないので、特に傷が深い箇所にポーションをかけ、残ったポーションはブラントが目を覚ましてから飲ませようと握りしめる。
* *
――ブラントは夢を見ていた。ワーウルフとの戦闘の夢を。
三メートルは優にあろうワーウルフが二足歩行で走り、その脚力から一歩地面に足をつけば、周辺には小石が尋常じゃないスピードで拡散され飛び散る。
そんなワーウルフとの距離が百メートルまで接近した時、ブラントはワーウルフに向かって走り出した。
それに対しワーウルフは走りながら腕を振り上げ、タイミングを見計らってブラント目がけて振り下ろす。それをブラントはワーウルフの股の隙間に飛び込み回避する。そのまま一回転し、ワーウルフに向き直りざまに剣を振るう。が、ブラントの剣は暑い毛皮に阻まれ、肉どころか皮膚まで届かない。
「くそっ!」
心のどこかで剣術さえあればカバーできる。そんな思いがブラントから消え失せ、その言葉は自分自身を叱咤するものに変わる。
痛みどころか、攻撃とすら認知していないワーウルフは、特に急ぐ様子もなく拳を地面から上げ、ゆっくりとブラントに振り返る。その姿は圧倒的な勝者のようで、攻撃をしたブラントの方がたじろぐ。
一瞬は怯むブライトであったが、すぐに頭を切り替え、バックステップで距離を取る。だが腕の長いワーウルフには生半可な距離は無に等しい。
「ガァァアアアア!」
大地を震わせるような雄叫びを上げ、ブラントに向かって左右から拳を振るう。
そのただの攻撃をブラントは更にバックステップで回避を試みるが、その腕の長さから爪が腕当てに引っかかり――破壊された。たった一撃。しかも爪で防具が破壊されたのだ。
確かにお世辞にも立派とまではいかない防具ではあるが、それでも爪が触れただけで破壊されるとは夢にも思ってはいなかった。その事実に驚愕し、体が恐怖のあまりに振るえる。そして思い出す。セリスの忠告したセリフ「今のブラントさんだと一撃で死んじゃいますからぁ~」を。
だがここで引く訳にはいかず、ブラントは唇を噛みしめ恐怖を飲み込むと、立て続けに迫るワーウルフの攻撃を寸前で交わし続ける。
時にはしゃがみ、時にはバックステップで、時には前進し、時には――。
幾度となく振るう攻撃に多少の疲れが現れたのか、ワーウルフの手数も目に見えるほど徐々に少なくなっていく。
そして大振りの攻撃を横に避けて回避し、そのまま腕に剣を振るう。もちろん厚い毛皮に阻まれて攻撃は届かないが、それでもブラントは隙があれば攻撃を繰り出した。
時には足に、時には胴体に、時には背中に、時には首元に、時には頭に。
だがどの攻撃も届かない。これだけ攻撃してもワーウルフには傷一つとしてできない。
その絶望ともいえる事実を知ると、急にブラントの足に力が抜け、体全身に脱力感が生まれる。先ほどまでは、どこかに弱点があるかもしれない。その闘争心からアドレナリンが分泌され、限界以上の力を発揮していた。それでも無駄な努力と知るや否や、アドレナリンの分泌が止まり、そしてとっくに限界を迎えているブラントの体は本人の意思とは関係なく使い物にならなくなる。
その隙をワーウルフが見逃すはずがない。
体をひねり、今までとは比較にならないほどの拳を振るう。そんな正面から迫るワーウルフの拳を、ブラントは人ごとのように冷静に見つめた。
あぁ、これで終わりか。
そう頭では思っても、ブライトの体はそれを許さなかった。反射的に盾を構え、少しでも防御力を上げるために盾の前に剣を重ねる。最後の力を振り絞り足に力を込め、ワーウルフの攻撃に構えていた。
そしてワーウルフの拳がようやくブラントを捉える。
拳は剣を折り、盾を破壊し、その奥にある胸当ても砕いた。
それだけではワーウルフの攻撃は止まらない。渾身の一撃はブライトを宙に浮かせ、そのまま数メートル吹き飛ばす。そのまま見事なまでに数回転ほど地面を跳ね、そこでブラントの意識は完全に閉ざされた。
そもそも今のブラントとワーウルフでは桁が違う。
この戦いの勝敗は始まる前から決まっており、間違ってもブラントが勝つ見込みは無に等しい。それでも当初の目的である時間稼ぎ、それには十分すぎるほど貢献しただろう。
* *
ブラントの意識は徐々に覚醒し、それと同時に痛みもまた激しくなる。
「――っ!」
声にならない悲鳴をあげ、最も痛い腹部を押さえてブラントは体を起こす。
あまりにも突然に起き上がるブラントに驚くものの、それでも無事に目を覚ました喜び、そこからくる安堵。
二つの感情が混ざり合い、アリアは瞳に涙を浮かべる。本当は今すぐにでも抱きつきたい衝動に駆られるが、それをギュッと拳を握りしめて我慢する。
「ブラントさん。よ、よかったです。取り敢えずポーションを飲んでください」
アリアは顔をグチャグチャに歪ませ、鼻をすすりながらブラントにポーションを渡す。そのポーションを受け取り、無言のまま今の状況を整理する。
まずは外から薄っすらと入る光は、気を失う前より若干淡い色をしており、数時間は気を失っていたのが分かる。そしてポーションの空瓶が四つも散乱し、服の代わりに毛布がかけてあり、枕の代わりにリュックが敷かれている。さらに重傷だった右腕もしっかりと完治して、そこからの痛みはまるでない。
それだけで気絶している間に何があったのか、ブラントは大方の予想がついた。
「……またアリアさんに助けられましたね」
苦く笑って受け取ったポーションを飲み干す。
そのポーションはブラントが持っていた物よりも上等だったのか、体中の痛みが消えてなくなるほどだった。それでも流した血液はポーションでは回復できない。そのため力を込めても空気が抜ける感覚に陥り、本調子とは程遠い状態であった。
それでも生きている。それだけでブラントは満足だった。
「違います。……私のせいでブラントさんが傷ついて」
「だけどアリアさんが助けてくれた。それでいいじゃないですか。私は感謝していますので、アリアさんは何も気にしないで下さい」
そしてアリアの頬を流れる涙を、ブラントは人差し指で優しくすくい上げる。泣かないで、そう態度で示すように。
「どうしてアリアさんがここに?」
ブラントの行動に余計に泣いてしまい、それをなだめて落ち着いた頃合いを見計らい、最も疑問に思っていることを口にする。
結局はワーウルフに惨敗したが、それでも逃げ出せるだけの時間は稼げたとブラントは思っていた。それなのに、アリアはここにいる。
「私を担いだ冒険者が、走りつかれたのか休憩をして、その間にワーウルフに追いつかれ私を見捨てて逃げちゃいました」
その返答にブラントは言葉がでなかった。
理由はどうあれ、ワーウルフを引き連れて他の冒険者に押し付け、更には体を張って時間を稼いだのにそれすらも意味をなさない。それが本当なら大問題の話ではない。仮に無事にエンティラに帰還できたのなら、それ相応の罰を与えてその悔いを改めないと、いかに温厚なブラントでも気が済まない。
一時は生きる事を諦めた身だが、ギュッと拳に力を入れる。
どれだけ惨めでも、どれだけ滑稽でも、どれだけ恥をかいても、必ず生き抜く。そうブラントは決意を固めた。
「……そうですか。それではさっさと帰って見捨てた冒険者を逆に攻めましょうか。その前に、まずは武器の調達です。アリアさんは転がっている武器と防具、その中から使えそうなのを探して下さい」
「分かりました!」
元気に返事をし、アリアは散乱した装備品をあさり始める。
ブラントの予想では、日が沈む頃にワーウルフが洞窟に帰り、そして仲良く二人はワーウルフの夕食になる。で、あった。その予想が当たっているなら、後小一時間もすれば夕方になり、二人に残された時間は少ない。
予想が当たりだろうが、外れだろうが、どちらにしても決断と行動は早い事に間違いない。
そしてブラントはマジックポーチの中を一通り出し、他に何か使えそうな物がないか確認をする。
中には討伐したナイトゴブリン、ゴブリン、インポスツゥリー、ブラックファングの各指定部位。そしてナイフが二つにメイスが一つ、剥ぎ取ったブラックファングの毛皮、ブラントのリュック。そこまではブラントも知っていたが、それ以外に三つのスクロールがあり、身に覚えのない物にブラントは眉を寄せる。
「……あっ、手紙」
悩んだ結果、ブラントはセリスの言葉を思い出した。
魔法が使えれば戦略に幅が増えると、早速スクロールの中身を確認する。
そもそもスクロールとは、簡単に説明すると、魔法が使えない人でも魔法を使える物である。一つのスクロールで一回の魔法が使え、魔法を使えばスクロールに書かれた魔法陣は消え、後はただの紙となる。
まず一つ目のスクロールは、指定した部位の強化〈インディビジュアル・ストレング〉である。
強化魔法の中では底辺に位置するが、それでも魔法だけあって効果は保証されている。仮に木の枝に魔法をかけたとすると、その木の枝が強化され鉄のような強度が得られる。
二つ目、回復魔法の〈ワイ・エリア・ヒーリング〉である。
回復魔法はそれこそ星の数ほどの種類があり、身体の傷を治す魔法、毒や麻痺を治癒する魔法、決められた範囲内の身体を治す魔法。様々な魔法があるが、今回は最後の決められた範囲内の身体を治す魔法である。
三つ目、攻撃魔法の〈ウィンド・ブレード〉である。
名前の通り、風の刃を繰り出す。風魔法の中ではトップクラスの威力なのだが、それだけに扱いが非常に難しい難点がある。そもそも〈ウィンド・ブレード〉は、そう易々と習得できる魔法ではなく、それこそ何年何十年も修行し得られる魔法である。その修行の中には風の流れを知り、その流れを読み取る必要性がある。つまり、風の流れを知らない素人がスクロールで使った所で、風の刃は明後日の方向に飛んでいき、せっかくの高価なスクロールも台無しとなる。もしそれがゼロ距離での発動ならまた話は変わるだろう。
その三つが手紙と称して、マジックポーチの中に入っていたスクロールであった。どれも使える魔法ではあるが、この状況下で使えるのは二つ。強化魔法の〈インディビジュアル・ストレング〉と、攻撃魔法の〈ウィンド・ブレード〉である。使い方によってはワーウルフとも対等に渡り合えると思い、ブラントはそれ以外をマジックアイテムの中に収納する。
「ブラントさん。残念ですが、ほとんど錆びて使い物になりませんでした。装備品として使えそうなのはこれぐらいです」
そうこうしている間に探し終えたアリアは、一つの片手剣を持ってブラントの元に戻る。
片手剣の大きさや形、それこそ素材は一般的などこにでもある剣なのだが、その剣は少し特殊であった。
なぜなら剣の刃は傷一つ――それどころか今しがた研いだと勘違いするほど、洗練された刃であった。それに対し、持ち手に巻かれた布は洞窟内の湿気にやられ、ただれたり腐ったりと、とてもじゃないが数日前からここにある物とは思えない。それこそ年単位で放置していなければ、これほど腐敗は進まないだろう。
「ありがとうございます。それにしても……」
「多分ですが、この剣はマジック装備かもしれませんよ? 確か以前に聞いたことがあります。マジック装備は魔法の加護で傷みにくいと」
その言葉にブラントは内心で、それは都合がよすぎるのでは? そう思っていた。
だが、確かに普通の剣がワーウルフに効果がない以上、このようにマジック装備の準備をするのもまた筋が通る。
それでも返り討ちにあったのは、腕とレベルを装備品に頼り切り、カバーしきれず敗北したのだろう。
「……仮にこの剣がマジック装備だとして、それを調べる方法はあるのですか?」
「武器屋に鑑定を出せば分かると思うのですが、今の私には……。すいません」
「そうですか……。それでもないよりかはマシなので、この剣がどうあれ、ありがたく頂戴しましょう。後はどうやって湖まで戻るか、ですね」
ちらりと外から漏れる淡い光を一瞥し、ブラントは眉に皺をよせる。
日没までおおよそ小一時間程度。ワーウルフと戦闘は免れないのは確かで、その戦闘が日没以降だと、夜目が利くモンスターが圧倒的に有利になる。それを無しにして――今の装備品であるスクロールや仮にマジック武器だとしても、ブラントの勝機は数パーセント、仕方なしに十パーセント程度。現状がどうあれ、そもそも厳しい戦いなのは変わりない。
それ以外にも問題点はある。仮に戦闘に勝利したとしよう。その後が問題となる。
ブラックファングのように寝床が近くにあれば、戦闘の喧騒から他のワーウルフが集まり、そのまま立て続けに戦闘を行わなければいけない。それどころか、ブラント達を襲ったワーウルフが一体だと決まってもいない。一つの洞窟に複数のワーウルフが寝床にしている可能性もあり、そうなれば一度に数体のワーウルフと戦闘をする必要がある。つまりそれは、最初に現れたワーウルフを運よく討伐したとしても、不確定要素が多いこの地で、洞窟で一夜を過ごすのはリスクが高すぎる事にも繋がる。
一つの問題点を見つければ、そこから派生して次の問題点が見えてくる。血液を流し過ぎた影響で頭の回転が悪く、底なし沼に足を取られたような負の悪循環に、ブラントは頭を悩ませた。
洞窟内は静寂が包み、刻一刻と日没の時が迫る。その焦りもあり、出たとこ勝負と、ブラントは半ば投げやりの答えを出すしかなかった。気絶する前の日中なら作戦を練る時間、安全圏の湖までの移動と、助かる可能性は広がったが、それも今となっては過去の話。それすらも悔やむ時間は二人に残されていない。
「……あ、あの~」
そんな時、頭を悩ますブラントを見かねたアリアは、意を決し声を上げる。
ただ、今から話す内容の自信がないのか、正座をして両手を太ももに挟みもぞもぞと、どこか居心地を悪そうにする。
「あっ、はい? どうしました?」
「川沿いにブラックファングの巣があったじゃないですか? ブラックファングの毛皮を被れば、もしかしたら仲間だと思って襲われないかもしれません……よ?」
確かに自信を無くすほど、その案は安易に考え過ぎでは? と、ブラントは眉を寄せるが、かといって他に案がある訳でもない。現状の出たと勝負よりかは、実に賢明な判断のようにブラントも思えてくる。
「……それでいきましょう。ブラックファングの巣は、川の下流寄りの中流です。頑張って日没までには到着しましょう」
「はい! ……えっと、それで私は何をすれば?」
「アリアさんは走ることだけを考えて下さい。ワーウルフが現れたら私の後方で待機です。それでは時間がありませんので、さっそく出発しましょうか。まずは私から出ますので、合図を送るまで洞窟で待機して下さい」
「分かりました!」
そしてブラントは上半身裸のズボンのみ、あまりにも場違いな格好ではあるが、マジック武器と思われる剣だけを装備し、最大限の警戒で洞窟の入り口に向かう。
洞窟の壁を背に頭だけを出すと、先ほどまで薄暗い洞窟内にいたため、太陽の光が眩しくブラントは目を細める。それでも周囲を見渡し、ワーウルフや他のモンスターの気配を探る。
感じ取れないのを確認すると、奥で待機しているアリアを手招きし――二人は走り出した。
洞窟を出た先、そこはブラックファングの巣にあった岩とは比べ物にならないほど――大きさにして二メートル前後の大きな岩が張り巡らされ、それはまさに急ぐ二人を阻むかのようだった。
迂回して森から抜けるルート、巨大な岩が並ぶ川岸を通るルート、岩がひしめき合い流れの読めない川のルート。その三種類のルートからブラントが選んだのは、二つ目の川岸を通るである。
一見に森に迂回した方がいいとは思うが、それだと方向を見失う可能性があり、一度見失えば目的地には決してたどり着けないだろう。川の移動も捨てがたい選択肢ではあるが、両側に岩が並ぶので、仮に何かあった時に陸に上がるのが非常に困難となる。それなら多少は移動に時間がかかるが、それでも安定して移動できる川岸ルートが無難となる。ただ、岩の上を渡って移動するのはワーウルフに見つかりやすいデメリットもあり、結局のところ正解のルートはその時の運次第で変わるだろう。
時には岩をよじ登り、時には離れた岩に飛び移り、時には岩から飛び降りる。
先にブラントが先行し、その後をアリアが追いかける。お互いを助け合いながらも二人は先を急ぐが、やはり平坦な道を移動するのとは勝手が違う。
たかだか十分たらず移動しただけで、太ももは張り、額には大量の汗を浮かべる。とてもじゃないが、小一時間程度で川の中流に移動するのは限界があるだろう。
それでも二人は弱音を吐くことはなかった。それを口にすれば疲労感が支配し、わずかな生存の可能性も摘み取ってしまいそうだったからだ。
もちろん無謀とも言える行動に火を付けたのは「生きたい」その一つである。どれだけ惨めでも、どれだけ傷ついても、どれだけ汚れても、やはり最後は「生きたい」そこに行きつく。
だからこそ二人は前を見て、生きようと頑張れるのであった。
太陽が沈みかけ、夕焼けで赤く染まろうとした頃。
三十分と、ブラントが日没まで予想していた小一時間の半分の時間を使い、ようやく二人は岩場を抜ける事が出来た。それでもまだ上流なのは変わらず、岩が占める面積はぐっと下がるものの、所々に巨大な岩が散乱している。
時間や今の置かれている状況に余裕があるのなら、ここで小休憩を挟みたい二人だが、それを我慢して体に鞭を打ち走るのを止めない。
「アリアさん。もう少しですよ、頑張って下さい!」
ブラントの励ましにアリアのペースは速くなる。そんなアリアは既に足は棒のようで、肺は破裂しそうで、体中には汗が噴き出る。
「ガァァアアアア!」
そんな時だった。大地を震わす咆哮が聞こえたのは。
あまりにも予期せぬ咆哮に、一番呆気にとられたのはブラントであった。「えっ?」と、全く気配が感じられず困惑した表情で徐々に走るペースが遅くなり、そして息を荒げて辺りを見渡しながら立ち止まった。その後ろではアリアが膝に手をつき、地面に汗を滴らせながら、荒い呼吸を落ち着かせようとする。
急いでマジックポーチの中から抜き身状態の剣を取り出し、咆哮した位置――川を挟んだ森の中を一瞥し、そして絶望した。
そこには二体のワーウルフが木の隙間を悠々と歩き、その瞳はしっかりと二人を見据えていた。
数時間前は一体の――それもたった一撃で敗北したのである。もちろんブラントの剣が通らなかった訳でもあるが、その理由は次の話である。最も問題視されているのは、一撃で敗北。その事実であり、それが二体のワーウルフが相手となれば尚更だ。
一体だけなら避けようはある。もちろん前回の戦闘を踏まえの結果なのだが。だが二体ともなれば避けようがない。繰り出された攻撃の先に、もう一体からの攻撃。それが永遠と続く。
運に任せえて魔法のスクロール、〈ウィンド・ブレード〉を使う。それこそ安易な行動であり、賭けに切り札を使うのは話にならない。
それなら――。ゆっくりと二人に向かってくるワーウルフに冷や汗を流し、ブラントの頭の中は色々なプランで埋め尽くされる。
「……やっぱり出たとこ勝負か」
それならば、まずは固まっているアリアを揺すり「走れ!」と声を荒げて行動を促す。
初めて聞くブラントの荒い言葉に、一瞬ビクッとアリアは体を震わせるが、それでも次には走り出す。
まず必要なのは戦闘を行える場所である。
草原のように開けた空間とまではいかないが、それでも四方に岩で囲まれ、川との距離が極端に狭い現状では身動きがあまりとれない。それに加えてワーウルフの剛腕は岩をも砕く。それは岩をも武器となり、戦闘の不利どころか立地までも不利になるのは避けたい狙いがある。
先にアリアが、その後をブラントが追う形で二人は走り出した。
もちろん大事な獲物をワーウルフが逃すはずがない。再び咆哮を上げ、邪魔な木をなぎ倒し二体のワーウルフは森から姿を出す。そして流れが急な川だろうが関係なしに突っ切ると、二体のワーウルフは二人に向かって走り出す。
ブラント達とワーウルフの距離は五百メートル。それでも二人と二体との差は目に見えて縮まる。
二人の一歩分に対し二体は五歩分。五百メートルの差は気がつけば四百メートルになり、その差は直ぐに縮まっていく。
そして差が三百メートルほどになろうとした頃。ようやく川の上流と中流の境目に差し掛かった。
運がよかった事に二人がいたワーウルフの巣穴は、川の中流寄りの上流に位置しており、そのため思いのほか早く中流にまで移動できた。だが、その事に安堵する暇は二人にはない。後ろから迫る恐怖を振り返らず、ただひたすら前だけを見て走る。
中流に差し掛かってすぐ、ようやくブラントが理想とする場所を発見する事ができた。
以前そこで激しい戦闘が行われたのか、四方四百メートルにぽっかりと開けた空間。その空間には岩が破壊されており、多少のごつごつとした岩が散乱しているだけで、今までで最も戦闘に適した場所となっていた。
「あそこで迎え撃つ! アリアさんはそのまま走って奥の岩陰に!」
その言葉にアリアの返事は無いが、ペースを速める事によって了解の意を表した。その甲斐あってか、すぐに目的地まで到達するが、その時の二人と二体の差は、ワーウルフが手を伸ばせば届きそうな距離まで縮まっていた。
そしてブラントは両足の負担も考えず体をひるがえす。
辺りに小石と砂煙をまき散らし、剣を両手で握りしめ「っらぁぁぁあああ!」自分自身に気合を入れて剣を振りかざした。
一人の冒険者と二体のワーウルフ、本日二度目となるワーウルフとの戦闘が開始された。
一度目は完膚なきまでに敗北し、二度目はより逆境に立たされて――。
ここまで見ていただきありがとうございました。そして長文にお疲れ様です。
甘口から辛口の感想やご意見、お気軽に下さると嬉しいです。