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2話 黒い牙 (2)



 ブラントが指定した一時間を少し回った頃。

 正門から出ていく冒険者をアリアは道の隅で眺めていた。

 その場所でブラントを待つこと三十分。正門の前に到着した頃にはカムイ大樹林に向かう冒険者の列があったが、三十分もすれば波も収まり、最初こそ人間観察と冒険者を見ていたアリアは楽しそうにしていたが徐々に表情が曇り、約束の時間を過ぎたころから暇そうに欠伸をするようになる。

 この冒険――皮の剥ぎ取り練習をエンティラの外で行うのは初めてで、内心では練習より冒険に対しての楽しみの方が強かった。そのため約束の一時間を待ち切れずに正門で三十分前からスタンバイはやり過ぎだとアリアは自負していた。だからこそ冒険者の時間のルーズさにあんまりだと唇を尖らせ道に転がっている石を蹴る。

 何度から転がる石を目で追うと、正門に向かって息を切らしながら全力で走ってくるブラントの姿が目に入り嘆息を上げる。

 担いでいたリュックを担ぎなおし、この日のために新調した防具が触れ合い音を奏でる。

 そんな新品の防具は見事な物だった。同年代の同性と比べれば比較的に体力と筋力はあるアリアだが、それでも屈強な冒険者と比べれば非力である。そのためにアリアの父親でもあり、歴史ある防具屋の当主が直々に製造したのは毛皮鎧(レザーアーマー)だった。

 大事な娘のためにと強度の高いモンスターの皮膚をベースに、それとは別のモンスターの鱗を張り合わせる。強度と防具としての品質だけを見れば重々立派な一級品ではあるが、それゆえに冒険者としての初心者が着るには、防具に着られている感がある。

 そのような一級品の防具を包んだアリアではあるが、彼女には一つだけ難点があった。それは本当の冒険者であるブラントよりも、初心者の冒険者であるアリアの方が勝っている点である。

 冒険者に限らず男性とは変な所にプライドを持つ。だからアリアは気にするのであった

 ようやくアリアの前に到着したブラントは、近くの壁によしかかるように座り込み荒い呼吸を落ち着かせる。その額には大量の汗が流れ落ちる。その様子からアリアにも、待ち合わせ場所まで全力で駆け付けた事を感じ取れた。


「……遅くなって、ごめんな、さい」


 息を切らしながらも謝るブラント。本当は文句の一つでも言ってやろうとアリアは思っていたが、そんなブラントを見ていたら毒が抜け落ち文句が出てこなかった。

 その代わりにポケットから出したハンカチで、ブラントの額から流れる汗を拭きとった。


「いいですよ。気にしないで下さい」



 五分ほどその場で呼吸を整え、ようやく落ち着いたブラントとアリアは正門から出てカムイ大樹林に向かって歩き出した。

 辺りに見える冒険者はブラントを除いて前方に一組のパーティーだけだった。ほとんどの冒険者は既にカムイ大樹林に挑み、中には目的地に向かう者。中には討伐対象と戦っている物。中には依頼の採取を行っている者。様々な用途で冒険者が仕事をこなしていた。

 それとはまだ無縁のアリアは、徐々に近づくカムイ大樹林に心を躍らせていた。

 隣に歩くブラントを盗み見るが、その表情は実に普通で今の思いを分かち合えそうになく残念そうにする。

 そうとは知らないブラントは見通しの良い最後の安全圏を名残惜しむ。

 あと数十分もすれば嫌でも辺りを警戒しないといけないのと、戦闘力が全くないアリアを気にかけないといけない。

 それはソロで活動するより非常に厄介で、非常に高度な技術を要求される。ソロなら縦横無尽に行動しても問題はないが、自立していないアリアの傍から離れる訳にはいかず、行動範囲が極度に縛られる。更にはモンスターの気配をより素早くキャッチし、アリアの体が障害物となり対応が遅れるのを防がなければいけない。

 アリアから頼まれた時はそこまで頭が回らなかったブラントだが、時間が経ち注意点を整理し終わった時には軽率だったと自分を責めた。それでも引き受けた以上は投げだす訳にはいかず、それもまた勉強であり練習だと自身を奮い立たせた。


「冒険者の方は遠出する時も荷物は持たないのですか?」


 カムイ大樹林まで目と鼻の先まで近づいた頃にアリアが疑問をぶつけた。正門で待ちぼうけの時は意識して冒険者を見ていなかったからである。


「あっ、すいません。ついうっかりしていました。リュックを貸してください」

「違います! そう言うつもりで言った訳じゃありません!」


 慌てふためくアリアに笑みを浮かべ、腰に装備してあるマジックポーチからリュックを取り出す。

 今まで無かったリュックが突然と目の前に現れ、アリアは驚きの声を漏らす。


「パーティーの方に頂きました。マジックアイテムを持つのは初めてですが、とても便利な物ですね。ですからアリアさんの荷物は私が預かります」


 そう言ってブラントは手にしたリュックをマジックアイテムの中に収納する。


「あ、ありがとうございます」


 そのアリアのお礼を笑顔で返事をし、ブラントとアリアはカムイ大樹林に足を踏み入れた。それはつまりアリアの冒険が始まった事である。

 とは言ってもカムイ大樹林の入り口にはモンスターは生息しておらず、それこそ今まで歩いていた草原の道路と差ほど変わりはしない。カムイ大樹林と実感するのは――モンスターが生息するのはまだ先である。だから周りに冒険者の姿が見えないが、ブラントは特に気にする事無く対して周囲に注意を払ってはいない。

 時折ではあるが、遠くからゴブリンと思われる悲鳴が聞こえるがブラントの表情は変わらない。アリアはその度にビクリと体を震わせていた。


「ここで少し休憩をしましょうか」


 徐々に草木の占める割合が増え始めた頃にブラントは提案した。エンティラを出て初めての休憩となる。

 今二人がいる場所が安全圏と危険区域の境界線付近である。

 稀にゴブリンが迷い込んでくる事もあるが、それでも頻繁に起こりうる事でもない。仮にゴブリンが現れたとしても、境界線だけであって見通しが良く発見するのに時間はかからない。


「少し疲れちゃいました」


 アリアは失笑まじりに笑い、近くの木を背もたれに座り込む。

 頭では分かっていた。それでも片隅に冒険を安易に思い、何とかなるとアリアは感じていた。ところがどうだろうか、エンティラの道路とは違ってボコボコして歩きにくいのは確かだが、たかだか一時間半程度歩いただけで疲れを感じ取るとは思っていなかった。

 それだけではない。歩く距離だけをみたら約七倍は歩かなければいけない。更にこの先でモンスターと出くわしたら、そう思うと背中がゾッとする。


「この先は休憩が取れる場所が限られていますので、今は体力の回復に専念して下さい」

「あ、はい。了解しました。……それにしても冒険者さんは凄いですね」

「はい?」

「私にとって冒険者は酒場で騒ぐ姿しか見ていないので、こうやって一緒に行動すると体力の差と言いますか、筋力の違いと言いますか……。一般人の私達とは全然違いますね」

「確かにそうかもしれません。ですがその一般人がいないと私達は冒険者にはなれません。宿を経営する人、装備品やポーションを作る人、そしてそれを売る人。その人達のおかげで私達は冒険ができ、そしてお金を稼げます。本当に凄いのはエンティラで働く人達だと思います。……かなりくさいセリフを言いましたね。忘れて下さい」

「確かにくさいセリフです。……だけど冒険者さんにそう言ってもらえると助かります」

「ははは。そうやって偉そうな事を言いましたが、恥ずかしながら冒険者になったのは昨日ですけどね。なので、他の冒険者はどう思っているかは分かりません。一つの思いとして軽く受け止めて下さい」

「えっと……。確認しなかった私の責任ですけど、冒険者になりたてのブラントさんについて行って大丈夫ですか?」

「これは手厳しいですね。……けど、まぁ大丈夫です。ブラックファング程度なら問題はありません」

「もし複数の集団の群れで襲ってきたら?」

「その時は……全力で逃げましょうか」

「……ブラントさんには失礼ですけど、少しだけ不安になってきました」

「立派な装備品ならまだしも、今の私の装備品ですからね。逆の立場なら私も不安になると思います」

「そこは嘘でも大丈夫って言うところじゃないですか?」

「気休めを言った所で何も解決しません。それならありのままの私を受け入れてもらい、アリアさん自身も危機感を覚えてもらった方がよっぽど良いと私は思います」

「……意外とリアリストなのですね」

「それほどでもありません。ですが、これだけは約束します。アリアさんに危険があれば私が身を挺してでも守ります」

「そうならないように祈ります」

「ええ、それに越したことはありません。……それではそろそろ出発しましょうか。太陽が沈む前に寝床の確保と食料の調達をしないといけませんし」


 そして二人は再び歩き出す。ブラントは周囲に警戒を払いはじめ、アリアは不安を感じつつ。ただ不安を感じてもブラントを頼るしかいアリアは、彼にそっと寄り添うのであった。



 ――再び歩き始めて十分ほど。

 初めて発見したモンスターは三体のゴブリンであった。食料の調達をしていたのか、手には子どもの狐やウサギ。森で取れた果実や野草を手にしていた。

 ゴブリンに発見される前に気配を察知したため、ブラントとアリアは草の影で様子を探る。アリアがいるため戦闘は極力避ける方針であるが、ブラントにとってゴブリンが手にしている食料は非常に魅力的でもあった。


「ゴブリンが持っている食べ物、あれは私達が食べても平気か知っていますか?」


 日毎から料理をしないブラントには全く判断ができなかった。それでも何となく人間とゴブリンは同じ生き物だから、と食べられない事はないと思っている。

 その問いに対してアリアは首を振る。

 残念な事にアリアもまた料理には疎い女性であった。実家で暮らしている事もあり、やろうやろうとは以前から思っていたが中々に腰が重く今に至っている。

 お互いに知らない事に対し、食料は現地調達と安易な考えを反省するブラントであった。今後の事も考えて報酬が入ったら書物を購入しようと固く心に誓う。


「そうですか……。それでは確実に食べられる狐とウサギだけでも横取りしましょうか」

「えっと……、狐とウサギを食べるのですか?」

「そうですよ。どうかしましたか?」

「それはちょっと……」


 ちらりとアリアの表情を盗み見ると口元が引きつっていた。そこでブラントは言っている意味が理解した。

 つまり可愛い狐とウサギを食べる事に気が引けているのである。

 確かに女性の立場なら気が引けても仕方はないが、それでもこの好機を逃せば本日の夕食はありつけない可能性がある。その事がブラントにとって苦渋の選択となった。


「……わかりました。この場は引きましょう。まだ夕食まで時間はありますので、それまでに食料を探しながら行きましょうか」

「勝手な事を言ってごめんなさい」

「いえ、気にしないで下さい。私もアリアさんの気持ちを考えず、軽率な発言をしました。すいません」

「いえ……」

「それでは足元に気を付けて気づかれない様に」


 ゴブリンの悲鳴を聞きつけて仲間が来るかもしれない。そうブラントは自分自身に言い聞かせ未練を断ち切る。

 臨時のパーティーとはいえ、それでも仲間の意見も考慮しなければいけない。それを振り切って独断で食料を強奪するのも容易いが、それではパーティーとしてのわだかまりが残る。

 今回の件はアリアの我が儘であり、郷に入っては郷に従え――本来なら一般人が冒険者に同行するのであれば、冒険者のやり方に従うのが筋である。かといって強要させればわだかまりができる。たった二人組のパーティーで、依頼の序盤を考慮すれば今回はブラントが場を引いた事がむしろ正解ともいえる。

 中腰の状態で来た道を戻り、そそくさと逃げるように先を急いだ。


「そう言えば、アリアさんのリュックにはたくさん荷物が入っているようでしたが、一体何を持ってきたのですか? ――っと、あまり女性に聞く質問ではありませんでしたね。忘れて下さい」


 元々歩いていた道に戻り、辺りにモンスターの気配を感じ取れなくなった頃合いを見計らってブラントは疑問を問いかけたのだが、言い終わった後に失言だと気が付き慌てて訂正を入れた。

 腰まであるポニーテールを左右に揺らしながら歩くアリアは気にする様子がないのか、胸元で両手を振るう。


「いえいえ、大丈夫です。私って少し男勝りな所がありまして、女友達が気にする様な事でも私は気にならないし、他の女性と価値観が違うって言うか……。その癖に可愛い動物は食べられないとか、私って変わっていますね」


 そう言ってアリアは苦く笑う。


「そうでしょうか? アリアさんの性格はまだ私には分かりません。ですが、そのような性格であるなら、逆に男性は接しやすくて良いと私は思います。それに可愛い動物を食べるのに抵抗があるのは仕方のない事だと思います。肉の塊を購入して食べるのと、生き物の原型から捌いて食べるのとでは意味合いが同じでも、感じ方が全く違いますからね。今の生活が成り立っているのも少数の人間が良心を痛めて捌き、大多数の人間がそれを当たり前のように食べる。そこから目を背ける事は決して悪いとは思いません。もちろんモンスターの命を奪う冒険者、そのモンスターの皮を剥ぎとる人もまた少数の人間がする事であり――っと、すいません。話が脱線しちゃいましたね。つまり私が言いたいことは、アリアさんの思いは誰でも持っている当たり前の感情だと思います」

「……ブラントさんって大人ですね。当たり前すぎて今まで気にならなかったけど、確かにそうですよね。私が練習したい事も見た目が違うだけで、やっている事は同じです……。なんだかブラントさんと一緒にいると考えさせられるって言うか、もっと色々な話を聞きたくなっちゃいました」

「あまり人の意見を受け入れすぎると、自分の意思が薄れていきます。人の意見はあくまで参考程度、頭の片隅に入れとく程度が丁度いいと思います」

「そういう物ですか?」

「それもあくまで私の考えです。それに自分の意志に隙がある人は、悪い男に引っかかっちゃいますよ」

「それはちょっと嫌ですね……」

「でしたら人の意見はあくまで参考程度に。それを心がける事をお勧めします――すいません。話に夢中になってモンスターに見つかっちゃいました」


 そう言ってブラントは右隣の草むらに視線を送る。

 剣を抜き取り、アリアを守るように背を向けてブラントは腰を落とす。そのまま距離を取るべく盾でアリアを誘導しつつ後退する。

 モンスターとの距離が縮まっているのか、徐々に草むらが揺れる音が大きくなる。

 複数の音を聞き取ったブラントは下唇を噛みしめ、後退しつつ音のする方を凝視する。草の揺れからゴブリンだと想像はつくが、どの種類かまでは特定できず背中に一筋の汗が流れる。

 戦闘は回避できないが、内心では普通のゴブリンであることを願うだけであった。


「私が前に出るまで後退します。私が前に出たらアリアさんはその場で待機して下さい」


 指示を出し、更に五歩ほど後退した時。

 先ほどまで二人がいた場所の横にある草むらから現れたのは、ブラントが想像した通りのゴブリンであった。数にして三体。二体は通常のゴブリン、一体はナイトゴブリンである。


「最悪だ……」


 ナイトゴブリンは通常のゴブリンの上位種に位置づけされている。体の大きさも五割ほど大きく、冒険者の防具や武器を装備しているのが特徴である。

 現にブラント達の前にいるナイトゴブリンも一回り大柄で、防具は軽装備の毛皮鎧(レザーアーマー)と重装備の籠手(ガントレット)を装着している。奪い取った冒険者の血だろうか、所々で黒ずんだシミが出来ていた。

 武器として六十センチほどのメイスを装備している。メイスとは打撃に特化し、頭部に重りがあるため遠心力で振るえば通常の力以上の威力を発揮できる。ナイトゴブリンの力でも、ブラントが装備している胸当ても容易く粉々にする威力はあるだろう。

 それでもポジティブに考えれば助かった方である。もしメイスではなく、クロスボウや弓の様な飛び道具であったら戦況は更に厳しかっただろう。

 もしブラント一人なら問題はなかった。

 だが今回は戦闘において素人のアリアに後ろにいる。そのため一般人のアリアに傷を与えない様に立ち回らなければいけない。それはつまりゴブリン二体、ナイトゴブリン一体をソロで討伐する以上の難易度がある訳だ。

 距離にして十メートルほどの距離でお互い出方を探り、ゆっくりと一歩、また一歩とブラント達は後退する。それと同時にリーダーのナイトゴブリンは二体のゴブリンに指示を出すと、中央にナイトゴブリン、両サイド前方にゴブリンと陣形を組む。

 その陣形のままブラントが後退する距離だけ縮め出す。

 時間をかけるのはゴブリンの援軍が来る可能性もある。ジリ貧となるぐらいなら、とブラントは駆け出した。

 たかだか十メートル程度の距離は戦闘において距離とは言えない。全力で走れば数秒もいらない距離であり、どれだけ集中して相手の攻撃に最善の対応をとるかが勝敗を左右するだろう。

 ブラントの戦術とは言えないお粗末な考えは、取り敢えず前衛の二体のゴブリンを仕留め、いったん距離を取ってナイトゴブリンと一騎打ちをする。最も無難な考えだが、最も確実な方法でもある。

 そのためまずは向かって左のゴブリンに剣を振るうモーションに入る。対応ができていないゴブリンは立っているだけで、このままいけば確実に一体は斬れる状況である。

 剣の切り刃が右下から切り上げるようにゴブリンに迫る時、ブラントは有り得ない光景を目にした。

 今にも切り付けようとしているゴブリンを挟んだ逆からメイスが迫っていた。つまり中央にはゴブリン、その右からブラントの剣。それに対峙するようにナイトゴブリンのメイスが迫っていた。

 それに気が付いた時にはどうする事も出来ず、撫でるように切り上げるはずだったブラントの剣がゴブリンの脇下から食い込み、そのまま腹部中央まで埋まるように切り上げる。それは複数を同時に相手にする時、最もやってはいけない突きをした状態となる。

 それはナイトゴブリンにとって狙い通りの結果であった。

 攻撃された反対からメイスで押し込む事により、軌道がずれた剣がゴブリンに埋まる。つまり元々ナイトゴブリンは同族とはいえ、二体のうち一体のゴブリンは捨て駒扱いだった。

 切られたゴブリンはそのまま絶命し、力を無くしたゴブリンは倒れこむ。その重さがズシリと剣に伸し掛かる。


「くそっ!」


 まんまとナイトゴブリンにしてやられたブラントは叫ぶ。が、まだ終わってはいない。

 反対側にいたゴブリンが持っていたナイフをブラントに振りかざす。それを寸前の所で後ろに後退し回避したが、その代わりにブラントは武器の剣を手放す結果となった。

 メインの武器を失い、装備しているのは盾と投げナイフが三本だけである。それはあまりにも不利な戦いである。

 ないよりかマシだと、腰の投げナイフを手に取り構える。

 そもそも投げナイフとは、名前通り投げる専用のナイフである。そのため切れ味がほとんどなく、目標に刺さった時に衝撃を吸収するために柔軟性に優れているのが特徴である。それはつまり、一般的なナイフと同じ用途で使用はできない。

 本来であれば無理する場面ではなく、いったん引くのがセオリーかもしれない。だが一般人程度の体力しかないアリアがいる以上はジリ貧になるのが目に見えている。それはつまりここで二体を狩らなければ、ゴブリンに狩られる側となる。

 一か八かナイフを投げてみるプランを頭によぎるが、ブラントはすぐに却下する。戦闘において貴重な武器の一つが無くなるのは面白くない。それこそ万事休すとも言えよう。

 それなら盾で攻撃を受け流し、隙を見てゴブリンの首筋に投げナイフを突き刺す。奪った戦闘用ナイフでナイトゴブリンを始末する。

 それがブラントの導き出したプランであった。もちろんそれを行動に移すのは容易くはない。力み過ぎて変な角度で柔軟性のあるナイフを突けば折れる可能性があり、それが致命傷にならなければ逆に攻撃を直に受けてしまう。それは正確性が問われる技術であった。


「落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け」


 ブラントは自分自身に何度も言い聞かせ、一つ大きな深呼吸をして息を止める。その直後、心臓の鼓動が大きくなり直に感じ取れるようになる。

 そして再びゴブリンに向かって駆け出し、直前で浅く息を吐きバックステップで一度距離を取り再び前進する。

 ゴブリンとナイトゴブリンは、不意のバックステップでタイミングを完全に外す。振りかざしたナイトゴブリンメイスは砂埃を上げて地にあたり、突き出されて伸びきったゴブリンのナイフを盾で横に払いのける。ゴブリンの体は完全にあらわになり、その隙に距離を縮め投げナイフを首筋に突き刺す。

 吸い込まれるようにすんなりとナイフは首筋に入り込み、そのままその場にゴブリンは倒れ込む。

 本来ならゴブリンからナイフを奪いたいが、早くも体制を立て直したナイトゴブリンが視界に入り、渋々再び後退する。


「ブライトさんこれを!」


 再び腰の投げナイフを手にかけた時、後方からアリアが叫ぶ。振り返って確認したいが、ナイトゴブリンとの距離はそれほどない。一瞬でも視線を外せば隙を見て襲ってくるだろう。それほどのプレッシャーがあった。


「ナイフです! 受け取って下さい!」


 鞘から抜かれた短剣が宙を舞い、ブラントの足元に突き刺さる。視線をナイトゴブリンに合わせたまま、ゆっくりと足元のナイフを引き抜く。

 刃渡りにして十センチほどで、皮を剥ぎ取る時に使っているのか、持ち手の部分は至る所に擦ったような傷が付けられている。それでもしっかり手入れがされており、刃こぼれ一つない綺麗なナイフであった。

 ギュッと握る手にも力が入り、じりじりと距離を詰める。

 先ほどのフェイントはもう使えない。これより先はナイトゴブリンの初手をいかに防ぎ、どのようにダメージを与えるかが勝敗を決めるだろう。何せ重量武器であるがゆえに、初手を外せば次に移るまで必ず隙が生じるためである。

 メイスを左右どちらに振るうか、それとも振り下ろすか、ナイトゴブリンの手元に集中が行く。

 じりじりと距離を詰めるが、ナイトゴブリンも様子を見るのに徹底しているのか動く気配はない。ただ距離が詰まるだけであった。

 このまま睨み合っては埒が明かないのは明白で、それならば、と先に痺れを切らしたのはブラントであった。

 ほとんど距離のない状態ではあるが、体制を低くして駆ける。それに対しメイスの持ち手を下に振り下ろしてナイトゴブリンは対応する。現状で最短のモーションとも言えよう。

 メイスは確かに当たればそれだけで敵に致命傷を与えるだろう。左右に振るえば遠心力、縦に振るえば頭部の重りによる重力、それらの恩恵が多いためである。

 だが言い換えれば、逆を突けば為す術がないと言えよう。つまり左右にメイスを振るなら、縦に攻撃して遠心力を利用すれば明後日の方向にメイスは行く。メイスを振り下ろすのであれば、頭部の重りを横にずらせば重力はそちらに行く。

 だからこそブラントはメイスの持ち手目がけて、盾を外側から内側にかけて振るう。

 狙い通りメイスの持ち手に盾が当たり、それと同時に頭部の重りが外側に重心がずれる。


「ギィィィィィ!」


 その重力からナイトゴブリンの腕は曲がってはいけない方向に曲がり、苦痛の叫び声を上げてメイスを地面に落とす。

 だがその時には既に勝敗は決まっていた。

 突き上げるようにナイフが伸び、そのままスッとナイトゴブリンの喉に突き刺さり、そして横に払いのける。切り口から盛大に血が噴き出し、直後にナイトゴブリンは地面に倒れ込む。


「何とか、かな」


 誰にも聞き取れないほど小さな声でブラントは呟き、それ以上に大きく深呼吸をする。生暖かい空気が肺を通って生きている実感がわく。

 そんなブラントの後姿にアリアの視線は釘付けとなる。そんなアリアの心臓は破裂しそうなぐらい大きく鼓動する。

 生れて初めて戦闘を目の前で見た高揚感なのか、それとも勇敢に戦うブラントに対する恋の前触れなのか。だが今のアリアなら誰かに前者と言えば前者になり、後者と言えば後者になる。それほど感覚が麻痺し、それほど衝撃的だった。

 そんな胸の高鳴りを抑えようとする手に力が入る。だがブラントは追い打ちをかけるように、振り返って優しく微笑みかける。その笑顔で一段と胸が大きく高鳴った。


「アリアさんのおかげで今回は助かりました。本当にありがとうございます」


 目の前まで近寄り、血の付いたナイフを払いのけ深々とブラントは頭を下げた。


「い、いえ。こちらこそ助けていただきありがとうございます。それに……」


 頭を上げたブラントはナイフを返し、持ち手から伝わる温かみが儚くもあり愛おしくもあり、ぎゅっとアリアは胸の前で握りしめる。


「それに?」


 その言葉の続きそれは、素敵でした。その一言であったが、その一言を伝えるのがアリアは口にする事が出来なかった。照れくさくもあり、恥ずかしくもあり、今まで感じた事のない感情が渦巻く。


「……いえ、なんでもありません」


 少し頬を染めてニンマリとアリアは笑う。今のアリアにとってそれが精一杯の笑顔であり、返事であった。



*    *



 ――魔術師ギルドの休憩室。

 ブラントと別れ後、受け持っていた作業に区切りをつけてセリスとセバスは共に一服をつけていた。

 休憩室と言っても専用の部屋がある訳ではなく、ちょっとした仕切りをしただけの休憩するスペースと言ってもいい。その休憩室にあるのは二十人分の椅子と、五つの机。誰でも水分補給ができるようにと水の入ったポットと珈琲。たったそれだけの質素なスペースである。

 他に誰もいない休憩室で二人は向かい合って珈琲を飲んでいた。ただ仕切りの横では忙しいのか喧騒に包まれ、あまり休憩を実感していない二人だった。それに加えて休憩時間が設けられていないがゆえに、他が忙しそうにしていると休憩するのに後ろめたくも思えてくる。

 表面上では好きな時に休憩すればいいと言うが、裏返せば他の人は仕事しているから休憩を取らずに働こう。

 そんなギルドの暗い部分を感じ取った二人は早くも嫌気が差した。今までこれほど束縛されなかったリバウンドが二人に重くのしかかる。


「私達のプレゼントは気に入ってもらえましたかねぇ~?」

「うむ。それにしてもあの婆さんが坊やには甘いものじゃ」

「それを言ったらあのセバスさんもブラントさんには甘いでしょ~? ついでに言ったらダマルダさんもブラントさんを甘やかしていますよねぇ~」

「確かにそうじゃが……。パーティーになる前、それこそ坊やがギルドに入った時から知っているからな。まぁ坊やとワシらの直接的な接点はないにしても、それでも坊やの事はよく知っておるからのぅ。甘やかしたくもなるってもんじゃ」


 そう言って過去の思い出を探るようにセバスは遠い目をした。

 直接的な接点は無いにしても、それでも間接的な接点はいくらでもあった。剣術にしても、隠密にしても、投げナイフにしても、そのどれにしてもセリスとセバスは共にブラントを高く評価していた。

 評価と言っても意味合いは複数ある。才能面であったり、忍耐面であったり、姿勢面であったり。その中の忍耐面に関して評価していたのだ。


「そうですねぇ~。ブラントさんのような一生懸命な人は最近いませんからねぇ~。あの後姿を見ていると心が高ぶると言いますか、昔の私を思い出しちゃいますねぇ~」

「む? 昔の婆さんはそこまで一生懸命に何かを取り組んでないと思うのじゃが……」

「私は陰で努力するタイプですから~」

「ほう。……陰では努力して、表では人をバカにしていたって事じゃのぅ?」

「ええ、そうなりますねぇ~」

「昔からあくどいものじゃ。……まぁ、それに関しては今となっては過去の話じゃ。それより婆さんはどんな手紙を中に何を入れたのじゃ?」

「時間が無かったものですから、そこらに置いてあるのを適当に入れたので分かりませんよぉ~。セバスさんこそ何を入れたのですかぁ~」

「ワシもそうじゃ。まぁ何かしらの用途に使えるから、後は坊やの悪次第って事じゃのぅ」


 二人が言うところの手紙。

 それは魔力がない人にでも使えるスクロールであった。

 一般的にスクロールは高値で取引されている。スクロールの内容にもよるが、それでも安くて銀貨五枚程度はかかるだろう。それほど高価な物である。

 魔術師ギルドにおいてマジックアイテムの試作品を提供するのは了承されているが、スクロールの持ち出しは処罰に値する。そのため二人の建前は手紙とし、マジックアイテムに忍ばせてブラントに渡したのだ。


「まぁ何はともあれブラントさんが無事に帰ってくる事を私達は願いましょうかぁ~」

「それもそうじゃ」


 慌ただしく動き回っている同僚に少し嫌気を感じ、二人は珈琲の入ったマグカップに口をつけるのであった。

ここまで見ていただきありがとうございました。そして長文にお疲れ様です。

甘口から辛口の感想やご意見、お気軽に下さると嬉しいです。

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