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2話 黒い牙 (1)



 ――要塞都市エンティラに到着して三日目の早朝。

 前日同様に『HONEY亭』で二人部屋を借りて一行は泊まっていた。そしてブラントは六時の鐘と共に目を覚まし、朝食はいらないとダマルダに告げて冒険者ギルドに向かって走り出していた。

 前日は余った依頼――結果的には余っていても強制的にゴブリン討伐の依頼になったのだが、その結果によりインパクトは与えたと、今日はより効率の良い依頼を求めている。できれば本日の稼ぎも銀貨五枚以上は目標にしたい所だった。

 剣術などの技術は隅に置き、今後の事を考えればいい加減に装備を整えたいブラントである。

 武器の剣は仮に折れても、ソルジャーゴブリンかナイトゴブリンから回収すれば多少は繋ぐことはできる。それよりもまずは防具を整えなければ助かる命も助からなくなる。それが今のブラントにとっての第一の目標であり、更に上級ランクになるための必需品でもある。

 宿泊エリアと商業エリアの境目。ブラントと同じ考えの冒険者が徐々に姿を現し始める。ただブラントほど急いで向かっている者はいない。自分らのペースでパーティーと談話を楽しみながらゆっくりと歩いていた。その隣を何度も追い抜いて行く。

 どれだけの距離を走ったか分からないが、防具にしても剣にしても、ブラントの装備品は人より少ないがそれでも鉄製で重い。スタミナの限界に達したブラントは道端で呼吸を荒げて立ち止まる。

ふと、何気なく立ち止まった店に視線を送ると、そこは防具屋であった。

 レンガ造りの建物で通路側は全面ガラス張り、そこには三点ほどの防具がディスプレイされている。

 その内の一点にブラントは目を奪われた。全身鎧(フルプレートアーマー)から必要最低限の部位を厳選し、攻防に優れた印象を与える。

 胸当てと背当てが一体化してそれが腹部まで伸び、それとは別に丸みを帯びた肩当てが撫でるように二の腕にかけて続く。上腕辺りには防具がなく、前腕から手首にかけ覆うガントレット。下半身では股間を覆い、邪魔にならない程度に腰辺りにも垂れ下がるように伸びる。あとはブーツのように足のつま先から膝にかけて足を守るグリーブ。メインの色は艶を消した黒をベースとし、各部でシルバーの装飾が施されている。シルバーの装飾が日光に反射し輝くと、より一層にブラントは吸い込まれるように防具に魅了された。

 そのまま数分経った頃、ブラントは現実を目の当たりにする。

 防具の下に書かれた金額である。金貨にして百二十枚。今のブラントは所持金にして金貨一枚分もない。あまりにも長い道のりであり、現実がそこにあった。

 心の中では分かっていた事ではあるが、それでも途方にない金額に肩を落とすブラントであった。それでもいつかは、とブラントは目標に一つ追加する。

 数分も休憩すれば呼吸も整い再び走り出した。

 防具屋と冒険者ギルドまでは目と鼻の先だったため、それから五分ほどで到着する。

 ドアのベルを鳴らしギルドに入ると、まだ早い時間だけあって数人の冒険者が依頼ボードを物色しているだけだった。

 その冒険者達の隣に立ち、ブラントもまた依頼ボードに目を向ける。見習い冒険者用に設けられたスペースをじっくりと品定めするが、やはり最も稼げるのはナイトゴブリンの討伐である。

 これしかないとブラントは依頼書に手をかけ、受付カウンターに視線を送ると睨みつけるエリーと目が合う。

 その瞳からは『高ランクの依頼書は受け付けない』と物語っているようで、ブラントはそっと依頼書を手放した。

 困り果てたブラントが次に手にしたのは、前日見かけなかったブラックファングの依頼書である。

 名前通り黒い牙が特徴で、毛並みは野生だけあり剛毛で毛色も全体的に黒い狼である。戦闘能力ではゴブリン以上、ソルジャーゴブリン以下と個体に関しては決して強いとは言えない。ただブラックファングは集団行動を基本とし、平均的に三頭、多くても五頭の場合もある。それゆえに集団ではソルジャーゴブリン以上とも言われるのも事実。


「毛皮の剥ぎ取り練習にもいいかも」


 そう呟き、ブラントは依頼書をボードから取りまじまじと目を通す。

 三頭の討伐で銀貨二枚、以降は指定部位一つを銅貨五枚と金銭面ではやや心もとないが、ここからが本題である。ブラックファングの最も高値で取引される部位は毛皮であり、その毛皮をいかに無傷で剥ぎ取れるかが儲けに繋がる。

 今現在の相場は一頭の毛皮を銅貨五枚とされている。つまり三頭の討伐で銀貨三枚と銅貨五枚、それ以降も部位と毛皮を合わせて一頭が銀貨一枚となる。

 仮に毛皮の剥ぎ取りの失敗、戦闘中に滅多刺して毛皮に複数の傷がつくなど、そのような毛皮は相場を大きく下回る。

 一見にして数さえこなせばナイトファングより儲かりそうに思えるが、毛皮の剥ぎ取りにしても、毛皮を傷つけない戦闘など全てにおいて一定以上の技術が要求される。そのためほとんどの駆け出し冒険者はそれらの技術が無く、蓋を開けてみたら時間の割に儲けが少ないのが現状だ。

 そんなブラックファングの依頼だが冒険者には根強い人気がある。それはブラックファングの亜種、希少種とされる存在である。通常のブラックファングの毛色は黒いのに対し亜種はブラウン、希少種はホワイトとなる。

 その二頭に関しては毛皮の相場が跳ね上がり、亜種は通常の数倍、希少種ともなれば毛皮の状態に関係なく相場の数十倍まで跳ね上がる。一攫千金を夢見た駆け出し冒険者に人気の要因はそれだ。

 そうと決まれば行動は早い。依頼書を片手に睨みつけ手招きをするエリーの元にブラントは向かう。すっかり専属のようにブラントを気に掛けるエリーに同僚は失笑を浮かべるが、エリーは気にする様子はない。


「おはようございます。エリーさん」


 朝の挨拶に対し「おはようございます」と、表情を変えることなく素っ気なくエリーは言う。受付カウンターに置かれた依頼書に目を通すものの、その表情は変わることなく険しい物だった。


「ブラックファングですか……。昨日のパーティーの方はどちらに?」

「いません。今日もソロです」

「それでしたらもう少しランクの低い依頼にして下さい」


 と、早々に出鼻をくじかれる。

 ブラックファングより下となれば、昨日と同様にゴブリン討伐しかない。ブラックファングもゴブリンも毛ほどしか戦闘能力の違いはないのは、冒険者ギルドで働くエリーも知らないはずはない。

 あからさまに依頼を受理しないエリーに対し、ブラントは頭を悩ませる。

 何か悪いことでもしたのかな? 生理的に受け付けないのかな? 同時にブラントの頭の中は疑問でいっぱいだった。


「あのね、エリー。彼って噂の大量にゴブリン討伐した子でしょ? それならブラックファングぐらい問題ないでしょう。……それとも気になる彼には危険な依頼は受けさせないのかな?」


 そう言って間に入ったのはエリーの同僚で、隣の受付カウンターに座る美しい大人の女性だった。

 表情を隠すように長く細い黒髪に、伏し目がちなブラウンの瞳。どこかミステリアスな印象を受ける。

 そんな名前も知らない受付嬢に、ブラントは心の中で『そうだ! そうだ!』と頻りに呟くのであった。もちろん口には出さない。出してしまえばエリーが意地にあるのが目に見えているし、今後の付き合いもある。


「気になっていませんし、気持ち悪いことを言わないで下さい! 私はただ冒険者ギルドの職員として公平な立場からお断りしたにすぎません。ブラントさんの格好を見て同じように言えますか?」

「呆れた。それを言ったらゴブリン討伐も無理でしょうに……」

「まだ採取依頼が残っています」

「あのね……。どうしてそこまでこの子を束縛するのよ?」

「ですから、私は公平な立場に――」

「もうその話はいいわ。それなら私が依頼の処理をしてあげる。冒険者くん、こちらにおいで」


 昨日――更にはそれほど言葉を交わした仲ではない二人だが、実のところエリーはブラントに対し、背伸びをするダメな弟のように思っていた。

 冒険者ギルドに集まる男性は基本的に剛腕だったり、獣臭かったり、男性というより雄のような人が集まる。その中のブラントだった。

 今までの冒険者を真逆にしたようなブラントを気にかけるのは、もはや一種の職業病とエリーは感じていた。そんな冒険者に憧れているダメな弟を同僚にとられる様は、エリーにとって決して気持ちのいい姿ではない。

 そうとは知らずに板挟みになりつつある状況に、ブラントは何も言えず遠い目をする。

 ただ依頼書を持ってきただけのブラインだったが、どういうわけかその心は徐々に磨り減っていく。理由はどうあれ勝手に人を拒絶し、人の身なりに文句を言う。これほど酷い受付嬢は聞いたことも見たこともないだろう。

 エリーを見返す前にブラインの心が折れる方が速そうであった。

 確かにエリーの同僚に依頼の手続きをしてもらった方が、スムーズに進むのは間違いない事実である。だがそれではいけない、そうブラントは思う。二日目にして人を睨みつけるのも事実、人を信じないのも事実、身なりに文句を言うのも事実――だけどもブラントの心配をしてくれるのもまた事実。


「いえ、私はエリーさんに頼みます。お気遣いありがとうございます」


 ここでエリーに頼まなかった場合、きっと当分は口も聞いてくれないとブラントは悟る。顔見知り程度の仲ではあるが、それでも寂しいものだ。

 だからこそエリーの目を見据え、返却されたブラックファングの依頼書をカウンターに置き「よろしくお願いします」と告げる。


「はぁ……。分かりました。今回は私の負けです。依頼を受理しますのでギルドカードをこちらに」

「ありがとうございます!」

「それでは依頼の詳細を説明します――」そう言い都市エンティラを中心にした近隣の地図をカウンターに置く。「――では、ブラックファングの生息地はエンティラから南西に五十キロほど離れた場所になります。中央の門からカムイ大樹林の向かう道路を通り、冒険者によって踏み固められた道路を通ります。そのまま徒歩でおおよそ十時間ほど歩くと湖に通じます。この湖は山から流れています。その中流、そこがブラックファングの生息地となります。この地域は比較的に岩が多くなりますが、ここでの寝泊りは注意が必要です。ブラックファングの巣は洞窟になりますので、安易に洞窟に入ると鉢合わせる場合があります。そして最も気を付けなければいけない注意事項ありまして、川の上流には決して立ち入らないようにして下さい。そこにはブラックファングの最上位種が生息しています。見習い冒険者のブラントさんが太刀打ちできる相手ではありません。分かりましたか?」

「はい、大丈夫です。続けて下さい」

「では次に依頼の最終確認となります。依頼書に記入されている通り、三体の討伐となり報酬は銀貨二枚、以降の討伐は指定部位一つで銅貨五枚となります。毛皮はギルドで相場通り買い取らせて頂きます。もしよろしければご利用下さい。最後に依頼の期間は本日から二日後になります」


 ドンっと依頼書に大きなハンコを一つ押し、書類に色々と書き込む。


「それでは――」依頼書とギルドカードをカウンターに置き、「泊まり込みの依頼となりますので、十分に注意を払って下さい」エリーは続けざまに言う。

「ええ、心して挑みます」


 何とか依頼を受ける事が出来たブラントは、昨晩ご馳走になった酒場のママに挨拶をしようと意気揚々と歩き出す。

 依頼の受理まで長々としていたため、気が付かない内に依頼ボードの前には人だかりができていた。それを目の当たりにしたブラントはほっと胸をなでおろす。この人だかりが受付まで流れた時に長々と居座れば他の冒険者の迷惑になっていただろう、と。


「あの、冒険者様よろしいですか?」


 依頼ボードを通り過ぎ、酒場の机の横を歩いている時だった。ブラントは一人の女性に呼び止められた。これ以上は誰とも関わらずに依頼の準備をし、さっさと旅立とうとしていた矢先だけに不安がよぎる。

 他の冒険者でありますように。そう願うブラントだったが、残念な事に周りには誰もいない。それどころか声をかけた女性はブラントの顔を凝視している状況に、ブラントは心の中でため息をついて渋々ではあるが状況を受け止める。


「どうかしましたか?」

「おこがましいのは重々承知でお願いします」


 彼女の目線はブラントと差ほど変わらず、女性にしては長身の部類に入る。ほっそりとした輪郭に切れ目の彼女は長い髪を後頭部で結ぶ、つまりポニーテールの髪を下に垂らし深々と頭を下げた。そして体のラインがでる薄着なため、彼女からは活発な印象を与える。


「えっと……。取り敢えず椅子にでも座って話を聞かせて下さい」



 酒場の端で向かい合って椅子に二人は座り、ママのご厚意で置かれた水を一口飲む。ブラントに頭を下げて何かを頼みたいのは明白であるが、切り出しにくい内容なのか、それとも頭の中で整理をしているのか俯き黙り込んでいる。


「それで、私に何か様があるのですか?」


 と、ブラントは黙り込んでいる女性に話を切り出す。依頼を受けた以上は依頼終了までの時間が刻一刻と迫っており、それほど猶予にしている暇はない。

その言葉を待っていたかのように彼女はようやく顔を上げる。


「初めまして、私の名前はアリアです」


 ぺこりと頭を下げる彼女――アリアに続くようにブラントも頭を下げる。


「私はブラントです」

「よろしくお願いします。……それでは要件の件ですが、失礼と知りつつブラックファングの討伐を依頼されたのを盗み見しました。まずはその謝罪をさせて下さい」


 再び頭を下げようとするアリアに「いえ、そのぐらい気にしないで下さい」と、ブラントは慌てて立ち上がり停止させる。

 ブラントにとって誰かに頭を下げられるのは慣れていない。それどころか逆に自分が悪いのではないかと錯覚するほどだ。


「ありがとうございます。それでは話を戻しまして、おこがましいのは重々承知でお願いします。私もブラントさんに同行させて頂く訳にはいかないでしょうか?」


 何だ、そんな事か。そうブラントは心の中で呟く。

 深々と頭を下げたり、深刻そうな表情だったり、よっぽどの頼みをするのではないかと思っていたブラントは最初こそ呆気にとられたが、徐々に安堵する気持ちが強くなる。

 だからといって安易にアリアの願いを理由も聞かずに受け入れる事もできない。まずはそうなった経緯、そこからアリアの望みを聞く義務がブラントにはあり、それを聞かない事には話にならない。


「理由を聞いてもいいですか?」

「はい、お話します――」


 からのアリアの説明は長かった。脱線に次ぐ脱線でもはや何の話をしているのか分からなくなってきた。所々で修正を兼ねてブラントがマシンガントークに割って入るが、それもまた脱線する事小一時間。さすがに愛想笑いも相槌にも疲れが見え始めたブラントであった。

 話を要約するとこうなる。

 アリアは防具の製造販売をしている防具屋の娘らしいが、あまりにも手先が不器用で上手くいってないらしい。このままでは不味いと、苦手な剥ぎ取りから練習する事になったらしい。それでもブラックファングの依頼を受ける人が大男の冒険者――ほとんどの冒険者がこの部類に入るため、そんな人に同行をお願いするのは怖くてできなかったらしい。それらの冒険者とは似ても似つかいブラントなら怖くないしお願いしよう。要約するとこれだけである。


「――となります。お願いします! 私を同行させて下さい!」

「話はおおむね理解しました。ですが、アリアさんは大丈夫なのですか? 仮にも私は男で、見知らぬ冒険者とカムイ大樹林とはいえ一夜を過ごす訳ですが……」

「他の冒険者さんとは厳しいと思いますが、ブラントさんは草食系と言いますか、そのような事に奥手そうなので一夜ぐらいなら大丈夫です!」


 確かにブラントは女性経験が全くない。今までそのような環境に置かれていなかったのも要因の一つだが、それを無しにしても若い女性に対して苦手意識があった。

 その事実は変わらないのだが、赤の他人、ましてや初対面の人に言われるのも男として複雑な心境であった。

 その発言が失言と悟ったアリアは「良い意味ですよ」と慌てて言い訳がましい事を言う。


「……アリアさんがそれで良いなら同行は構いません」

「ありがとうございます!」

「ちなみにアリアさんは戦闘経験がありますか?」

「ごめんなさい。全くないです……。小さい頃から防具の製造にしか興味がなくて」

「いえいえ、攻めている訳ではありませんよ。一応の確認ですから気にしないで下さい。後は報酬の分け前ですが――」

「それは結構です! 私の我が儘に付き合わせているので報酬は受け取れません!」


 このような時は後々の問題を無くすため、特に金銭面に関してはしっかりとした方がいい。依頼が始まる前に相手が無償で大丈夫と言っても、終わった後に何を言い出すか分からないためである。高価な物を手にしたときは尚更に。かといって現在は契約書もなければ立会人もいない口約束に過ぎず、金銭面がどうの云々の話はあまり意味のなさない事ではある。

 今回はそれとは別にして、ブラントはアリアに対して報酬を払う理由が一つある。

 それは剥ぎ取りの技術だ。アリアは剥ぎ取りが苦手だと言うが、それは逆に剥ぎ取りの知識だけはある。つまり剥ぎ取りに関してブラントはずぶの素人で、技術は学べないが知識だけはアリアからは得る物があり、授業料を払う理由もある。


「いえ、剥ぎ取りの練習とはいえ無償で働かせるのは個人的に嫌なので、同行するのであれば報酬はきっちり払わせてもらいます。……それではこうしましょう。今回の依頼で剥ぎ取った毛皮の報酬はアリアさんの分け前。たぶん出会わないとは思いますが、仮に亜種や希少種と出会った場合の報酬は半々にしましょう。これで納得してくれませんか?」

「剥ぎ取りの練習にそこまで受け取れません! せめて銀貨二枚ほどで……」


 譲り合う事に関しては中々に強情な二人だったため、決まる話も中々決まらず、その結果さらに三十分も話し合いに費やすこととなった。

 その結果、依頼の成果は別としてブラントがアリアに剥ぎ取りの依頼で銀貨五枚を支払う事で話は終わった。それでもあまり納得しないアリアだったが、時間を無駄に費やせないとブラントは打ち切り強制的に終了となった。

 何はともあれ依頼を受けてから既に一時間半ほど経過している。遠征だけあってブラントは旅路の準備をする必要がある。一時間後に正門で待ち合わせと告げてブラントはギルドから飛び出すのであった。



 ブラントにとって初の遠征となり、準備する物は山のようにあるが、彼の心もとない所持金では全てを買い揃えるのは無理だった。

 そのため必要最低限の物だけを買いに商業エリアに向かって全力で走っていた。

買い求めている品は、大き目の丈夫なリュック、寝袋、調味料、飲み水、その四点だった。できれば夕食用の食材も欲しいが現地調達で節約し、ランタンも欲しいが焚き火で我慢。その四点を購入して余っただけ回復ポーションに回そうとしていた。

 そう商業エリアを全力で走ってはいるが、時刻にして九時前後。ほとんどの店が開店準備に追われていた。焦りながらも必死に探し、ようやく一件の雑貨屋を見つけた。

 老夫婦が趣味程度に店を開いており、お世辞にも品揃えが豊富とは言えない。


「いらっしゃいませ。何をお探しで?」

「遠征に必要な物を少々です」

「それでしたこちらにありますので、ごゆるりと」


 それだけを言い残し亭主は捌けていく。

 案内された一角にはブラントが求めている品が鎮座されている。

 売れ残りなのか値段的にも良心的である。常に閑古鳥が鳴くブラントの財布には優しい。

 今現在のブラントの所持金は銀貨八枚。ゴブリン討伐の報酬で銀貨七枚を手にしたが、それでも宿泊代やら食事代やら重なり日々赤字である。

 いかに良心的な店とはいえ、それでも銀貨八枚程度ではすぐに底をついてしまう。最も安い商品を手にしても合計で銀貨が七枚。それが現実である。

 落胆するブラントだが、どれも稼ぎには必要な品であり、いつかは必ず揃えないといけない品である。


「ありがとうございました」


 亭主のお礼を背に購入した品をリュックに詰め込み店を後にする。

もちろん残った銀貨一枚では高価なポーションは買えるはずもない。今所持している数が二つ。アリアを先頭に参加させるつもりはないが、本音を言えば倍のポーションは所持しておきたかった。なにせ相手はモンスターであり、いつ草むらから襲ってくるか分からない存在である。

 ないお金は仕方ないと、貧乏な自分を悔やむブラントであった。それでも仕方ない、その一言で済ませ再び走り出す。

 リュックを背負い次に目指す先は魔術師ギルドだった。確実に魔術師ギルド内で公務に励むセリスとセバスに本日の旨を報告しに行くためである。

 ギルドエリアには各々が所属する冒険者ギルド、魔術師ギルド、戦士ギルドの三大ギルドの他にも無数のギルドがあるのだが、柱となる三大ギルドは他のギルドに比べて人数が多く比較的に建物も大きくなる。

 詳しい場所をブラントは知らないが、取り敢えず大きな建物を探せば後は何とかなると探し出す。

 それほど広くないギルドエリアなのだが、探している時こそ見つからないものである。

 所々では休憩を挟むが、それでも走り続けているため息が上がり膝に手を置く。火照った体が顔に流れ込み、それと同時に額から汗がにじむ。

 約束した一時間後まであまり時間がない事に対し、ブラントは焦りと上手くいかない事に歯がゆく唇をかみしめる。


「ブラントさん?」


 背後から突然声をかけられ、ビクッとブラントは体を震わす。

 声の先には書類を胸の辺りで持つエリーが立っている。疲れ果てたブラントの姿を怪訝そうに見つめている。


「あぁ、エリーさん。どうしてここに?」

「それはこちらのセリフです。早く出発しないと時間がないですよ」

「仲間に一言伝えたくて魔術師ギルドに様がありまして」

「……もしかして探し回っているのですか?」

「ははは」


 苦く笑うブラントに呆れた眼差しを送るエリー。やれやれと一度頭を抱え、すぐさまブラントの手を握りしめ歩き出す。

 突然だったため数歩足がもつれるが直ぐに体制を立て直し、エリーに連行される形で一緒に歩き出す。


「……私も魔術師ギルドに書類を届ける用があります」


 唐突な言葉に疑問を覚えるが、直ぐに「あぁ、エリーさん。どうしてここに?」それに対する返答なのだとブラントは察する。


「そうでしたか……。どうあれ助かりました。ありがとうございます」

「いえ、ついでなので。それはそうと、依頼を受けてから女性と長時間もめているようでしたが、何かありましたか?」

「それでしたら――」


 と、ブラントはエリーに事の経緯を簡潔に話す。


「そうでしたか。……それにしても物好きな人もいますね。私ならもっと頼りになりそうな冒険者を選びますけど」

「ははは」


 普段のエリーはここまで一言多い人ではない。年齢的にはエリーの方が年下だが、やはりブラントに対しては――ダメな弟の位置づけであるがゆえに、余計な事まで本音を言ってしまうのだ。

 その一言が多いエリーに対し、苦笑いをするブラントにも責任がある。何も言い返さないブラントだからこそ、エリーは過剰に叱咤してしまうのである。

 そのようなやり取りをしている内にエリーは足を止める。ブラントがいた位置と魔術師ギルドは目と鼻の先だった。


「ここが魔術師ギルドです」


 そうエリーは言うが、目の前の建物に対してブラントは眉をひそめる。三大ギルドなのに非常に小さい――小屋と言っても差し支えない建物だったからだ。人が中に入るにしても、せいぜい五人程度で身動きが取れそうにないほどに。それでも木製の扉にはギルドエンブレムが彫刻され、確かに一つのギルドなのは間違いなさそうである。

 円の中に大きなハットを被り座る猫。その猫に寄り添う杖。確かにそのエンブレムが確かに魔術師ギルドと連想させた。

 ノックをせずエリーは扉を押し開ける。

 ぎぃっと建て付けが悪いのか甲高い音の先――。


「うわぁ……」


 目の前の光景に驚きのあまりにブラントの口から声が漏れる。

 全体を見下ろす位置に出入り口があり、奥行きにして二百メートルほど、横行で百メートルほどの広い空間である。天井も十メートルはありそうな開放的な作りとなっていた。その空間で何十人もの人が忙しそうに動き回っている。一名を除いて黒いローブにハットと、見るからに魔術師ギルドがここにある。

 ――空間制御魔法。

 それを可能にしたのは魔法であり、魔術ギルドならではの粋な計らいでもある。

 では空間制御魔法とは、名前通りではあるが空間をコントロールする魔法となる。この魔法のプロセスは空間魔法と制御魔法であり、その二つの魔法をオブジェクト指向――つまり狭い空間を広くしたい、と操作対象に視点を置く方法を用いて作られている。本来ならば空間魔法と制御魔法は全く別の魔法であるが、相互作用の点からもお互いの相性がいい結果から実現した同化魔法となる。

 あまりにも現実離れした光景にブラントは呆気にとられ、何度も魔術師ギルドに仕事で来ているエリーはその姿を鼻で笑い再び手を引く。

 向かった先は階段下の受付であった。受付に座っていた一人の男性が一礼をする。


「お待ちしておりました。ご要件はギルド長より承っております」

「それではこちらが書類となります。それとは別件で人を呼んでもらいたいのですが」

「構いません。どなたですか?」


 エリー背中を押されブラントは前に一歩出る。


「セリス・シルケットさんとセバス・ブルッケンさんをお願いします」

「少々お待ちください」


 一礼をして受付の男性が席を外す。


「エリーさん。本当にありがとうございました」


 受付のお手本のような一礼とまではいかないが、それでも感謝の気持ちを込めてブラントは頭を下げる。エリーがあの場にいなかったら確実に約束の時間には間に合わなかった。それどころか未だに魔術師ギルドを探し回っていただろう。


「別に構いませんよ。だって今回の報酬が入ったらご飯でも奢ってもらいますから」


 悪戯っ子のように笑うエリーだった。その初めて見る笑顔が少し新鮮で、少し微笑ましくブライトは感じた。

そんなブラントにも一人の妹がいる。家を飛び出してから長いこと会ってはいないが、もし妹に会えるのなら今のエリーのように笑うのだろうか。

 そう思うと余計に微笑ましくもあり愛おしくもあり、そして恨まれているだろう。たった一人の味方の兄が家から、父から逃げたのだ。それは恨まれているに違いない。今まで自分が生きることに精一杯で、その事から目を背けていた事実を思い出しズキリとブラントの胸に痛みが走る。

 胸の痛みを顔に出すことはなかった。誰かに話して気持ちのいい話ではないし、それを話して何も解決しない。誰かに同情されたくもない。それが無邪気に笑うエリーなら尚更だった。


「それは頑張らないといけませんね」

「当たり前です。もし中途半端な結果だったら二度と依頼は受理されないと思って下さい。だって昨日のゴブリンでハードルは一気に上がっていますからね」


 それを抜きにしても依頼を受理する気はないだろうに。そう突っ込みたいが、エリーの機嫌が悪くなりそうと、ブラントはぐっと我慢する。


「……そうやって笑っていた方が可愛くて魅力的ですよ」


 機嫌が悪くなりそう、それに対しておだてるつもりでブラントは言ってはいない。ただ純粋に思いの丈を言葉にしたに過ぎなかった。今まで厳しい顔つきのエリーしか見てなかったブラントにとって魅了ともいえるほどの笑顔が眩しかったのだ。

 あまりにも不意打ちに褒められエリーは何も言えなかった。その言葉の意味を聞き出したい。普段の自分はどのように映っているのだろうか。聞きたいことはあったが、それを言葉にする事がエリーには出来なかった。


「お待たせしました」


 そんな時、セリスとセバスを連れて受付の男性が戻ってくる。

 言葉の意図を聞けなかった事に、残念な思いと安堵した思いがエリーを取り巻く。


「あらあら、まぁまぁ~。突然どうされたのですかぁ~?」

「可愛い彼女でも見せつけにきたのか? 羨ましい奴じゃ!」

「セバスさんダメよぉ~。今どきの若い子は繊細だし、もっとオブラートに包まないと恥ずかしがるでしょ~?」

「それもそうじゃのう。なら――」


 もう何度目にかになるセリスとセバスの言い争いに発展する手前の会話に口を挟んだのはエリーだった。


「違います!」


 たったその一言だったが、否定するならとつまらなそうにセリスとセバスはそれ以上会話を発展させる事はなかった。


「それならどうしてここにぃ~?」

「はい。その前にこちらは冒険者ギルドで働くエリーさんです。親切に私をここまで連れてきてくれました」


 ぺこりと頭を下げるエリーに「これはご親切にありがとうございますぅ~」とセリスも頭を下げる。


「それで遠出の依頼を受けまして、お二人に本日は帰らないと伝えに来ました」

「そうですかぁ~。何を討伐されに行くのですかぁ~?」

「ブラックファングです。今回は色々とありまして、防具屋の見習いさんとご一緒にする事になりました」

「それは楽しそうですねぇ~。だけどブラックファングの最上位種、ワーウルフにだけは注意して下さいねぇ~。今のブラントさんだと一撃で死んじゃいますからぁ~」


 ワーウルフとは人狼、つまり狼男の事を言う。

 ブラックファングの生息地が川の中流に対し、ワーウルフは上流が主な生息地となる。全身を厚い毛皮覆い並みの攻撃では皮膚まで通らないと言われおり、体長は小さいもので二メートル大きいもので三メートルにもなる。その体調に見合った剛腕から繰り出される攻撃は岩をも砕き、体全体を支える脚力は木を蹴り倒すと言われる。それゆえに鉢合わせても逃げる事は叶わない。

 ただワーウルフが中流に下りる事は滅多にない。下りる要因といえば仲間同士の争いに負けて居場所を追われたはぐれ者や、繁殖期に餌を求めて下りる程度である。それもここ数年は目撃情報をギルドの方に送られていない。


「そうならない事を祈って下さいね」

「そうならない様にして下さいねぇ~。ブラントさんにとってはブラックファング程度ですが、それでも適度の緊張感は大切ですよぉ~」

「はい。心してかかります」

「それでは立派な冒険者のブラントさんに、私とセバスさんからのプレセントですよぉ~」


 そしてセリスは後ろに隠していた鞄――腰に装着できるベルトが付き、それほどの大きくない。せいぜい回復ポーションが横に二つほど入る程度のポーチだった。


「今日の夜に渡すつもりでしたが、少しお披露目が早まっちゃいましたねぇ~。本当はギルドに入ってきた時に、背中の大きなバッグを見て遠出するのは分かってましたぁ~。お二人をからかったのは可愛い悪戯ですよぉ~」

「ははは。ありがとうございます。……このポーチは何ですか?」

「それはですねぇ~、私とセバスさんが共同で作ったマジックアイテム――マジックポーチの試作品ですよぉ~。この建物にも使われている空間制御魔法をベースにし、そこに圧縮魔法を組み込んだ物ですよぉ~。例え話をしますと、魔術師ギルドの建物は元々小さいですよねぇ~? 元々の建物に魔法陣を構築した限界がこの広さですよぉ~。そうなりますと持ち運び便利な小さいポーチだとリュック程度にしが空間が広げられませんよねぇ~? ですが圧縮魔法を組み込む事によって、各物体が圧縮されて同じ空間でも広く使えるわけですよぉ~」


 それは同時に売れ残りの安物とはいえ、大金を払って買ったリュックの意味がなくなる瞬間でもあった。


「とてつもなくすごいですね……。けどギルドで作った物を私が使って大丈夫ですか?」

「問題ありませんよぉ~。何せ試作品ですからねぇ~、冒険者さんが使って問題点を改善しないと商品化は無理ですよぉ~。なので、不具合がありましたら教えて下さいねぇ~。それと、鞄の中にお手紙が入っていますので目を通して下さいねぇ~」

「手紙ですか? ……分かりました。後で読ませてもらいます」

「それでは無事に帰ってきて下さいねぇ~」とセリス。

「頑張るのじゃぞぉ~」とセバス。

 その二人にブラントはもう一度お礼を言う。プレゼントされたマジックポーチを腰に装着し、いつまでも手を振る二人を背に魔術師ギルドを後にする。

ここまで見ていただきありがとうございました。そして長文にお疲れ様です。

甘口から辛口の感想やご意見、お気軽に下さると嬉しいです。

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