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1話 王国都市と四人 (2)



 ――二日目の朝。

 外から聞こえてくる鐘の音にブラントは目を覚ます。

 時刻にして早朝の六時である。エンティラでは毎朝六時と正午、夕方の十八時。ギルドエリアに設けられた鐘が一日に三度だけ時刻を知らせる。この鐘の音は商人とは違い割と時刻にルーズな人らにとっては、大事な睡眠の邪魔をされる憎い鐘でもある。

 ブラントは昔から朝が強く、よっぽど夜更かしで睡眠時間が足りない以外はすんなりと起きる。今も体を軽く伸ばして大きな欠伸を一つ。それだけで満足したようでベッドから立ち上がる。


「よっ、おはよう。リーダー」


 二人部屋の部屋割りはブラントとダマルダ、セリスとセバスという組み合わせである。

 本来なら女性であるセリスに一人部屋を、とブラントは主張したが金銭面でセリスがあっけなく辞退。その気遣いにブラントは喜び半分と申し訳ない気持ちが半分と感じていた。

 お世辞にも広くはない部屋であり実に質素な部屋である。部屋にあるのは二つのベッド、窓際には本を広げれば隙間がなくなる小さな丸い机と椅子が二つ。それだけである。ベッドが八割を占め、大の男が二人も一緒になると実に窮屈に感じる。

 そして先に起床していたダマルダは部屋着のまま窓際の椅子に座り珈琲を楽しむ。


「おはようございます。……意外ですね。あまり朝は強そうに見えないですよ」

「まーな。リーダーも飲むか?」

「あっ、すいません。いただきます」


 机に置かれたポットをブラント用にと、事前に用意してあったカップに注ぐ。それと同時に空いた椅子に座り外に視線を送る。

 日が昇ってさほど時間が経ってはいなく、まだ空はオレンジ色をしている。そこから伸びる朝日に目をしかめる。

 外から聞こえてくる鳥の鳴き声を聞きながら、ブラントは湯気の立つカップに口をつける。


「もう少し砕けてもいいと思うぞ」

「はい?」


 突然の発言にダマルダの言った意味が分からないブラント。


「その喋り方だ。俺らはパーティーだろ? そうやって畏まった敬語は必要ないと俺は思う。もっと普通に話してくれた方がやりやすい」

「あぁ~――」と、理解して頷く。「――いえ、私にとってこれが普通です」


 そう言ってオレンジ色の空に視線を移す。その照らされた表情には曇りがあった。

 ブラントの父は厳格な人であった。物心ついた頃からブラントを厳しく教育してきた。そして父の逆鱗に触れると決まって拳をふるう。時には痣になる事もあったが、それを注意する人も守ってくれる人もいなかった。だからこそ当時小さな体のブラントにとって大きすぎる父の拳は何よりも恐れ、その父に怯える生活が家を飛び出すまで続いた。今となっては父がいない過去の話ではあるが、それでも心に、あるいは言動にブラントは出ていた。父の教育が敬語として彼を縛っているのであった。


「そうか……」


 その表情を読み取ったダマルダはそれ以上触れる事はなかった。ただ静かに珈琲を飲み外に視線を送る。



「えっと……。ここかな?」


 ブラントは独り言を呟き目の前の建物を見上げる。

 木造二階建て。ペンキが剥げて一見してあまり良い印象は受けない。それでも建物からの人の出入りは激しく、建物を見上げるブラントの横を既に十人ほど邪魔そうに睨みを効かせて出入りしている。

 その出入りしている全ての人が重装備であったり軽装備であったり、はたまたローブであったりと、それぞれのスタイルに合った装備品を身に着けている。

 起床してから三十分ほどした後に、セリスとサバスと合流し朝食を共にした。その後は昨晩に決まった通りにセリスとセバスは魔術師ギルド、ダマルダは戦士ギルド、そうしてブラントは目の前の冒険者ギルドに各自登録しに行く。

 軽く意気込み、冒険者ギルドに入ろうとした三人組のパーティーに続き、ブラントも中に入る。

 カランカランと扉に備えてあったベルが鳴り響き、物珍しそうにギルドの中を見渡すブラントに辺りの視線が集中する。が、それも一瞬。すぐにそれぞれ依頼が貼られたボードを見る者、受付で依頼を受ける者と各々の仕事に戻る。

 冒険者ギルドの中は冒険者であふれかえっていた。扉の目の前には依頼が貼られたボード、そこから離れて右側に依頼の受付スペース、ボードの左側には二階に続く階段。早朝という事もあり人はいないが三十人は入れそうな小さい酒場が入って少し離れた左側にある。

 あまりの人の多さに参ったと頭を掻くブラント。

 早朝なら人が少ないと思いギルドに足を運んだのだが、結果は全くの逆である。早朝こそが最も人が多い時間帯である。冒険者にとって朝はいわば『儲かる仕事を誰よりも早く請け負う』戦争の様な時間帯である。

 もちろんそれだけが理由ではない。朝に依頼を受け、昼に帰ってくる。これが冒険者ギルドに籍を置く人のリズムである。もちろん中には護衛等の数日はかかる依頼もあるため全員に適応される訳ではない。

 冒険者ギルドの右も左も分からないブラントにとって、人の多さに為す術がなかった。誰かに聞けば手っ取り早いのだが、手堅い依頼を必死に探す冒険者と、その冒険者が持ってきた依頼を処理する受付嬢。ギルド内の戦場において、誰もルーキーに優しい手を差し伸べる者はいないだろう。

 それを悟ったブラントは酒場スペースの椅子に座り、机に膝をついて手に顎を乗せて落ち着くまで待っている他なかった。

 冒険者がギルドから出ていくのと同時に他の冒険者が中に入ってくる。そのいつになるか分からない光景に、ブラントは大きなため息を一つ。これならもう少しゆっくりとすれば良かったと、内心でうんざりする。


「冒険者ギルドにようこそ。新人だろ?」


 コツンと机に水が入ったコップが置かれる。突然の音とハスキーボイスにドキリとブラントは体を震わせた。

 声の持ち主は身長一七十センチほどあろうか、筋肉質なのか冒険者と間違えそうなほど肉付きのいい腕をした中年女性が立っていた。

 見た目は冒険者そのものだが、服装は小豆色のドレスに白いエプロン、そして木製のお盆を持っている。どこか不思議な見た目の女性だった。


「びっくりさせちまって悪いな」悪そびれしない笑みで空いた椅子に座り、「私は酒場のママだ。気軽にママって呼んでくれ」そして手を差し出す。

「あっ、ブラント・ケニーです。よろしくお願いします」


 軽くズボンで手を拭いて握手に応じる。


「そうか、ブラントは冒険者に入りに来たけど、人が多くて困ったってところか?」

「ええ、そうなりますね」


 そして一つ苦笑い。


「そうか……。けどまぁあれだな? あまり冒険者って体格でもないようだが大丈夫か?」


 そう言ってブラントの体格を一瞥する。

 この世界においてレベルこそが何よりの強みであるが、それを知っているママにも中肉中背、さらには優男のようなブラントが冒険者としてやっていけそうにない、そう思っている。

 冒険者ギルドで仕事をし、毎日のように冒険者を見てきたママである。中には顔見知りが命を落とすことも少なくはないだろう。そんなママにとって若い芽がモンスターによって、あるいは同種族の人間によって摘まれるのは面白く感じない。

 もちろんブラントも自分の体格が、他の同性冒険者より劣っているのは理解している。それでもレベル制の世界では体格はさほどの差はない。全くないとも言い切れないが、それでも気にするほどではない。

 それよりも剣術なり槍術なり、各々が持つ武器を扱える天性ともいえる技術の方がこの場合は優先されるだろう。どれだけ全てが決まるレベルに差があっても、武器を扱える技術に雲泥の差があるなら、ジリ貧で低レベルが勝ち越す事例もあるにはある。


「体格は確かに貧弱ではありますが、何とかなりますよ。そうしないと死んじゃいますからね」


 ははっと苦く笑うブラント。


「……そうかい。あまりブラントからは冒険者特有の傲慢って言葉が似合いそうにはないが、どうあれ命がなくなれば世界にとって負け組だ。逆に依頼が失敗に終っても命があれば成功ともいえる。つまり私が何を言いたいかと言うと、……もう少し防具をしっかりしたらどうだい?」


 痛いところを突かれてブラントは苦笑いが精一杯だった。

 ところどころ錆びた鉄製の胸当て、腕当てもまたモンスターからの攻撃を防いだと思われる傷があちらこちらに。さらには鉄よりも木の方が多く使われた心もとない盾。腰に装備している剣に関しても一級品とはお世辞にも言えない。それどころか鍛冶職人の見習いが造った練習品である。店頭に並ぶ物より五割増しで重く、五割増しで耐久性が低い。冒険者からかき集めたゴブリンの方がよっぽど立派な防具を装備しているだろう。


「そうしたいのは山々ですが、金銭面に少し難がありまして……。お恥ずかしい限りですが」

「それなら仕方ないが、もっとやり様はあっただろうに? まだ若いし取り敢えずは仕事をして防具を集めえるとかさ。焦っても命を落とすだけだぜ?」

「私も少し複雑な事情がありまして、それをする時間が全く……」

「人様の事情に首を突っ込みたくはないが、さっきも言ったように命があっての事だ。事情がどうあれ死んじまったら全てが終わりだぞ?」

「ええ、それは理解しています。それでもやらなきゃいけない事もあります。パーティーリーダーとしての務めと言いますか、私を拾ってくれた人に対する恩返しと言いますか……。確かにママさんが言ったようにそれも命があっての事だと分かります。それでも後悔はしたくありません」

「意外に頑固者だな」

「よく言われます」


 やれやれと豪快に頭を掻きむしり「ちょっと待ちな」それだけを告げ立ち上がり、受付の方に歩む。そして受付の隣にあるドアの奥に姿をくらました。

 ものの数分でママは一人の女性を連れて戻る。ママも結末を最後まで見届けるつもりなのか、面白そうにない表情で再び椅子に座り、連れてこられた女性はブラントの向かいに座る。はたから見たらお見合いのようにも思える。


「冒険者ギルドにようこそ。私はエリーと申します」


 ぺこりと頭を下げるエリー。それつられて「ブラントです。よろしくお願いします」と自己紹介を言いながら頭を下げる。

 ママが連れてきた冒険者ギルドの職員にして、受付嬢のエリーは実に美しい顔立ちをしていた。冒険者ギルドの受付を任されているギルドの顔であるため当たり前である。顔立ちとしてはアーモンドのような瞳が第一印象であった。そこから心優しい印象を受ける。全体的に色白で高く整った鼻、うっすらとピンク色の唇。肩ほど伸びたブラウンの髪がパーマで軽くウェーブしている。まだ二十歳になったばかりだろうか、顔つきのどこを見ても若々しさが残っている。


「それではギルドに入る手続きとしまして簡単な説明に入らせてもらいます。多少お時間を取らせてしまいますがよろしいでしょうか?」

「はい。よろしくお願いします」

「では初めに、入り口正面にありますのが依頼の貼ってあるボードです。見ての通り早朝が最もギルドに冒険者が集まる時間帯となっています。よほど急な依頼がない限りはギルドが開いた早朝に依頼が更新されます。中には常時依頼もありますのでボードが空になる事はありません。依頼を請け負う場合はボードから依頼書を受付まで持ってきてください」


 そして一枚の依頼書を机に置く。

 そこには依頼の内容、受け取り金額、ギルド内のランク等が簡単に書かれている。依頼書の上段中央に常時討伐依頼と書かれ、カムイ大樹林のゴブリンを五体討伐、期限は受理から一日と書かれている。受け取り金額は銀貨二枚。五体の討伐を原則とし、以降は指定部位一つにつき銅貨三枚と書かれ、ギルド内ランク見習い冒険者からとなっている。


「こちらが依頼書となります。今回の依頼はゴブリン依頼内容になります。出現地域等の明細を聞きたい場合は受付まで持ってきて下さればお答えしますのでお気軽にお願いします。金額に関しましては記入された全額が支払われますのでご安心下さい。仮に依頼を失敗した場合は記入された金額の倍を逆にギルドに支払う事になっています。今回では銀貨四枚となります。討伐依頼ではモンスターの指定された部位の提示が達成条件となり、今回のゴブリンに関しましては右耳となっています。それぞれのモンスターによって部位は異なりますので、その場合も確認等をよろしくお願いします」


 更にもう一枚の紙をエリーは依頼書の隣に置く。

 そこにはギルド内ランクについてと、次のランクに上がる条件が書かれている。


「それではこちらがギルド内ランクとなります。見習い冒険者から始まり、S級冒険者が頂点となります。今回ギルドに登録されるブラントさんは見習い冒険者からスタートとなります。そして見習い冒険者から上級冒険者にランクアップする条件があります。今現在の条件は規定数の依頼達成とランクアップ試験――ここに書かれているように教官の撃破となります。どれほど腕があっても依頼を達成して功績を遺さなければ試験を受ける資格はありません。それは各ランクに共通して言えます。では再び依頼書の方に戻ります。今回の依頼書は討伐依頼ですが、中には護衛依頼や収集依頼、さらには冒険者が自らダンジョンに挑戦するために高ランクの冒険者を依頼するなど様々な依頼があります。注意する点が一つありまして、護衛依頼では更に最低人数の指定などもあります。その場合はソロで挑戦される事はできません。さて最後の説明となりますが、次にギルドカードの有効期限があります。最後にギルドからの依頼を受けて半年となっています。それ以降は情報が抹消されギルドカードの効果はなくなりますので気を付けて下さい。……と、大まかな説明はここまでとなります。何か不明な点はありますか?」

「いえ、大丈夫です」


 長々と説明をされたが集中してブラントは聞いていたため特に聞き返す事もなかった。


「それでは次は簡単な書類の記入をよろしくお願いします。その記入が終わりましたら顔写真を撮ってギルドカードが発行されます」



 ――正午の鐘が鳴り響き少しした頃。

 早朝の混雑が嘘のように冒険者ギルドは静かであった。

 人数にして五人ほどが酒場で昼食を取り、酒場のママにしてもギルドの受付嬢にしても暇を持て余していた。そしてブラントもまた暇を持て余す。

 写真撮影までは等に終り、今はギルドカードを待つこと三十分。依頼ボードを何度も目を通してはウロウロ。再び変わりない依頼ボードを見てはウロウロと。それを何度か繰り返していた。

 正午と冒険者にとっては遅い時間のため、簡単な依頼を一応は決めていたが、まだ時間が掛かりそうなら本日の依頼は行けそうにない。そうなると寂しい財布が更に寂しくなる。是が非でも依頼をこなしたいブラントであった。


「ブラント・ケニーさん」


 その時はようやく来る。

 待っていましたと言わんばかりに受付に座っているエリーの元に足を運ぶと、そこには一枚のギルドカード。強張った表情の自分が写っているギルドカードを見て軽く照れるブラントだった。

 それと同時に新生活が始まるようなウキウキとした気持ちに口元が緩くなる。


「長いことお待たせしました。それではこちらがギルドカードになります」

「はい、ありがとうございます!」

「本日から使えるようになっています。もし依頼を受けるようでしたら依頼書をこちらにお願いします」

「それについてはこれを」


 そそくさと照れ気味に依頼書を受付カウンターに置く。

 内容としては討伐依頼であった。ナイトゴブリンの討伐を三体。

 ゴブリンの上位種とされ、特徴としては普通のゴブリンより五割増しで大きいのと、駆け出し冒険者を返り討ちにして得た防具を装備している。それがナイトと名前に付く要因でもあった。

 そのためレベルも腕もない駆け出し冒険者にとっては、手に余るモンスターとも言えよう。もちろんそれはパーティーではなくソロの場合である。

 ナイトゴブリンと駆け出し冒険者の一騎打ちなら、十中八九でナイトゴブリンが有利に立てるが、それでも多勢に無勢である。パーティーでの攻略ならさほどの難易度がなく冒険者ギルドでも見習い冒険者の烙印を押されていた。

 そのため金額も見習い冒険者には破格の銀貨五枚。さらには指定された三体以上の指定部位一つに付き銅貨五枚と金欠のブラントには喉から手が出るおいしい依頼であった。期限は請け負ってから一日となっているのも決定打となっている。仮に今日中に達成できなくても明日の早朝から森に潜って討伐すれば何とかなると踏んでの事だ。

 依頼書に軽く目を通してエリーは呆れたようにため息を一つ。


「確かにパーティーの義務とは書いてありませんが、そもそもナイトゴブリンを知っていますか? ギルドの加入手続きをした私にはこの依頼を認める訳にはいきません」


 ブラントが装備している防具の状態から五レベル、よくて六レベルほどとエリーは踏んでいた。その生まれたての冒険者にナイトゴブリンを、パーティーではなくソロで討伐するのは不可能である。

 もちろん本日の食事に宿と、今後の出費が確定しているブラントも譲る訳にはいかない。


「ナイトゴブリンは知っていますし、今までも何度か討伐した事はあります。この程度なら私でも大丈夫です」

「それはパーティーとして、でしょう? その時はたまたま上手くいって討伐したにすぎません。ソロとなったら今のブラントさんには無理です。諦めて下さい」

「いえ、ソロで討伐を――」

「嘘はいけません! 他の依頼を持ってきて下さい!」


 全てを言い切る前にエリーはカウンターに依頼書を叩きつける。

 その依頼書を持ってガックリと肩を落とし、トボトボ歩いて依頼書をボードに返却する。第二候補として目をつけていた依頼書を手に再び受付カウンターに。

 第二候補の依頼書も討伐依頼であった。ソルジャーゴブリンの討伐を三体であった。

 ゴブリンの上位種、ナイトゴブリンの下位種の位置づけにあるゴブリンであった。

 通常のゴブリンより五感が発達しているのか、通常のゴブリンより耳が大きいのが最大の特徴である。また五感の発達と共に戦闘力も通常のゴブリンより高く戦略に優れている。時には物陰に隠れて通り過ぎた冒険者の背後から襲ったり、一匹から冒険者を誘導して囲むように襲ったりと、通常のゴブリンとは全く別物であった。依頼達成報酬は銀貨三枚と、三体以降は指定部位一つ銅貨五枚となっている。期限も請け負ってから一日となる。


「ふざけないで!」


 一喝されるブラントであった。

 今のブラントであったらゴブリンも、ソルジャーゴブリンも、更にはナイトゴブリンも全て容易く討伐できる。本来ならそれを容易とするレベルがあるのだが、いかんせん防具品に難がある。どれだけレベルがあろうとも、そう思えない見た目に問題があった。

 二度も依頼を拒まれ、更にはエリーが怒鳴ると実に珍しい光景に、酒場にいた冒険者から笑い声と背中に指を指される。

 実に情けないと、ブラントは恥ずかしい気持ちがこみ上げる。こうなると依頼書が複数あるにも関わらず、もうゴブリン討伐の依頼書しか許されない状態になった。最も簡単で、最も安い冒険者の入門編といえよう。

 その依頼書をボードから取り外し大きなため息を一つ。あまりにも先が遠く険しい状況に肩を落とした。


「まぁ、そう落ち込むなって。ゴブリンも立派なモンスターで依頼だ。ちりも積もれば何とやら。コツコツと行きな」


 そんなブラントが可愛そうに思えたのか、縮こまった背中に優しく手を差し伸べるママであった。更には受付カウンターまで付き添い付きで、だ。

 その心遣いが余計にブラントを情けなくしているとも知らずに。

 三度目になる依頼書――プラス酒場のママ同伴に、他の受付嬢から哀れみの視線を送られる。


「ゴブリン討伐ですね。これでしたら依頼の受理をします。ギルドカードをこちらに」


 ようやく依頼を受けられるのにブラントの心は沈んだままだった。ここまで恥を晒されるとは思わなかった。ただ今が正午で冒険者がギルドにいない点だけは救いだろう。

 ギルドカードと依頼書を見比べ、慣れた手つきで手続きをこなしていく。

 ものの一分ほどで用紙の半分ほど占める大きいハンコを依頼書に一つ押し、その依頼書とギルドカードを受付カウンターに置く。


「あれだ。別にエリーは悪気があった訳じゃない。ただ同年代が入ってきて嬉しくなっただけだ。あまり気を落とすなよ?」

「そのような感情はありません」


 凛とした表情でエリーはママのフォローを否定する。その言葉がブライトの胸に突き刺さる。

 別に恋心を抱いてはいないが、それでも同年代の魅力的な女性にそこまで言われると年頃の青年なら誰でも少なからず傷つくだろう。

 たかがゴブリン討伐でここまで心を磨り減るとは思っていなかったブラントは、冒険者ギルドの厳しさを痛感するのであった。

 かといって仕事は仕事である。飯を食うために最も簡単な依頼とはいえ、それでもコツコツとこなさなければ飢え死にするのもまた確か。ここで落ち込んでも仕方がない。そう言い聞かせて依頼書とギルドカードを受け取る。


「たくさん狩ってエリーを見返してやりな! 無事に帰ってきたら飯でも奢ってやるから張り切って行きな!」


 最後にママの言葉にブラントの小さな心に闘志が燃える。

 ここまで見下されて素直に引き下がるブラントではなかった。もう先ほどまでの縮こまった背中もどこかに、今では力強く一歩あるき出す。


「行ってきます!」


 そして最も簡単な依頼書を片手に冒険者ギルドから出るのであった。

 これがブラントの冒険者としての第一歩であり、初仕事である。



 都市エンティラの門を抜け、距離にして五キロでカムイ大樹林の入り口となる。

 そこから奥に進めば徐々にモンスターが姿を現してくる。モンスター討伐の入門編であり、初仕事のゴブリンもまた入り口付近で分布が確認されている。

 今回の依頼で最低でも五体は討伐する必要がある。それ以降は指定部位一つ銅貨三枚で買い取りである。

 現在の時刻は一四時過ぎという事もあり、あまりゆっくりと行動する時間はない。太陽が沈むまでエンティラに戻るつもりでいるため、残す時間はおおよそ三時間あまりである。

 冒険者によって踏み固められた道からそれるように森の中を突き進む。

 生暖かい風に髪を撫でられ、更には小鳥と虫の声が心地よく感じられるが、たかがゴブリンとはいえ集中しなければ奇襲に遭いかねない。回復用のポーションは持っているが、それでも高価な代物である。使わないに越したことはない。

 三十分ほど歩いた先。そこまでは他の冒険者にもモンスターにも会うことはない。

 ただルートを外れて突き進んでいるため、入り口のように視野の広がった森ではない。カムイ大樹林の奥地ほどではないが、ところどころで生き物が隠れるに適した背の高い雑草、切り倒された大木が無造作に転がり、かすかに生き物の気配も感じ取られるようになる。

 その時、草陰の先でしきりに動く気配をブラントは感じ取る。気配を察知されないように中腰になり忍び足で音のする方に近づく。

 草陰に隠れそっと草を分けて気配を感じる方に視線を送ると、そこには三体のゴブリンが狩ったウサギを剥ぎとっていた。

 三体ともウサギに集中し、周りを警戒する者がいない。奇襲をかけるなら今以上の好機はないだろう。

念願のゴブリンとの遭遇に胸が高まり、腰にある三本の投げナイフの内一本を手にする。一つ大きく深呼吸をし、呼吸を整える。

 狙いはゴブリンの心臓である。腕が確かなら脳天に一撃といきたいところではあるが、それほどの腕はまだブラントにはない。そのため面積の広い心臓を狙うのだった。

ナイフを耳元まで上げ、そのまま力まないように目標を定めて投げる。それと同時にブラントは剣を引き抜きゴブリンの元に走り出した。

 まだまだ投げナイフの技術は未熟のため、本来ならゴブリンの心臓に刺さっていたナイフが軌道とは随分離れて、三体の内一体の喉に突き刺さる。結果的だけを見れば上場であった。そしてその場に倒れピクピクと痙攣をしだす。

 仲間のゴブリンが突然倒れ、更には剣を持って近寄ってくるブラントに残った二体のゴブリンは混乱する。

 一気に距離を詰め、近い方のゴブリンの右肩から左わき腹にかけて浅く剣を振るう。その傷は致命傷にもならない傷ではあったが、ゴブリンの悲痛な叫び声が響き渡る。そのまま足で蹴り飛ばす。数メートル蹴り飛ばされたゴブリンはうめき声を上げた。

 最後に残ったゴブリンは手に持っていた小型のナイフをブラントに向かって振りかざす。


「そらっ!」


 掛け声と共にナイフを外側に盾ではじき返す。その結果、ゴブリンの全てがあらわになる。そのゴブリンの首に剣を振るうと、血しぶきが上がりその場に倒れこむ。

 浅い傷を負ったゴブリンは仲間が倒された事に恐怖を覚え、武器をその場に捨てて森の中に逃げ込む。

 その姿を確認したブラントは慌てる様子もなく、その場に倒れた二体のゴブリンの右耳を切り取った。最後に喉に刺さったナイフを回収し、逃げたゴブリンの方に向かって走る。

 ブラントには狙いがあった。

 ゴブリンは集団行動をする傾向があり、傷を負わせて逃がすことによって集まったゴブリンを一掃する事ができる。ただ、それは博打である。八体ほどの小規模から、三十体ほどの大規模な集団になるケースもある。

 中にはソルジャーゴブリンやナイトゴブリンなどの、上位種も集団のリーダーとしている場合もあり、今のブラントの様に単独で行う手法では決してない。

 気配を悟られないように一定の距離を置き、前方で一心不乱に物音も気にせず走っているゴブリンを追いかける。

 投げナイフの技術、尾行する技術、そして剣術は殺人ギルドで叩き込まれた技術であった。全て殺人ギルドに籍を置くには必要不可欠な技術である。そのため厳しい指導の下で数年の年月をかけて取得した技術である。

 そんな技術の中で、ブラントには尾行と剣術はセンスがあったのか、それでも苦労はしたものの成長が早かった。ただ投げナイフに関してはあまり得意ではなく、それこそ血がにじむ努力の成果が今であった。まだまだ修練が足りない未熟者ではあるのだが。

 それから一キロほど距離を走った先で複数の気配を感じ取る。


「ギィィィィィ!」


 その直後にゴブリンの甲高い叫び声が響き渡る。それと同時に辺りが騒めき出す。

 すぐさま草陰に隠れ声のする方を覗く、その先には複数のゴブリンが武器を手にして固まって警戒している。

 数にして一四体。その内の一体はソルジャーゴブリンであった。

 あまりの数にブラントの体は引きを取る。仮にゴブリンだけであるなら時間をかければ倒せない数ではないが、不幸なことに五感が優れたソルジャーゴブリンである。

 隠密で相手をしても見つかるのは時間の問題であり、その際に十体以上を一斉に相手にするほどブラントの防具や装備は充実してはいない。勝率にして三割程度。

 そこまで無理をする事もないと、視線をそのままにしてブラントは額に汗をにじませ一歩後退する。

 その迅速すぎる行為が今回ばかりは(あだ)となった。

 厳重警戒中によって研ぎ澄まされた五感を持つソルジャーゴブリンが、ブラントの気配を察知する。警戒が解けるまで気配を消していればあるいは逃げ切れただろう。


「ギィギィギィィィ!」


 そこにいる。とでも言っているように甲高い声を上げ、刃こぼれした剣をブラントの方に向けるソルジャーゴブリン。

 見つかった状態で逃げれば回り込まれる危険性があり、その場合は余計に勝算が低くなる。だからこそ、だ。ここは攻めるしかないと決断は早かった。

 腰の投げナイフを三本全て取り出し、向かってくるゴブリンに投げる。あまり心境は穏やかではない。狙いを大きく外した一本のナイフはゴブリンの足に突き刺さり、一本は棍棒に刺さり、一本は脳天に直撃し絶命する。

 ――残すゴブリンは十三体。

 顔をゆがめ舌打ちをし、ブラントは剣を引き抜き構える。

 徐々に距離が詰まり――あと数歩で先頭のゴブリンが剣の間合いに入ろうとした時。待つのではなくブラントは駆け出す。

 右手に持つ剣を下から斜めに切り上げる。タイミングを失ったゴブリンはそれに対応できず胸から大量の血しぶきを上げて倒れる。そのまま流れるように両手で剣を持ち次は斜め下に切り下す。返り血で徐々に防具が、服が、そして顔が赤く染まる。

 ――残り十一体。

 左右からゴブリンが同時に棍棒を振りかざし、それをブラントは左を盾で右を剣で受け止める。が、前方からの突く攻撃を胸当てに食らう。それほどの威力はないものの、それでも一瞬だけ呼吸が止まる。


「うっ……」


 その攻撃にバックステップで数歩だけ後退する。

苦しむ暇はないと状況確認をし、ブラントの頭部に向かって棍棒を振りかざすゴブリンが一体。その左右後ろから突っ込むゴブリンが二体。それだけを確認すると両手で持った剣で棍棒を滑らすように受け流し、あらわになった首元を切り付ける。

 地面に落ちたゴブリンの首に構わず左から振りかざす棍棒を盾で防ぎ、右から振りかぶるゴブリンのモーションに合わせ、剣を下から垂直に切り上げると、棍棒を持ったゴブリンの両手が宙に舞う。

 続けて盾で防いだ棍棒を力技で押し返し、空いた腹部に剣をなぎ払う。そのままの勢いでグルリと回転して両手を失ったゴブリンを切り付ける。

 ――残り八体。

 当初は十四体いた仲間が早くも八体まで数を減らし、体中の至る所に返り血が付いたブラントの気迫に恐れたのか初めてゴブリンとの間に距離が生まれる。

 前衛で戦う通常のゴブリンが七体。その後ろで「ギィギィギィ」と指揮をとっているのか、頻りに声を上げるソルジャーゴブリン。

 後ろから司令塔の指示、前からはプレッシャーを与えられるゴブリンだが、ソルジャーゴブリンの指示が勝ったのかジリジリと徐々に距離を縮める。

 先に均衡を崩したのはブラントであった。扇状に広がるゴブリンの左から攻める。

 数歩先で棍棒を横に振るうのを盾で受け流し首を飛ばす。その隣で攻撃モーションに入ったゴブリンを足で蹴り飛ばし、続けざまに攻めてくるゴブリンの対処に回る。

 最初に投げたナイフを棍棒に付いたまま突き出すが、それをギリギリの所で回避し、空いた手でナイフを強引に引き抜き投げる。

 これほど接近してれば投げナイフの技術が低いブラントでも、それこそ吸い込まれるようにゴブリンの脳天に突き刺さる。

 ――残り六匹。

 前衛のゴブリンが五体なので、ここまで来れば心にも大分余裕ができ始めた。

 だからこそ攻めた。勢いがある今が最も勝機があり、その勢いと気迫に動きが鈍くなったゴブリンを続けざまに三体を切り、残った二体が同時に攻めるのを片や盾で守り、片や切り付ける。勢いと気迫だけではなく丁寧にゴブリンの処理をし、最後に残ったゴブリンを容易く切り付ける。

 ――残り一匹。

 息を荒げ本当の最後に残ったソルジャーゴブリンを見据える。一つ深い呼吸で荒い息を強引に落ち着かせる。数メートル先にいるソルジャーゴブリンも覚悟を決めて刃こぼれした剣を持って「ギィィィィ!」と威嚇する。

 徐々にお互いの距離が縮まり、目に見えないプレッシャーから先に動いたのはソルジャーゴブリンだった。雑な突きを繰り出すが当たるはずもなく、軽く回避したブラントの脇横を通過する。バックステップでブラントは距離を取るため下がるが、そうはさせまいとソルジャーゴブリンは前進をする。前進と共に更に突きを仕掛けてくる。

 それを正面から盾で防ぐ。それでもバックステップからの正面に衝撃である。踏み込みが効かないまま後方に背中から倒れこむ。受け身も取れないまま固い地面に背中から倒れ、ブラントの肺から強引に息が吐き出される。背中から伝わる激痛に顔を歪ませるが、それでもすぐさまソルジャーゴブリンを見据えた。

 倒れたブラントの顔を貫こうと、覆い被さるように全身の体重をかけて剣を突き出す。あまりにも一瞬の出来事だった。反射で脳に伝達されるよりも早く顔を横にずらすものの、それでも完全に回避する事はできず、頬に深く剣の切り刃が突き刺さる。


「りゃあぁぁぁ!」


 それに構うことなくブラントは叫び声と共に、剣をソルジャーゴブリンの腹部に突き上げ、そのまま力任せに押し込む。ブラントの剣はソルジャーゴブリンの腹部を貫き、とどめに剣を九十度回しこむ。

 そうしてブラントの上で今まで以上に叫び、苦痛の表情のソルジャーゴブリンから剣を引き抜くように、最後の力を振り絞って奥に蹴とばす。

 何度か痛みに叫ぶが、それも徐々に小さくなりしまいにはピクリとも動かなくなる。絶命したソルジャーゴブリンを確認し、ブラントはその場に大の字で寝転がるのだった。


「あぁぁぁぁ! 疲れた!」


 一種のハイ状態になっているブラントは頬の痛みも忘れ、その状態で息を整えるのだった。

 最初に討伐した二体を合わせ、数にしてゴブリン十五体、ソルジャーゴブリン一体。これほどの短時間で総勢十六体のゴブリンを討伐するのは容易ではない。見習い冒険者には尚更だ。

 そのまま数分倒れこみ、腰に手を回す。そこから収納してある回復ポーションを顔にかけると、深い切り刃が突き刺さった頬から傷と痛みが徐々に消えていく。


「……帰ろう」


 それだけ呟き討伐したゴブリンの右耳を切り離す。それ以外の素材は売ったところでお金にならないため放置である。



 ブラントがエンティラに無事に帰還したのは、十八時の鐘が鳴った頃であった。太陽が西に沈みつつあり、それに合わせて辺りも薄暗くなる。それが合図のようにエンティラに帰還する冒険者が道路に列を作り、街灯が灯し始める。

 激戦の末、ゴブリンに辛くも勝利したブラントは証明部位を切り取り、すぐに帰宅についた。帰宅の際に追加でゴブリンを五体討伐し、エンティラに帰るころにはゴブリンを二十体、ソルジャーゴブリンが一体とまで数を増やしていた。

 報酬に期待を持てそうと足早に冒険者ギルドに向かうが、すれ違う人々から注目を浴びる。当たり前である。全身返り血で真っ赤なのだから。

 冒険者からは笑われ、一般の女性からは避けられ、子どもからは泣かれる。それが自分の事だと知らずブラントは不思議そうにする。

 正門から冒険者ギルドまでは目と鼻の先であり、その短時間だったため気が付く前にギルドのドアを開ける。

 カランカランと、ドアに着けられたベルが何度か鳴り響く。

 ギルドの中は酒場で打ち上げをしている冒険者、依頼の報告をしにきた冒険者が数人いるだけで静かなものだった。

 その中の血まみれの訪問者である。ギョッとドアに視線が集中し、より一層に辺りは静かになる。そんなギルド内の雰囲気に怪訝そうに眉をしかめ、ブラントは受付カウンターに近寄る。


「ブラントさん!」


 すぐさま怒鳴られるブラントであった。怒鳴った本人はエリーである。


「あ、はい。どうかしましたか?」

「どうもこうもありません! 本当にもう何をやって――」怒鳴りながらエリーはブラウンの髪を揺らし受付から出てくる。その手にはタオルを持って。「――乾いて取れません。怪我はしていませんか?」


 そう言いながらエリーがブラントの顔をタオルで拭き、そこでようやくブラントは思い出した。全身返り血に染まっている事に。そして視線が集中するのが自分に向けられたと気付くのに。ただそれよりもエリーが最後に向けた心配の声音に、ブラントの胸はドキリと高鳴る。


「怪我はしていません。ありがとうございます」

「全くもう……」


 呆れたように大きなため息をつくエリー。


「よう、色男。たった半日で随分と色男になってエリーでも口説くつもりか?」からかいながら酒場のママが奥から姿を現し、「けど、まぁ無事に帰ってきて何よりだ。お帰り、ブラント」と続ける。

「ただいまですママさん。今回は何とかでした」

「そのなりだ。それでも豊作だったわけだろ?」

「ボチボチですよ」

「ほーぅ。それなら色男の冒険者様が稼いだ成果を見せてもらおうか。ほら、エリーさっさと計算しておくれよ」


 ブラントからゴブリンの耳が入った布袋とギルドカードを受け取り、受付カウンターでいそいそと作業を始める。カウンターに広げられた山のようなゴブリンの耳にエリーは驚きを上げる。


「ブラントさん!」


 そして怒鳴った。


「はい?」

「不正はいけません! ブラントさんが半日で、ソロで、これだけのゴブリンの討伐ができません!」


 実に酷い言い様である。その発言にブラントは呆気にとられるが、「さっさとしな」とママの一喝に渋々と作業に戻るエリーであった。

 それから数分後に受付から出てきたエリーの手元には、数枚の硬貨とギルドカードが乗った正方形のお盆を持って表れる。


「今回のゴブリン討伐の報酬です。まず既定された五体の討伐で銀貨二枚となります。以降は銅貨三枚となります。今回は十五体余分に討伐されたので追加で銀貨四枚、銅貨五枚となります。更にソルジャーゴブリンの討伐が一体で銅貨五枚になります。合計で銀貨七枚の報酬となります。お確かめ下さい」


 淡々とエリーは言うが、その声音は認めていないのか若干刺々しい。


「すごいじゃないか! ゴブリン討伐でそこまで稼いだ人は見たことがないね。見かけによらず腕が立つみたいで安心した」


 ほとんど野次馬としていた他の冒険者も七枚の銀貨に「おぉ~」と驚きの声を上げる。駆け出しの冒険者がまず初めに請け負うような仕事であるため、その腕もレベルもない冒険者がソロで二十一体もゴブリンを討伐するのは異例中の異例であった。

 自分の事のように喜ぶママと、興味深そうに集まる冒険者の視線がどうにもむず痒く、ブラントは若干ではあるが頬を赤らめて照れる。


「今回は偶然ですよ。たまたま運よく集団に出会えたにすぎません。次回はこうも上手くいきませんよ」

「ほぅ、集団のゴブリンでも討伐できるわけか。その防具で集団を相手にするとなれば、これは意外に高レベルかもしれないな。参考程度にその集団って何体ぐらいの相手を?」


 カランカラン。ママの質問を遮るようにベルが鳴る。

 そこに立っていたのは殺人ギルドのメンバーであり、同じパーティーでもあるセリス、セバス、ダマルダであった。ダマルダは「よっ、リーダー」と軽く手を上げてブラントの傍に近寄る。


「みなさん。どうしてここに?」

「いやな、リーダーが依頼を受けてカムイ大樹林に行っただろ? 別に草原でソロ活動なら心配もしなかったが、カムイ大樹林でソロは、な。心配だったから悪いと思いながらも後をつけさせてもらった。そして今帰ってきたところだ」

「そうでしたか。全く気配を感じませんでした」

「まーな。歳相応の技術だ。それにしてもリーダーはすげーな! ゴブリンとはいえ、あの数を魔法もなしに純粋な剣術で相手をするのは並みの度胸じゃできない。やはり俺らがリーダーだよ」

「見ていたなら助けてくれても良かったじゃないですか……」

「恥ずかしいが、俺ら三人はリーダーの姿に見とれちゃってよ」


 ははっと頭を掻いて苦笑いをするダマルダ。それに続いて「格好良かったのじゃ!」とセバスが、「素敵でしたよぉ~。私がもう少し若ければ、ねぇ~」とセリスが続けて言う。


「あんた達はブラントのパーティーかい? それで、ブラントは何体のゴブリンを相手にしたのさ?」

「ゴブリン十三体、ソルジャーゴブリン一体だな。流れるような剣さばきで次々とゴブリンを討伐していたな」


 自慢気に報告するダマルダに辺りが騒めく。それだけのゴブリンを相手にした事だけでもすごいのだが、ブラントの粗末な装備品である。

 見た目が粗末なだけに余計に拍車がかかる。そして証言があるなら仕方ないと、エリーは渋々ではあるがブラントの腕を認めざるを得なかった。それはもう不服そうに、だ。


「驚いて何と言っていいのやら……。その若さで剣の腕が立つ。こりゃもしかすると掘り出し物かもしれないな。手が届かなくなる前に唾をつけときなよ、エリー」

「どうして私が!」

「いい男じゃないか。体格は少し頼りないかもしれないけど、割と整った顔つきだろ。礼儀も正しい。何より自慢気に気取らない所に共感が持てるね。おまけに剣の腕も立つ。それだけあってエリーは何が不満だい?」


 ふんっ、と顔をそらし何も言わずにエリーは受付に戻っていく。その姿をママは「やれやれ、素直じゃないやつ」と呆れる。


「ま、何はともあれだ。約束通り今日は私のおごりだ。パーティーの皆も一緒に食べていきな。その前に、色男はせめて顔ぐらい洗ってからな」



 一行は好意に甘え冒険者ギルドの酒場で少し早めの夕食を取る。机には肉料理がメインに並び、どれをとっても酒が進むほどの塩分とボリュームがある。ギルド内の酒場もそれに関係しているのだろう。

 徐々に時間が遅くなるにつれ酒場に人が集まり、酒場も活気がつく。何も知らない冒険者がブラントの格好を見ては驚き声を上げるが、それ以上に酒場は喧騒に包まれブラントの耳に入ることはない。

 喧騒と周りが次々と麦酒を飲むせいもあり、昨晩に引き続き一行は飲み会モードに入っていた。

 パーティーで最もアルコールの強いダマルダは、五杯目となる麦酒を水のように喉を鳴らして飲む。そして最もアルコールに弱いセリスは、未だに一杯目だが顔を真っ赤にしてメトロノームのように左右に体を揺らしている。


「ダマルダさん。戦士ギルドはどうでした?」


 ふと思い出したようにブラントは質問をする。


「つまらん」

「えっ?」

「説明の話半分しか聞いてなかったが、つまらんギルドだよ。俺も冒険者ギルドにすればよかったと後悔している」

「それならギルドを辞めたらどうです?」

「いや、な。それが嫌らしい事に脱退するには金貨五枚だと。足元見やがってふざけるな! って、感じよ。まぁ説明を聞いていなかった俺に責任はあるけどな」


 腹いせと言わんばかりに半分ほど残っていた麦酒を一気にあおり、空になったジョッキを机に叩きつける。大きなため息をつき、ジョッキを高く上げてお代わりのアピール。


「それは災難でしたね……。仕事内容はどのような感じですか?」

「カムイ大樹林から流れてきたモンスターからエンティラを守ったり、エンティラの治安を守ったりだとさ。何が嬉しくて正義のヒーローを気取らないといけない! 俺らの本質とは真逆だろうよ……。全くつまらん」


 ハイペースで麦酒を飲むのとギルドに対する不満で、ダマルダに変なスイッチが入る。質問をした事にブラントは後悔するが、スイッチが入ったばかりのダマルダは止まらない。


「もし我らが主様に今の俺を見られちまったら笑われちまうよ。主様だけじゃねぇ、殺人ギルドの仲間も、だ。恥知らずって馬頭されるに違いねぇ……。そもそも戦士ギルドって名前が間違っていると思わないか? ありゃ偽善者ギルドの方がまだしっくりくるし、俺みたいな犠牲者が増えることもない。違うか?」


 酔った勢いで出た主様に殺人ギルド、その単語にひやりと背筋に汗を流すが喧騒に包まれた酒場でその単語を耳にする者はいない。


「やれやれ、でかい図体して悪酔いかい? 情けないねぇ~」


 麦酒を片手に呆れたようにダマルダを一瞥したママが現れる。


「うるせぇ。俺の気持ちが分かるかって」

「分からないね。分からないけどウジウジするのは止めておくれ。酒場の運気が下がるってもんだ」


 何かを言い返したそうにダマルダは口を開くが、そのまま何も言わずに口を閉ざす。

 実に頼もしい助け舟であった。自分から話を振ったブラントだったが、視線でママにお礼を言う。それに対してママはウィンクを一つ。その光景は今日が初めて会った二人ではなく、以前から親しい関係のような雰囲気を出していた。

 何はともあれブラントは一安心し、机に突っ伏したダマルダに心で詫びる。


「ダマルダさんは気の毒でしたけど、魔術師ギルドの方はどうでしたか?」

「実にレベルが低かったわよぉ~」と、セリス。

「そうじゃ。子どものおままごとに付き合わされた気分じゃ」と、セバス。


 ブラントにとってセリスとセバスは未知の存在である。だから二人の実力が高すぎて魔術師ギルドのレベルが低く感じているのか、ただ本当に魔術師ギルドのレベルが低いのか判断ができなかった。ただ二人からの声音は退屈と、それだけは感じ取ることができた。

 ここでも、か。そう困ったようにブラントは苦笑いを浮かべる。


「それはつまり、王国が魔法に対して力を入れてない事ですか?」

「それは違いますよぉ~。魔術師ギルドはあくまで団体ですよぉ~。その都市にあるギルドのレベルが低いのと、その国の魔法レベルとは全くの無関係ですねぇ~。魔術師ギルドの主な活動はマジックアイテムの製作にありましてぇ~、そこから自分より優れた魔術師から知識を得る事がギルドに入る最大の利点となりますねぇ~」

「そうなりますと、貴族に名前を売れるのですか?」

「それに関しては問題ありませんよぉ~。基本はマジックアイテムを活動資金として売るのですが、中には貴族の方から直接依頼が入ることもありまして、貴族の要望以上に答えられれば次回から指定で依頼が来るようになりますよぉ~。そうなったら後はトントン拍子で同盟貴族同士に名前が知れ渡りますねぇ~」

「ただ、じゃ。ここのギルドレベルが低いって事はつまり、貴族の関心が薄くて依頼が回って来ない事にも繋がるのじゃ。ダマルダといい、ワシらといい先は通そうじゃのう。これは坊やを全面にサポートした方が速いのは間違いないのじゃが、ギルドに加入して早々に音信不通ともなれば共に行動する坊やにも迷惑がかかる。難しいところじゃ」

「なるほど……。では私は当分ソロで活動していきます。落ち着くまではこの流れで行きましょうか」

「坊やに負担を押し付けたみたいで心苦しい物じゃ。すまんのう」


 申し訳なさそうに頭を下げるセバス。それを「気にしないでください」と逆に恐縮するブラントであった。

 そんなブラントはパーティー皆の分までしっかりと稼いで、エンティラに名前を売ろうと志を強く持った。

 そう意気込むブラントは知らなかった。今回のゴブリン討伐で自分のレベルが十二から十三にアップしている事に。

ここまで見ていただきありがとうございました。そして長文にお疲れ様です。

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