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1話 王国都市と四人 (1)



 ――カムイ大樹林のとある奥地。

 時刻は正午を過ぎた頃だろうか。それにも関わらず、十メートルは優にありそうな大木に日光は遮られ、辺りは薄暗く時間を確認しなければ正午だと気付かせない。

 それと同時に一般男性の腰ほどまで伸びきった雑草、地面の空いた隙間を埋めるように生えている水苔。視界も悪ければ足元も悪い。これほど環境の悪い場所はそうそうないだろう。

 問題点はそれだけではない。

 むしろ最大の問題点がある。

 それはモンスターである。

 カムイ大樹林には様々なモンスターが生息している。

 大まかな分布――縄張りは存在するものの、それでも野生の生き物である。

 食べる物がなくなれば餌を求めて他に移動するし、それによって住処を奪われた他のモンスターもさらに移動する。そのためあまり分布は当てにならない。

 ただ一つだけ確定しているのは、カムイ大樹林の奥地に行けば行くほど、大型種の住処となっている点だ。

 内陸――つまりカムイ大樹林の入り口は冒険者の通りが非常に激しい。地面は踏み固められ、木々も木材を調達するために伐採されて全体的に細い。そのためもあり入り口付近に生息するモンスターは比較的小型種が多いのだ。

 つまるところ、今現在ブラントが率いる老婆と老人と中年。計四人は非常に危うい場所にいるのであった。

 パーティーリーダーであるブラントのレベルが十二。まだまだ未熟とはいえるが、それでも入り口付近に生息する小型種のゴブリン程度なら、同時に五体ほど相手をするのも容易である。もちろん奥地付近ではゴブリンの比ではない。

 本来ならこの近辺を冒険するには最低でも六十~七十ほど、余裕をもって八十レベルがなければ、一夜も過ごせないまま死んでしまうだろう。言うまでもないが、レベルに見合った装備品と武器を扱える腕つきで。

 そんな奥地で低レベルのブラント達がいるのは場違いとしかいえない。背伸びをするのも限度がある。己の度量を考えろとはこの事だろう。

 時折どこから枝の折れた音にブラントはドキリと体を震わす。


「リーダーそんなに怯えても仕方ねーって! ほら景気よく一杯飲んだらどうだ? 落ち着くぞー」


 列の最後尾を歩くダマルダが日中にも関わらず、瓶に入った酒を飲みながら「がはははは」と高らかに笑う。

 こちらはブラントと打って変わり、ピクニックにでも出かけている陽気な中年男性、そのものだった。もちろんダマルダもたかだか十八レベルと、今の場所に見合っていない低レベルなのだが。


「そうじゃよそうじゃよ。坊やは肩に力が入り過ぎじゃ。ワシの盾で守ってやるから大船に乗ったつもりで堂々としていればいいのじゃよ! ……あっ、婆さんや? ワシの膝に治癒魔法をかけてもらえんじゃろうか?」

「はぁ~いはい。世話が焼けますねぇ~……〈ストッピング・ペイン〉。治療費は銀貨一枚ですからねぇ~」

「ワシらパーティーなのに金をとるのか? ひどい婆さんじゃ……」

「うふふふふ」


 間の抜けた喋り方が特徴の老婆――セリスはもともと身長が低く、顔だけひょっこり草から出ているような状態だ。頭に大きなハットをかぶっていなければ自己主張がなく、はぐれても誰も気が付かないだろう。

 そんな後ろから聞こえてくる頼りない老人と老婆のやり取りに、微笑ましいのが一割、余計に不安に駆られるのが九割と、一人ブラントだけはこの状況で頭を悩ませていた。

 一風変わった四人組が目指す先は殺人ギルドのアジトから、東に一キロほど離れた場所にある転移用の魔法陣である。

 たかだか一キロ先とはいえ、平坦な道ではなく水苔が敷き詰められ、さらには緩やかとはいえ勾配のある道なき道。そこに加えて膝が悪い老婆と老人。

 たった一キロでもはるか遠い道のりであった。まだ年長組を背負って移動していないだけマシともいえる。


「……もう少し――」


 と、何かを言いかけたブラントだったが、この人たちに何を言っても無駄であると悟り「なんでもないです……」大きなため息と肩を落とすしかなかった。


「なんじゃ? もしかしてあれかぇ? なんつったかの~……名前は忘れたが、金持ちそうなパーティーのめんこいおなごが気になるのかぇ? 婆さんとチェンジじゃチェンジ」


 高笑いするセバス。

 確かにそれも悪くは……。とブラントは想像して口元がにやける。やはりそこは年頃の青年だった。


「坊やもそっちの方がいいだろ? しわしわの婆さ――」


 セバスが言い切るより早くセリスが動いた。

 老婆と思わせない俊敏な動きでセバスの足を払い、バランスを崩したセバスの背中にある盾の先を掴むとそのまま地面にたたきつける。「ぐえっ!」その衝撃でセバスが声を漏らすが止まらない。

 今の状態はひっくり返された亀のようで、緩やかとはいえ滑りやすい地面だ。そのまま下り坂の方に押し込む。

 摩擦抵抗がほとんどなくなったセバスは、クルクルと回転して百メートルほど坂を下り、そのまま沼地に滑り込んだ。

 その一連の流れをブラントとダマルダは目にすることはなかった。二人の目には足を滑らせ、勢いよく滑り落ちた老人の姿だけ。

 ただ被害者――この場合はどちらが被害者なのかは微妙ではあるが、自業自得というものである。そんなセバスは「婆さんがいじめるのじゃ~」と、沼地でジタバタと助けを求めた。本当に世話の焼ける老人であった。


「バカなこと言わないで下さいよ。セリスさんにそんな事が出来るはずがないでしょ?」


 見捨てる訳にもいかないため、やれやれとボヤキながらブラントは救出に向かう。

 沼地に足を取られないように近くに落ちている棒で近寄らせ、腕を掴んで力任せに起こす。

 全身泥だけになったセバスは「本当じゃよ? 本当に婆さんが」とブツブツ言っているが、それを「そんな訳がありませんよ」と呆れたようにブラントは受け流す。


「災難だったな、セバスの爺さん。あまり無茶するなよ」


 酒をぐびぐびと飲み豪快に笑いながら軽く盾についた泥をはらうダマルダ。

 何かを言いたそうにしているセバスではあったが、どうせ信じてもらえないと悟ったのか首をガクッと落とした。


「そういやセバスの爺さんって魔法使いだろ? 系統って言うのか? どういった魔法が使える?」

「簡単に言えば派手なやつじゃ。こうバーンとかドカーンとか、そういった派手な類じゃのう。こじんまりした地味な魔法は好かん。使えるけど使わん。威力と見た目、それこそが至高。男が求めている魔法がそこにある。違うかね?」

「違わねぇ違わねぇ。頼りにしているぞ、セバスの爺さん!」

「はっはっは。怖くなったらいつでもワシの魔法と盾で守るから後ろに来るといいのじゃ」


 そんな他愛もない会話を歩きながら聞いているブラントは、先ほどまでの恐怖がいつしかどこかに行っている事に気が付く。

 確かに問題だらけのパーティーではあるが、それ以上に退屈しそうにないだろう。そう思ったブラントの口元は緩むのだった。

 とりあえず今だけはモンスターに遭遇しないように祈るブラントではあるが。


 たかだか一キロ。されど一キロ。

 これほど長い一キロを今まで経験したことのないブラントの表情には、疲労の影がうつっていた。

 ふと空を見上げるブラントだったが、アジトからたった一キロ離れただけで景色が変わる訳ではない。大樹によって遮られた太陽の位置から、大まかな時間を推測するのも難しい。そんなギルドの隠れ家から東に一キロ。

 不自然に建っている三つの柱。横に二つと後ろに一つ。三角の形をしている。

 そこが四人の目的地であった。

 仮に移動用の魔法陣を使わず、最終目的地のステイック王国まで徒歩で行こうものなら、数日どころでは済まされない。途方もない日数を森の中で生活しなければいけないだろう。それどころか今の戦力では初戦で見事に敗退し、何かしらのモンスターの胃袋に仲良く収まるのが目に見えている。

 隠れアジトから出る際に手渡された魔法陣の正確な位置が書かれたメモ用紙をブラントは取り出す。


「えーっと、なになに? ……手前二つの柱を背にして三歩前進――」ぼそぼそ独り言をつぶやきながら指示通りに三歩前進する。「右に五歩には――」四歩ほど歩いたところでピタリと足が止まる。「――トラップあり気を付けろぉ?」取り敢えず杖代わりに持っていた棒で突っつくと、ガチンと鉄製の甲高い音が鳴り響く。棒の先には大型種専用と思われるトラバサミが。ひやりとブラントの背中に汗が流れる。

「あっぶねぇ! ふざけるな!」


 危うくトラップにかかるところだったブラントは、息を荒げて怒りの矛先であるトラバサミ付きの棒を投げ飛ばす。

 親切にトラップの位置が書かれたメモ用紙を確認すると、それにはまだいくつもトラップが設置されているらしい。

 唯一の目印である『三つの柱』をモンスターに破壊されるのを防ぐため、こうやって張り巡らされているのが理由である。

かといって大型種ともなると、屈強な戦士の研ぎ澄まされた一太刀も鱗の前では容易くはばかれる。太く密集した剛毛にも同じことがいえよう。

破壊を防ぐトラバサミではあるが、そのような大型種の前ではあまりにも心もとないトラップではあるのは間違いない。それでも今まで破壊されずに『三つの柱』が立っているのには、微々たるものではあるが効果がそこに表れている証拠だ。

 そうとは知らないブラントは不満げに一通りメモ用紙に目を通す。

 トラバサミに足を挟まれれば良くて肉をえぐられ、悪くて骨が砕かれ、最悪な結果だと足を切断する事になるだろう。

 そうならないように何度もメモ用紙を確認し、ブラントは「おし!」と自分自身に気合を入れ三つの柱の前に戻る。


「それでは私の後についてきて下さいね」


 と、何度も目を通したメモ用紙を片手に歩きだす。

 そこから二十歩前進。たったそれだけであった。

 そこには不自然にぽっかりと直径三十センチほど空いた空間と、敷き詰められた落ち葉。

 その落ち葉を払うと、その下にはその空間に見合った大きさの布切れ。それを退かせば薄く赤みのかかった転移用の魔法陣がうっすらと輝き描かれている。

 そこが最終目的地である。

 期待と今後の不安に駆られるブラントは、意を決し魔法陣の中央に立つ。

 瞬時に輝きが強くなり辺り一面を照らすが、その輝きも一瞬のこと。そこにはもう先ほどまでのうっすらと輝く魔法陣のみ。ブラントの姿はもうそこにはなかった。

ギルドの命を受けての調査なのだが、彼ら一行の冒険ともいえる旅立ちの一歩であった。



*    *



 転移用の魔法陣から北東――距離にして八万キロメートル先。

 カムイ大樹林の奥地とは打って変わり背の高い雑草は、土がむき出してぽつぽつと雑草が生えている程度である。

 日光をあれほど遮っていた十メートルはあろう大木も、今はどこにも見当たらない。せいぜい二メートルほどの、年輪の少ない木が適度に生えているだけである。

 そこから覗く青空には、快晴といっても差し支えないほどの雲、そして木々の間を駆け抜ける生暖かい風が葉をこする。それと同時に奏でる鳥や虫の鳴き声、自然のトリオとも言おうか、その全てが平和な風景であり解放感あふれる場所となっていた。

 そんなカムイ大樹林の入り口付近。

 内陸から隠れるように無数の岩が積み重なれた裏手。そこがブラント率いるパーティーが転移した場所である。

 あまりにも危険が少なそうな風景に、ブラントは大きな深呼吸と一緒に体を伸ばす。

 それと同時にブラントの心にはホッコリした感情でいっぱいになる。そのせいもあり口元は自然と笑みが浮かぶ。

 パーティーメンバーのセリス、セバス、ダマルダも各々で体を伸ばしたり酒を飲んだりと、各自一服をつける。


「とりあえずお疲れ、リーダー。ここからどうするよ?」


 日はまだ高いものの、それでもうかうかとしていれば時期に日は沈む。できることであれば太陽が昇っている間に村になり都市になり向かい宿を確保するが先決である。


「そうは言いましても今の場所が……」


 魔法陣から出たばかりで、今の位置が全く分からないブラントは辺りを見渡す。そこから見える景色はやはりカムイ大樹林の入り口。それだけである。

 弱ったと頭をひとかきして悩む事しかできないブラントであった。


「それなら心配するな。ほら岩の後ろを見てみろ」


 酒の入った瓶で指した先。その先を見たブラントは目を丸くする。

 ――圧巻である。

 それほどの景色がブラントの瞳には映っていた。

 距離にして五キロほど先だろうか、それほどの距離でも高くそびえたつ城壁には威圧感があり、風土からの汚れからか全面の石材はまばらな事もあり、そこから歴史もうかがえる。その城壁が横に地平線の先まで長く伸び、それはもうかなりの大規模な都市だと窺えた。

 さらには都市の出入り口、つまり門である。そこから伸びる石材を使った道路には、カムイ大樹林から本日の務めを終えた冒険者、左右に護衛を引き連れて馬車を走らせる商人。大規模な都市に見合っただけの交通量がそこある。

 その光景にあっけにとられたのはブラントだけであり、残りの三人は『若いな~』と今にも言い出しそうな温かい目でブラントの背中を見つめていた。


「あれはステイック王国の都市ですよぉ~。カムイ大樹林から攻めてくるモンスターを食い止める。いわば城砦都市ですかねぇ~。あの都市のずぅーっと向こうに王都がありまして、それを防ぐために作られたのがこの都市エンティラですかねぇ~。こうやって見たら大都市顔負けですが実際は横に長いだけなので、あまり期待しない方がいいですよ~。他の国はバナナ都市ってバカにするほどですからねぇ~」


 間の伸びた喋り方のセリスが言った通り、都市エンティラは横に伸びた都市である。正面から見れば大都市と思われがちだが、一歩側面に移動すれば大方の人は「あぁ~……」と幻滅した声が漏れるだろう。それでも正面に対しての側面である。都市の敷地面積を見れば大都市とも引きを取らない。

 だが非常に理に適った造りともいえる。モンスターの進攻を阻止できれば縦を広く造る意味はなにもない。縦を薄くして低コスト。さらにはより多くのモンスターを食い止められればお得でもある。


「まぁエンティラからカムイ大樹林まで目と鼻の先じゃ。今となっては冒険者が集まる都市だけに、攻められる前に討伐されて平和なものじゃよ。ワシの若い頃はこの辺一帯もモンスターがうろちょろしたものじゃ」


 懐かしそうに目を細めてセリスとセバスは頷き合う。


「そうですか。……では当面はエンティラで活動しましょう。――っと、その前に手持ちの資金はどれほど持っていますか?」

「えーっと、確かですねぇ~……」

「そうじゃたな……」

「財布だな。ちょっと待てよ……」


 一同はごそごそと財布を取り出す。と、いうよりも布袋なのだが。

 このアドニアに流通する通貨は銅貨、銀貨、金貨この三つがある。銅貨十枚で銀貨一枚。銀貨十枚で金貨一枚となっている。

相場として宿を挙げると、薄い板一枚と隙間風が吹く雨だけしのげればいいような貧乏な宿屋。もちろん食事はなしで銀貨一枚ほど。

 共同の風呂トイレ二食付き、長期滞在なら三食付きの一般的な宿。平均して銀貨五枚程度。

 各部屋に風呂トイレ二食部屋食付きの富裕層向けの宿で金貨二~三枚とここまでくるとバラつきはあるものの、おおむね相場はこのようになっている。

 つまり貧乏宿に泊まるにしても、四人の合計で最低銀貨四枚ほどは手持ちにないと野宿となる。

 そして各々の手持ちを披露する。

 ブラントの手持ちは金貨一枚、セリスは金貨三枚、セバスは金貨二枚と銀貨五枚、ダマルダは金貨一枚と銀貨九枚。

 取り敢えず初日は一般的な宿でも差し支えない金額を各自所持していた。


「今日は何とかなりそうですけど今後ですね……。エンティラに入る時は税金がかかりますかね?」

「冒険ギルドと商工ギルドに入れば無料だ。それ以外なら銀貨二枚が必要だな」


 それぞれの手持ちを確認したところで各々財布をしまう。

 ダマルダの言った通り税金――通行料として初回は必ず銀貨二枚はかかり、パーティーで最も資金の少ないブラントは頭を悩ませた。通行料と宿代さらには夕食代と、節約しても銀貨八枚ほどの出費はあるだろう。貧乏宿に泊まればまだ出費は抑えられるが、それは本当に資金が底をつくまで手を出したくないようだ。


「そう悩まなくても大丈夫じゃ。いざとなったらワシが金の面倒をみるから、坊やは何も心配ご無用ってもんじゃ。ほらそれに――」とポリポリと頬をかき「――ワシに息子がいたら坊やぐらいの年頃だと思うと世話が焼きたくてのぉ」照れたようにセバスは口にする。「世話焼き爺さんと笑ってくれ」と、最後に恥ずかしくなったセバスは場を茶化す。

「そうですよぉ~。ギルドパーティーとは命を助け合う家族のようなものですからねぇ~。それが出来ないようならいざという時に誰も助けてはくれませんからねぇ~。困った時はお互い様です~。たまにはセバスさんも言い事をいいますねぇ~」

「そうと決まったらエンティラに向かおうぜ! 今日は結成された俺達にとって大事な日だからな! パーっと景気よくいこうぜ!」


 資金面で頭を悩ませていたブラントを三者三様に元気づける。その温かい言葉にブラントは感激した。

――得た恩はそれ以上の恩で返せ。

過去にブラントが散々父親に教えられた言葉である。その言葉を思い出し固く心の中で誓うのだった。今は無理でもいつか必ず、と。


「ありがとうございます。その時はお借りすると思いますが、必ずお返ししますので」


 そうブラントは敬意を払って深く頭を下げる。


「それではエンティラへ!」


 ブラントのその言葉に三者三様が掛け声を上げる。ブラントを先頭に森を抜けた順で、遠く先にあるエンティラへと一同は列を作って歩き出した。

 照りつく太陽。

 頬を撫でる生暖かい風。

 遠くの方では鳥と虫のデュエット。

 遠ざかるカムイ大樹林。

 そして近づく都市エンティラ。

 もうその頃には当初の不安はどこかに、今ではこれから始まる冒険に期待を胸にブラントは力強く歩くのであった。



*    *



 ――カムイ大樹林のとある奥地。

 十メートルはある大木のせいで日中でも日光は遮られ、一般男性の腰ほど伸びた雑草。さらには手入れの施されていない大木の間隔が狭いせいで風の通りが悪く、この辺りは常に多湿になっている。

 時折ではあるが大型種と思われる叫び声や木々が倒れるような音が聞こえてくるそのような場所。

 そのような場所に二メートルはありそうな岩の影に建て付けられた不自然な木製のドア。

 そう、そこは先ほどまでブラントが生活していたアジトである。

 そこには善人な一般人から後ろ指さされる様なお尋ね者が数多く、本拠地だろうが堂々と町中に看板を掲げる訳にはいかない。こうやって人里からだいぶ離れ、退屈と隣り合わせの場所でひっそりと太陽が沈むのを待つしか彼らにはない。

 彼らにとっての『仕事』とは太陽が沈み、善良な一般人が寝静まった頃に始まる。そのためお尋ね者の彼らにとっては、太陽が実に邪魔なものである。

 いかに目立たず、いかに効率よく。それが彼らギルドの方針ともいえよう。

 そんなギルドでは太陽が昇っている時は休憩中であり、朝になると「今日もお疲れ!」とでも言っているかのように食堂に集まり、気の合う仲間同士で酒を飲んでは騒いでいる。

 ほとんどは正午まで騒ぐものが多く、その時間を過ぎてきた辺りから一人、また一人と部屋に帰っていく者。酔いつぶれて机に突っ伏して寝る者。そのような者が目立つようになる。

 現に正午を過ぎた今では早朝のバカ騒ぎとは打って変わり、数人がチビチビと談笑するほどになっていた。

 つまり今がギルドで生活する者にとっての夜であり、大方のギルドメンバーが寝静まった頃となる。


 ギルドの本拠地で最も神聖とされ、地下とは思わせないほど飾られた大部屋。先ほどまでブラント達がギルドの命を授かった部屋に大きなため息が一つ。先ほどまで中段の中央に座っていた老婆と思われる人からだった。

 そしてパチンと指を鳴らすと、ローブに隠れて見えないはずの喉に小さな『魔法陣』が浮かび上がる。その魔法陣がスッと消え、何度か慣らすように咳払いをする。


「我らが主様。私もしばらくお暇をいただきたく思います。よろしいでしょうか?」


 先ほどまで老婆のような声を上げ、中段中央に座り金の刺繍が施されたローブを羽織った女性。その女性の声は先ほどのように、老婆と思わせる声は消え失せる。今は透き通った上品な声が響くのであった。


「まだそのような事を言っているのか? たかが偵察の任務だ。逆に聞くが、エレナお前は一体何を心配している?」


 と、上段に座っているギルド長から。

 エレナと呼ばれた女性は座っていた椅子から勢いよく立ち上がり、力任せに机を叩く。あまりの勢いに椅子がぐらりと揺れ、そのままの勢いで倒れた椅子から乾いた音が響く。


「それはもう! ……ちゃんとご飯食べているかな? とかお風呂に入ったかな? とか皆にいじめられてないかな? とか変な女に捕まらないかな? とかその他もろもろ全てが心配です!」


 ローブに隠れて表情までは見えないものの、そこから発せられる声は心配に熟れていた。ギルド長が失笑をしている姿を見たエレナは一つ咳を払い「つい取り乱してしまいました。申し訳ございません」と続ける。


「お前ときたら……。お前の息子は確かにまだまだ未熟ではあるが、まぁそこまで心配する事もないだろう。いい加減に子離れでもしたらどうだ? お前もギルドの重役としてよくやっているのは評価している。それでも殺人ギルドの重役が、子離れできない過保護な親なのは締まらないだろ?」

「そうかもしれませんが……」

「親がどれだけ心配しても子どもはそれなりに成長する。失敗もあれば成功もある。それを自分自身が素直に認めることが心の成長でもあり、その次につなげられる経験でもある。親の心配から子が得るはずだった社会の経験値を摘むのは構わないが、それがお前の息子にとって果たしてプラスになることだろうか?」

「問題ありません。その時は私が責任をもって生涯の面倒をみますので」

「……そうか。まぁ家族を捨てた私に子どもがどうのと言えた義理じゃない。ではもし。仮にお前の息子が女を連れて紹介してきたどうする?」

「戦います! どちらかが倒れるまで私は戦います!」

「息子に恨まれるぞ?」

「では暗殺するとしましょう。前線から退いた身ではありますが、まだまだ私の腕は鈍っていません――っよ!」


 ちらりとエレナは横目で目標を定め、隠し持っていた小型のナイフを投げる。勢いよく投げられたナイフは、ぶれることなく綺麗に直線に伸び――鉄が崩れる音が響き渡る。

 その音の発信源は鉄製のドアの前に控えていた、全身鎧(フルプレートアーマー)の兜にあるブレスと言われ、いわば視界と呼吸をするための穴――その視界の穴に深く突き刺さり床に崩れ落ちた音であった。

 その直後、徐々に全身鎧(フルプレートアーマー)の騎士は薄くぼやけていく。その数秒後には姿かたちは消滅しナイフだけが床に転がっている。

 どうでしょうか? とでも言いたげに得意げに腰に手を当てる。


「確かに腕は鈍っていないようだが、召喚魔法で創られた騎士とはいえギルドの備品を……。ではエリス、お前には処罰を与えよう」

「はい? どうしてです?」

「理由はどうあれギルドの備品を破壊した。重役だろうがルールは守らなくてはならない。それが上に立つ者なら尚更だ。ではお前には――」


 深くかぶったローブで顔全体の表情は見えないものの、それでも下から見上げるエリスにはうっすらと笑みを浮かべる口元が確認できる。その笑みから何を言われるか悟るエリスは全てを言い終わる前に叫ぶ。


「慈悲深き主様! 他の事でした何でもいたします! どうか罪深き私にご慈悲を!」


 深々と頭を下げるエリス。


「――お前には謹慎処分を与える。なお日数は未定とする」


 その日カムイ大樹林の奥地で女性の悲痛な叫び声がこだました。


「それよりも俺はもう一つのパーティーの方が気になるのだが……。あいつらが気にかける理由とはいったい何やら。何はともあれ実に楽しみだ」


 叫び慌てるエリスを一瞥してギルド長は独り言をつぶやく。

 その口元は先ほどとは違った笑みを浮かべて……。



*    *



 都市エンティラの全長は三十キロにも及び、城砦都市と敬意を払う呼び方もあれば、バナナ都市と皮肉な呼び方もある。主に後者は他国の貴族、いわば自分の領地以外はセンスがない。そこからくるものであった。

 そのような都市だけあり、全ての建物が好きなように建てられていたら、都市で長年住む住人にも把握できないだろう。そのためエンティラでは東エリアと西エリアで左右対称の造りをしていた。

 東エリアの端から順に住宅エリア、宿泊エリア、商業エリアとなっている。エリアの規模でみると住宅エリア、商業エリア、宿泊エリアの順になっている。

 それぞれ詳しく説明するまでもないが、住宅エリアでは都市エンティラで職についている住人が住むエリア。

 宿泊エリアは主に冒険者が利用する。住宅を購入する事も可能ではあるが、いつ命を落とすか分からない職業のため他所からきた冒険者が利用している。

 最後に商業エリアではマジックアイテムから日用品まで幅広い専門店が商売をしている。そして西エリアはその逆の順である。

 そんな都市エンティラの核ともいえる場所が商業エリアの隣、いわば都市エンティラの左右対称の中心である。そこには都市エンティラを治める大貴族の屋敷と各種ギルドのエリアとなる。

 ギルドには大きく三つに分けられる。モンスターを狩る冒険者ギルド、都市や領主の屋敷を警備する戦士ギルド、魔法に精通する魔術師ギルドとなる。おおむねこの三つとなるが、この中で圧倒的に人気なのが冒険者ギルドとなる。

 冒険者ギルドはアドニアにおいて共通のギルドとなり、登録期間内であれば各国好きな所で利用できる。そのため冒険者ギルドに籍を置く者は、国同士の争いに介入することはご法度となる。

 ブラント率いる一行は都市エンティラに到着するや否や、取り敢えずは良心的な宿が埋まる前に探し出した。本日一行が泊まる宿は『HONEY亭』なる宿である。

 外装からそれほど築年数は感じさせず、トイレ風呂は共有で食事はなし。二人部屋で一泊銀貨五枚と食事無しの素泊まりとはいえ、築年数から相場よりかなり良心的な宿であった。一人に換算すれば銀貨二枚と銅貨五枚である。今の彼らにとって感謝の言葉しか出てこない。

チェックインを済ませ、一行は商業エリアと宿泊エリアの境目にある酒場に足を運ぶ。

 現在は太陽も沈み、都市全体はオレンジ色の街灯一色となる。都市に複数ある酒場からは、酒に酔った冒険者で喧騒に包まれる。狩りをする点で冒険者には荒くれ者も少なくはないため、酔った勢いで酒場の表で拳の喧嘩に発展する事も珍しくはない。


「堅苦しいのは無しにしまして、今後の活躍に乾杯!」


 パーティーリーダーであるブラントが乾杯の音頭をとり、それに続いて「乾杯!」と、それぞれ続いて麦酒が入ったジョッキを打ち鳴らす。それぞれが満足するまで喉を鳴らし「ぷはぁー」と焼けた喉を嬉しそうに楽しむ。


「たまには麦酒もいいものねぇ~。酔った勢いで襲っちゃダメよぉ~」


 全くアルコールに耐性がないセリスの頬には薄っすらと赤みがかかり、その問題発言に年頃の青年と中年は失笑である。一人セバスだけは「誰も婆さんを抱きたくないのじゃ!」と男性一同の叫びを代表として言う。


「だけど中には年配の人が好きなアブノーマルって人もいるでしょ~?」

「ワシらはノーマルじゃ! ピチピチが好きなのじゃ!」


 と、セリスとセバスは言い争いを続ける。その姿をブラントとダマルダは顔を見合ってクスリと笑う。


「何はともあれ、だ。リーダーお疲れ」


 いつの間にか飲み干して新しくなった麦酒をダマルダは再びカチンと控えめに打ち鳴らす。


「お疲れ様でした。最初はどうなるかと思いましたけど、何とか初日が終わりそうで一安心ですよ」

「そうだな。けど俺は不思議と心配はしていなかったな」

「そう言いますと?」


 空いた手で机に肘をついて頬を埋めながら、未だに何かしら言い争っている二人をジョッキで指してダマルダは目を細めて言う。

 その言葉がどうにも理解できないブラントはジョッキの先を目で追う。


「あの二人だよ。このギルドに入って長くなるが、あの二人は今まで見たこともねぇ。だけど戦士の勘って言うのかな? あの二人はきっとすげーと思う。まぁ願望もちょっとは入っているけどな」

「あまりそう見えませんけどね」

「まーな」


 ふっと、ダマルダは鼻で笑う。


「そんなにワシらを見つめて何じゃ?」


 視線に気が付いたセバスが怪訝そうに眉をしかめる。


「いやいや、対した事はねぇーよ。セリスの婆さんとセバスの爺さんがただ者じゃねぇって話だ」

「ほーう。……若いのに中々に良い目じゃ。人であったりモンスターであったり、何かしらと対面する場面は職業柄よくある。その時に力量差をわきまえず正面から突っかかれば――」空になったジョッキをコロンと倒す。それに続いてホールにいる従業員に麦酒の注文し「――長生きするかもしれない命もそこで終わりじゃ。昔世話になった人の受け売りじゃ」と、続けざまなにセバスは言う。

「このお爺ちゃんは今ではそう言っていますけど、若い頃は無茶ばかりしていましたよぉ~。何でしたっけ? 俺は大魔法使いになって悪人から世界を救うついでに美女をゲットするのだー、でしたっけぇ~? それなのに今はその悪人になっている訳ですから世話もないですねぇ~」

「そうやって昔の話で茶々を入れるのは卑怯じゃ! それなら婆さんも若い頃に――」


 と、再び言い争いを始めるセリスとセバス。

 その仲の良さにブラントとダマルダは失笑する。


 小一時間程度だろうか、それぐらいの時間があっという間に経ち程よく酔っ払い腹も満たしてきた頃。

 何杯目になるか分からない麦酒を口に運び、ダマルダが思い出したように口を開く。


「なぁリーダー? 俺たちの任務って王国の偵察だろ? 何か策でもあるのか?」


 痛いところを突かれたブラントの表情は暗くなる。

 実際のところはまだ何も考えが思いついていなかった。行動中に頭の中で色々と考えを模索してはいたが、決定づける案がある訳ではなく、悶々と頭と格闘するだけで今に至る。

 そんなパーティーリーダーの表情を読み取ったセバスが、おつまみ程度の料理を口に運び助け舟を出す。


「ワシらの任務は調査じゃ。このエンティラでは王国全土を調査するには情報が足りなさすぎるのと、流れ者のワシらに王国の情報を簡単に漏洩(ろうえい)するほど、貴族や王族は一般人に公開するはずもない。そうなれば、じゃ。第一に貴族の懐に入ることが先決となり、そこからのコネで大貴族と、さらには王族とじゃ。何事もコツコツと信頼関係を築くことが大切じゃ。ま、幸か不幸かエンティラの領主は大貴族じゃ。運と腕が良ければ、もしかしたら一気にステップアップも夢じゃないかもしれない」

「そうなりますと、コネを作る前にまずは名前を売り込まないといけませんね。……ギルドに入って功績を遺すのはどうでしょうか? それだと時間がかかりますかね?」

「いーや、俺はそれに賛成だな」


 と、ダマルダは頷く。それに続いてセリスとセバスも後に続き賛成の意を示した。


「それではギルドに加入するのは決定ですね。それではどのギルドに入るか、ですね」

「それに関しては各々で好きなギルドに入れば大丈夫ですよぉ~。別に魔術師ギルドが冒険者ギルドの手伝いをしたらダメってルールはありませんしぃ~。基本的にはギルドの仕事をしっかりこなせば何をやっても問題はありませんよぉ~」

「そうなりますと……固まってギルドに入らない方が、違った方面のコネにも繋がりそうでいいですね」

「そう言うと事じゃ。まぁワシと婆さんは魔術師ギルド一択じゃし、ワシらはそっちから攻めていこうかね。婆さんも文句はなかろう?」

「問題ありませんよぉ~」

「なら俺は戦士ギルドにするかな。リーダーが戦士って柄でもないし」

「では私は残った冒険者ギルドですね。それでは明日から各自ギルドに加入し、宿は共にして密な連絡を取り合い、必要でしたらパーティーとしてサポートに入る形で問題はないですね?」

 先人の知恵を借りつつブラントのプランに三人は頷き、明日から冒険者ギルドと新しい環境に胸を躍らすのであった。

 そして一行は酒場の喧騒に包まれるかのように任務を忘れ、更に小一時間ほど麦酒と談話を楽しむ。

そうして初日の夜は交流会と名ばかりの飲み会で更けていく。

ここまで見ていただきありがとうございました。そして長文にお疲れ様です。

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