2話 同期 (1)
以前は【2話 同期(2)】と分割していましたが、この回にまとめました。
混乱をされた方、大変申し訳ございません。
1
――都市エンティラを出発してから早くも三日が過ぎ、ようやく折り返し地点に差し掛かろうとしていた。
都市エンティラから目的地までは、比較的に穏やかな草原となっている。ごく稀に仕入れ途中の商人や、カムイ大樹林から流れた低級モンスターと出会うが、一日にそう何度も遭遇はしない。
基本的には馬車に揺られ、暇な時間をどう過ごすかの方が、彼らにとっては重要であった。
最初こそは交流のためにトランプや談笑で盛り上がり、各馬車で笑い声が絶えなかった。だが三日もすれば飽きの方が勝り、日中から酒を飲む者、暇つぶしに筋トレを始める者、馬車から降りてランニングをする者。それぞれで暇つぶしを探しては実践する。それの繰り返しだった。
そんな馬車の最後尾、二人掛けの御者台でブラントは手綱を握りしめていた。その隣には周囲の警戒役――もとい話し相手役にエリーが腰を下ろしていた。のだが、特に話題もないため、二人は地平線まで続く草原をボーっと見つめる。
そんな時、数百メートル離れた位置に三体のゴブリンが姿を現した。ブラントとエリーもそうだが、他の御者台に座る冒険者もボーっとしていたため、これほど接近されても誰一人として気づかなかった。かといって誰も慌てる様子はない。それどころか数名の冒険者は暇つぶし相手が突如と現れ、歓喜の声を上げて武器も持たずに接近する。
戦闘は瞬く間に終わったが、内容は実に酷いものだった。棍棒を持ったゴブリンに素手で応戦し、じっくりと味わうように屠る。あまりにも暇すぎて、些細なイベントに飢えているとはいえ、その行為はあまり褒められたものではない。エリーも同意見なのか、討伐を終えた冒険者に軽蔑の眼差しを送っていた。
「なぁなぁ、リーダー」
何の前触れもなくダマルダは乗車室から身を乗り出し、ニヤリと悪い笑みを浮かべながらブラントに言い寄る。良い暇つぶしでも思いついたのか、その姿は歳相応とはお世辞にも言えなかった。
「えっと……どうかしましたか?」
あまり良い内容とは思えないが、仲間を無下にする訳にもいかず、ブラントは渋々言葉を繋ぐ。そんなブラントを知ってか知らずでか、ダマルダは意気揚々と声を上げる。
「今晩だけど、一つ俺と手合わせしてくれないか?」
予感的中。ダマルダの提案に対し、ブラントはあからさまに嫌な顔をする。何が嬉しくて負け戦に挑まなければいけないのだろうか。これは手合わせではなく、ストレス発散の間違いだとブラントは感じた。
もちろんブラントとしては断りたいのだが、それをしてしまえばリーダーとしての力量が問われ、更には解消無しの烙印までついてくる。受け取る方によっては敵前逃亡と勘違いされるだろう。この場にエリーが居なければ、ブラントはそう思われても構わなかった。だがエリーはブラントの隣に座り、今の会話もバッチリ耳にしている。それではブラントも断るに断れない。
ブラントが断れないのには、それなりの理由がある。エリーに対して『特別な行為を抱いている』……訳ではなく、『今夜こそはエリーを口説こう』……としている訳でもない。
ダマルダに手も足も出ず敗北し、失態を晒す事によって『依頼が受けにくくなる』のを恐れたからである。
今まで何かとエリーは大きなお世話と言えるほど、ブラントに対して厳しい態度で受付嬢として接してきた。酷いときは討伐依頼で最も簡単な『ゴブリン討伐』さえも断ろうとしていたほどだ。これ以上は酷くなり様はないが、それでもブラントにとって面白くない。できる事なら手合わせを回避し、欲を言えば今回の依頼で結果を残し、次回からすんなりと依頼を受理してもらいたい。それがブラントの本音である。
「やるだけ無駄じゃ。やった所で既に結果は見えておる」
困っているブラントに助け舟を出したのはセバスであった。魔法使いなのにも関わらず、普段は大きく丸みを帯びた盾を装備している。そんなトレンドマークの盾は今、パーティーの荷物係として抜擢されたブラントのマジックポーチの中にある。
「そうですよぉ~。手合わせではなくて、稽古の間違いですよぉ~」
と、セリス。願ってもない助け舟なのだが、そこまで二人から否定されれば、流石に釈然としないブラントであった。なんとも我が儘なブラントである。
「そこまで差が現れるほど、ダマルダさんは戦斧の扱いに優れているのですか?」
ブラントの隣で話を聞いていたエリーが疑問を問いかける。
大きさにして子供大――百五十センチほどあり、パーティーの中ではダマルダ以外は実践として扱う事は難しい。それを可能にしているのが彼の鍛え上げられた肉体であり、彼のレベルが十八とやや高めなのも理由の一つと言えよう。
ちなみに、ダマルダは更に小ぶりのメイスも装備している。あまり実践で使われた事がなく、ほとんど飾りみたいな物ではあるが。
何気ないエリーの質問に、セリスとセバスは「ん?」と声を合わせる。
「嬢ちゃんは何か勘違いしてはいないか?」
「エリーさんは大きな勘違いをしていますよぉ~」
二人して不穏な事を言い出し、ブラントの背中に汗がにじむ。心の中で『それ以上はやめてくれ!』と絶叫するほどだった。
「えっ? 私おかしな事を言いましたでしょうか?」
「見当違いも甚だしいってもんじゃよ。勝つのは間違いなく坊やじゃ」
「そうですよぉ~。ダマルダさんは手も足も出ないまま無様に負けちゃますよぉ~」
二人が出したのは助け舟ではなく、ただの焚き付けであった。そんな風に返ってくるとは思ってもいなかったエリーの表情には驚きが現れる。そしてダマルダもまた、二人の発言にムッと眉を寄せる。
「やってみなきゃ分からないだろ?」
不機嫌そうな声音のダマルダに二人は気にした様子はなく、どうしてダマルダがブラントに手も足も出ないのか説明をする。
その前に戦斧――バットルアックスとはどのような武器なのかを説明しよう。
ダマルダが使用しているのは斧頭と柄は全て鋼を使用しており、重さにして約四十キロと重量級である。通常のバットルアックスであれば、斧頭と柄だけとシンプルな作りとなっているが、ダマルダが使用しているのは特注品であり、その形状はハルバードを連想される。
ハルバードとは先端が槍の様に尖り、その下には斧、反対側には鉤を組み合わせた武器である。そのため一つの武器で斬る、突く、引っ掛ける、叩く、守る、などと様々な戦い方が可能となっている。
ダマルダが使用しているバットルアックスもその用途が可能である。そんなダマルダのバットルアックスは、重心が先端にあるため取り回しに難があるが、遠心力と剛腕から繰り出す重い一撃は相手を苦しめるだろう。
そして本題に戻る。そこだけ見れば、確かにダマルダの方が有利の様に感じるだろう。だが二人にとって勝敗を決める決定的な違いがある。
まずダマルダはパワー型の重戦士であり、力だけならブラントの比ではないだろう。だが俊敏性は体格も相まって無に等しい。その代わりブラントの力はお世辞にも良いとは言えないが、それを補う俊敏性に優れている。
対人戦において優位に立つには力も必要だが、それ以上に俊敏性が重要視される。もちろん場合にもよる。
相手がマジック防具でガチガチに固めれば、また違った戦術が必要とされるが、今回の相手はダマルダである。遠心力と剛腕から繰り出される一撃必殺の攻撃も当たらなければ意味がないし、何よりダマルダの戦術は実に単純である。
殺人ギルドに籍を置く以上は対人戦なら幾度となく経験してきた彼だが、何も正々堂々と正面からぶつかる訳ではない。事前に相手の裏をかき、地形を利用し、姑息な真似をし、更には仲間もいる。それでは対人戦の練習にもならないだろう。
そんな素人対人戦を経験してきたダマルダが、基本的に真正面から――その場で敵の行動を読み取り、タイミングを見出し、攻めるポイントを把握しているブラントとは経験値もそうだが、相性や戦闘スタイルも正反対である。
そのような理由からセリスとセバスはブラントの勝利を確信したのだ。
一通り説明を終えたセリスとセバスは、大好きな孫の晴れ姿を想像したかのように、満足そうな表情をしていた。もちろん『殺人ギルド』などと物騒な説明は省いて、だ。
「そのような理由じゃ。更に言えば坊やの方が武器の扱い方が上手いのも一つじゃ」
「そうですよぉ~。ソロ活動のブラントさんは腕が立ちますからねぇ~。パーティーに慣れたダマルダさんとは、そもそも舞台が違いますからねぇ~」
そのように自分を評価してくれていると知り、喜びのあまりブラントの口がほころぶ。もちろんそれでダマルダが納得する訳がなく、先ほど以上に闘志をむき出しにする。
「そこまで言われて引き下がるほど落ちぶれちゃいねぇ! これは提案じゃねぇ、俺からの頼みだ。リーダー、どうか俺と手合わせしてくれ」
「わ、分かりました……」
そこまで言われて断る訳にもいかず、ブラントは渋々ではあるが了承する。その返事にダマルダは不敵な笑みを浮かべ「明日は五体満足あるといいな」と、中々に物騒な事を言い出すのであった。
「あぁ、そうだな。リーダーが手を抜いちゃ困る。ここは一つ勝者には賞品を出すのはどうだ? ……例えば、エリーちゃんと一日付き合える権利とか。もちろんその中には夜のお楽しみも含まれているぜ」
何を想像したのかまでは野暮なので言うまでもないが、突如としてエリーの顔は茹蛸の様に真っ赤に染め上がる。
「だ、駄目に決まっているでしょう!」
プンスカ怒るエリーを尻目に、ダマルダは呆れて嘆息する。
「冗談に決まっているだろ? そんな事をすれば俺はリーダーと手合わせする前に、後ろの鬼婆さんに殺されちまう。まっ、エリーちゃんが望むなら今の案でもいいけどな?」
「駄目です!」
「そりゃそうだ。……それで、だ。やっぱりここは報酬を賭けようか。勝者は敗者に今回の報酬の半分。何かと金欠のリーダーだし、この案は素直に嬉しいだろ?」
今回の報酬は事前に四等分が決まっているため、偵察で終われば金貨十枚、戦闘に発展すれば金貨二十枚である。その半分ともなれば最低金貨五枚、最高金貨十枚となる。エリーとの約束でもある『高級ディナー』とやらが控え、いくら軍資金があっても足りないブラントからすれば、その申し出は非常にありがたかった。
とはいえブラント達が知らない所で追加報酬が発生しており、実際は偵察のみで金貨三十枚、戦闘に発展すれば金貨六十枚は約束されているのだが、それを知る術は今の彼らにはなかった。
「……分かりました。私もそれで構いません」
こうしてブラントとダマルダの手合わせが今夜決行される事が決まるのであった。
それからは特に何事もなく時間は流れていく。
太陽が真上に差し掛かれば昼食を取り、疲れが見え始めと思えば小休憩を挟み、野生の動物を発見すれば調達し、そして各自で暇を持て余す。
そんなのんびりとした一日が夕焼けと共に終わろうとしていた。
草原だけあり辺りは比較的に見通しが良いのだが、それでも警戒を怠る事はない。
基本的にモンスターは夜目が効き、大抵のモンスターは夜になると活動が活発となる。そのため日中こそはボーっとしている冒険者だが、日が沈むにつれて身が引き締まり、日中の態度が嘘のように周囲に警戒網を張り巡らせる。
そんな中、本日の野営する場所が決まり、三台の馬車は道の脇へと止める。この時を待っていたかのように、各馬車から冒険者が飛び出して一堂に固まった体をほぐす。
基本的に野営を組む時はパーティーで行動し、仕事内容は一日交代のローテーションで行う。仕事としては以下となっている。テント班、調理班、警護班、馬の世話、その四つがある。仕事内容まで事細かく説明するほどの事でもないため省略とする。
そしてブラント達の本日の仕事は調理班である。
そうは言っても道中で野生の動物に遭遇しない限り、毎晩のメニューはほとんど変わらない。
数枚の干し肉と大粒のパンが二つ、そして野菜の入ったスープ。それだけの質素な食事となり、日々冒険者の不満が高まりつつある。だがこればかりは致し方ない。それどころか帰り道は更に過酷な食事環境に陥るだろう。パンにしても野菜にしても、流石に片道六日間だけでも厳しい。どこかで補給でもしない限り、おのずと帰り道は今の劣化バージョンとなる。それでも食べなければ飢えるため、今はまだ誰も文句の一つも言ってはいない。
が、本日は神の恵みか、はたまた皆の願いが通じたのか、日中に野兎と野狐を二頭ずつ確保し、三日ぶりのまともな食事に一同の期待が走った。
皮剥ぎや臓物の処理、更には料理までセリスに一任し、火起こしのためにブラント、セバス、ダマルダの三人は薪を拾いに行く。そうは言っても見渡す限り草原が続き、ちょっとそこまでとはいかない。
日中の間に気持ち程度は確保したが、それだけでは不十分のため、新たに薪を求めて三十分も彷徨ったが、そう上手くいくはずもない。結局往復一時間もかかって見つかったのは数本の薪だけである。
しょんぼりしながら三人は帰途につき、既に下ごしらえを終えたセリスは、たった数本の薪しか探し出せない三人を一喝する。だがここは剣と魔法が繰り広げられるファンタジー世界である。三人の最年長で尚且つ魔法使いのセバスがコンロ役を買って出た。それによって三人は周囲からの非難を避ける事に成功し、一人で調理するセリスの指示に従い残った二人は補佐役として動き回る。
そうこうして完成した本日の夕食は大粒のパンが二つ、コンソメスープ、メインディッシュとして兎と丸焼き、狐の肉入り野菜炒めである。この喜びを明日に持ち越そうと、話し合いの結果半分は残す事となった。そうして久しぶりの肉料理に冒険者は歓喜し、一同に頬がほころぶ。
久しぶりのご馳走はあっという間に終わり、今は各自の自由時間となる。
焚き火を囲んで談笑をする者、馬車の中で沸かしたお湯で体を拭く者、体がなまらない様に剣を振るう者、夜中の警戒に当たるため先に寝ている者。
各自で好き勝手に行動する中、ブラント率いるパーティーと審判を買って出るギルド長、心配そうな表情のエリーが少し離れた場所を陣取っていた。更にそこから少し離れて、ブラントとダマルダは己の武器を手にストレッチを始める。
暇を持て余す彼らは、二人の姿をいち早くキャッチし、気が付けば二人から少し離れた場所に腰を下ろし観戦モードとなっていた。今から何が起こるか分からないのに集まる彼らは、すっかり暇人が板についたからだろうか。
何はともあれ、だ。満足するまでストレッチが終わった二人は互いに対峙する。
互いの装備品はこうなっている。ブラントは防具を外し盾と片手剣のみ。ダマルダは上半身だけ重装備で下半身は軽装備を装備し、両手に戦斧を握りしめている。どうしてブラントは防具を外しているのかというと、ダマルダの一撃に耐えられないと踏んだからである。それなら無理に防具を装備するより、より身軽にして俊敏性を重視するためでもある。
「まずはルールの確認から始める。セリスさんのご厚意により、大抵の怪我は治癒できるため、相手の死亡のみ厳禁とする。依頼前の大切な体のため、お互いあまり熱くならないよう心がけて欲しい。勝敗についてはギルド長の私の判断とする。……それでは互いに準備は終わったかな?」
「ああ、大丈夫だ。それより本当に防具を装備しなくても大丈夫なのか? セリス婆さんが治してくれるっていっても、どうなっても知らないぞ?」
これから始まる手合わせを楽しむかのように笑うが、それでも心は落ち着いていた。幾度となく体験した窮地や経験、負けるはずがないと思う自信からだろう。
「はい、私も大丈夫です。依頼前に防具が破壊される方が困るので、このままやらせてもらいます」
そんなダマルダとは正反対のブラントである。
心臓は今にも勢いで破裂しそうなほど高鳴り、言葉もどことなく震えていた。過去に剣術を習う際に対人戦の練習もしたが、それはあくまで練習である。ゆえにブラントにとって初の対人戦なのだが、ダマルダの落ち着きようがプレッシャーとしてのしかかり、己の自信が始まる前から徐々に削られていく。
だが逃げる訳にもいかず、ブラントは大きく深呼吸をしてから下唇を噛みしめ、強引に己の弱い部分を内側へと押し戻す。心臓の鼓動は変わらず高鳴るが、それでも頭の中は多少ではあるがクリアとなる。
今のブラントには精一杯の前進だが、それでも彼にとってはそれだけで十分だった。緊張からくる体の硬直より、正常な判断に欠けた方が怖かったからだ。
「うむ。それでは始め!」
ギルド長の合図と共に手合わせが開始される。
まずは互いの出方を見るため、じわりじわりと距離を詰めていく。たまにダマルダが悪い笑みを浮かべて駆け出す素振りを見せるが、そこから発展する訳でもなく踏みとどまる。
だが一定の距離を境に戦況は大きく変わった。
先手必勝といわんばかりにダマルダが地を蹴り飛び出す。体制を低くし、ブラントより長いリーチを生かし、地を這う形からブラントに向かって斜めに斬り上げる。
たまらず後方にバックステップで難なく回避するが、遅れて迫る風圧で髪がなびき、その威力を物語っていた。片手剣や盾で守らず、咄嗟に回避行動をとった事に安堵する暇もなく、ダマルダの攻めは続いた。
振り下ろしからすくい上げるように突き、回避方向に向かって薙ぎ払う。戦斧の重量を無視した攻撃を全て回避し、ブラントの背中に嫌な汗を流していったん距離を取る。
「確かにセリスの婆さんやセバスの爺さんの言う通り、このままいけばジリ貧で俺は確実に負けるだろうな。……だがな、俺は勝ちに貪欲だ。だから姑息でも意地汚くても、誰かに非難されても、勝たせてもらう――ぜっ!」
開いた距離を瞬く間に縮め、いつの間にか片手一杯に握りしめた土をブラント目がけて投げ飛ばす。
ダマルダは『姑息でも意地汚くても、誰かに非難されても』と言うが、これは騎士同士の決闘ではない。戦い生き残る中では必然とも言える行為に、誰一人として咎める者はいない。
条件反射で半ば勝手に盾が動き、そのまま土を防ぐのだが、その代償は視界の制限となってブラントに戻ってくる。一瞬や一撃で勝敗が決まる中で、周囲の視界が見えないのは大きな隙となるだろう。
だからこそブラントは前に出た。このまま死角から攻撃を放たれるぐらいなら、それならリーチを詰めて威力を半減させる意味も込め、盾を構えたまま前進する。
「ちっ!」
その判断が幸運にも正しかったのか、ダマルダは舌打ちをする。
ダマルダにとってブラントが土を盾で防いだのは予想範囲内。顔に直撃してくれたら御の字だと思っていた。
案の定ブラントは盾で防ぎ、その隙に前進しつつ戦斧を盾に向かって突き出す予定だった。そうすれば盾を退かした瞬間に戦斧が迫り、そこで勝負が決まると思っていた。
だが結果は思いもよらぬ形として帰ってくる。
普通なら視界を奪われるような事があれば、恐怖のあまり後方に回避するのが人として当たり前の事だろう。現に今までの経験上ではそれが普通だった。
その光景に『それなのにどうして?』とダマルダは自問自答する。その答えが返ってくる事はなく、その代りブラントの盾が徐々に迫り――次の瞬間には互いにぶつかり合う。
そこからの展開は早かった。ぶつかった衝撃でダマルダは倒れ、夜空を見上げたかと思ったら、次の瞬間には投げナイフを片手にしたブラントが視界に現れる。
「そこまで! ブラントくんの勝利!」
ギルド長の声と共に、こうして二人の手合わせは呆気なく終了となった。
勝者と敗者、勝因と敗因、ブラントとダマルダ、は共に浸ることなく仲間と共に自分たちのテント付近まで戻る。観戦していた冒険者も互いを称え、先ほどと同じように各自で自由時間を過ごすのであった。
そしてブラント達は戦いを終えて絆が芽生える訳でもなく、負けたショックから落ち込む訳でもなく、普段通りの調子で酒を飲みながら雑談に花を咲かせていた。ちなみにアルコールはギルドが支給するはずがなく、各自で出発前に購入しておいた物である。
「リーダー、俺の完敗だ。やっぱり俺らがリーダーだよ」
「そうですよぉ~。予想通りとはいえ、素敵でしたよぉ~」
「うむ。これは将来が楽しみじゃ」
と、ダマルダ、セリス、セバスがブラントを褒めたたえる。
「いえ、たまたまですよ。私が勝てたのは運が良かっただけです」
仮にあの時に前進ではなく後退を選べば……。そう思うとブラントの額に汗が滲む。だからその言葉は謙虚な気持ちは一切ない。全てが本音で本当の事である。
「運ねぇ~……。それは違うと思うけどな」
何かを悟ったかのようにダマルダは鼻で笑った。
「と、言いますと?」
「まず初めに、どうしてリーダーは防具を装備しなかった?」
「ですから初めに言った通り、依頼前に防具が破壊される方が困るのからです。何か間違っていますか?」
「そうだな。俺ら――前衛で戦う者からすれば、その行為は異常だと思う。防具といっても二つの意味がある。一つは当たり前だが身を守る意味。二つ目は攻撃されても安心できるといった内面を庇護する意味。場合によっちゃ後者の方が重要かもしれんな。それなのに、だ。最後に視界が無くなって、どうしてそれで前進を選んだ? 次にどういった攻撃がくるか分からない以上は、普通の人なら怖気づいて回避行動に移るだろ? 俺としてはその意味がどうにも理解ができねぇ」
「そう言われましても、特に理由がないので答えられませんね。相手の動きはよく見ますが、その時の決断は頭で考えるより、基本は体が勝手に動きます。ですから説明を求められても、私は何も答える事はできません。もちろん全てがそれに当てはまる訳ではありませんが」
「なるほど、なぁ~。……もしかしたら、リーダーは――いや、なんでもねぇ。それより、だ。リーダーはエリーちゃんとどこまで進んだ?」
何かを言いかけたかと思えば、一変して悪戯っぽくダマルダは笑う。そんなダマルダの唐突な質問に、呆れ半分うんざり半分のため息をブラントは漏らす。
「で、す、か、ら! 私とエリーさんはただの冒険者と受付嬢の関係です。そもそも、どうして皆さんは私とエリーさんの関係を勘違いしているのですか? ギルド長もそうでしたよ。出発前に『恋人同士なのだろう?』とか突然言ってきまして、本当にビックリしましたよ……」
エリーのように――アーモンドのような瞳、全体的に色白で高く整った鼻、うっすらとピンク色の唇。肩ほど伸びたブラウンの髪がパーマで軽くウェーブしている。誰から見ても美少女のエリーに対し、そこら辺の男性は放ってはいない。
もちろんブラントもその中の一人なのだが、あくまでそれは外面の判断である。
だが内面に対して、ほんの少しだけブラントは苦手意識を持っていた。勘違いしては困るので付け加えると、決して悪い子ではない。悪い言い方をすれば、確かにエリーは過保護な部分があり、中々認めようとしない頑固な部分もある。良い言い方をすれば、保護力に優れた一生懸命な女性だろう。
そんなエリーとの思い出は無に等しいし、そのような態度で接した記憶もブラントにはない。だからこそ不思議に思う。『どうしてエリーさんとの仲を勘違いしているのだろうか?』と。
「いいじゃねぇかよ。エリーちゃん美人だし、冒険者ギルドでも固定のファンがいるぐらいだぜ? それが最近現れたリーダーの専属って話だろ? そりゃ勘違いされても不思議じゃねぇって。それともリーダーには本命がいるのか? 例えば、前回の依頼で一緒になったクールな姉ちゃんとか? モテモテの男は辛いねぇ~」
「全部誤解です! 別にエリーさんは専属でもないですし、むしろエリーさんからの風当たりが強いぐらいですよ? 勘違いどころか、むしろ哀れんで欲しいぐらいです。それにアリアさんとは親しい友人……なのかな? 彼女のポジションは私もよく分かりませんが、取り敢えず彼女らとは特に何もありません。それに……私には帰るべき場所があります。今のままでは色恋沙汰は初めから無理でしょうね……」
二人のどちらか、それとも他の誰か、どちらにしても今のブラントには恋愛ができない。
本音を言えばもちろん恋愛はしたい。だが都市エンティラに住み着く訳じゃない。今は任務の一環として腰を下ろしているが、時期がくれば王都に移動し、更に最終的には殺人ギルドの隠れ家に戻る事になる。
後々の事を考えればブラントには恋愛に踏み出す勇気、決意が足りないのであった。
最後の言葉の意味を読み取ったダマルダは「確かにそうだな」と、申し訳なさそうに呟く。
「大丈夫ですよぉ~。いざとなれば駆け落ちすればいいですからぁ~」
どこかしんみりする空気の中、セリスがナイスアイディアと言わんばかりに問題発言をする。その発言をセバスが聞き逃すはずがなく「それは無謀じゃ! 坊やが殺されるぞ!」と、珍しく慌てた様子を見せた。
仮にも殺人ギルドである。ギルドの全員とまではいかないが、半数以上のギルドメンバーは、一般人から後ろ指をさされるお尋ね者なのだ。そんな殺人ギルドに一度席を置いてしまえば、おのずと隠れ家の問題やメンバー構成など守秘義務が発生する。そんなギルドから簡単に退会どころか、逃げる事すら難しい。逃げようものならアドニア中で任務をこなす同士から命を狙われ、深い眠りから覚める事はないだろう。
「大丈夫ですよぉ~。こうみえて私とセバスさんは発言力がありますから、いざとなれば私達が後ろ盾すれば安心安全間違いないしで、第二の人生を満喫できますよぉ~」
「それは間違いないが……。かといってギルドの事を思うと、坊やには抜けて欲しくはないのじゃがのぅ……」
「この老いぼれは何を言っているのやら……。確かにブラントさんは逸材だとは思いますが、それは剣術においてですよぉ~。それ以外はまだまだの青二才の若造で、私達からすれば将来どう化けるか楽しみな反面、誠実なブラントさんにはそのままでいて欲しいとも思いますねぇ~。だからこそ、ブラントさんが望むならギルドから脱退してもいいとさえ思えますし、それなら全力で応援もしたいですかねぇ~。だからブラントさんも好きなようにして大丈夫ですからねぇ~? 後の事は老いぼれ達に任せて結構ですよぉ~」
果たしてその言葉がどこまで本気なのかブラントには分からないし、人間性を理解できるほどの付き合いでもない。
それでも信じたいと思う気持ちがブラントにはあった。仲間に愛されていると実感し、胸の奥から何かが湧き出そうにもなる。
「……ありがとうございます。そのような事は多分ないとは思いますが、もしもの時はご厚意に甘えさせていただきます」
「甘えちゃって下さいねぇ~。……それでは善は急げ、ですよ! まずはエリーさんの攻略に、ちゃっちゃっと好感度を上げちゃいましょぉ~」
何が『善は急げ』で、何が『攻略』で、何が『好感度』なのか、話の流れから甚だ疑問だらけである。面倒な事になる前にブラントが引きとめるより早く「エリーさん、ちょっといいですかぁ~?」と、セリスはエリーを呼び出す。
一人寂しく暇そうに焚き火を見つめていたエリーはよっぽど退屈していたのか、何の疑いもなくちょこちょこと近寄ってくる。
「どうかしましたか?」
「すいません。なん――」
面倒事を排除しようとするブラントの言葉は突如として閉ざされる。
犯人はニヤニヤするダマルダとセリスであった。ダマルダは最大限の腕力でブラントに抱き着く感じで拘束し、すかさずセリスが口を両手で塞ぐ。
「えっと……何をしているのですか?」
「気にしないでくれ! 俺たちの友情を確かめているだけだから!」
「そうですよぉ~。私達は人一倍に仲がいいのでぇ~」
「いや、だけどブラントさん相当嫌がっていますよ? 苦しそうですよ? 辛そうですよ? 本当に大丈夫ですか?」
エリーが心配するのも当たり前である。ダマルダの最大限の腕力で抱き着かれれば、線の細いブラントの胸は圧迫され、更にセリスの追い打ちである。それで無事なはずがない。
だが二人は止まらない。多少は拘束を緩めるが、それだけである。
「そんな事より、エリーさんはブラントさんの事をどう思っていますかぁ~? 私の個人的な意見では、ブラントさんは中々に魅力的な男性だと思いますけどぉ~?」
実にストレートな質問である。もちろん本人を目の前にして答えられる訳がなく「え、えっと……」と、困惑した様子でチラチラとブラントに視線を送る。
「あらあら、まぁまぁ~。そうでしたね、そうでしたね。後は若い者同士に任せて、邪魔者は退散でもしましょうかぁ~」
とってつけたようなわざとらしい発言をし、ダマルダはブラントの拘束を解くと三人は一目散にその場を後にする。
短時間とはいえダマルダの腕力によって拘束されたブラントは咳き込み、エリーは去っていく三人をジト目で見つめるのであった。
取り残された二人はその場でどうしていいか分からず、取り敢えずブラントが「少し散歩でもしましょうか」と提案し、今は二人で月明りの下で目的もなく歩いている。
辺りは虫の鳴き声が響き渡り、都市エンティラでは決して見る事が出来ない星空が広がる。仮に二人が恋人同士なら実にロマンティックだっただろう。
ふと月明りから覗くエリーの表情がどこか映え、時折ブラントは盗み見る。もしこれでエリーが優しかったら、その度に失礼な事をこっそりと思いながらではあるが。
「……ブラントさんは冒険者としての生活は怖くはないのですか?」
野営から十分ほど歩いた頃、唐突もなくエリーが口を開く。
その質問にブラントは「そうですね……」と、考え込む。何だかんだ冒険者としての生活は十日も満たず、今回の依頼を合わせても三つ目。
大量のゴブリンやワーウルフとの戦闘を経験し、中々に内容の濃い体験はしているが、それでも『怖い』と思った事は一度もなかった。それよりも『ご飯を食べなければ』の方が勝り、日々一生懸命なのも一つの要因かもしれないが。
それと同時に『任務』として『殺人ギルド』として、ただの一般人だったとしたら果たして冒険者ギルドに籍を置いたのだろうか。その時はエリーやアリア、それ以外の誰かと真剣に恋愛と向き合ったのだろうか。そんな疑問も頭をよぎるが、仮定の話を考え込んでも仕方がない。仮定の話は一時中断する。
「どうでしょうか。今まで考えた事はなかったですね。それに……エリーさんのためにもお金も稼がないといけませんしね」
「えっと……それってもしかして愛の告白ですか?」
「違いますよ! 全くエリーさんまで何を言い出すのやら……。最高級のディナーをご馳走するなら、って意味ですよ」
「ぷっ、それ本気にしていたのですかぁ~? 冗談ですよ、冗談。別に何もしてくれなくて結構ですよ」
二人が出会ってから二度目となるエリーの笑顔に、ブラントの頬は緩む。
そのせいなのか一度目の笑顔を見た時と同じセリフを考え無しに口にする。「そうやって笑っていた方が可愛くて魅力的ですよ」と。
一度目の時は不意打ちに褒められてエリーは何も言えなかった。言葉の意味、普段の自分はどう映るのか、聞きたい事はあった。だがタイミングが悪く結局は何も聞けずじまいだったのだが、今回は違う。邪魔する人もいなければ、今はたった二人しかいない。だけどエリーは聞けなかった。気になる反面で怖かったからである。もしマイナス面が多かったら、もし拒絶されたら、と。
本人は認めてはいないが、現状のエリーは微妙な立ち位置に置かれていた。ブラントとの関係が恋愛に発展するのか、それとも友人同士で止まるのか。何かきっかけがあれば恋愛に発展するし、きっかけがなければ友人同士で終わるだろう。そんな中でのブラントの発言である。考え無しとはいえ、その言葉はきっかけの一つとなった。
「困らせちゃいましたね。すいません。……ですが、エリーさんは笑顔がとても似合います。普段は仕事で少しだけ気が張っているのか、ちょっとだけムスッとしています。まぁそれでもエリーさんは元から綺麗な方なので、その時の表情も絵にはなっていますが、私はそうやって笑っている方が好きです。――あっ、もちろん口説いている訳ではありませんよ! ただ自分の思いを素直に伝えただけです! 勘違いしないで下さいね!」
慌てて訂正を入れるブラントだったが、既にエリーの頭は慌ただしくもぐるぐると回転しており、最後の訂正はもはや耳から耳へと素通り状態だった。
言動はともかく、顔の良いエリーはそれなりに異性から特別な好意を集めていた。別にブラントが言い寄った訳ではないが、そのように口説かれた事もしばしばある。もちろんその中には『この人いいな~』と思う人もいたのだが、それでも結果的には『う~ん。なんだか違うな』となり、それ以上は発展しなかった。
そして今回である。いつも通りなら口説かれる事に慣れっ子のエリーは、それほど慌てる事なく普通に対応するのだが、今回ばかりは違った。
出発時にギルド長に勘違いされたり、本人たちの意思とは関係なく何かと周囲がブラントとくっつけたがったり、今までにない経験を経てからの今である。それらを踏まえて意識しても仕方がないだろう。
「……あっ、うっ……ばっ……バ、バカたれ!」
混乱する頭で出てきた言葉がそれである。もう少しまともな言葉が出てこなかったのかと、言ってしまってからエリーは後悔するが、既に取り返しはつかない。
色々と恥ずかしくなったエリーは最後に「バカたれ!」と言い残し、焚き火の明かりを頼りに野営に向かって全力で走るのだった。恥ずかしさをごまかすかの様に、言葉にならない叫び声を上げるが、それぐらいでは心の落ち着きを戻すことはできない。ただひたすら全力で走る事、それが今のエリーにとって恥ずかしさを紛らわす唯一の方法だった。
取り残されたブラントは「また怒らせちゃった」と呟き、肩を落としてトボトボと野営に向かって歩き出した。
余談ではあるが、ブラントは一人寂しく肩を落として帰ってきたため、理由も聞かず仲間の皆は励まし合い、四人は夜遅くまで飲み続けるのであった。
エリーは完全に興奮状態に陥り、その日の夜は眠ることができず、たまに思い出したかのように声にならない叫び声を上げては悶々とするのであった。
* *
――時はさかのぼり冒険者ギルド総本部で行われた会議の翌日の早朝。
あまりにも急な依頼にも関わらず、参謀長の狙い通り門の前には多数の冒険者――総勢で三十人が集まった。本来ならそれの倍ほど申し込みがあったが、ギルド総司令が直々に選別し、半数まで数が減ったのである。
集まった冒険者の委細としてはこうなっている。二組のS級冒険者九名、一組の一級冒険者四名、四組の二級冒険者一九名。どの冒険者も腕が立つ者ばかりで、タイミングよく長期の依頼から帰ってきた冒険者も中にはいる。こうして休暇もなしに次の依頼を受ける辺りは、流石は上流クラスといったところだろうか。
そんな冒険者を総司令はお立ち台から見下ろし、頻りにギルドの方角に視線を送っていた。実に残念な事にそろそろ出発の時刻なのだが、未だに上層部は誰一人として現れていない。
ギルド職員で参加を表明したのは総司令の秘書、彼一人である。初めから期待はしていなかったとはいえ、この結果に総司令は盛大にため息をついた。
総司令は武器である槍の石突をお立ち台に叩きつる。
ドンっと音と共に冒険者の視線が集まり、それと同時に会話を中断する。
その前に総司令の装備を紹介しよう。冒険者時代のポジションは中衛として活躍していた。武器は槍――トライデントと呼ばれる槍を使っている。形状としては穂先が『山』の漢字を連想してくれれば一番分かりやすいだろう。二十年ほどホコリを被ってはいたが、それでも現役で使えるのはマジック装備だからだ。
いや、先に言ってしまえば、総司令の装備品は全てマジック装備となっている。他の装備品は大雑把に説明するが、一メートルはあろう盾、朝日に反射して神々しく輝く全身鎧となっている。おとぎ話の英雄様も頷けるほど迫力があるだろう。
次に総司令の秘書だが、彼の現役時代は一級冒険者として活躍していた。
残念だが当時の装備品は既に処分してしまい、ただいまの装備品は全てギルドが冒険者から買い取った装備を寄せ集めた物である。そのためお世辞にも勇者様の相方とはいえないほど、粗末な格好となっている。
「おはよう冒険者の諸君! ワシは冒険者ギルドの総司令であり、今回の依頼を指揮させてもらう! 正直に言えば今回の依頼は不確定要素……いや、何が起こっているのかギルドは一切の把握はしていない。もしかしたら諸君らの何名かは命を落とすかもしれない、もしかしたらワシを含めた全員が死ぬかもしれない……。だから諸君らを強制はしない。仮にここで逃げ出したいのであれば好きにすればいい。だが! スワトロ法国で暮らす家族、恋人、友人、そして諸君らの居場所を守りたいのであれば! どうかワシに就いてきて欲しい。……ワシに就いてくる者は門の外まで、そうでない者は解散とする。以上だ!」
言いたい事だけを告げ、後ろを振り向かず総司令とその秘書は門に向かって歩いていく。
鎧と武器がぶつかり合う音や冒険者の喋り声、同じ歩調で後方から二人の耳には聞こえたが、それでも二人は振り返らなかった。集まった冒険者を信じ、堂々と余裕のある姿を見せつけるために、だ。
門を出て馬車の前で待機する事数分。そこでようやく総司令とその秘書は後方を振り返った。
二人の後方に立つ決意のある冒険者は総勢十三名。
二級冒険者十九名が不参加を表明するが、主力である二組のS級冒険者九名、一組の一級冒険者四名は参加の意思を表す。
量より質となったが、戦力としては十分である。一つの依頼でこれほど上級クラスが集まったのは、過去をさかのぼってもそうそうないだろう。
「ここに集まった諸君らの勇気や正義にワシは感服した。ギルドの代表として心からお礼を言いたい。……ありがとう」
総司令とその秘書は深々と頭を下げた。
「総司令殿! 自分達のパーティーは第一軍と共に前線で戦いたいと思います!」
そんな中、一人の冒険者――S級冒険者のパーティーの代表が口を開く。彼らは数日前に別の依頼から戻ってきたばかりの冒険者で、第一軍の依頼に間に合わなかった冒険者である。そのあまりにもありがたい申し出に総司令は胸を痛めた。
人とは不思議な生き物である。地位、名誉、富、権力、その一つでも、あるいは全てを得た人間は変わってしまう。己が一番だと勘違いし、そして自身が偉くなったと踏ん反り返る。
確かにあながち間違ってはいないが、大きな間違いだともいえよう。それを得た特定の場所ではそうかもしれないが、一歩外に出てしまえばそうではない。
本当に偉いのは踏ん反り返るのではなく、視野を広げて物事を理解し実行する者、二番手となって謙虚な気持ちを忘れない者、そのような人間なのではないだろうか。
今でいうところの冒険者とギルド上層部の様な物だ。それを踏まえて総司令は上層部に対し、今まで以上にガッカリした。得る物を得た人は落ちぶれる、と。
それはそうと、いつしか残りの冒険者一同も志を共にした。「自分たちも前線に行きます!」「どこまでも総司令に就いてき行きます!」その場の冒険者が口をそろえて己の意気込みを表し、当初の『後方待機』が『前線』に変わるのだった。
「……諸君らの気持ちは分かった。それでは我らは第一軍の加勢と任務を変更する!」
総司令の言葉を遮るかの様に次々と冒険者が雄叫びを上げ、一つの声となった雄叫びは辺りに響き渡った。
こうして総司令とその秘書も含めた総勢十五名の彼らは馬車に乗り込み、数日遅れて第一軍の元へと向かう。
その全ての冒険者は闘志をむき出し、不確定要素が多い依頼に挑むのであった。
ここまで見ていただきありがとうございました。そして長文にお疲れ様です。
甘口から辛口の感想やご意見、お気軽に下さると嬉しいです。