プロローグ
――カムイ大樹林のとある奥地に拠点を据える殺人ギルドの一室。
現時刻は正午を少し過ぎた頃だが、その一室以外は静まり帰っていた。
誰も人がいないから静まり帰っている訳ではなく、その時間帯が就寝時間なため静かなだけである。そのため時折ではあるが、部屋からは寝言やいびきが漏れる事もしばしばある。
そんな彼らにとっての仕事とは日没後に行われる。殺人ギルドの全員とまではいかないが、半数以上のギルドメンバーは、一般人から後ろ指をさされるお尋ね者が多く、そんな彼らは人目を盗める日没以外はギルド内で腰を据えている。
半数以下の中には、都市エンティラで任務に就いている青少年――ブラントもこの殺人ギルドに籍を置く一員であり、ただいま就寝している者とは同士である。
そんなブラントがギルドを離れてから数日後。
そんなギルドの本拠地で最も神聖とされ、地下とは思わせないほど飾られた大部屋。
広さにして奥行き五十メートルほど横で三十メートルほどだろうか。そんな大部屋の出入り口には、全身鎧を着飾った騎士が絨毯を挟んで十メートルほど並ぶ。その姿はさながら王を守護するようである。
その守護者の奥には王に謁見ができる開けたスペースがあり、それを見下ろすかのように中段に並ぶ長い机と三つの椅子。さらに全体を見渡せる上段があり、その上段がこの部屋の上座となる。
そんな上座に座る一人の男性は先ほどから頻りに「ほぅ……。これはまた……」と、書類に目を通しながらブツブツと呟いている。
その男性こそがギルドの長であり、王である。そんな彼は大き目の黒いローブに身を包み、頭にはこれもまた大き目の頭巾を被っている。そのせいで口元は見えるものの、それ以外の目元や体格などは隠されている。
「エレナよ。ライム・クルーとブラント・ケニーからの報告書だ。お前も目を通しておけ、中々に興味深いぞ」
一通りの報告書に目を通したギルド長は、中段に座る一人の女性――エレナに報告書を差し出す。
そのエレナもまた、ギルド長と同様にローブと頭巾で身を隠している。そんな彼女の表情は頭巾で見えないものの、それでも報告書を手にする時は『待っていました!』と言いたげに口元がほころぶ。
今にも鼻歌を歌いだしそうな勢いで、それはもう一心不乱に報告書に目を通す。ギルド長と同様に「あら~……。そう、私の可愛い息子ちゃんは冒険者ギルドに……。やだ、それは危ないわ!」と、ブツブツと顔を上気させる始末だ。
エレナは報告書を何度も何度も読み返し、その都度似たような反応をしては顔を上気させる。第三者から見れば、それは一種の病気と勘違いされても変ではない。
「息子の報告書ばかりを見るな。もう一つの報告書にも目を通せ」
どこか呆れたようにギルド長は言い放つ。そう、エレナが『報告書を何度も何度も読み返し』ていたのは、実の息子がいるパーティーの報告書だけである。もう片方のパーティーの報告書は眼中にないのか、少し離れた場所まで追いやられていた。
「で、ですが――」
「その報告書は好きにすればいい。だからもう一つも目を通せ」
「この報告書を私に頂けるのですか? それは本当ですか?」
口元がにやけ今にも飛びついてきそうなエレナに、ギルド長の身は少し下がる。
「ああ、好きにすればいい。だから――」
「ありがたき幸せ!」
今にも天に召されそうなぐらい、そのぐらいほわほわしたエレナは報告書を胸に抱きしめ、歓喜のあまり目には一粒の涙が……。
もちろん頭巾で隠れて見えはしないが、息子に執心のエレナなら、とギルド長は呆れ始める。
「……ほら、さっさと読め」
「かしこまりました!」
エレナは意気揚々ともう一つの報告書に手を伸ばし読み始める。そんなエレナの姿を上段から見下ろすギルド長は、大きなため息をつき「面倒な女だ」と、聞こえないように毒を吐く。
「これは確かに興味深いですね。いや、これほどまでとは私も思いませんでした」
もう一つの報告書も一通り目を通し、先ほどの歓喜の表情とは打って変わり、今は真剣に報告書とにらめっこをしている。
「そうだろ? あまりにも出来過ぎて眉唾ものかもしれないが、まぁそこは同士を信じる事にして目をつぶろう。で、だ。それとは別の報告書があってだな。こちらは不味いかもしれんな」
「と、いいますと?」
「名前は確か……クレアだったか、エステルだったか、まぁなんでもいい。なにせ以前からスワトロ法国で調査に出向いている同士からの報告だ。それによると、ある噂が法国で流れているらしい」
「噂ですか?」
「そうだ。なんでも、アーカム竜王国とステイック王国の国境、そこの村が襲われたらしい」
「えっと……、それは私達に関係するのですか?」
「いや、な。そこの村人が一般人なら問題にはならないが、なんでも村人は全員俺たちの同業者って噂らしい。仮にその噂が本当だとしたら、これはもしかしてひょっとすると、竜王国にいるライム・クルーと王国にいるブラント・ケニー、この二名も襲撃に会うかもしれないな」
その説明を聞き終えた頃にはエレナの表情は真っ青になる。そして同時に「まずい、まずい、まずい、まずい」と連呼した思いきや、わなわなと体を震わせ「私の可愛い息子ちゃんのピンチ!」いったい何を結論付けたのか、そんな事を叫び出す。
「やはり私はここでお暇を――」
「お前は謹慎処分中だろ?」
「ですが! 私の可愛い息子ちゃんが襲われたら、私は、私は……」
「まてまて、よく考えてみろ。もしもだ。この件が計画的に同業者を狙ったものだと仮定する。個人で複数の同業者を相手にはできない。もちろんおとぎ話の勇者様とかなら別かもしれないが、このアドニアには勇者様なんて存在しない。そうなると、村を襲撃したのは組織となる訳だ。これが指名手配犯を狙っているのなら、エレナ、お前も標的だぞ? そしたらどうだ。息子と一緒に行動でもしようものなら、お前と一緒に襲われる訳だ。それこそ本末転倒じゃないのか?」
それでもエレナは納得していないのか、理屈では分かっていても、気持ちが落ち着かないためである。そんな過保護のエレナにギルド長は早まったと後悔し、その代わりに妥協案を提示する。
「それならこうしよう。指名手配になっていない同士を数人だけ見張りにつける。もちろん人選の選抜はお前がしてもいい。ただ、あくまで見張りだ。問題がなければ二組には基本的には干渉はしない。これならどうだ?」
「……分かりました」
その妥協案でもエレナの心が晴れる事はなかった。だが、あまりわがままを言って謹慎処分に影響が出ても面白くないと、そう自分に言い聞かせて何とか妥協案に応じたのであった。そして善は急げとエレナはギルド長に一礼し、今頃は平和にも夢の中にいる同士の選別しに部屋を後にする。
一人になったギルド長はおもむろに立ち上がり、大部屋の奥――旗に隠れたドアを開けた先の自室に入る。
ギルド長の自室のため、さぞかし無駄に装飾された貴族さながらの部屋なのかと思いきや、全くそんな事はない。ベッドが一つ、数冊しか入っていない本棚が一つ、広めの机と椅子が一つ。それだけである。
その殺風景な部屋の椅子に座り、机の引き出しから紙とペンを取り出す。
元々内容を考えていたのか、特に悩むことなくスラスラとペンを走らせる。宛先はギルドを離れている上層部の同士に、内容は『スワトロ法国での噂』について注意を呼びかける物だった。
一介の同士ならそれほど注意も払わないが、さすがにギルドの上層部ともなれば失うには惜しい。手紙一つで身を守れるなら安い物だと、こうしてギルド長が直々に手紙を書いたのであった。
書き終えた手紙を封筒に入れ、最後にギルドのエンブレムと同じ封蝋を押して完成となる。
その手紙を持って大部屋に戻れば、いつの間にかエレナと六人の同士が待機している。それ対して「待たせたな」と、簡単に告げ上段のギルド長の席に座る。といっても、ギルド長は特に発言をする訳ではなく、任務の説明などはエレナの仕事であるため、傍観者のルド長がこの場にいる意味はほとんどないのだが。
「それでは汝らに護衛の任務を与える。各自対象との接触は禁じ、各々の判断で必要であれば接触されたし。主様、何かございましたら?」
傍観者に徹しているギルド長は手を軽く上げ、発言はないと伝える。それに対してエレナは一礼をして同士に向き直る。
「では汝らの準備が整い次第、護衛の任務に出るように。解散!」
集められた同士六人は一礼をし、一列になって大部屋から出ていく。ギィっと鉄製のドアが閉まる音が鳴り響き、少しの静寂。
「……何事もなければいいが」
「そうですね。何事もなければよろしいですね」
ギルド長の言葉をエレナはオウム返しをし、そのまま二人はしばらくドアを見つめるのであった。
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