洒落た真似

作者: 真山慎吾

昼下がり。容赦なく降り注ぐ真夏の陽射しが車のボンネットを跳ねる。

男は窓を開け放った型落ちのセダンの中から、ステアリング越しにフロントガラスの向こうの眩しい風景

に眼をやっていた。道路沿いにある廃屋。土のままの駐車スペースに車を停めて既に小一時間が過ぎていた。フロントガラスの向こうには陽炎の中に伸びるアスファルト道路。走りすぎる車も無くただ静かな時間が男の周りを流れていた。

「エアコンを入れろよ。ゆだっちまうじゃねえか。」

男の横で助手席のシートを倒して寝転ぶもう一人の男が襟元のネクタイを乱暴に緩めながら言った。シャツの胸元を大きく開け、だらしなくぶら下げたネクタイを片手で弄びながら天井に眼をやっている。開け放った窓から両足を突き出して足を組む様はとても刑事とは思えない乱暴な振る舞いだった。

「俺は嫌いでね。暑いも寒いもそのままが好きなのさ。」

首筋に流れる汗に構いもせずに男はシートに身を沈めていた。

「変わった奴だ。昔からな。」

助手席の男は投げやりな口調で言うとスボンのポケットから潰れた煙草のパッケージを取り出した。皺だらけの煙草に火を着けてパッケージを男に放る。

「煙草は胸のポケットに入れとくもんだぜ。折れちまってる。」

男はパッケージから取り出した折れた煙草をダッシュボードに放ると皺だらけの煙草を手で伸ばして火を

着けた。山間の小さな田舎街。炭鉱が閉鎖されてから寂れた温泉街だけが残ったこの街に流れ着いた男は、組員2人だけの小さな組に拾われて一年前までこの街で過ごしていた。助手席の刑事とはその頃からの馴染みだった。シノギもろくに無い寂れた温泉街。男は組から任された飲み屋で真っ当に商売をし、時折訪れては嫌味を肴に酒を呑む刑事の相手をした。

「来やしないぜ。」

助手席の男は煙草の煙を吐き出しながら言った。

「来るさ。約束は守る奴だ。」

温泉街が賑やかになったのは二年近く前の事だった。炭鉱跡地の産業廃棄物処分場に広域組織の舎弟が運送業者として現れた。小競り合いが一年近く続き、男の組は組長の命を取られた。

「忘れやしねえってか。」

「命日だからな。」

「まったく似合わねえ。青臭い真似しやがって。命日に再会って柄か。」

助手席の男は両手を頭の後ろで組んで横目に男を見ると天井へ煙草の煙を噴き上げた。乱暴な物言いが嫌いではない。何処か崩れた刑事。不思議な男だった。

「覚えておけよ。奴は関係ない。済んだらワッパ掛けろよ。」

「そうかい。」

投げやりな口調。興味のなさそうな返事を返すだけの刑事に男はいささか不満だった。命日。組長が射殺されたのは一年前の今日だった。男はその日のうちに独り報復に向った。抗争相手の男を一人撃ち殺して、組の看板を持って来させた兄弟分と落ち合ったのがこの場所だった。組長と若衆二人の小さな組。一度逃げて遠縁の組を頼るしかなかった。兄弟分は男が報復に使った拳銃を預ると男の顔に拳を叩き込み、自分抜きの報復をひとしきりなじって北へ逃げろと言った。親戚付き合いのある懇意の組と話をつける。シマは必ず守る。そう言う兄弟分と一年後の再会を約束した。炭鉱の愚連隊が看板を掲げた小さな組だったが老舗の組織として知られていた。男は幾つかの組に客人として迎えられながら一年を過ごし、無事にこの街へ戻って来ていた。

「自首しますって奴ほど信用ならねえ。」

「庇ってる訳じゃねえ。俺がやったんだ。」

「逃げやがった癖に。いまさら自首とは笑わせる。」

「けじめだからな。」

男の視線の先にある道路に黒い四輪駆動車が現れた。男は腕時計に目を落す。

「来たぜ。時間通りだ。」

「来やしねえよ。」

男の車に寄り添う様に路肩へ停まった四輪駆動車。運転席には長髪の若い女が乗っていた。男の車に目をやり、助手席の男に気付くと戸惑った表情を浮かべながら路上に降りた。路上の女へと近寄った男に、女は黙って胸に抱いた大きな風呂敷を差し出した。組の看板。

「あんたに任すって。」

「自分で来ないでお前を寄越したのか。」

女は男の顔をしばらく眺めた。瞳の大きな愛嬌のある顔に意外そうな表情が浮かんでいた。

「一年前に死んだわ。あんたにこれを渡す様に言われた。任すって言えって。これであの人とはさよなら

ね。」

温泉街のスナックで見かけた女。兄弟分の女とは知らなかった。女は風呂敷の看板に軽く手を掛けてから男に背を向け、四輪駆動車で走り去って行った。

「来ねえって言っただろ。」

女には目もくれなかった男が助手席の窓越しに言った。

「知ってやがったな。」

「あの晩に二人殺ったのさ。ハジキが同じだったんで三人殺し、被疑者死亡で終ってる。あいつが全部背

負って消えちまったな。」

容赦なく照りつける陽射しの中で男は言葉なく遠くを見ていた。首筋から流れ落ちる汗。乾いたアスファルトの上で消えて行った。

「野良犬が洒落た真似しやがる。」

助手席の男の口調に先ほどまでの投げやりさは無かった。

「自首はいらねえって訳か。」

「おまえもあいつを背負って行け。話は聞かなかった事にするぜ。」

「あんたも洒落た真似するじゃねえか。」

「俺も野良犬だからな。」

助手席のシートに寝転んだまま男が初めて口元で笑った。