92. ゾクッとする女
翌日、オレはフレイヤに呼ばれた。
フレイヤは美女だ。
絶世の美女とも言える。
だが、オレはあの顔が嫌いだ。
前世の女狐を思い出し、嫌悪感が走る。
女狐よりもきれいな顔をしているが、似ているというだけでギルティだ。
だが、嫌いだと言って誘いを断るほど、オレの器は小さくない。
ふははははっ。
あいつの部屋に潜入して、弱みを握ろうではないか!
トントンと研究室のドアを叩く。
「どうぞー?」
「失礼します」
モノが多い研究室だな。
研究室というよりは、どこぞの貴族の部屋みたいだ。
高価そうな絵画に、花瓶。
まあオレはそういうのに興味ないがな。
クソ親のクソなものも売り払ったし。
オレレベルになると、わざわざ物なんかに頼らなくても高貴さがにじみ出ているのさ!
ふははははっ。
フレイヤ自身もアクセサリーをたくさん付けているが、見せつけるように他のアクセサリーも机に置かれていた。
「アーク……」
部屋に入ると、ロストがいた。
フレイヤと机を挟んだ向かい側のソファに、ロストが笑顔を浮かべて座っている。
色違いのソファだ。
統一しろよな。
ロストがオレを見るや否や、気まずそうな顔をした。
ロストと会うのは久しぶりな気がする。
こいつはオレよりも先に卒業したからな。
まあ先輩だから、当然か。
いまはバベルの塔にいるようだ。
「それでは私はこれで失礼します」
ロストが立ち上がって、研究室を出ていく。
怖い顔だ。
なんかあったのか?
さっきまでの笑顔はどうした?
豹変しすぎだろ、こわ。
まあいい。
「待っていたわ。どうぞ座って」
「いえ。大丈夫です」
こいつと向かい合って座るなんて虫唾走る。
笑顔を保てる自信がない。
前世でオレはこいつと同じ顔のやつと一対一で話をした。
そのときも机を挟んでソファに座りながら話した。
あれと同じようなシチュエーションにはしたくなかった。
「そう? このソファ、世界に一つしかない特別性なのに。もったいないわ。それについ最近新調したのよ?」
フレイヤがソファをツーっと撫でる。
いやらしい撫で方だ。
やはりこいつは、高級品が好きらしい。
どうせこのソファも高級品なんだろ?
絶対に座ってやらないからな。
マウント取られるに決まってる。
オレを見下そうなんて百年早いぜ?
はっ、いかんいかん。
ついソファを睨んでしまったぜ。
笑顔にならないとな。
「それで何の用でしょうか?」
「昨日はごめんなさいね。うちの子たちが悪いことをしたわ」
うちの子……?
あー、愛ツラのことか。
侯爵令息どもだろうな。
「大丈夫です」
「そう? それなら良かったわ。ところでアーク君。あなたはシャーリック教授の一番弟子なんだって?」
弟子という言葉に語弊があるな。
オレはシャーリックを雇う側だ。
弟子になどなったつもりはない。
オレがシャーリックと仲が良いから、オレから何か情報を聞き出そうって魂胆か?
ふははは!
オレを権力争いに使うなんて言語道断。
やはりこいつは嫌いだぜ。
「彼女の理論には感銘を受けたわ。革新的というかしら? 私にはない発想ね」
何が言いたいんだ、こいつ。
「そもそも研究分野が違うのでは? 同じ土俵ではないのですから、比べる必要もないかと思います」
「そうね。アーク君の言う通りだわ。でも、私も研究員の端くれ。革新的な愛デアに興味があるの」
「……」
なんだろう……。
何かものすごい違和感を覚える。
話してる内容が薄いわけじゃない。
でも、中身がないように感じてしまう。
「だからこうして、アーク君も話してみたいと思ったの。最近、シャーリック教授とも話せなくてね。なんか警戒されちゃってるみたい」
ああ、なるほど。
シャーリックが言っていたのは、こういうことか。
フレイヤには人間味がないのだ。
言っていることはまともなのに、会話しているような感じがない。
「フレイヤ様のその歳で教授に抜擢されるとは、さすがですね」
「ええ、そんなことないわよ?」
フレイヤがうふふ、と笑う。
その笑い方が前世の女狐と見ていて、やはり嫌な気持ちにさせられる。
いま思い返せば、あいつの言葉も軽かった気がする。
協力します、大変でしたね、良く頑張りましたね、なんて言葉をあの女狐はオレにかけてきた。
当時、オレはその言葉に救われた。
でも、今考えれば、あいつの吐くセリフはすべて上っ面のものだったように感じる。
フレイヤも同じだ。
言葉が浮いて聞こえる。
しばらく会話していると、自然とフレイヤの研究の話題になった。
フレイヤが教授になるきっかけとなった論文。
魔力の根源、つまり魂の研究とやららしい。
細かいことはよくわからんかったが、どうやら魂を転移させられることを論文にし、それが評価されたらしい。
それがどれくらい凄いことかは知らんが、教授になるくらいならそれなりの評価に値する論文だったのだろう。
それも見た目からしておそらく、シャーリックと同じくらいの歳。
その歳で教授に上り詰めるくらいだから、研究者としては相当優秀なのであろう。
教授になるのは、はやくても40代といわれてるらしいからな。
研究の話を聞いていたら飽きてきた。
というか、理解できなかった。
まあオレは研究者になる気もないし、理解なんてしなくても良い。
オレは悪徳貴族だからな!
平民たちをこき使いながら優雅に暮らすのだ!
ふははははっ。
オレは話を切り上げて研究室を出ようとした。
部屋をでる直前、
「アーク君。私のものになる気はない?」
などと言ってきやがった。
ゾクッとした。
この言葉だけはフレイヤの本心のように聞こえたからだ。
今までの中身のない会話じゃない。
本気でフレイヤが望んで出た言葉。
なるわけねーだろ、このアパズレが。
やはりダメだ。
オレはこいつと話すのが死ぬほど苦手だ。
「フレイヤ教授。私は誰のものにもなるつもりはありません。当然、あなたのものにも」
むしろ、貴様がオレのためにせっせと働いてくれるなら考えてやらんでもない。
「そう、それは残念ね。本当に残念だわ。あなたみたいな子が欲しいと思っていたのだけれど」
ああ、なるほど。
たしかに美女にそんな悲しい顔されたら、大抵の男の気持ちは揺れるだろう。
顔だけは良いからな。
人間、特に男なんて単純だ。
可愛ければ気を許してしまう。
ルッキズムなんて言葉が前世で流行っていたが、容姿が良いものに好意を抱くのは当然のことだ。
それは前世のオレがそうだったからわかる。
前世のあの経理担当も相当な美人だった。
だからオレは、勝手に気を許してしまったんだ。
それが間違いだとも知らずに。
糞食らえだ。
胸糞が悪いってもんじゃない。
反吐が出る。
騙された自分にも、騙した女狐にも。
だからオレはもう騙されない。
「フレイヤ教授。すべてあなたの思い通りになるとは思わないで頂きたい」
顔が良ければなんでも許されるって思うなよ?
ふははは!
貴様の大切なものをオレが奪ってやる!
そしてあのときの屈辱を百倍にして返してやるぜ!
なんたって今のオレは悪徳貴族だからな!