69. 悲劇の少女
悲劇のトラウマ少女、グレーテル。
彼女もFSの視聴者にトラウマを植え付けた人物である。
本来のストーリーなら、ヘンゼルとグレーテル、そしてマザーはヴェニスとは別の話で登場する
しかし、アークの介入によって流れが変わり、彼らはヴェニスにやってきた。
グレーテルは原作でも孤児院から逃げる。
そして逃げた先で、主人公であるスルトたちに助けられる。
スルトたちの優しさに触れたグレーテルは、彼らと一緒に生きていきたいと願うようになる。
しかし、そんな矢先、グレーテルは力を暴走させ、スルトたちを固有空間に閉じ込めてしまうのだ。
スルトたちはなんとかグレーテルの固有空間から抜け出すことに成功する。
しかし、彼らは抜け出せた先で絶望を見ることとなる。
グレーテルがマザーに食べられるシーンをまざまざと見せつけられてしまうのだ。
後にスルトたちは、固有空間から抜け出せたのはグレーテルがマザーに食べられたからだと理解する。
グレーテルがその身を犠牲にしてスルトたちを救ったのだ。
その後、悲しみに暮れる暇もなく、スルトたちはマザーと戦うというのが原作の流れである。
ちなみに、グレーテルが食べられるシーンは、本作の中でも有数の鬱展開として知られている。
無駄にレベルの高いグラフィックが重なり、最凶のグロシーンが完成したのだ。
それは制作陣が無駄に気合を入れた成果だった。
アニメのシーンでぼりぼりとグレーテルが食べられるシーンは、あまりも酷すぎたことから規制が入れられるほどだった。
マザーはグレーテルの体を、一つ一つを味わうかのようにちぎったり、焼いたりしながら食べていく。
モザイクがかかっていたとしても音だけは残っている。
ネットでも「アニメ グロシーン」や「アニメ 食人」と検索すると、真っ先に出てくるほどの鬱グロシーンとなった。
あまりにもグロいことから、一部の視聴者がご飯を食べられなくなるといった形でも話題になった。
果たしてこの世界では、グレーテルの運命はどうなるのだろうか?
原作から大きくズレてしまっているため、グレーテルの未来は誰にもわからない。
◇ ◇ ◇
終わらせる必要がある。
グレーテルは決着をつけようと考えていた。
逃げて、助けられて、仲良くなって……そして裏切ってしまった。
アークを、マギサを、優しくしてくれた人たちを裏切ってしまった。
自分のような存在が生きようとすることが罪だった。
罰を受ける覚悟はあった。
しかしその前にけじめをつけなくてはならなかった。
はじめからこうすれば良かった。
グレーテルはマザーのところに向かう。
マザーはグレーテルに母親として愛情を注いでくれた。
歪な愛情であったものの、愛には変わりなかった。
食べることこそが最上の愛の証だ、と。
愛してるから食べるのだ、と。
子供達は、マザーの愛を信じて疑わなかった。
だがグレーテルだけはその愛を受け入れられなかった。
食べられることで愛を感じる心も、食べることで愛を感じる心も、気味の悪いと思ってしまった。
だからグレーテルは逃げた。
逃げた先でアークと出会った。
幸運だった。
アークとの日々は短くも充実していた。
これこそが自分の求めているものだと感じた。
普通に生きたい。
グレーテルはそう願うようになった。
アークたちを裏切るつもりもなかった。
しかし、魔法を制御できずマギサを殺しかけてしまったのは事実だ。
飢餓の口減らし!がある限り、グレーテルはまともに生きていくことは出来ない。
これ以上、アークたちのもとにはいられない。
だからここで終わらせようと考えた。
マザーはきっと怒り狂っている。
逃げ出したグレーテルと死んでしまったヘンゼル。
マザーは自身が寵愛を与えた相手に異様に執着する。
きっとマザーはアークのところに向かうのだろう。
それをグレーテルは止めなければならないと考えた。
「んまー! グレーテルちゃん! よく戻ってきてくれたわぁ! お母さん嬉しいわぁ」
娘の帰還をマザーが満面の笑みで受け入れる。
「ヘンゼルちゃんは残念だったけど、あなただけでも戻ってくれて嬉しいわ!」
「はい。ただいま戻りました」
「ええ、ええ! もう遠くに行っちゃ駄目よ? 愛しのグレーテルちゃん」
マザーのセリフだけ切り取れば、心優しい母親にしか見えないだろう。
しかし、そのセリフを吐く口元には、べっとりと血が付いている。
子供を食べた痕跡が残っている。
「お母様。愛とはなんでしょう?」
「そんなの決まっているわ! 一緒になることよ!」
「いいえ、違います。お母様。私、本物の愛に気づいてしまったの」
愛とは何か?
それはもちろん、マザーの言うような食べる食べられるなどと言った狂気のものではない。
マギサがグレーテルを守ろうとしたように、アークが己の身を犠牲にしてマギサを助けにいったように。
誰かのためを想う行動にこそ愛があるのだ。
だから、
「お母様。私はお母様を愛していないの」
グレーテルの言葉に、マザーは一瞬キョトンした表情を浮かべた。
直後、目を見開き額に青筋を立てた。
「いま、なんと?」
「お母様を愛しておりません」
「んまー!!! それはどういうことですの! グレーテルちゃん!」
「これが私の答えです。あなたを愛してなどおりませんが、私はお母様を食べます」
グレーテルはマザーを見据えた。
「――飢餓の口減らし!」
グレーテルの体を中心に黒いもやが出現する。
触れた子どもたちが次々に消えていく。
次々に口減らしされていく。
「んまー! グレーテルちゃんも愛する喜ぶを知ったのね!
でも安心してちょうだい! 私のほうがあなたを愛してるのだから! 愛では負けないわよん!」
マザーが大きく口を開けた。
「――――ッ!?」
みるみるとグレーテルが発していた黒いモヤがマザーの口に吸い込まれていく。
食べられていく。
すべてを吸い込んだマザーは大きくゲップをした。
「あらら? はしなくてごめんなさい」
「なっ……!?」
暴食マザー。
彼女の力は”食べる”こと。
魔法すらも食べることができる。
彼女に食べられないものは、この世にはほとんど存在しない。
グレーテルもマザーがなんでも食べることは知っていた。
飢饉の口減らしは触れたものを異空間に閉じ込める魔法だ。
グレーテルは、マザーが食事するよりも先に口減らしができると考えていた。
だが結果は、マザーの暴食がグレーテルの飢餓を上回ったのだ。
つまり、グレーテルは自身の唯一にして最強の魔法である飢饉の口減らしを失ってしまったのだった。
だが、そもそもこれはグレーテルの自業自得とも言えた。
わざわざマザーの臨戦態勢が整っているときに飢饉の口減らしを発動させた、グレーテルのミスである。
そんな簡単なミスを犯すほどグレーテルは焦っていたのだ。
「グレーテルちゃん。愛が何かを語るほど、あなたはまだ何も知らないわ。
でもいいのよ。あなたはまだ子供だから。それを教えるのも母である私の役目だと思うの」
「お母様の愛は一生わからないわ」
「うふふ。丁寧に教えてあげるわ」
マザーはのそりと起き上がる。
そしてグレーテルの前に立ちはだかった。
「おいしく育てたのだもの。おいしく頂かなきゃ損よね」
マザーがグレーテルを掴む。
グレーテルは諦観した目でマザーを見た。
「んま?」
マザーの手が止まる。
「これは……なにかしら?」
マザーの手が凍っていた
そして、
――パリン。
音を立てて砕け散った。
グレーテルが、きゃっ、と小さな悲鳴を上げながら落ちていく。
「ったく。勝手にいなくなるとはいい度胸だ。覚悟はできてるんだろな? グレーテル」
アークが見事グレーテルをキャッチしたのだった。