ういろう売り
ト書き。劇団「希望の船」の稽古は夕方六時からから始まり夜の八時まで続く。
整列した九人の劇団員は皆、ジャージを着た背筋を伸ばし、腹に両手をそえて声の通りをよくする。
座長の合図で一斉に発生を始めた。
「よーい、アァ~クゥンショォオン!!」
《拙者、親方と申すは、お立ち合いのうちにご存知のお方もござりましょうが、お江戸をたって二十里上方……》
九人は出だしこそ揃っていたものの、次第にばらつきが出始め、不協和音へと変わる。
「そーしゅーおだ、おだ、オダ……」「一色町は現在の神奈川県小田原で……」「アル・パチーノがペペロンチーノで……」
鬼高知座長はすかさず止めた。
「ダメダメダメダメッ! やり直し!」
芝居をする上での必修科目。
【外郎売】
その歴史は一七一八年、江戸の芝居小屋から広まった【ういろう】という演目。
二代目、市川團十郎という歌舞伎役者の長セリフと早口による見せ場だった。
ういろう売りは歌舞伎が由来なのだ。
その内容は、どこからともなく「外郎はいらんかねー」との売り文句が聞こえ、それを聞いた客が外郎を販売する薬売りに、どんな効能があるかをたずねる。
薬売りは、どんな病にも効く上、滑舌まで良くなる優れものだと自負し、早口で外郎の魅力を語る。
そう、外郎とは今のお菓子ではなくて、当時はどんなモノにも効く万能薬のことだ。
そんな話を歌舞伎で面白おかしく捲し立てるのが、江戸時代では大ウケだったそうだ。
今日において役者のみならずアナウンサー、声優、ナレーターが滑舌と早口を滑らかにし、発声と声帯までも鍛える最強の練習教材としてカリキュラムに組み込まれている。
という風に、鬼高知座長がヌキペディキュアを見ながら説明してくれた。
劇団のみんなで声を揃えて発声して、噛むとまた最初からやり直し。
こんなことの繰り返しをしていたら、とうとうこの人の不満が吹き出した。
「チッ、なんで今さら、こんな下手クソがやる練習をしなきゃらなんねぇんだよ」
「おーい、なんか言ったかコミュ障・秀一?」
「五味秀一だ! 座長。こんな基礎中の基礎、役者の経験あるヤツなら誰だってできますよ。それを、やり始めたばりの素人に合わせてたんじゃ、この先、舞台なんかできません」
「ほー、で? 何か良いアイディアがあるのか?」
「できるヤツとできないとヤツで班分けして、まずはできるヤツだけで芝居の練習をしましょう」
「それじゃ意味ないだろ? ゴミ出しは週一」
「五味秀一だ!! バカにしてんだろ!?」
「バレたか。テヘ! テヘペロ」
「古いんだよ!」
鬼高知座長はおどけた後に顔付きを強ばらせ、五味さんを諭す。
「舞台ってのはな、役者各々に実力が身に付いて、一つに呼吸を合わせて演技をする。その一体感が傑作を生むんだ。お前だけ上手くなっても一人芝居しかできない。一人芝居したいなら、イッセー尾形みたいに芝居小屋借りて、一人で五役でも十役でもやればいいだろ?」
「それらしいこと言ってんじゃねぇよ……」
「これは滑舌を滑らかにする練習でもあると同時に、劇団員が全員で呼吸を合わせる練習でもあるんだよ。だから、ちゃんと合わせて言えるようになれよ」
五味さんは少し意地悪な投げ掛けをした。
「人にやらせるばかりで、座長はどうなんですか?」
「ぁあ? 何が」
「ういろう売りは頭から言えるんですか?」
「も、もろチン……もちろんだ……」
怪しい。どう見ても動揺してる。
座長はあしらうように言った。
「オラ、練習しろお前ら! 最初から演技ができるヤツなんていねぇんだ。練習あるのみ!」
それを聞いた五味さんは座長の前に立ちはだかり、睨みを効かせた。
座長よりも五味さんの方が頭一つ分高く、鬼高知座長を見下ろす。
かなり険悪な雰囲気。
座長が睨み返し声にうねりをつける。
「なんだぁあ? 文句でもあんのかぁあ?」
まるで何かの映画のワンシーンを見ているみたいだ。
これ、絶対ヤバい。
二人とも爆発寸前だぁ!